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金剛天帝 Vajra Deva Indra  作者: クロイオウエンカ
第2降臨到較下界品(こうりんとうかくげかいぼん)
23/34

23節 地祇(くにつかみ)

 少し前。

 公爵府に向かう黒色の公用車の後部座席、善台伯爵こと鞴 桜花(おうか)の左目は退屈そうに運転席を見ていた。伯爵府の役人が運転している。失った愛車とのドライブのことを思いだしていたのだ。あれから6日たったが、まだ心の傷が癒えていない。

「閣下」

 呼ばれて正気に戻った。

 声の出所(でどころ)である隣へ首を動かす。

 菜花(なのか)が無表情に伯爵の顔をうかがっていた。

「どうした菜花?」

「公私をわきまえてください」

 菜花の指摘は伯爵の心に刺さった。

「こ、今度から気をつける」

「今から気をつけてください」

「はい……」

「『今度』にも『今』という意味があるんだけどな……」

 伯爵はボソッと言った。

「なにかおっしゃいましたか?」

「い、いや……なんでも……」

 菜花の左目の重い視線に伯爵の額から冷や汗がでる。

「で、閣下。さっそく公私のうちの(おおやけ)の話になりますが……」

 菜花は背広のポケットから紙を1枚取りだして、伯爵に渡した。

「これは……?」

「公爵府の役人が弎号周辺の領民に渡した書類みたいです」

 内容は雄作たちのもとに送られてきたものと一緒だった。

「公爵閣下は行動が早い。早すぎる。まだ、わたくしは弎号を譲るとは一言も言っていないのに」

 伯爵はつい吹きだしてしまった。

 雨形公爵から第弎号道路と第弌号道路の交換を提案されていた。

 交換するかどうかは別として、会談には応じるとだけ伝えておいた。

 それなのに、あたかも紙には伯爵が譲渡を決定したように書かれている。

「こんなのが(くば)られたのなら、今頃、伯爵府(伯爵領の役場)は大変な騒ぎだ」

 その言葉には冗談が含まれているようであった。伯爵はそこそこの余裕らしい。

「公爵閣下は善台で騒ぎでも起こさせようとしたんでしょうね。その間に例のものも闇に(ほうむ)りたかったのかもしれません。けれどもご安心ください。気づいた協力者が紙を回収して、1軒、1軒、領民に説明しましたから」

