ここはどこ?
新しい話が読みたくなったので、書いてみました。
ふっと意識を取り戻した。
まだ朦朧としている由香里の耳に、ざぶんざぶんと絶え間なく寄せ返す波の音が聞こえてくる。
ここは……?
長い時間うつぶせのまま強い日差しを浴びていたのか、後ろ頭や背中が酷く熱くなっている。でも腰から下はずっと水の中に浸かっていたようで、足先きのほうは冷たく痺れていて感覚がない。
「……………………あつ……い……」
そう口に出したとたんに、由香里の頬から砂がボロボロと落ちていった。
え?……じ、地面がある。
うつぶせになっている身体の下に、由香里は固い砂の感触を感じた。
あ、そういえば私、溺れそうになってたんだ。
もしかして、どこかに流れ着いたのかしら?
嵐の中、沈みゆく船から暗い海に投げ出され、やっとの思いで船の残骸につかまったことは覚えている。けれど激しく揺れる海の中では、板切れにしがみついたまま大きな波に揉まれ翻弄されることしかできなかった。
由香里は、何がいるのかもわからない深い海の中に引きずり込まれそうになっていることに戦慄を覚えた。
必死に板切れをつかんでいたが、波は何度も由香里の手を板から引き剝がし飲み込もうとする。強風に煽られ、叩きつけるような波しぶきが襲ってくると、頭からどっぷりと水をかぶって溺れそうになり、アップアップしながらなんとか口を水面に突き出してもほんの少ししか息を吸うことができない。とうとうつかんでいた板もろとも海に引きずり込まれそうになった時、もうこれまでだと死ぬことを覚悟した。
でも、もしかして助かった?!
まさか……………………ここって天国、、じゃないわよね?
由香里は痛む頭に顔をしかめながら、ゆっくりと目を開けてみた。
そしてまだ揺れているような気がする身体に力を込め、腕を支えに身体を起こし、ドサリと仰向けになった。
ああ、怠い。
うつ伏せから仰向けの状態になっただけで、すべての力を使い果たしてしまった。
ハァハァとあがる息を整えるために、しばらく休んだ由香里は、のろのろと右手を上げ、割れそうに痛む頭をそっと触ってみた。
たんこぶでもできているのか、頭の横のあたりが熱をもって膨れ上がり、少し触っただけで痛さに飛び上がりそうになる。
でも飛び上がれるほどの元気はもちろんないので、由香里は「ひえぇ……」という情けない声を上げながら重い手をバタリと砂浜に下した。
岩か何かに頭をぶつけたのね。
なんか手のひらや肘のあたりもズキズキする。
そりゃあ溺れそうになりながら必死に板切れをつかんでたんだもの、擦り傷だってできるよね。
…………………………………………
どうしてこんなことになってるんだろ……
なぜ船に乗っていたのか……自分が何者なのか……記憶がどこからかプツリと途切れているような気がするのだが、頭が痛くて深く考えることができない。
まいったな。
見上げた空を黒い雲が飛ぶように流れていき、時折、雲間から顔をのぞかせる太陽が由香里の顔を容赦なく焼いていく。けれど由香里はその日差しを、顔を少し横にそ向けることでしか防ぐことができなかった。
喉が乾いた。
由香里が目を覚ましてから何時間経ったのだろう。またウトウトと睡魔に引き込まれそうになっていた由香里は、じわじわと首の辺りに塩水が押し寄せていることに気づいてパニックになった。
ヤバい、潮が満ちてきてる。
また海に引きずり込まれるかもしれない。
焦った由香里は力を振り絞りなんとか四つん這いになると、すすり泣きながら膝にあたる砂の痛みをこらえて、迫りくる恐怖の海から遠ざかった。
「うっ、ゲホゲホッ。コンコンッ……コンコンッ!」
肺の方にも海水が入っていたのか、四つん這いになったことで酷く咳込んでしまった。海水が逆流した喉が焼けつくように痛い。
由香里は何度も咳を繰り返し、力尽きて温かい砂の上に倒れこんだ。
苦しい胸を何とかしようと頑張って重たい手を動かし、首元のボタンをやっとのことで外すと、シャツの胸元を大きくはだけさせた。
次に重たくてたまらない足を何とかすることにした。ぐっしょり濡れて足に張り付いている靴を、身をよじらせるようにして脱いでいく。
重たい。濡れた靴って、どうしてこんなに重いんだろう。
靴を脱ぐだけで由香里は精魂尽き果ててしまった。
嵐の後のざわめく潮風が、そんな由香里を慰めるかのように濡れた身体に強く吹き付け、ゴーっと音を立てながら通り過ぎていく。
その時、風が木の葉を揺らす音に混じって、遠くから水の流れる音が聞こえてきた。
川の音がする?!
ヒリつく喉の渇きは、由香里に火事場の馬鹿力を与えた。
裸足の足を踏ん張り、なんとか立ち上がった由香里の目に、こんもりと茂った葦の草むらが見えた。
あっちに川がある!
確信を得た由香里はさっき放り投げた靴を手に持つと、痛む頭を抱えながらそろそろと歩き始めた。
そこでやっと、ここがどこかの浜辺であるということを知る。
波打ち際は砂浜になっていて、由香里が倒れていたのはその砂浜が終わる所にある大きな岩がある辺りだった。段差のある砂の丘を超えると、そこから先は一面に草原が広がっていた。草原の遥か向こうには深い緑をたたえた林が見えるが、そこまで行くにはたいぶ長い距離を歩いていかなければならないようだ。
その林から流れ出しているのだろう、歩いていく由香里の目に、高い草の合間からキラキラと光る川面が見えてきた。
「ああ、ああ神様……ありがとうございます」
由香里は尖った草の葉で手を切ることなどお構いなしに葦をかき分けると、河原に降り立った。歩きにくい丸い小さな石を踏みしめ、水だけを求めてふらふらと歩いて行く由香里はまるでゾンビのようだった。
由香里は川のほとりに座り込み、震える手で水をすくい、乾ききった口元に運んでいった。けれど、いくら掬ってもほとんどの水が手のひらから零れ落ちていってしまうことに苛立たった由香里は、とうとう四つん這いになり、犬のように顔を水面に突っ込んだ。そうして思う存分、ゴクゴクと水を飲んでいく。
どこか苔の匂いのする冷たい水は、由香里がこれまで生きてきた中で一番おいしく感じるものだった。
もう、身体ごと洗っちゃえ!
喉の渇きを癒し生き返った由香里は、海水と砂にまみれた身体をサラサラと流れる川の中に沈めた。両手で何度も頭から水をかぶりながら、ほてった身体を鎮めていく。
そうやって由香里は、しばらく清流の冷たさを堪能した。
冷たい水をかぶっていると、ズキズキと鼓動を刻んでいた頭の痛みが、気のせいか少しマシになったような気がする。
「……ッツ……………でもまだ痛いなぁ」
頭のこぶをさすりながら川からあがった由香里は、河原にあった少し大きな石の上に腰かけた。
ポタポタと髪から落ちる雫もそのままに、肩を丸めぼんやりと川の流れを見ていると、川の向こうから青色に光る蝶が一匹、フラフラと由香里の方へ飛んできた。
「クリスさぁん、探しましたよぅ~。こんなとこにいたんですか」
羽虫が羽を震わせるような小さな声がしたかと思うと、その蝶?は、ひらりと由香里の目の前にあった平たい石の上へ舞い降りたのだった。