白い結婚を言い渡された私が、初恋の人と結ばれるまで
「宰相に言われ仕方なくお前を娶ったが、我が妻は亡きエリザベス一人。私から愛を得ようなど、浅ましい願いは持たぬことだな」
入室早々に吐き捨てるように言い渡され、初夜のためにと準備された寝室から国王陛下が去って行く。
その背中を見送って、私は一つ息を吐いた。
国王陛下にとっては再婚だが、私にとっては初めて結婚する相手。
せめて、相思相愛と聞いていた前王妃殿下程の御寵愛はなくとも、これから王妃という責務を背負っていく者として気遣って貰えるのではと期待していた。
(陛下には、私にも諦めた想いがあるなんて、ご想像にもないのでしょうね)
陛下と相思相愛で、まだ五歳の娘を一人残して身罷られた前王妃殿下。
前王妃殿下亡き後も、陛下は後妻を求めてはおられなかったけれど、お子は王女お一人しかおられない。
二十六歳というまだお若い陛下に、年頃の娘を持つ貴族は誰が陛下の後妻に納まるのかと目の色を変え、陛下が後妻を娶るつもりはないと広まると、今度は王女と同じ年頃の息子や孫がいる貴族家が、王女の婿に納まろうと沸き立った。
陛下の再婚か、王女に婿を迎えて王配に政を任せるのか。
前王妃殿下に陛下のお心があるのは変わらないが、繰り広げられる貴族達の争いは激しく、その収拾を付けるために、宰相である父は決断せざるを得なかった。
(こんなことがなければ私は今頃クリフ様と……。いいえ、一緒ね)
何度も考えた言葉が思い浮かび、頭を振ってその考えを追い払う。
もしあの時点でクリフ様と婚約していたとしても、婚約は破談となっていたはずだ。
クリフ様は隣国のご出身で、身内の事情でこの国に留学されたと聞いている。
私が彼と出会ったのは、学園の図書館だった。
たまたま訪れた図書館で途方にくれていた彼を案内したのがきっかけだった。
案内の礼をしたいと言われ、学園のカフェでお茶をごちそうになり、少し話しただけで彼と私、お互いの趣味や好みが似ていることにすぐに気が付いた。
そこから、待ち合わせて外でも会うようになり、私達は仲を深めていったのだ。
クリフ様の実家は色々と問題があるらしく、家名は教えて貰えなかった。
何度かお父様と面談をされている姿を見たことはあるけれど、話し合いの度に、毎回、父は難しい顔をしていて、婚約の話はなかなか進まず。
いつまでだって、待つつもりだった。
たとえ、貴族の身分を失っても、私は彼と結婚をするつもりだったのに。
けれど、そうも言っていられなくなってしまった。
父はこれ以上権力を望んでいると思われないために私に政略結婚を求めていなかったが、状況が根底から覆された。
突然の王妃殿下のご不幸、それに続く政界の荒廃。
それを抑えるには、対立する貴族達のどちらにも属していなかった私が王妃となる以外、どうしようもなかったというだけの話なのだから。
クリフ様は理由を話すと仕方が無いと頷いてくださったけれど、それ以降、姿を隠してしまわれて噂一つ聞くことはできなくなってしまった。
それに、クリフ様のことは気になるが、今はこれからのことを考えるべきだった。
(白い結婚は私としては嬉しいけれど。でも、これでは父に望まれたお役目を果たすことは難しいかもしれない)
陛下に放置される私に、権力を握ろうと争う貴族達を抑える事は出来るだろうか。
今後の事を思って漏れそうになる溜息を押し殺し、私は夫婦の寝室を後にした。
覚悟はしていたが、王妃として割り振られる公務はどれも神経を使うものだった。
民の声を聞き、病院や孤児院を慰問する。
王女殿下の教育にだけは関わらせて貰えなかったが、白い結婚となった時に予想していたので気にはならなかった。
国政を左右するという緊張はなくとも、私の一挙手一投足は評価され、前王妃殿下と比べられる。
側仕えの誰かが漏らしたのか、もともと対立派閥の者が紛れ込んでいたのか、嫁いでから間を置かずに「お飾りの王妃」という声も聞こえるようになり、風当たりは強くなる一方だった。
信頼できる者は極少数、実家から連れて来た、長年仕えてくれている侍女数名だけ。
嫁いで一年も経たないうちに、化粧で誤魔化していても、顔見知りからでさえ、ぎょっとされる程にやつれていた。
そんなある日のことだった。
「贈り物をお預かりしております」
公務から帰ったところで、侍女の一人に知らせを受けた。
「どなたから?」
