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【アップ✨】2026年7月26日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります☕️

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(ユメノ記)

https://www.youtube.com/@%E6%98%9F%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%83%A9-v5x/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782



【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪



【本日のメッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=GuekJDBWBHg&pp=0gcJCWQCo7VqN5tD&ra=m


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12974543567.html

聖書と讃美歌を閲覧できます♪お気軽にお立ち寄りください(^^♪


聖書


『ヨハネによる福音書』(第五章三一〜四〇節)

『ネヘミヤ記』(第八章一〜一二節)


讃美歌〜♫


讃美歌187番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=bSE7uWwnoEI&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yR77yY77yX55Wq0gcJCaMLAYcqIYzv&ra=m


讃美歌501番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=BG_k72PHmC8&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yV77yQ77yR55Wq&ra=m



2026年7月26日 礼拝説教 聖書箇所


あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたし について証しをするものだ。

ヨハネによる福音書5章39節


彼は水の門の前にある広場に居並ぶ男女、理解することのできる年齢に達した者に向かって、夜明 けから正午までそれを読み上げた。民は皆、その律法の書に耳を傾けた。

ネヘミヤ記8章3節


はじめに

キリスト教の正典は、旧新両約聖書。キリストを証しする御言葉に心の耳を傾けたい。


「もし、わたしが自分自身について証しをするなら」と、主イエスは、ご自身の証について問 いかける。その答えは「その証しは真実ではない」。それは、イエス単独では正しい立証が成立し ないことを明らかにする。ちなみに裁判における立証において「二人ないし三人の証言を必要」と した(申命記17章6節、19章15節)。そこで、主イエスは「わたしについて証しをなさる方は別に おられる。」「その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている」と 言われる。このお方は誰か? 主イエスご自身「あなたたちはヨハネのもとへ人を送ったが、彼は 真理について証しをした。わたしは、人間による証しは受けない」と言われる。 洗礼者ヨハネが証したことは「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとど まるのを見た」(1章32節)であり、イエスを証したのは「御父」と「聖霊」であったことを認め ることができる。つまり、洗礼者ヨハネの使命は「御父」と「聖霊」による神の証しを忠実に証言 であった。「しかし、あなたたちが救われるために、これらのことを言っておく。ヨハネは、燃え て輝くともし火であった。あなたたちは、しばらくの間その光のもとで喜び楽しもうとした。」ヨ ハネの証しを認めるとき、神の定められた限定的な働きがあったことを思い起こすことができる。 当初、多くの人々が、洗礼者ヨハネものもとに来て「悔い改め」を証しする洗礼を受けた。そこで 証しされたお方は、「聖霊と火で」洗礼を授ける主イエスであった(マタイ3章11節)。


「しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある」と、さらに主イエスは、洗礼者ヨハ ネの証しにまさる「神の証し」を自ら証しされる。それは、「父がわたしに成し遂げるようにお与 えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを 証ししている」と言われるとおり、御父が与えられた御子の業である。御子の業は、しばしば人の 目には奇跡として証しされた。それは単なる奇跡ではなく、神の業を証しするものであった。主イ エスはニコデモとの対話において「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなけれ ば、神の国に入ることはできない」(3章5節)と言われた。そして、「モーセが荒れ野でへ びを上げたように、人の子も上げられねばならない」(3章14節)と言われた。御子の業は、天 地創造に始まる。しかしながら救いの歴史の中で、御子固有の業は、永遠の神でありつつ、へりく だって、まことの人となられたことにある。十字架の死に至るまでの従順、その謙遜の道において 証しされた。聖霊は、御子イエス・キリストの十字架における贖いの御業において成し遂げられた 救いの実りを、御子を「わたしの神、主」と信じる者たちに適用し、その真実を証しされる。


「また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。あなたたち は、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない」と主イエスは言われる。じっ さい、ヨルダン川で洗礼者から洗礼を受けられた時、御父の声があった。ここでは、恒常的に神の 声を聞いていないことを指している。「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにいる独 り子である神、この方が神を示された」(1章18節)。「また、あなたたちは、自分の内に父のお 言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。」「あな たたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしにつ いて証しをするもの」。「それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようと しない。」主イエスの声を聞くことが聖書の目的。聖霊は、聖書の証する主のもとに罪人を導く。


おわりに

神殿再建の日、「律法の書」が読まれ、民は一つの祈りをささげた。今日、わたしたち は、主イエスを証しする聖書の言葉に聞き、一つの霊において、神の救いとその真実を証しする。



(Mynote)


二〇二六年七月二六日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

(子供メッセージ)

『スコットランド教会新カテキズム』

「第九の戒めでは、何が禁じられて居ますか。」

「全ての嘘、ありもしないことを、わざと言い当てて傷つけること、人のいないところで、その人の悪口を言うこと、自分の周りの人の名誉を傷つけること、不名誉をもたらすようなことを言うこと、また、自分の周りの人を悪く言う言葉や、嘘、過ちを責める言葉に耳を貸すことが禁じられています。」

(公同礼拝)

『ネヘミヤ記』(第八章一〜一二節)

