9節 奇襲(きしゆう)
「名前を呼ぶな穢らわしい」
御修羅は心底不快な表情をして安世を見下した。
安世も国民も見たことない表情だった。
テレビに映っているときの表情は営業用なのかもしれない。
「やられた……」
レイは悔しそうに唇を噛み締める。
「面倒見がいい里親を見つけてやったのに。まぁ、さっき頭だけになったけどな」
御修羅はおばさんの生首に目をむけて笑った。
(これって……猊下が……)
震えながらおばさんの顔を見つめる。
前髪の隙間から、大きく見開かれた目と、恐怖で開いた口が見て取れた。
惨いとしか、表現ができない表情だった。
これ、本当に御修羅がやったのだろうか。
「いかせないわ!」
レイが御修羅の前に立ちふさがる。両腕を大きく開いていた。
「……」
御修羅は気づいていないのか、レイなんて眼中にないのか、そのままレイをすり抜けていった。
まぁ、安世以外、見えないらしいので、眼中にはないだろうけど。
「猊下なんの用でしょうか……」
おばさんの頭、御修羅の襲来。
安世の頭は余りの情報量でパンクしそうになっていた。
「なんの用? 決まってんだろ」
御修羅は踵をあげて。
「オマエを殺しにきたんだよ」
思いっきり安世の顔面に蹴りを入れた。
「っ……!」
安世は鼻血を流しながら、飛んでいった。
何回か床を跳ねて壁に激突する。
ぐはぁっ!
痛みで喘ぐ。
さっきの痛み程ではないが、これもこれでキツい。
「やめて!」
叫びが聞こえた。
レイは拳を握って御修羅を殴っている。
しかし、全ての攻撃はすり抜けた。
御修羅は全然、ダメージを受けていない。
それでも、レイは悔しい顔して殴り続けていた。
なにか、恨みでもあるのだろうか。
可哀想に見えてくる。
「ざまぁ、ねぇなぁ」
御修羅はレイの攻撃を受けたまま、安世の髪を握りあげた。
「な、なんで、私を……」
「あぁ?」
御修羅は嘲笑の混じった顔を安世にむける。
「おめでとう。オマエの封印が解けたからだ」御修羅は片手で拍手をした。
レイの言葉を思いだす。
『中津邦さんの神通力は封印されているの』
レイの話によると、安世は前天帝のたった1柱の子どもだという。
御修羅の襲撃にあったことで、救世家がみな殺しにされる。
そのとき真っ先に逃げた、母親が生き残った。
そして、もし御修羅に見つかったとき、安世を生かしてもらえるよう神通力を封印した。
自分が救世家であるとか、御修羅が力で天帝の座を奪ったとか、そういうものは一切、信じていなかった。
本当に突拍子のないことだったからだ。
しかし、この状況から、信憑性の欠けていたレイの言葉が本当のように思えてくる。
安世は思い切って聞いてみる。
「それって、私が前猊下の子どもだからですか?」
「そうだよッ!」
御修羅は安世の頭を床に叩きつけた。そのまま、馬乗りになり、首を絞めてくる。
籠手の冷たい金属の質感が安世の首に広がった。
「ずっとオマエを殺したかった。でも、封印が邪魔だったからなぁぁ!」
御修羅は叫んだ。
「教えてやる! オマエの神通力を封印した『繋縛』はなぁ、ただ封印をするだけの神通力じゃねぇ。封印したものに致死量の攻撃が与えられたら、それを防いで、攻撃した相手に反撃をする神通力だ!」
「ちょっと、待って! それって……」
狼狽えたレイの声が聞こえてきた。
やはり、御修羅には聞こえていないようで、レイの声に被せて御修羅は笑っている。
神通力。その正体は生命そのものだった。
生命がナーラーヤナの影響を受けることによって、姿を変え現世に現れる現象だとされる。
つまり、神通力の封印は生命の封印と同じ。
御修羅の言う通り、『繋縛』が『封印したものに致死量の攻撃が与えられたら、それを防いで、攻撃した相手に反撃をする神通力』だったのならば、神通力を封印された状態の安世は誰でも殺せないことになる。
「そんな、じゃあ、あたしが封印を解除したから、中津邦さんは……!」
レイはそのことを察したみたいで、悲痛な叫び声をあげる。
安世はなにがなんだかさっぱりだったが、状況から、レイがなにかをやらかしたことがわかった。
「残念だったなぁ! 封印が解けっちまって!」
そうささやく、御修羅の姿が俄に変化していく。
狐顔は骸骨の輪郭が浮いている死神のような顔になり、青い長髪は頭頂部が禿げて、灰色に変色した。
その、汚しい髪を肩にかけている。
肌は青白い。
骨が見えるぐらい痩せこけている。
なぜか腹だけが異常にふくらんでいた。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あなたは……」
安世は目の前の男に見覚えがあった。
母親を殺したトレンチコートを着た男だ。
「覚えているか? オマエのせいでオレの腕がなくなっちまったんだぁぁぁああああ!」
籠手はどうやら、義手だったらしい。
御修羅の首を絞める力が強くなる。
やっと引っ込みそうだった忌々しい記憶が、さらに鮮明に頭の中に広がっていく……広がっていく!