「先日、殿下が慰問に向かわれた孤児院からとなっておりますが、……ご覧になればすぐにおわかりになると思います」
妙に歯切れの悪い言葉に首を傾げる。
実家からつれて来た信頼している侍女の一人なのに、こんな反応は今まで見たことがない。
怪しい物ならば彼女達が弾いてくれる。
運ばれてきた小箱に添えられたメッセージカードを開き、疑問は晴れた。
懐かしい、見覚えのある筆致。
クリフ様との手紙を何度も取り次いでくれていた侍女だからこそ、察するものがあったのだろうと納得する。
「これは……」
思わずにじみかけた涙を瞬きで払う。
メッセージは「王妃殿下のご健勝をお祈りしています」という、孤児院慰問の返礼品としては少し首を傾げるもの。けれどそれも私の不調を知っているのだと、心配しているのだという気持ちを伝えてくれているのかしらと、思考が飛躍しそうになる。
(何かの罠……? いえ、でも、この筆跡は間違いないわ……)
罠を疑う気持ちはあるけれど、私が彼の筆致を間違えたのならば、それはもう、私が悪いのだとそう思い切れた。
それ程までに追い詰められていたのかもしれない。
贈り物を開けると、中からは装飾が美しい手鏡が現れる。
「見事ね」
「こちらどう致しますか?」
「気に入ったから、普段使いにしようかしら」
侍女が信じられないという瞳で見てくるが、彼から贈られた物だと思うと常に側に置いておきたいくらいだ。流石にそこまでは無理だとわかっているから、そんなことはしないけれど。
心配してくれる侍女達を宥め、何か隠されたメッセージが無いかと、手鏡を調べるために部屋に一人にしてもらう。私の手元に届くまでに、幾人にも検査はされているのだ。隠しメッセージがあるのなら、不審な贈り物だとして処分されてしまっていただろう。わかっていても、探さずにはいられなかった。
当然ながら、それらしい物は何も見つからず、私はため息を一つ吐くと、思わず呟く。
「……貴方は今、どこにいるのかしら? 元気にしているの?」
その時だった。鏡面が光を放ち、一瞬の後に文字が浮かび上がる。
『ティア……? そこにいるの?』
その文字に、私は息を止めた。
そうして、ただ鏡を見つめている間に最初の文字は消え、次の文字が現れる。
『お願いだ。ティア。そこに居るのなら、返事をして』
次の文字も消えかけたところで、私ははっとして鏡に囁いた。
「クリフ? 本当に、クリフなの?」
『そうだよ。あぁ。ティア。無事に届いたんだね。本当によかった』
「ねぇ、貴方、どうして……」
この手鏡について聞こうとしたのに、言葉の途中で鏡も映し出す言葉を変える。その筆跡は少し焦ったように乱れていた。
『絶対に迎えに行くから。だから、もう少しだけ待っていて』
「わかったわ。ねぇ、また話しかけたら、返事をしてくれる?」
けれど、もう鏡に返事が表れることはない。
侍女が様子を見にやってくるまで鏡に声をかけ続けた。
それからも、度々鏡に話しかけた。
だが、あの日のように鏡面に文字が浮かび上がることはない。
――陛下に放置され、心を病んだ王妃殿下は鏡に映った自身の姿と会話するようになったらしい。
ついにはそんな噂まで広まってしまった。
侍女の中には王家からつけられた侍女もいる。知らない間に見られていたのだろう。
それでも尚、私は鏡に声をかけ続けた。
多分、もうそれしかすがるものがなかったのだ。
流石にご自分のせいで王妃が心を病んだなんて外聞が悪すぎたのか、結婚以来初めて陛下が私の元へとやってきた。
「何のご用でしょうか」
「最近、妙な話を聞いたから様子を見に来ただけだ。ふん。噂の出どころはそれか」
陛下は側机に伏せていた手鏡を見咎めた。
私は咄嗟に背中に隠すも、簡単に取り上げられてしまう。
「お待ちください! 陛下、どうかそれをお返しください!!!」
「私に触れるな!」
陛下に強く振り払われ、床に倒れ込む。
そんな私を見下ろし、陛下は歪んだ笑みを浮かべた。
「こんな物のせいで不快な噂が広まるのだ」
わざと強く手鏡を床に叩きつけ、手鏡は澄んだ音を響かせ粉々に砕け散った。
「そんな……」
「手間をかけさせるな」
陛下は粉々になった鏡をさらに靴で踏みにじると、呆然とする私を置いて出ていった。
扉の閉まる音に、はっとして割れた破片をかき集める。けれど、割れた鏡を元に戻す方法など存在しない。
手鏡の残骸を前に、私は王宮に来て初めて声を上げて泣いた。
