10 庶子
(まさかあの客が王太子だったとは……)
ミケーラが相手していた時の姿と、レティシアの記憶の中の王太子と顔が違ったので、あの牢での再会まで気が付かなかったのだ。
(危うくこっちが叫ぶところだったわ)
ミケーラは自分の演技力に満足していた。そして今のライルの姿を見たら、レティシアの心は少しは救われるだろうかと、それだけが気になっていた。
最近ミケーラは変装して王宮へ出かけている。この特別な目の色を変える術はないので、目元にヴェールをかけて隠していたら、それはそれで目立ってしまった。だが王があらかじめ警備の衛兵達にミケーラを遠くから見守るようにと厳命してくれていたお陰で、問題なく王宮内を楽しめていた。
王宮内はレティシアの記憶があるといえど、それでもミケーラには何もかもが新鮮な場所だった。
「これが庭園ね」
ここはレティシアのお気に入りの場所だ。記憶から彼女の感情までは読み取れないのであくまで予想だが、喜ばしい記憶の時も辛い場面の多い記憶の中でも、彼女は頻繁にこの庭園に来ていた。今は様々な色の薔薇が咲き乱れている。
迷路のようになっている垣根をスイスイと進んでいく。レティシアの記憶のおかげで少しも迷う事なく、その中心部に到達した。
「あら」
広い庭園の中心部は丸く開けており、記憶通り花が浮かべられた小さな噴水があった。だがその噴水の中にレティシアの記憶に存在しない、肩に使い鳥を乗せた聖アルテニア像があった。像の汚れ具合から見てもつい最近設置されたようだ。
「ちょうどいい時にいらっしゃいましたね。つい今朝方置かれたそうですよ」
物腰柔らかな青年が話しかけてきた。この国の王と同じ黄金の髪の毛を持ち、柔らかなグリーンの瞳が印象的だった。レティシアより顔立ちが少し幼い。服と髪の毛に葉っぱが付いている。かなり迷いながらここまで来たようだ。
「あの、ここに……」
ミケーラがそっと髪の毛についた葉を取ってあげると、その青年は顔を赤らめて俯いた。
「いや、ハハ……格好がつきませんね」
指で顔をかきながら照れている彼を見て、ミケーラは自分の心がほんのりと温かくなるのを感じた。
「やはり、あまりこういう事が得意ではないので先に申し上げます」
まだ青年は顔が赤いままだったが、急に真面目な顔つきに変わった。
「私はレオンハルト・カレフ。陛下から貴女の側にいるよう申し付かっております」
「それはつまり……私と仲良くなれと?」
「……そうです」
彼のことはレティシアが知っていた。名前だけだが。レオンハルト・カレフは王の庶子であった。カレフ家はこの国の豪商で、母親はそこの一人娘だ。
「では貴方が次の王太子殿下ということですね」
「そうなります」
王とカレフ家の娘の関係は教会に認められていなかった。だからその二人の子であるレオンハルトも当然王族とは認められず、王位継承権も与えられなかった。だから現国王と教会の関係はずっと悪いままだったのだ。
王はレオンハルトの母親を深く愛していたが故に、本当は彼を王にしたかった。ライルの母親とは政略結婚で結婚当初から諍いが絶えず、お互い傷つけあっていた。ライルを愛していないわけではなかったが、どうしてもレオンハルトの方が可愛かったのだ。
『物語でライルは心に深く傷を負いながらもそんな苦境を撥ね退けて、努力だけで立派な男性に成長していったんだ。王として相応しくあろうと、自分の境遇を憐れんだりしなかった。次第に現国王は自分のおこないを反省し、彼とその母親に謝罪したんだ。それでゆっくりと和解していってたんだけど……』
ミケーラは少し前にルークが残念そうに話していたことを思い出した。
だが流れが変わった。教会がレオンハルトを王族の一員として認めたのだ。
王太子ライルは違法な娼館通いがバレて今は牢の中にいる。牢に入って一月が経とうとしているが、すでに彼は錯乱し始めていた。たまにミケーラが遊びに行っているのだ。そこでレティシアとミケーラ二人分の思い出話をすると、だいたいいつも奇声を上げながら失禁するのだった。
誰が見ても、今の彼が次の王になることはないと言うだろう。
「私達の婚約の件でいらしたのですか?」
「貴女も大変辛い思いをされて今ここにいらっしゃるのにこのような話題……申し訳ありません」
彼は常に低姿勢だった。ミケーラはレティシアの体に入ってから、『贅沢な暮らし』と『幸せ』は必ずしも繋がるものではないと知った。だから豪商の孫にあたる彼にもきっと、ミケーラの知らない苦労があるのだと思ったのだ。
「貴方も」
だからそう答えた。するとレオンハルトはハッとするように驚いていた。彼に対しそのような気遣いをする者はいなかったのだ。これまでずっと庶子としてただ批難されていた。ただこの世に生まれただけなのに。なのに今度は急に王太子だなどと。都合がいいにも程がある。だがそのことを疑問に思うこともなく暮らしていた。
そうして二人でのんびりと会話を楽しみながら、聖アルテニアの像を眺めていた。