記憶は色の濃い白絵の具のように、頭の中を白く染めていく!
頭の中は真っ白になって、真っ白になって、ついには、なんにもない無になってしまった!
無から有は産まれない! 有は無からは産まれない!
つまり、なぁぁぁんにも考えられないぃぃぃ!
「いやあぁぁぁぁぁああぁぁぁ!」
安世は無我夢中で叫んだ。
どうやら、完全に狂ってしまったらしい。
今まで、そうならないように脳が自動的に“母親の死と、それに関連するもの”の記憶を封じくれていた。
けど、実物が現れたことで、それも通用しなくなったらしい。
安世は両手で目を覆う。
もう、なにも頭のなかに入れたくない。
外から入ってくるありとあらゆる情報を脳が受け入れを拒否する。
目はおさえているし、叫び声で外の音は全て入ってこない。
思考は完全にダウンした。
「うるせぇんだよ! このゴミカスが!」
御修羅は首を絞める力を強める
息ができない。
それに対してなにも思えない。
無論、思考を放棄したので抵抗もできない。しようともしない。
そのとき、安世の口になにかが入った。
大きなものでスルスルと入ってくる。
それが入る度に安世の体の主導権が、どんどんなくなっていく。
叫びがとまり、手が目から離れる。
否が応でも、御修羅を見なくてはいけなくなった。
口角を最大限にまであげて、気色の悪い笑みをつくっている。
(やめて、見たくない……。見たくぅないぃ、もうなんもやだ。もうなんんももやだぁぁぁ)
「なに言ってんのよ! あんた死にたいわけ⁉」
安世の口が勝手に動く。
「あんたが死にたいと思っていても、あたしが絶対に死なせないから!」
自分の言葉ではない言葉が自分を叱る。
「中津邦さんごめん。あとで苦しくなるけど……」
申し訳なさそうに唱える。
「『金剛手』ィィ!」
体中に電流が流れた。
視界の時間がゆっくりと流れていく。
「気安く触らないでくれない? クソ野郎」
体が思いっきり拳を御修羅の腹に打ち込んだ。
御修羅はカァと口を開けて、弓なりになって吹っ飛んでいく。
時間の流れが元に戻る。
御修羅が超スピードで、棚の列にあたって、床に倒れる。
「ぎゃああぁぁああぁ!」
そのまま、ガグンと音をたてて倒れた棚の下敷きになってしまった。
なにが起こったんだ。
体が勝手に動いて御修羅を倒した。
思考が戻ってくる。
真っ白な頭にカラフルな絵の具が降りそそいでいるようだった。
それが脳内を満遍なく染めていく。
それはキャンパスに前衛的な絵が描かれていくようだった。
(レイさん……!)
なにが起こったかがわかった。
レイが安世に取り憑いたのだ。
「中津邦さん。やっと正気に戻った?」
(なんか、すいません……)
「まぁ、いいわ。早く逃げましょう」
レイは起きあがってゲームセンターの奥へ進んでいく。
(こっちにいくんですか?)
安世はレイを訝しんだ。
奥の方に逃げ場がないからだ。
「非常口のマークがあるでしょ?」
安世は壁に薄らいだ非常口のマークがあったのに気がつく。
(すいません)
なんとなく、謝らなくてはならないと思った。
「謝るの何回目? 流石にくどいんだけど」
(す、すいません……)
「またぁ」
そんな話をしていたら、断末魔が廃墟中を跋扈した。
「だれを殴ってんじゃぁ! ブスガキィィィィ!」
マズイ、御修羅が……。
「中津邦さん……、もうすぐよ!」
目の前に少し開いた扉があった。
そこから、まばゆい光がもれている。
非常口だ。
「いくわよ!」
レイは扉に飛び込んでいった。