『ヨハネによる福音書』(第五章三一〜四〇節)

しゅを喜ぶ事はあなた方の力です。」(『ネヘミヤ記』第八章一〇節)

「私は、自分からは何事もする事が出来ない。ただ聞くままに裁くのである。そして、私のこの裁きは正しい。それは、私自身の考えでするのではなく、私を遣わされた方の、御旨を求めて居るからである。(略)私に就いて証をする方は他に在り、そして、その人がする証が本当である事を、私は知って居る。(略)ヨハネは燃えて輝く明かりであった。あなた方は、暫くの間その光を喜び楽しもうとした。しかし、私には、ヨハネの証よりも、もっと力ある証がある。(略)あなた方は、まだその御声を聞いた事も無く、その御姿を見た事も無い。又、神が遣わされた者を信じないから、神の御言葉はあなた方の内に留まって居ない。あなた方は、聖書の中に永遠の命があると思って調べて居るが、この聖書は、私に就いて証をするものである。しかも、あなた方は、命を得る為に私の元に来ようともしない。私は人からの誉れを受ける事はしない。しかし、あなた方の内には神を愛する愛が無い事を知って居る。私は父の名に依って来たのに、あなた方は私を受け入れない。もし、他の人が彼自身の名によって来るならば、その人を受け入れるのであろう。互いに誉れを受けながら、ただ一人の神からの誉れを求めようとしないあなた方は、どうして信じる事が出来ようか。私があなた方の事を父に訴えると、考えてはいけない。あなた方を訴える者は、あなた方が頼みとして居るモーセその人である。もし、あなた方がモーセを信じたならば、私をも信じたであろう。モーセは、私に就いて書いたのである。しかし、モーセの書いたものを信じないならば、どうして私の言葉を信じるだろうか。」(『ヨハネによる福音書』第五章三〇〜四七節)

この箇所では、信仰の骨子、真髄に就いて記されてある。クリスチャン・ノンクリスチャン問わず、神様から命の息吹を吹き込まれ、この地上に生まれ立たされて今在る全ての人が、どの様に唯一誠の、キリストに於ける神様を信じる事が出来るか?全ての人は、クリスチャン・ノンクリスチャン問わず、この信じる・信じないの点で最初から最後まで迷い、無関心も装い、正義の道(善の道)・悪の道へと別れるものだ。

「神様がもし本当に居るのなら、その姿を見せてみろ。その証拠を人(自分)に分かる形で教えよ。」

先ず信仰の道に入る時、また信仰(宗教)を考える時、この点で迷い、分からず(解らず)、結局は与えられた人の知恵・知識の領域のみで神秘の全てを解決し、自分勝手に全ての宗教の在り方とその内実までを決めてしまう。そして知らないままに、どの考え方が正しいかを更に決め、自分が全能者になろうとする。これはどんなに謙遜に、遠慮して考える場合でも、終局、分からない内に全てを決める全能の座に就こうとする事に変わりない。罪人として生まれた人間は、自力のみで信仰に就いて考え、それに関する物事を決めようとすると、必ずその事を踏襲する生き物だからである。

全ての人に時がある。この「時」は、唯一誠のキリストに在る神様と向き合う時である。また全ての人は、クリスチャン・ノンクリスチャン問わず、自分勝手な事を考えて言う。この「自分勝手」とは人の本能・本性に在り、自然の事に在ろう。それに正しい知識が必要であり、その正しい知識が唯一キリストに於ける信仰の知識である。信仰とは、信じる事に尽きる。この事を知る程に信じるか否か、全てはこの点に終局する。そしてその為に神様は全ての人に時を与え、信仰と向き合う瞬間、即ち神様と向き合う瞬間を、その人の人生に於ける時々に用意して下さる(と知る程に信じる)。この個人にとっての「与えられる時」は、神様とその個人との間に在る事で、他人に知れる事には無い(のだろう)。この事を、全ての人は細胞レベルで初めから知って居る。その細胞一つ一つを形成組織する、命をその人に与えたのが神様だからである。

この両箇所では、どの様にすれば神様を信じる事が出来るか。正しい信仰を見出す力が聖霊に依り与えられ、その上で救われるかに就いて書かれてある。この両箇所は、全ての人にとって、その生涯を懸けて何度も繰り返し聴き、御言葉の一つ一つを心に留め、信仰を共に考えねばならない内容に在ろう。人の罪から本当で救われたいと本気で祈り願うなら、神様がその祈りに応え、必ずその人に「時」が来る。その事を、全ての人は罪からの救いの為に、信じねば成らないのである。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Café~


「カオスと秩序のせめぎ合い」アーサー・ホーランド師

(2023年1月13日収録/2月3日配信)

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=E8EuaJuqLPk&t=102s


どうして神はすべての人を救わないのですか。【3分でわかる!聖書】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=l2HSFS2kdb0&t=207s


イエス・キリストの生涯をたどる旅・3

https://www.youtube.com/watch?v=1eUL0aUxXUk&t=1132s


ユメノ記

https://www.youtube.com/@%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%A6%E3%83%A1-v5x/videos


(お暇な時にぜひどうぞ)

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬

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