4 物語の世界
美しい青年の姿になったルークは、ゆっくりとソファに腰掛けた。久しぶりに人の姿になったからか、背伸びをしたり、腕をくるくる回して体をほぐしている。
「さて、まずこの世界の話をしよう」
「簡単にお願いね」
可愛らしく笑ったルークの顔を絵画に残した方がいいとミケーラは思った。
「この世界はね、物語から出来上がった世界なんだ」
「物語って……本ってこと?」
「そう。異世界の本の中から出来た世界」
ミケーラは子供向けの本以外読んだことがなかったが、レティシアの膨大な知識の中にはたくさんの物語が含まれていた。
「へぇ~」
「相変わらず受け入れるのが早いな……」
あまりに簡単に話が進んで、ルークは肩透かしを食らったような気分になっている。
「それで?」
美しい青年は、おほん、と咳払いをして話を続けた。
「普通はそんなこと誰も気が付かない。この世界を現実の――自分達だけの世界だとなんの疑問も抱かずに生きて死ぬ」
「それはそうね。誰だってここが物語の世界から出来たなんて思わないわ」
私だってそうよ、とミケーラは付け足しておく。受け入れはしたけれど、驚かないわけではないの、と言いたげに。
「だけどそこに異分子が現れたんだ」
「あ~それが聖女パミラね!」
「察しが良くて助かるよ」
「レティシアの頭があれば余裕よ!」
ミケーラは得意気に笑った。自分とレティシアが同時に褒められた気分だったのだ。
聖女パミラはどういうわけかこの国で起こるであろう、ありとあらゆる事件や災害を予言した。そしてその予言はことごとく的中する。人々は彼女を救国の聖女としてもてはやしたのだ。
「彼女は異世界でこの世界の物語を読んでいた転生者だったんだ」
「それって予言書を読んでるのと同じってこと?」
「そうだ。そして本来の物語とは違う結末を迎えた」
ルークの顔が陰った。
「本当はどんな話?」
「悪役令嬢レティシアは、少しずつパミラやライルに心を開き、三人で困難を乗り越え国を救った後で、レティシアと王太子ライルは無事結婚するはずだったんだ」
「全然違う話になってんじゃん!」
大きくため息をついたルークは、
「だからそうなんだよ~……」
と、頭を抱えた。
これは三人が三人とも主人公の物語。
レティシアはとても激しい女性だった。自分にも他人にもだ。パミラやライルのひたむきな優しさによって改心し、使命感を持って国のために生きると誓う。
ライルは父王との確執に悩み傷付きながらも、王となるための知識や経験を積み、そして政略結婚であったレティシアの知識と教養――彼女の影なる努力と矜持を知り、心の底から愛すようになる。そして物語の終わりには父王と和解し、王は彼を名実ともに次の王として認めたのだ。
そしてパミラは本来、聖女ではなく女官となっているはずだった。彼女は初め、平民出身の王宮で働く下女だった。レティシアや他の使用人に虐められながらも清く優しい心は濁ることなく、誠心誠意彼らと向き合った。持ち前の好奇心で王宮内でありとあらゆることを吸収し自らの力にした。
王太子とその婚約者レティシアの信用を勝ち取ったこと、それから彼女独自の視点によって解決した王宮内の問題も多く、物語の終盤には女官長にまで抜擢される。この異例の大出世によって多くの人々の憧れの的になるのだ。
「守護精霊は何にも出来ないの? 守護って付いてるのに」
痛いところをつくね、とルークは苦笑している。
「物語の最中には手が出せなかったんだ。それでも彼女は頑張って抵抗してくれた。だけどあと少しで物語が終わるって時に処刑されてしまって……」
またもルークは項垂れた。ミケーラはレティシアが少し羨ましかった。ミケーラにもこれだけ心配してくれる何かがいただろうか。
「だからせめて死後の望みくらい叶えてやりたかったんだ」
「復讐かぁ~そんな願いを叶えるなんて綺麗な顔に似合わず強烈だよねぇ」
ミケーラの言葉に少し驚いた顔をしたルークは、考え込むように目の前のレティシアを見つめた。
「そうだね……復讐したいのは僕なのかもしれない」
そうして一呼吸置いてミケーラに頭を下げた。
「今更だが、このような事に巻き込んでしまってすまない」
「いいよいいよ別に。レティシアとしての生活は最高だし」
「しかし、これから騒がしくなる……」
「それでもこの暮らしがあるからね!」
嫌味なくにっこりと笑うミケーラにルークは救われる気持ちだった。彼にも罪悪感があったのだ。
物語はもう終わった。ミケーラが死んだ流行病の特効薬を、パミラが作り出した所でこの物語は終わりを迎えたのだ。それからルークはこの世界に干渉できるようになった。
「レティシアを生き返らせる事は出来なかったの?」
「……そうだ。全ては叶えてやれなかった」
レティシアの頭でもわからない条件がこの復活にはあるようだ。
ルークの顔は陰っている。彼だってきっと本物のレティシアに甦ってほしかったに違いないと思うと、ミケーラはちょっぴり寂しさが湧いてくるが、それは決してルークに悟らせないよう、とびきりの笑顔で伝えた。
「じゃあ私、この身体で精一杯生きるね! レティシアの分まで!」
「そうしてくれると僕も嬉しいよ」
ルークは少しハッとするように目を見開いた後、ゆっくりと優しく微笑んだ。