24節 詭弁家(そぴすと)
「あんたが善台伯爵?」
レイの問いかけに伯爵は頷いた。
「ことのなりゆきを見ておりました」
祇である伯爵は神や人よりも視力が特段に良かった。なので、遠くからずっと暗寿たちの様子をうかがっていたのだった。
「公爵閣下へのお怒りはよくわかります。しかし、ここは公爵閣下を許して、このわたくしにお任せいただけませんか?」
「お任せ?」レイは首を傾げる。
「こういうのはどうでしょうか? 第弎号の公爵閣下への譲渡はなし。今回、鞴家が掛上さまに多大なる迷惑をかけたとして慰謝料を振り込みましょう。そして、掛上自動車整備場を伯爵府専属の自動車整備場として雇うというのはどうでしょう?」
「キサマが勝手に決めるなぁぁ!」伯爵の提案に公爵が激しい怒鳴り声をあげる。そんな公爵を見て伯爵は、微笑んだ。
「閣下。第弎号は元々から譲渡するつもりはなかったのでは?」菜花も伯爵に横槍を入れる。
真横から串刺しになった伯爵が「しーっ」と口の前で人差し指を立てた。
「これが、契約書です」レイは菜花に紙を突きだされた。紙には伯爵が言っていたことがづらづらとペンで書いてある。即席感が満載だ。一番下には署名欄がある。
「これで、サインを」と菜花からペンを渡される。
「いくらなんでもうまい話が過ぎない?」ペンを跳ね除けレイは疑問を述べた。
「うまい話もなにも聖下が被害者なのですから」
「紙の裏になにか書いてあるのが見え見えよ」
「流石、聖下ですね」と菜花が紙を裏返した。紙の裏にはでかでかとこう書いてあった。
『なお、表面の内容が施行されるのは、赤目の蛇を討伐した場合のみ』
「赤目の蛇……」
新聞によく書いてあった名前だ。丁度、公爵府への道中、雄作も言ってた。
「赤目の蛇だと!」かすかな呻きをあげるや否や公爵の顔が力なくしぼんできた。風船から空気が抜けていくようだった。左の瞳には静かに恐怖を宿している。
「き、キサマ……。ど、どこまで知っている……?」公爵は体を震わせながら伯爵をねめつける。
「そりゃあ。もう、全部、知っておりますよ」
伯爵の言葉で、公爵の生気が雲のように散り、霧のように消えていくのが見えた。生気がなくなっていく公爵は超スピードで干からびていく木乃伊のようだった。伯爵はそんな古代埃及の神秘には反応を示さず、レイに説明をする。
「最近、第弎号周辺を荒らしまわっている正体不明の獣ですよ」
「それは知っているわよ。それより、あんたの親父さんが怯えているわよ」
レイは公爵の反応の方が気になっていた。
「気にしないでいただけたら幸いでございます」
「あっそ。けど、あんたがなにを考えているのかはわからないけど、この状況であたしになにかを要求するのは場違いなんじゃないんかしら?」
公爵を指さす。その姿は金字塔から発掘したてのかぴかぴの遺体のようだった。
もちろん、生きているのだが。
「いいこと、公爵の命はまだあたしの掌のうえよ。あんたにはそのことはおわかりだと思うんだけど?」
「おすすめはしませんな」伯爵は大袈裟にかぶりを振った。こちらを小莫迦にしているようにも見える。
「公爵閣下は鞴家の家長であり、“鞴領会”という森羅河以北の領主の集まりの会長であります。聖下が公爵閣下をお殺めになったとなると、鞴家及び森羅河以北の領主たちは全身全霊を持って、聖下を討伐しなくてはいけなくなります」
伯爵はいやらしい左目を立ち尽くす灯と雄作に向けた。
「益荒たる聖下ならば、わたくしたちをみな殺しにすることは赤子の手をひねるが如く容易なことでしょう。しかし、森羅河以北の総力を前にして、掛上さまたちを完璧に守れるとは思えませんな。攻撃することは容易ではありまするが、守ることは難しいのですよ」
「……」レイは立ちあがって公爵から体を離した。
公爵は無反応に地面に倒れたままだった。
「ご賢明です」
「けど、あたしがその提案に乗るとは限らないわ。あたしの目的は第弎号の譲渡を止めること。あんたが譲渡をする気がないなら、別段、あんたの提案に乗る必要がないんじゃない」
「しかし、聖下は公爵閣下を殴りつけてしまった。公爵閣下の狼藉が原因であり、聖下は正当防衛でありまする。が、このままだと、きっと聖下が公爵閣下に狼藉を働いたことになりましょう。そうすれば、公爵閣下をお殺めになったときと同じようなことが起こるでしょう」
「どっち道、あたしはあんたたちの敵になるってわけね」
「しかし、わたくしならば、この場を丸く収めることが可能でございます。聖下も無罪放免、掛上さまも潤い、わたくしたちも喜ぶ。最高の結末になります。話に乗らない手はないと存じますが?」
(レイさんが力負けしてる……)