「キミの協力者はすごいなぁ。毎回毎回、本当に神がかっているよ」

「本当に神さまなのかもしれませんね」菜花は小声で言うと、急に顔をしかめた。なにか不都合なことを思いだしたかのように見える。

「しかし、1軒だけ、回収も説明もできなかったところがあるみたいで」

「なんだって?」

「それが、掛上という自動車整備工をやっているところらしいのですが」

「自動車……整備工か……」

 伯爵の脳はまた愛車との思いでをビデオテープのように再生した。

「閣下」

 菜花が影をかぶりながら、顔を寄せてきた。

 表情のない菜花にしては珍しく太い眉をひそめている。

 名状(めいじょう)しがたい迫力があり、なんか怖い。

 どこぞの黄衣(きごろも)の王じゃないんだから。

 すまなかった、すまなかったと伯爵はなだめるような手話をする。

「で、その整備工とやらが変な行動を起こさなきゃいいが」

「協力者の話では伯爵府にはきていないようですが」

「ならいいのだが……、いやそっちの方が穏便にすんだのかもしれない」

 伯爵はふぅぅと息を吐き、座席に身を預けた。

「なんも起こらなきゃいいが。起こっても、せめていいことであって欲しい」

 伯爵は顔を手で覆う。

「閣下、もうすぐ着きますよ」

「そうか」身を起こして窓から外を見る。

 伯爵の乗る公用車のまわりをバイクで並走する善台騎士団の間から、巨大な西洋風の城が見えた。それが圧をかけるようにどんどん近づいてくる。

 その度に、伯爵の心の中にいる得体の知れない、それこそ名状しがたい化け物が動きはじめる。本物の黄衣の王が(うごめ)いているみたいだ。

 伯爵はそれに負けないように公爵府を睨みつける。目をそらしたら、心の中の化け物に食い殺されてしまいそうだからだ。

「公爵閣下が恐ろしいですか?」

 菜花の声で我に返った。

 菜花は心配そうに眼をパチクリとさせていた。

 むきだしの左目が1つの目であるはずなのに、2つの目のように見えた。

「いや、そんなことではない……ただな……」

 伯爵は言っておいて口を詰まらせる。

 これから伯爵がしようとしていることは対決だった。

 自分の実の父である雨形公爵との対決だった。

『善台伯爵』という爵号(しゃくごう)急逝(きゅうせい)した公爵の弟が持っていた。

 弟には後継ぎがいなかったものだから、兄の公爵が受け継いだ。この国の爵号の引継ぎは、遺産の相続とほぼ同じだった。

 公爵は『善台伯爵』の爵号をすぐに自分の息子に譲渡した。

 当時の公爵は息子に鞴家の家長や雨形公爵の爵号を継がせるため、早くから領主としての経験を積ませたかったのだろう。

 しかし、公爵はだんだん自分の地位に固執するようになった。自分の地位が奪われるとでも思ったのだろうか。いつしか、息子である伯爵を目の敵にするようになった。

 それからというもの、公爵は幾度(いくど)もなく、伯爵を失脚させるため、様々な謀略をおこなった。その都度(つど)、伯爵は菜花の手を借りつつ回避してきた。

 伯爵への嫌悪、地位への執着が顕著(けんちょ)になるにつれ伯爵に味方をする貴族も増えた。まぁ、漁夫の利を狙っているだけかもしれないが。おかげで鞴家と森羅河以北は公爵勢力と伯爵勢力の2つに大分裂。内戦とまではいっていないが選択1つで最悪な結果を招きそうではある。

 そんな中、伯爵はついに公爵の弱みを握った。

 うまくいけば、また森羅河以北に平和をもたらすことができるかもしれない。

 丁度いいときに、今回の会談も入った。

 別に応じなくてもよかったのだが、どうしても弱みを突きつけられた公爵の動揺するさまを直に見てみたくなったのだ。

 怖くはない。それは本当だ。ただ、なにかわけのわからぬ感覚に襲われていた。嬉しいような。寂しいような、悲しいような。なんて言えばいいかわからない。その感覚が(いびつ)な形をした熱風(ねっぷう)のように自分の心を焼き尽くすのだ。

 (てのひら)を目元におく。

 自分のやっていることは正しいことなのだろうか。そんな迷いも芽生えている。

 少なくとも主観的に見たら正しいと思っていいことのはずなのだが。

「あれ、なにか騒ぎでしょうか?」

 菜花は座ったまま背伸びをして外の様子をうかがった。

 伯爵も菜花と同じ方向に目をやった。

 公爵府の前に人だかりができている。

「菜花。悪い予感がする。1回停まろう」

 伯爵が指示をだすと、菜花は車の窓から頭をだして、伯爵の指示をまわりに伝えた。

 伯爵一行が路上駐車する。

 鞴家が定めるルールでは貴族であれば、多少の路上駐車は許された。

「さて、なにが起きたのやら」

 実を言うと車が駐車した場所は公爵府よりかなり離れた場所だった。通常の人間では公爵府の前の人だかりなど、ぼやけたシルエットにしか見えないぐらいだ。しかし、伯爵の左目は人だかりを鮮明に映していた。


* * *


「死んでください、聖下!」

 紅色に染まる空のした、ゴルフボールが弧を描いて宙に放たれる。

「灯ぃぃいいい!」

 灯のうえに覆いかぶさっている雄作が、うねりながら襲いかかる2つの豪速球をねめつける。ボールは獲物を見つけて急降下する鷲のようだった。

「雄作! どけや!」灯は必死の表情で雄作を自分から引きはがそうとした。

「どいてたまるものか……! うぅぅ……!」ボールが雄作に着地しようとする間をおかずに。ピシャーンとなにかが砕け散る音がした。

「あ……ありえん……」しばらくして、公爵の狼狽(ろうばい)する声が聞こえてきた。

 雄作は頭をあげる。目の前に華奢(きゃしゃ)で可愛らしい背中が立ちはだかっていた。

「あ、あ、暗寿ちゃん……⁉」

 名前を呼ぶと、頭がゆっくりと雄作に振り返った。

「危なかったわね……」その足元には砕け散ったゴルフボールの破片が散らばっていた。

「暗寿ちゃん、大丈夫なんか!」雄作のしたから灯が叫び声は響く。

 灯の表情は必死そのものだった。必死という漢字がそのまんま顔になったと言っても過言ではないぐらい、必死な表情だった。

「えぇ、大丈夫よ」レイが着ているつなぎの脇腹には開けられたばかりの穴が開いていた。

 しかし、つなぎのした――色白の肌は傷1つない綺麗なものだった。さっきまで、ぽっかり穴が開いていたはずだが。

「ありがとう。雄作さん、灯さん。あたしいかなきゃ」

 レイは公爵を指すと、静かに歩いていった。


(なんで傷が治ったのですか?)

