霧
まさか、春からもう初夏に向かおうとしているこの時期に、こんなに濃い霧が海の上に発生するとは思ってもみなかった。
南部の方では春本番でも、北部はまだ春先だったのかもしれない。
ゴブリンがいた島を出てから、もう二日ほど東に進んでいる。
けれどまだ大陸は見えていなかった。
クリスが自分の考えを疑い始めた時、この霧で海が覆われ始めた。
「うぅ、昨日よりもっと寒い。霧で前が見えないし、ここまでガスってたら太陽がどのあたりにあるのかわかんないね」
「そう? あっちにあるじゃない」
ポランが小さな手を後ろの方に向けた。
「ええっ? なんでわかるの?」
「うふふ、勘、かな」
クリスが潮流について話していた時に何度も「勘」という言葉を使っていたので、ポランが面白がってマネを始めている。
本当に妖精の勘にたよるしかなさそうな天気だ。
「あ~、ウパちゃんがこっちにいるー」
ウパちゃん?
ポランを追いかけてクリスがオールを動かした時、ドスンッと何かにぶつかった。
え、え??
慌ててオールを立て、舳先に向かうと、黒い土のようなものが船の先っちょについていた。
靄の向こうに恐る恐る手を伸ばしてみたら、なんと冷たい岩がそこにある。
い、岩だ!
もしかして、どこかの陸に着いた?!
「ポラン、どこにいるのー? そっちに地面があるぅ?」
……………………
「こっちよ~、こっちに登れるところがあるんだって」
しばらく待っていると、どこからかポランの呼ぶ声が聞こえてきた。
とにかく妖精の呼ぶ声を辿っていくしかない。
オールがあちこちにぶつかって漕げそうにないので、クリスは岩伝いに手を這わせていきながら、船を少しずつズリズリと動かしていった。
まだ陽があるのかもしれないけど、ランプを点けた方がよさそうね。
クリスがランプに灯をともすと、霧の中からポランがひょっこり現れた。その後ろから緑色の光をまとった妖精もやってくる。
「わぁ、この人がクリスさんか。かわいいひとね」
かわいい妖精に、かわいいって言われちゃったよ。
「もしかして、ウパちゃん? ポランの知り合いなの?」
「うんっ! ポランちゃんとはよく一緒に遊んでる」
ウパちゃんの目の色は羽と同じ緑色で、その目が楽しそうにきらめいている。ポランと二人で並んでいると、上品でおっとりしたお姉さんとやんちゃな妹のように見えた。
「クリスさん、もうちょっとだけ前に進んだら、たぶん浜に着くよ。岩がたくさんあるから、滑らないように気を付けてね」
「ありがとう、ウパちゃん。本当に助かったよ。ねえここって、オーリア大陸なのかな?」
クリスが尋ねると、ウパちゃんは首を傾げた。
「知らない。友達のジンくんがいるとこなのー」
ウパちゃんよ、おまえもか。
妖精って、土地とか時間とか気にしないよねー。
でも人がいるのなら、ここがもし島だったとしてもオーリア大陸に渡る方法を知っているかもしれない。
気がせいて仕方がないが、こんな天気の中では走り回ることもできない。
それに地面をまた踏むことができるのだ。心を落ち着けて、怪我のないように行動していこう。
ウパちゃんに先導してもらって進んでいくと、ボードの底にガツンと何かが当たったのがわかった。
ふいぃ、やっと浜に到着することができたよ。
浜に上陸して、乗っていたボートをポケットに片づけると、ウパちゃんに友達のところまで案内してもらった。
「ジンくん、この人たちが何か聞きたいんだって」
ジンくんは、浜の岩場を登ったところにある瀟洒な家に住んでいた。
こんな霧の中、庭に出て座っているようだ。
たぶんいつもは海が臨める場所なんだろう。けれど、今はお互いの姿さえよく見えない。
「Cyrt※oe irq$p %wive ?」
……………………あ、そうか。
妖精と何でも話せていたので忘れていたが、人間同士だと住む場所が離れれば離れるほど言葉が通じなくなるんだったよ。