その日から、私の心は本当に壊れてしまったかのように何も感じなくなってしまった。
無味乾燥な日々に、味のしない食事。気がつくと、それまで以上に痩せていた。
なんとか生きていなければと思えるのは、クリフ様がくれた、もうすぐ迎えに来てくれるという言葉があったからだ。
鏡の残骸は捨てることができず、かき集めた破片を小箱に入れて保管している。
粉々になった鏡の破片は、まるで私の心のようだった。
不思議な事に、鏡を見ていた時間が鏡の破片を見つめる時間に変わっただけなのに、噂はいつの間にか消えていた。
結婚して二年。
その日は二度目の国王陛下の誕生日を祝う夜会だった。
ファーストダンスもなく、ただ王妃の席に座るだけの私に、声をかけにくる人はいない。
父は私を犠牲にしても王国に平穏をもたらすことが出来ず、先日病を得てこの世を去った。
今、宰相の席には、王女に婿をと願っている派閥の侯爵が座っている。
特に争いも無く決着が付いたのは、娘を国王の後妻にと願う貴族が、私の冷遇ぶりを見てかなり数を減らしているからだろう。
新宰相は私の存在などいつでも消せると思っているのか、今のところ命の危機を感じることはない。だが、この平穏もいつまで続くかはわからなかった。
ダンスホールでステップを踏む男女の姿をぼんやりと眺めていると、突然、夜会の会場が水を打ったように静まりかえった。
何事だろうとゆっくり顔を上げると、入り口から漆黒の装いに身を包んだ偉丈夫が入ってくる。
「何故、王弟殿下が」
「北の地から、出られないはずでは」
囁く声に、魔王のような出で立ちの彼こそが王位継承争いに負け、北の地に幽閉されていたはずの王弟殿下だと悟る。
「何故、お前がここに……!」
国王にとっても予想外なのだろう。驚きが声に滲んでいた。
王弟の方は動揺もなく、声を張り上げたわけでもないのにその声は広間に響く。
「腑抜けた兄上から、その王冠を頂戴しようかと」
瞬間、広間を囲む扉や窓、全ての入り口から、王弟の手の者と思われる兵士がなだれ込んできた。
着飾っていた貴族は皆捕まり、抵抗する者には容赦なく剣が振るわれる。
悲鳴と鉄が触れあう音が響く中、隣に座っていた国王が兵士に拘束される。
私は拘束まではされなかったが、兵士が背後で威圧している気配を感じ、動くことができなかった。
ゆっくりと正面から歩いてきた王弟に、国王は拘束されたまま声を上げた。
「何故だっ、お前は幽閉されていたはずでは……!」
「親切な方が出してくださったのですよ」
「嘘だ! お前に味方する者は皆私が滅ぼしたはずだ!」
「嘘ではありません。もし仮に嘘だとして、私がここに居ることをどう説明つけるのです?」
口元を歪めて答える王弟の言葉に、国王は沈黙する。王弟は続ける。
「正直、姉上を亡くしてからの腑抜けになった兄上の話を聞くに付け、何故そのような者に私は敗れたのだと、それはもう歯がゆい思いをしていました。だから、こうして外に出られて本当に嬉しいんです」
「……私は、お前の代わりに北に送られるのか?」
「私は兄上のように甘くはありません。ですから、楽しみにしておいてください」
「そんなっ……! 待て! 私はお前の命までは取らなかったでは無いか!」
「この国の害悪にしかならない者を、どうして生かしておこうと思うのです?」
王弟の指示を受けた兵士が、拘束した国王を連れて行く。
その姿を見送って、息を殺していた私に王弟の視線が向いた。
(私も、殺されるのかしら)
そう考えていると、王弟と目があった気がした。
「貴女が、彼の――」
だが、途中から、王弟の言葉は聞こえていなかった。
懐かしい声が私の名を呼び、私は王弟の向こう側にその人の姿を見つけた。
背後の兵士の事など頭の中から消え、気がつくと立ち上がり、駆け出していた。
「ティア!」
「クリフ……!」
次の瞬間、抱き締められていた。
「あぁ。ティア。ごめん。こんなになるまで待たせてしまった」
「いいえ。クリフ。貴方がくれた言葉のおかげで、私は耐えられたのよ」
「そう言ってくれるの? 安心して。もう、これからは絶対に離さない」
「私も、絶対に離れないわ」
咳払いが聞こえ、はっとして振り向くと、王弟が呆れた表情を浮かべていた。
「失礼。殿下が再会をお喜びになるのは結構ですが、このような殺伐とした場ではなく、もっと落ち着いた場所の方がよろしいのではと思います」
