11 聖女
パミラが前世の記憶を思い出したのは、ちょうど物語が始まる二年前だった。王都へ向かう馬車が事故に遭い、道に投げ出されて頭を強くぶつけたのがきっかけだ。彼女が得た記憶はこの国を大きく変えるものであったにも関わらず、彼女はひどくがっかりした。
「なんでパミラなのよ! レティシアがよかったのに!」
作中のパミラは頭こそ良かったが、それはこれから王宮で努力に努力を重ねて学んだからだ。これから辛い日々が待っていると思うとゾッとした。我儘だと言われるレティシアの相手をするのも嫌だった。見た目も、レティシアの美しい銀髪と赤紫色の瞳の方がずっといい。この茶色い巻き毛とそばかすは記憶が戻る前から好きではなかった。
だから物語を作り替えることにした。登場人物の心情も、この国の未来もわかっているのだからそれは簡単な事に思えたのだ。
まずは王妃。彼女は王から愛されずいつも不機嫌だった。自分だって王を愛しているわけではなかったのに。誰もが彼女の機嫌を伺いいつもびくびくと接していた。
最初はそれこそパミラに辛く当たった彼女だったが、パミラは物語の情報から王妃の悲しみやプライドを上手く利用し、彼女の信用を勝ち取った。
次は王太子だ。彼の心の内も物語で知っている。優秀な婚約者を前に委縮していることも。彼の気難しい母親がしきりにパミラを褒めていたのもあり、簡単に信頼を得ることが出来た。そして常に彼を持ち上げ、婚約者を下げる発言をした。次第に彼も同じような発言をするようになっていった。
男女の関係になれたのは物語の直前だった。ライルの性格は変わってしまっていたが、パミラはそれでもかまわなかった。
「イケメンのダークヒーローって最高じゃん」
それも今や自分に夢中だ。
ちょうど同じころ、レティシアは頻繁に聖アルテニアの使い鳥が出てくる夢を見るようになっていた。
「レティシア、君はどんな困難にも打ち勝つ力を持っているよ」
「レティシア、君が心優しくこの国の国民のことを考えて努力していること、僕は知っているからね」
「レティシア、どこまでも気高い君のことが大好きだよ」
どの夢も目覚めるとすぐに忘れてしまったが、王宮で暮らすというプレッシャーを感じピリピリとしていたレティシアの心は少しずつ穏やかになっていったのだった。ただ誰かが自分を大切に思ってくれているという記憶が、彼女の心の深いところでしっかりと美しい花を咲かせていた。
物語が始まり、パミラが実際のレティシアに出会った時、彼女は激しい嫉妬を覚えた。彼女は全てを持っていた。権力、財産、知性、品格、そして美貌。だからその全てを自分のものにしたくなった。
パミラにとって自分を信用しきっている王妃を操るのはとても簡単だった。王妃はすでにパミラ以外の人間を排除するようになっていた。自分に耳障りのいい言葉だけを優しく語りかけるパミラは、王妃にとって何者にも代えられない存在だったのだ。
「私悔しいんです! レティシア様が王妃様が陛下に相手にされていないと陰で嘲笑っていたのに、私の力じゃなんにもできなくって……」
王妃は王宮の使用人たちに命じて、レティシアの食事に泥水を入れさせた。
「レティシア様が護衛の騎士を見つめておられました。あの方の瞳で見つめられたら殿方は……」
ライルは自分とパミラのことを棚に上げて、婚約者を激しく叱責した。
「君は私の婚約者としての自覚があるのか!? そんな娼婦のような真似をして!」
「娼婦? 会ったこともないのでどのような振る舞いをするのか存じ上げませんが」
「私に口答えするな!!!」
二人の関係が悪化していくのに時間はかからなかった。
最初の予言が当たった時のあの快感は忘れられない。彼女を神のように崇める人間が出てきたのだ。それは教会側にもこの王宮内にも。
そして二度目の予言で更にその人数は増えていった。だからその狂信者達を使ってさらにレティシアを追い込んだ。なのに彼女は少しも傷ついた素振りを見せない。なんでもないという顔で、いつも立ち向かってきた。
「気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない」
「ムカつく! ムカつく! ムカつく!」
「死ね死ね死ね死ね死ね!!!」
三度目の予言の後、ついに彼女は聖女と呼ばれるようになった。あとはこの国の王妃になるだけだ。そのために邪魔ものを消さなければ。
「聖女に逆らうとどうなるか思い知らせてやるわ」
ベッドの上でライルと二人、未来を語り合った後のその表情は、彼がゾッとするくらい醜い顔だった。