32節 愛娘 其弌(まなむすめ その1)
善台騎士団団長、“春原 狂詩”は娘の部屋の前にいた。
娘は学校の寮に入居していたが、久しぶりの長期休みで家に帰っていた。
帰ってきてくれたのは嬉しいが、ここ1週間、朝から晩まで部屋にこもっていた。
ドンドンと騒音をたてていて、呼びかけにも応じない。食事にもこない。この域までくると、憤怒を通り越して心配になってくる。
「ちょっと! 大丈夫?」
ドアをノックしてみたが返事がない。
まったく……。ドアノブに手をかけたところ、扉はゆっくりと開いた。
恐る恐る中をのぞく。
8畳の部屋のど真ん中、女の子がパンツ一丁で倒れていた。
周囲には亜鈴が何本か転がっている。
「ぼたん‼」
団長は顔を青くして、娘にかけ寄った。
養子なのだが、団長にとっては実の子と変わらないぐらい愛しい娘だった。
それになにかがあったのなら洒落にならない。
すぅー、すぅー。
娘の口から寝息が聞こえてくる。どうやら、寝ていたようだ。
「……」
(このやろう……)
団長は腰につけたメガホンを取ると、精一杯の声で叫んだ。
「起きなさぁぁい! ぼたん!」
娘は両目をカッ開くと、飛び起きた。
「な、なにが起きたでござるか⁉」
「こっちの台詞よ!」
団長は困惑気味の娘を半ば呆れながら見ていた。
「あ、閣下。おはようござる」
「今、夜なんだけど?」
「じゃあ、こんばんはでござる」
「……」
娘は背のびをして立ちあがった。
団長譲りの腰までのびる桃色の髪はカチューシャで前髪をあげられている。淡い赤色の頬。まん丸な2つの目にはグルグルと渦巻く暴風雨が宿っているようだった。視線を落とすと、細く、長い脚が視界に入る。
紅鶴。
団長の頭にその言葉が浮かびあがる。
確かに娘の姿は、紅鶴のように華奢で華麗なものだった。
見てると、女であるが惚れ惚れしてくる。
(あぁ、武術じゃなくて芭蕾舞をやらせておけばよかったかも)
団長は口に手をあてた。特に理由はない。ただ口を隠したくなったからだ。
自分の娘が『天鵞湖』を舞う姿を思い浮かべる。
美しい、綺麗だ、素敵ね。その3つの言葉が団長の脳を支配した。
(可愛い。持ち帰りたいわ、いや、娘だもの持ち帰るもなにも……)
「閣下。また鼻血がでているでござるよ」
娘の声が団長の意識を現世に呼び戻した。
意識が何処の世界にいっていたのかは兎も角亀も毛、団長の口を覆っていた手は血祭状態だった。軍神に生贄をあげてはいないはずなのだが。
「また巧克力を食べ過ぎたでござるか?」
「そんなことより、あなた、この7の日間なにやっていたわけ? 1歩も部屋からでてないじゃない!」
娘が可愛い云々を続けると、また意識が異世界に転生しそうなので話を変えた。
「何回か便所にはいったでござるよ」
「そういうことじゃなくて!」
「どういうことでござるか?」
団長の左目がカッと見開かれる。団長は左目しかない祇と言う種族だった。
なので、右目は眼帯で隠されている。
「わたし、心配したんだから! ずっと部屋に閉じこもっていて、ご飯も食べにこないし、朝から晩まで変な音がするし、全裸でぶっ倒れているし、可愛いし……」
「もうすぐ、大会なので、ずっと鍛錬に打ち込んでいたでござる。食事は学校から持ってきたものをバランスよく食べていたので問題ないでござる」
あっけらかんに話す娘を団長は睨んだ。
(母の心配も知らずに此奴ゥゥ……)
「いやぁ、そろそろ“猛”と決着をつけないとでござるよ」
「あんたねぇ……」
猛とは『海内最強』の異名を持つ葦原王国最強の武人で、娘のライバルだった。今度の大会で戦うらしい。
「ところで、閣下?」娘が急に話をふってきた。
「あの、なにがし蛇を討伐したって本当でござるか?」
娘が言っているものが赤目の蛇であることはすぐわかった。
「えぇ、本当よ」団長は嘘をついた。
本当は違かった。
突如、現れた神により討伐されたのだ。
『自分のことは内緒にしてくれ』という神の要請から、善台騎士団が討伐したことになったのだ。
「閣下は嘘が下手でござるね」
団長は娘に鼻で笑われた。
その姿さえも可愛く見える。まるで花が笑っているようだった。
「う、嘘じゃないわよ! だいたい、なんで嘘になるのよ?」
「某と閣下は家族でござる。嘘ついているかどうかなんて、一発でわかるでござるよ」
娘は勝ち誇ったように表情を浮かべている。
団長はムキになって顔を紅潮させた。
「ふん、あんたがなんて言おうと、わたしたちが倒したんだから!」
「じゃあ、そういうことにするでござる」
話しは終わったと言わんばかりに、娘は床の亜鈴に目を向ける。これから、鍛錬をするのかもしれない。その光景に団長の心の底からとてつもない程の悔しさがわきあがった。正直、亜鈴に嫉妬をしてしまった。
「ちょっと……、ぼたん」
団長は娘の肩を掴む。
ほんのり暖かく、心地よい感触が手にしみこんでくる。
そのとき、すでに団長の意識は完全に別世界に飛んでいた。
「なんでござるか?」
「今日はもう遅いし、明日から学校なんだから寝なさいよ」
団長は先程と打って変わって落ち着いた声で淡々と話す。
「あぁ、大丈夫でござる、某は……」
「問答無用ゥゥ‼」
団長は両腕でギュッと抱きしめるように娘を持ちあげた。
「こんなところで寝てても寒いでしょう。久しぶりにわたしと一緒に寝ましょう」
「か、閣下?」
「絵本も読んであげるし、揺籃歌も歌ってあげる」
「ちょ、某はもうそんな年齢では……」
「やっと帰ってきてくれたのに、部屋からでてきてくれないんだもの。わたし、寂しかった。だから、今夜は絶対、1人にはさせないで」
団長の鼻から、また血が流れていた。
その顔には奇妙な笑みも浮かべている。
「閣下、閣下ァァァアアア‼」
断末魔が響き渡る中、団長は娘を自室に連れていったのだった。
本日から投稿を再開していきます。
お待たせしてしまい申し訳ございません。
追記)
第3品なのですが、この32節以外の節を削除いたしました。
理由は第3品を見直した際、第1、第2品と比べて、完成度がおちていると思ったからです。
無責任なことをしてしまい大変申し訳ございません。
第3品が完成次第、さらにおもしろい形で投稿します。