「すまない。喜びのあまり我を忘れていたようだ」
「いえ、殿下ほどのお方でも、そのような面がおありになるのですね」
「陛下も、いずれお分かりになると思います」
「分かりたくないものですが……、殿下がそう言われるのでしたら、そうなのでしょうね」
王弟は絶対にあり得ないという顔をしながらも頷いた。
クリフ様は表情を引き締めると、一礼する。
「では、お約束通り。彼女は私が連れて行きます」
「どうぞ。これまでの助力に改めて感謝を申し上げます。何か困ったことがおありの際は、お力になりましょう」
「そんな日が来ないことを祈っています」
どうして王弟はクリフ様を殿下と呼ぶのだろう。
後で理由を教えて貰えるだろうか。
クリフ様に促されその場を離れると緊張が一気に抜けてしまったのか、私は疑問をぶつける前に意識を失っていた。
気がつくと、馬車の中だった。
「ティア。起きた? 気分は?」
「クリフ……? これは、夢?」
「ふふ、寝ぼけているティアも可愛いけれど、これは夢じゃないよ」
私を見下ろし微笑むクリフ様にはっとする。
膝枕をしてもらっていたようだ。
慌てて体を起こすと、クリフ様は残念そうにしながらも続けた。
「痛むところはない?」
「え、ええ」
頷きながら、どこに向かっているのだろうと考える私にクリフ様が言う。
「随分寝ていたから、もうすぐ国境だよ」
「国境?」
「そう。ゴダード国に向かっているんだ」
ゴダード国というのは、この国の東側に国境を接する国だ。
あちらの国も近年継承者争いで揉めていて、あまり国交はなかったはずだけれど。
「ねぇ。クリフ、色々聞きたいことがあるんだけれど」
「そうだよね。何でも聞いて。もう、ティアに隠すつもりはないから」
「だったら、私があの人に嫁いでからのこと、全部教えて欲しいわ」
「もちろん。でも、その前に。この国の新しい国王陛下に頼んで、ティアとあの男との結婚はなかったことにしてもらった。だから、僕が君の初めての夫になるんだ。いい?」
元々、名目だけの妃だった。
あの結婚が無かったことになるのなら、むしろ歓迎すべきことである。
「嬉しいわ」
「よかった」
クリフはほっとしたように微笑む。
「ティアにはずっと黙っていたんだけれど、僕の生まれはゴダード国なんだ」
「なら、殿下と言われていたのは……」
「第三王子だからだよ。僕の国も王位継承争いが酷くて、そこから離れるために身分を隠して留学していたんだ」
私は、はっとして言葉遣いを改める。
「そうだったのですね。そうとは知らず、今までご無礼を働いてしまったこともあったかと。申し訳ありません」
「やめて。ティアにそんな風に距離を取られたくない。黙っていたのは、身分を隠し通すことが約束だったからで、ティアを信用していなかったわけじゃない。今まで通りに話して欲しい」
「わかったわ。でも、身分を隠す約束だったのに、もういいの?」
クリフ様は頷く。
「ティアを取り戻すために、王弟の身分に復帰したんだ。だから大丈夫」
「そう簡単に離れたり復帰したり出来る物なの?」
首を傾げる私に、クリフ様は頷く。
「ゴダードの争いは、その能力もないのに国王になろうとした長兄と、能力は高いけれど貴族から嫌われている次兄が起こしていたんだ。僕が貴族をまとめて次兄の側についたことで決着はついたから、重宝してもらっているよ」
「クリフが、国内の貴族をまとめたの?」
「うん。でも、結局、一年以上かかってしまって、ティアを待たせてしまった。ゴダードが落ち着いた後は、あの元国王に恨みを持つこの国の王弟のところに行って、戦力を貸したんだ。あとはティアの知っている通りだよ」
「そうだったのね」
私が王妃の立場で何も出来ない間に、クリフ様はそんな事をしていたなんて、私は一体何をやっていたんだろうと落ち込んでしまう。
クリフ様ははっとしたように私に聞く。
「そのまま出て来てしまったけど、何か持ち出したい物があった? 必要な物があれば後から送らせるよ」
「……なら、クリフがくれた手鏡を。私が使っていた部屋の寝室の側机に箱に入れてしまっているの。でも、ごめんなさい。割ってしまったから、見たら驚くと思うわ」
「壊れてしまったのに、大切にしてくれていたんだね。そういうことなら、折角だし新しい物を贈るよ?」
クリフの微笑みに、申し訳なくて首を振る。