 公爵に歩み寄っているレイに暗寿は聞いた。

「そうねぇ。『金剛手(ヴァジュラ・パーニ)』を傷まわりの肉体に流して、治癒を促進したわけ。まぁ、完全回復まで時間がかかるから戦闘には向いていないけど」

 答えているレイは自慢げだった。

「『金剛甘露(ヴァジュラ・アムリタ)』とでも名づけようかしら」と言いながら近づいてくるレイを、公爵が畏怖の(こも)った瞳で見守っていたが、自分に危機が迫っていることに気がついたようで、またゴルフボールをポケットから取りだした。

「こ、この、軍荼利(バケモン)が!」再度、公爵の手からゴルフボールが放たれようとした瞬間。

「『金剛手(ヴァジュラ・パーニ)』」レイが公爵めがけて飛んだ。

 そして、右の鉄拳を公爵の顔面にぶち込んだ。

 公爵の手に持っていたゴルフボールは地面にコロコロと落ちる。鼻血をまき散らし、バッタンと公爵の体がその場に倒れた。

 つかさず、レイはそのうえに馬乗りになる。

 レイは口を震わせている公爵をギッと見下(みくだ)した。

「底國さん教えてあげる。こいつの正体を」そう言って、そっと公爵の右目の眼帯に触れる。

「こいつは、神でも人でもない、“()”って言う種族よ」

(ギ……?)そんな種族、聞いてことがない。

載巽(たいそん)の人体実験で誕生した改造人間よ。人よりも身体能力、記憶力、知能が異常な程、高いの。けどその代わり……」

 レイは公爵の眼帯をはずした。

(えっ! み、右目が……)

「ないのよ」

 レイの言葉通り公爵の右目がなかった。

 眼球がなくて空洞が開いているのではない。右眉毛のしたに広がっているのはしわしわな皮膚だけだった。

 祇が誕生した後、すぐに載巽は崩御した。後を継いだ第53代天帝、伊智呼(いちこ)は祇に同情して、祇を下界に逃がした。

 それから、祇は地上で急激に勢力を拡大した。元々あった国々を倒し、次々に新しい国を立ちあげていった。現在の震旦の皇帝や、羅慕路斯(らぼろし)英白拉多(えいはくらた)奥古斯都(おうこしと)などの君主の一族は、だいたい祇の1族である。

「じゃあ、閣下?」

 レイは公爵の胸ぐらをつかんで、(ひね)りあげた。

「これで、あんたの立場はわかったかしら?」

 公爵の顔を自分の顔に近づける。

「もう1回言うわ。これからあたしの言う通りにしてちょうだい。あたしはいつまでご老人さまにご無礼をすればいいのかしら?」

 公爵は悔しそうに歯を噛みしめると、暴れだした。

「ふざけるな! (わし)は雨形公爵、鞴法空だぞ! 大名門貴族、鞴家の家長だぞ! 森羅河以北の支配者だぞ! キサマみたいな下民に肩入れする凶神(まががみ)(神の蔑称(べっしょう))がこんなことをしていいと思っているのか! キサマなぞ死刑だ、死刑! あの下民どもと一緒に殺してやる!」

「あっそう」レイは公爵の上半身を地面に叩きつけた。公爵は苦しそうにもだえる。

「まだ立場がわかってなかったみたいね。これからゆっくり教えてあげるわ」

 レイが拳を振りあげたときだった。

「聖下、おやめください」

 男の声が場に響いた。

 男と女が夕焼けに照らされながら、こちらに歩み寄ってきた。

 男の方は公爵が着ている背広と同じぐらい高級そうな背広を着ていた。体型は細いが貧弱な感じはしなかった。むしろ、獅子(ライオン)がだしている、畏怖と威厳をごっちゃ混ぜにしたような強い(オーラ)を感じた。

 隣の女は同じく高級そうな背広を着ていた。キリッとした太い眉をしている。

 2人とも右目に眼帯をしていることから祇であることがわかる。

 その後ろから青色の甲冑で身を固めた武士の列が続いている。

「こんな、タイミングで……」公爵は恐れのこもった顔で男を見ていた。

「もしかして、あの人が?」レイは探る目つきで男にあわせる。

 茫然自失している雄作や灯の前を通り抜けて、背広の男はレイの前で(ひざまず)いた。

 それと同時に隣の女、武士の列も跪く。

(突然、なんでしょう。この状況は……)

 困惑する暗寿をよそに、男が口を開いた。

「わたくしは善台伯爵、鞴 桜花と申します。先程からのわたくしの父、雨形公爵の狼藉(ろうぜき)をどうかお許しください」

 善台伯爵を名乗った男は深く頭をさげた。


・神通力紹介

金剛甘露(ヴァジュラ・アムリタ)』  

金剛手(ヴァジュラ・パーニ)』を傷のまわりの肉体に流して、治癒を促進する神通力。

 治癒スピードが遅いのが難点。


・本編にあまり関わってこない裏設定説明

『東方葦原王国』

 西方からきた『宇屋(うや)』という祇の一族によって建てられた国。

 鞴家などの影響力が強い貴族はだいたい、宇屋の血筋。

 

羅慕路斯(らぼろし)

 下界の西側を支配している大国。正式名称は『神聖ラボロシ大司令圏(だいしれいけん)』と言う。

 世襲制の君主である、神聖大司令官しんせいだいしれいかん(向こうの言葉では英白拉多(えいはくらた)奥古斯都(おうこしと))によって支配されている。


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