21節 公爵(のりあき)
雨形市の中心に進んでいく度、まわりは都市から森に変わっていった。
なんでも、防犯対策のため、公爵府のまわりをわざと森にしているらしい。逆に守りづらくなりそうだが。
公爵府に到着のしたのは丁度、日が沈みはじめたときだった。
巨大な西洋風の城で、赤く変色してきた空をバックに堂々たるたたずまいを見せつけている。
城門の近くの石碑に『雨形公爵府』と書いてあるのだから、本物の公爵府なのだろう。
流石に、中に入るわけにはいかないので、少し離れた空き地に車を停めて、善台伯爵を待つことにした。
「ていうか、公爵が伯爵の土地で騒ぎを起こそうとしているって言うわけだろ。張本人の前でそんな話をして大丈夫かね?」
「まぁ、伯爵が信じてくれれば、あたしたちも守ってくれるやろ」
ネガティブな感じで話す雄作に灯がポジティブに返す。
「だと、いいんだけどなぁ……」
よく話す二人とは対照的に暗寿はシーンと黙っていた。
暗寿の心の中では、緊張と失敗への不安が渦巻いていた。
いや、それ以上にさっきの雄作の言葉がずっと心の中に残っていた。
『怖いよ、そりゃ』
その言葉が錘のように心の深い海の底に沈んでいた。
「なに、今さら緊張してるわけ?」
レイが苛立たしげに暗寿の頬をつねる。
突然のことで、「いひゃい!」とつい、大声をだしてしまった。
「大丈夫か、暗寿ちゃん?」
灯と雄作が暗寿に注目する。
「いえいえ、なんでもありません」と控えめに言いながら暗寿はレイを睨んだ。
「ここから先は本番よ。緊張で舞台を台無しにするつもり?」
レイは何食わぬ顔で暗寿の頬をつねり続けている。
「やふぇてきゅでぃぁしゃいよ、リェイしゃん……。つふぃ大声をだしたったじゃにゃふぃでしゅか」
「なに言っているかわからないけど、底國さんのほっぺ、ぷにぷにしてて柔らかいんだもの」
「意味ぎゃわふぁりぃましぇんよぉ……!」
暗寿の涙ながらの抗議も無視して、レイは両方の頬を引っ張りはじめる。ビヨーンと暗寿の顔をは横長になった。
コンコン。
突然、車の窓が叩かれた。
音の方向に目を向けると、窓の外に武士がいた。
その目線は明らかに暗寿たちを怪しいんでいるようだった。
雄作は武士に勝るとも劣らない視線を向けて、窓を開ける。
「なんでしょうか?」
「雨形騎士団の渋谷と申します。公爵閣下があなた方のことを不審に思っております。ご同行を願えませんか?」
やはり、この武士みたいな格好をした男は騎士団だったらしい。
「いや、おいらたちはここで待ち合わせをしているだけです。不審だなんて、そんな……」
雄作は不服そうな態度をとる。
「あれ、あなた方は第弎号付近に工場を構えてらっしゃる掛上さん夫妻ですよね」
「なんでそれを?」
突として、個人情報をあてられたからか、雄作の表情に動揺が浮かびあがる。
「今朝、いきましたから」
どうやら、役人と一緒に来た2人の武士のうちのどっちかみたいだ。
「それにしても、丁度いいところにきましたね。公爵閣下は弎号に在住の方と話をしたがっておりましたから」
武士が手を公爵府に差しのべた。
公爵府の城門にはいつの間にか人だかりができていた。
よく見ると、その全ての人の視線が暗寿たちに向けられていた。
(ひやっ……)
暗寿はビクッと体を震わせる。
「ご同行を願えませんか?」
武士の声は1オクターブぐらい低くなっていた。
その気配には異様な殺気をにじませている。
雄作は灯と暗寿を振り返った。
「いくか……?」
コクっ。
灯と暗寿は頷くしかなかった。
公爵府の前の人だかりのほとんどが背広を着た男と女だった。
公爵府の役人なのだろう。その中に整備場にきた男たちもいた。
後は騎士を自称する武士たちだ。みんな、それぞれに刀や槍、あの輪の中に円が描いてある旗を持っていた。
暗寿たちが城門の前までくると、役人も武士も一斉に城門に向けて跪いた。暗寿も掛上夫妻も真似して跪く。
すると、公爵府の開閉式の門が開け放たれた。
門の中から2人の人が現れた。
1人は高級そうな背広を着た老人だった。