「いいえ。あの手鏡が良いの。クリフからのメッセージを受け取ったあの手鏡があったから私は諦めないでいられたから。ねぇ、あの手鏡はどういうものなのか聞いてもいい?」
「一応、ゴダード国の王家に伝わる魔道具なんだ。対になっていて、一方は相手の声を聞いて文字を送ることが、もう一方は文字を受け取ることができるんだ」
「そんなに大切な物を……。壊してしまってごめんなさい」
「気にしないで。物はいつか壊れる物だし、せめて何か役に立ったらと思って贈ったんだ。だから気にしないで」
クリフの言葉にもう一度だけ謝罪して、私は気になっていたことを尋ねる。
「私の声も最初だけしか聞こえなかったの? 何度も話しかけたんだけど」
「うん。残念ながら。僕の方も、二回目からは何も聞こえなくて。文字は送っていたんだけどやっぱ見えてなかったみたいだね」
「私が見ている時には、文字は現れなかったわ」
「そっか。本当に、期待だけさせてしまったね。ごめん」
「いいえ。クリフが迎えに来てくれるって分かっていたから、諦めずにいられたの。一度だけでも、クリフと話せて、嬉しかった」
「ティア。本当に、ごめん。僕に最初から力があれば、そんな思いもさせなかったのに」
クリフに抱き締められ、私はその背に手を回す。
「クリフがこちらの国に来なかったら、私達、出会っていないわ」
「そうだけど……」
納得できないクリフに尋ねる。
「これからは、ずっと一緒にいられるのでしょう?」
「うん。まずは、ゆっくり君の体を治そう」
「……大分、酷い見た目よね」
ドレスから覗く手首は、潤いもなく枯れ枝のようになっている。
「すぐに元のティアに戻るよ。それに、もし、体が元に戻らなくても、僕は見た目なんてどうでもいいんだ。そんなことより、君が僕の隣で笑ってくれている方が大事。だから、どうか、僕と結婚して」
「……私で、いいの?」
「うん。ティアがいいんだ」
「嬉しい……」
答えると私を抱き締める腕がゆるみ、頬に手が添えられる。
唇に触れる温もりに、私は静かに目を閉じた。
それから、私はクリフが暮らすゴダード国の離宮に連れていかれた。それまでの生活が悪い夢だったのだと感じる程に甘やかされ、少しずつ体調も、姿も、元に戻ってきている。
そうしたある日、クリフがようやく修理が終わったと、ゴダード国に来る時にねだった手鏡を持って来てくれた。
手鏡は初めて手にした時以上に美しく修復されている。
「これ、遅くなったけど、ティアの手鏡だよ」
「ありがとう。覚えていてくれたのね。ねぇ、クリフのは?」
「僕のはこっち」
そうして、対になった手鏡を見せてもらう。
「私のに文字を映すのはどうするの?」
「ここに触れて、指で書くんだよ」
教えてもらった通りにクリフの鏡に触れて指を滑らせると、書いた通りに私の方に文字が浮かぶ。
『クリフ、愛してる』
「すごい! 私にも出来たわ!」
浮かび上がった文字に、私は興奮して隣にいるクリフを見ると、クリフはうめき声をあげた。
「ティア……」
「クリフ? どうしたの?」
「……どうもこうもない。君は、なんて可愛い事をするんだ」
「えぇ?」
「できるなら、ティアからの愛の言葉をこのまま永遠に残しておきたいくらいだよ」
話している間に鏡面に映った文字が消えてしまい、クリフが悲しげに項垂れる。
「あぁ、消えてしまった……」
「何度でも書くのに」
「魅力的な提案だけど、鏡に映した文字はすぐに消えてしまうし、出来たら直接言われたいな……。わがまま過ぎるだろうか」
「そんな事はないけれど、いつも言っている事じゃない」
「うん。でも、今、ここで、ティアの声で聞きたくなってしまったんだ。一言だけでもダメ?」
可愛くねだられ、断れるわけがない。
「ダメじゃないわ」
そして、私はクリフの耳元に唇を寄せ、今度は声に乗せて愛の言葉を囁いた。
「愛しているわ、クリフ」
「ティア、僕も」
お返しのように耳にクリフの唇が寄せられ、甘い言葉が注がれる。
たった一言なのに、クリフの声で囁かれるともっと聞きたいと思うのは何故なのだろう。
「ごめん、やっぱり一言じゃ足りないみたいだ」
「奇遇ね、私もよ」
クスクスと笑い合いながら、私達はお互いに愛を伝えあう。
ゴダード国での日々は、穏やかに過ぎていくのだった。
お読みいただきありがとうございました!
お気に召していただけましたら、評価やブクマをしていただけると大変嬉しいです!