言いあいに関しては負けなしだと思っていたレイだったが、伯爵を前にして口を閉ざしている。
善台伯爵という男が、いかにずるくて、いかに切れ者であるかということが直で伝わってくる。まるで、舌に狐の頭がついている獅子の化け物だ。新種の喀邁拉なのかもしれない。
「詭弁家め……」レイが小さな声で伯爵をののしった。流石のレイも柏勒洛豊ではないのでこのぐらいの抵抗しかできないみたいだ。
すぐ後に「ねぇ、底國さん」と暗寿は呼ばれた。
(な、なんでしょう……⁉)急に話を振られても、暗寿はなにを話せばいいかわからない。
「底國さんとしては伯爵の話に乗った方がいいと思う?」
(私としてですか……)暗寿の意見はすでに決まっていた。
(この状況だったら話に乗った方がいいと思いますが……)
「……」レイはゆっくり胸に手をあてた。瞳を閉じる。
(え、あ、その……レイさんが嫌ならなら断った方が……)レイが静まり返ったのを見て、話しに乗らない方がよかったのかと焦りだしたのだった。
「あたしも底國さんと同意見」暗寿の言葉を遮って、レイは伯爵の顔を見据えた。
「乗るわ。その話」
伯爵は計画通りとも言いたげに笑った。
「そう言ってもらえると思っておりました」
伯爵は立ちあがると、後ろにいる青い武士たちに振り返った。
「善台騎士団団長閣下!」伯爵の呼びかけに1人の武士が立ちあがった。
その武士は甲冑で身を固めている中年の女性だった。祇のようで、右目に眼帯をしている。
他の武士と違い陣羽織をはおっていた。
「善台騎士団総長の名のもとに命ずる。公爵閣下、掛上さま、公爵府の官僚の迅速な保護を」
「はっ」騎士団団長は敬礼すると、大人数の武士の列を連れて公爵府に入っていった。残った武士たちは雄作や灯、公爵に近づき、公爵府に入るように誘導した。
「では、聖下は一緒に」
武士が完全にいなくなったころを見計らってか、伯爵は公爵府からのびる1本だけの道路を手でさした。「車、遠いところに停めておりますので」
「いいの? 騎士団を連れてこなくて?」
「彼らはいてもいなくても戦況は変わらないでしょう」レイの質問には菜花が答えた。
「前に1度、騎士団の百人隊と赤目の蛇が戦いましたが、百人隊の方が全滅してしまいました。そのことから、騎士団を連れていく方が被害の拡大につながると踏みました。警備の面ではご安心ください。わたくしめと伯爵閣下だけで雨形騎士団の5倍の戦力でございます。例えなにかに襲われようともある程度は対処できるでしょう」
「ある程度ねぇ……。じゃああんたたちが、なんちゃらの蛇とやらを倒せばいいじゃない」
「無理なのですよ」伯爵は首を横に振る。「わたくしたちには倒せません」
「急に自身なくなったわね」
「詳しいお話は車の中でしましょう。もうすぐ日が暮れてしまいます」伯爵は足をのばすと、そのままかけていった。そのスピードはものすごく速く、伯爵がただの人間ではないことを改めて思い知らされた。菜花も同じスピードでそのあとを追う。
(は、速いですね……)暗寿が感嘆をした。
「神通力を使わなきゃ追いつけないんだけど」
レイは腹立たしそうにため息を吐いて、空を見上げた。
赤く照っていた夕日が西の月山に沈んでしまった。空には光の残光が彷徨っている。
ふと、レイの動きが一瞬だけぎこちなくなった。
体が揺れたとでも表現すればいいだろうか。
暗寿はそれに気づかず、(早くいったほうがいいんじゃないですか?)とレイに進むように促していた。
・本編にあまり関わってこない裏設定説明
『善台騎士団』
善台伯爵府直属の暴力装置。おもに伯爵領の治安を守るのが仕事。
総長は善台伯爵。そのしたに指揮官クラスである騎士団長がいる。
・登場人物紹介
鞴 桜花
性別 男
年齢 36才
誕生日6月6日(ふたご座)
種族 祇
身長180cm
体重65kg
好きなもの 娘、自動車(特に愛車)、ドライブ、野菜、美男子
苦手なもの 汚いもの(特に汚い皿)、馬陸
・森羅河以北の善台伯爵。
・普段は穏やかであるため、人望は厚い。実際には狡猾な知恵者。
・愛車手入れは毎日、自分がおこなっていた。
・娘がいるらしいが今は非公開。
鞴 菜花
性別 女
年齢 25才
誕生日6月6日(ふたご座)
種族 祇
身長165cm
体重45kg
好きなもの 温泉、麻雀、雑誌、アボカド、美女
苦手なもの 病院、注射
・桜花の秘書であり、腹違いの妹。誕生日が桜花と一緒なのはたまたま。
・優秀な仕事ぶりで、伯爵領の縁の下の力持ちと呼ばれている。
・自分の太眉を気にいっている。
・麻雀が大好き、休日は雀荘に入り浸っている。
・最近、失恋からやっと立ちあがった。現在恋人募集中。