腰が曲がっていて、背は高そうに見えない。
しわくちゃな顔の右目にはこれまた高級そうな装飾がついた眼帯をつけている。
老いた肉体とは対照的に左目だけが若々しくギラギラと輝いていた。
腰まで届きそうな長い白髪を後ろでまとめている。
もう1人はひ弱そうな男で老人にへこへことつき従っている。
老人は城門の前までくると動きを止めた。
それにあわせてひ弱そうな男も立ち止まり、咳払いをして大きく口を開く。
「みなの衆! 頭をさげよ! この方は雨形公爵であられる、鞴 法空閣下である!」
見た目に反して、とても大きい声をだせるらしい。
(この人が雨形公爵……)
鞴 法空。
葦原王国の北東の地域、“森羅河以北“のほとんどを支配する名門貴族、鞴家の家長。
実質的な鞴家の支配者で、その影響力は王国の中でも1位、2位を争うのだという。
新聞に書いてあった。
雨形公爵は暗寿たちを目にとめると、ゆっくりと歩んできた。
「まさか、こっちにくるとはな……。貴様らの要件はどうせこれじゃろ?」
公爵が言うと、隣の男がポケットから紙をだした。
その紙は今朝、公爵府の役人が持ってきた紙だ。
「いや、公爵閣下には用はありませぬ。ただ人を待っていただけでございます」
雄作の頭はさげたまま申した。
「キサマぁ! 下民の分際で、閣下の言うことを否定するつもりかっ⁉」
急に公爵の隣の男が激怒を顔に浮かべて、ヒステリックに叫ぶ。
思わず暗寿はびっくりして、体勢を崩しそうになった。
隣の灯も驚いた表情をしている。
「……うるさい」
公爵は物憂いそうに隣の男を咎めた。
「大変申し訳ございませんでした」と男は公爵に頭をさげる。
「で、人を待っていると言ったな」公爵は雄作に向き直った。
「それは、善台伯爵閣下のことか?」
「はい……そうでございます……」
嘘がつけないのか、雄作は肯定した。
「やはりな」公爵は満足そうに首を縦に振る。
「貴様ら、伯爵閣下を暗殺しにきたのだな?」
「「「はっ⁉」」」
一瞬、なにを言われたかわからなかった。
考えがまとまらない暗寿たちを武士たちがじりじりと囲む。
公爵は手を叩きながら笑った。
「貴様らはこの紙に書いてあることを不満に思い、伯爵閣下を暗殺しにきた。これは反乱じゃな」
「な、なにを言っているんですか! 違います!」
暗寿の叫びは公爵の耳には届かなかったらしい。
「領地で反乱が起きたとなると、善台伯爵閣下の監督責任じゃな。やはり、あの莫迦息子は領主の器じゃなかった」
公爵の手を叩くペースがどんどん速くなる。もうほとんど、シンバルを叩いている猿の玩具みたいだ。余りの不気味さに暗寿は体を引いた。
「下民ども、貴様らは重要な参考人じゃ。身柄はこちらで預からせてもらう……。けど、面倒なこと話されても困るのぉ」
公爵が言葉を終えると、武士たちが暗寿たちに飛びかかり、そのまま羽交い絞めにした。
「なにするんですか……!」
暗寿たちに刀を持った武士たちが近づいてくる。
「ちょっとまってください……これって!」
「公爵は底國さんたちを殺そうとしているわ」
刀を凝視する暗寿にレイは淡々と言った。
「な、なななんで、殺されなきゃいけないんですか……!」
「公爵の言った通りじゃない」
澄まし顔のレイの脇で、掛上夫妻が刀を見て固まっている。この世のものを見ている表情じゃなかった。それとは逆に、役人たちは無表情で暗寿たちを見つめている。それこそ、この世のものとは思えなかった。
「そんな、言いがかりですよ!」
「公爵は言いがかりを本当にしようとしているわ」
レイは顔を暗寿の顔に急接近させた。
「なんでしょうか……。お別れのチュウかなんかですか……」
自分で自分の口から飛びだした言葉に驚いた。
追い詰められるとこんな大胆なことも言えるのか。
「底國さん、これはもう戦うしかないわね……」
レイは暗寿の言ったことを気にもとめていないらしい。
暗寿の口に入っていく。
「見せてやりましょう。3日間の特訓の成果を」
暗寿の目が大きく開かれる。体の主導権を握ったレイが公爵を見据えたのだった。