第6話
家紋の件はひとまず置いておくとして、引っ越し作業を再開しようと思ったら、いつの間にかほとんど終わっていた。
どうやら俺が玉藻さんと話している間に、引っ越しセンターの残りのメンバーが片づけてくれていたらしい。
「さすがの手際ですね。これなら本当に、こちらは何もすることがなさそうだ」
「荷物を詰め込んで掃除をしたら終わりです。玉藻様方はどうぞ新居の方へ向かってください。こちらは私どもにお任せを」
「では、頼むとするかの。そうじゃ、これは今日の依頼とは別の手間賃じゃ。終わったら皆をねぎらってやるが良い」
「これはありがとうございます。今後とも、どうぞ我が社をご贔屓に」
「ふむ、ヤタにも玉藻が礼を言っていたと伝えておいてくれ。改めて挨拶にも伺うとも」
「かしこまりました。必ずお伝えします。お荷物もすぐに新居へお運びいたしますのでご安心ください」
手際よく動くスタッフ達に任せ、俺たちは家を出た。
玄関の扉を閉めると、胸の奥にひとすじの寂しさが残る。最後はあまりいい思い出では終われなかったが、それでも長く過ごした場所だ。やはり「出ていく」となると、名残惜しいものがある。
「裕二さん、急に引っ越すことになって寂しい気持ちもあると思いますが……これからは私が裕二さんを支えていけるように頑張ります。末永く、よろしくお願いしますね」
末永く、か。
その言葉がやけに胸に残る。
もし、この娘と本当に“夫婦”になったら——俺の未来はどう変わるんだろう。
一度は死のうとまで思った俺が、こうして新しい生活に踏み出している。そう考えると、怖いものなんてもうない……そう言いたいところだが、玉藻さんの話では俺を狙う輩もいるらしい。
用心は怠れない。それに、もし何か起きれば、そばにいる稲荷ちゃんにも危険が及ぶ。
「ふふっ、裕二さん。大丈夫ですよ。その男らしい顔もいいですけど、今はしばらくゆっくりしてくださいね。
確かに危険が寄ることもありますが、それ以上に力になってくれる者もたくさんいますから。
あなたが知らないだけで、この世の中には魑魅魍魎が溢れています。まずは、その世界に慣れることから始めましょうね」
笑みを浮かべて語る玉藻さんの横顔には、不思議な安心感があった。人ではない存在なのに、どうしてこうも“人間らしい”温かさを感じるんだろう。
「さ、話しているうちに新居に着きましたよ」
そう言われ顔を上げると、そこには空に向かってそびえる巨大な建物があった。
いわゆる“タワマン”——テレビでしか見たことがないような高層マンションだ。
「このタワマンそのものが、私の持ち家なの。だから好きな部屋を使えるわよ」
「……えっ?」
思わず耳を疑った。
今、タワマン“そのもの”って言ったか?
一部屋どころか、建物まるごと——? いやいや、そんな話聞いたことないぞ。階を買う富豪ならまだしも、タワマン一棟を所有って一体いくらするんだ。
「たまたまね、不動産を扱ってる知り合いがいて、安く手に入ったのよ。まずは私と稲荷の部屋に行きましょうか? 荷物は向かいの部屋に届けるよう言っておくから」
言われるがままエントランスを抜け、エレベーターで上階へ。
到着したフロアで扉が開くと、そこには忙しそうに動く一人の女性がいた。
「火車ちゃん、今日からここに住む裕二君よ。部屋は私たちの向かい側にしておこうと思うの」
「玉藻さん、おかえりなさい。稲荷ちゃん、今日もかわいいわね〜。そして……その方が、例の?」
「あら、私には何も言ってくれないのかしら? 私はかわいくないみたいね?」
「もう玉藻さんったら、いじけないでくださいよ。玉藻さんは“かわいい”より“綺麗”派ですから。いつ見てもお美しいですわ」
「ふふっ、なら許すわ。火車ちゃんは本当、毎日忙しそうね。ま、それがあなたらしいけど」
「今日からお世話になります、阿部野裕二と申します。どうぞよろしくお願いします」
「ご丁寧にありがとうございます。玉藻さんより、このタワマンの管理を任されております火車と申します。玉藻様や稲荷ちゃんのことは——」
「大丈夫よ、裕二君にはもう話してあるわ。それにこの子、八咫烏さんのお墨付きももらってるの」
「や、八咫烏様の……!? そ、それは……申し訳ございません! 私のような者が、軽々しくお声をかけてしまい……!」
突然、彼女の顔が青ざめ、背筋を正す。
八咫烏さんの名前を出しただけでこの反応。やはり、あの人(?)はただ者じゃないらしい。
「いやいや、これからお世話になるんですから、そんなにかしこまらないでください。正直まだ、状況を全部理解できてないので……時間がある時に、いろいろ教えてもらえると助かります」
「私なんかでよければ。少し忙しいですけど、性分みたいなものですから、気軽に声をかけてくださいね」
そう言って笑う火車さんの顔には、仕事の疲れも感じさせない明るさがあった。
新居に着いてすぐに新しい出会い。
この出会いが、きっと良いものになりますように——そう願わずにはいられなかった。




