20節 転輪(どらいぶ)
善台伯爵は今日の夕方頃から雨形公爵府で雨形公爵と会談をする。そこで正式に第弎号道路およびその周辺地域の譲渡が決定される。と紙には書いてあった。
そこで、雄作たちは先回りして雨形へ向かうことにした。
雄作のノスタルジックな愛車が第弎号道路をかけていく。
このペースだとだいたい、日が落ちる前には雨形公爵府に着くとのこと。
車の運転席に雄作。後ろの席に灯と暗寿が乗っていた。
「わぁ……」
暗寿は目をぱちくりさせて外の景色に見とれている。
険しい岩肌がむきだしになった谷。
そこ麓を流れる雄大な川。
丁度、車は広瀬川に架かる橋のうえを通っていた。
人工物であふれた無機質な天帝国で生きてきた暗寿は自然を直接見るのははじめてだった。目の前に広がる山紫水明な光景は、テレビを通して見たときよりも迫力満点だった。暗寿は景色だけではなく、下界で生きる生物にも感銘を受けていた。
まず、暗寿が目にした生き物は、群れで車と広瀬川の上空を通過した“神蟲”という蜚蠊のような虫だった。カラスを少し大きくしたぐらいの全長で、うごめく8本の肢を生やし、背からは黒い鳥の翼が生えている。
橋を越えた先の山にいたのは6本の手足を持つ白熊のような生物、“諾不刻”という獣だった。鼻からサイのような角が生えていて、二足歩行をしながら、残りの足をこっちに向けて振っている。可愛い。
他にも、煙から狐や狸に似た尻尾をだした“おんぼのやす”や、馬ぐらいの大きさで蜂に似ている容姿の“拝亜基”(それを見た途端、雄作が震えあがっていた)など、今まで見たことも聞いたこともない生き物が自然の中で生きていた。
ふと、つんつんと肩を突っつかれた気がしたので横を向く。
灯と暗寿の間にレイが座っていた。
レイが人差し指をたてて暗寿を突っついる。
「どうしたんですか……レイさん?」
灯や雄作に聞かれないように声を潜める。
レイとはさっき喧嘩したばかりなので気まずい。
レイも気まずく感じているのか、ぶっきらぼうに言った。
「さっきから底國さんが目をキラキラさせて見ていた生物、あれは天帝国でつくられたものよ」
「天帝国で?」
「底國さんのひいおじいちゃん、第52代天帝、戴巽が下界の人間を実験台にして誕生させた生物よ」
人間を実験台……。
そんなこと聞いたことない。
戴巽は歴史上、最も偉大なる5柱の天帝、”五賢帝“に入るぐらい優秀な天帝だったと歴史では習った。なんでも天帝国の医療技術や科学技術を当時の何十倍、何百倍にも発展させたのだという。
「戴巽の時代に医学や科学の分野が発展したのは人体実験をやり続けていたから。その副産物で変な生物が沢山生まれたの。扱いに困った天帝国は実験でできた生物を下界に放したわけ。神蟲とか諾不刻のような可愛い奴ならまだ幸せよ。酷いところだと地震を起こす“巨大鯰”とか、有害な菌をまき散らす怪物“洪巴々”とかが放たれちゃって、沢山の人が死んだみたいよ」
「そんなことがあったんですか……」
今まで暗寿たちの耳に入ってこなかったのは、単に隠されていたからだろう。
いくら人間を見下している神々でも人体実験なんて聞いたらいい顔はしないはずだ。
「で、その人体実験なんだけど。御修羅がまた再開させたわ」
「ど、どうして、そんな、また……?」
「わからないわ。けど、なにか悪いことを企んでいるのは予想ができるわ」
レイはいい終わると、前を向いた。
「それを言いたかっただけ。ごめんなさいね。余計なお世話だったわね」
急にレイの口ぶりがいつもより冷たくなった。
「いや、余計なお世話だなんて……」
言われた言葉を否定しようとしている暗寿に、レイは前を向いたまま眉をひそめた。
「言っておくけど。あたし、まだ底國さんのこと許してないから」
「えっ……!」
暗寿が言葉を詰まらせていると、バシャーと水が跳ねる音がした。
車は橋を越えて、普通の道路を走っていたはずなのだが……。
窓から地面を見てみると、そこは巨大な水たまりになっていた。
水は黒茶に濁っていて綺麗な感じがしない。
「あれ、昨日、雨降りましたっけ……」
「いや、降ってねぇ。なんかの嫌がらせかぁ?」
雄作は不機嫌そうに後ろ頭をかいた。
「こんな、大がかりな嫌がらせをするかねぇ」
灯が思案顔で広がる水たまりを見つめる。
「たくよ……、ただでさえ、赤目の蛇と立ち退きの件で困ってんのに、さらに変なこと起きないで欲しいぜ」
「そうやなぁ。最近、変わったことが頻繁に起こっとるなぁ」
「ですねぇ」
その変わったことの中に暗寿との出会いも含まれている気がした。
そのことには突っ込まず頷いておく。
それから。
太陽が天の頂点で輝く中、一行は楽しそうに山の中を進んでいった。
暗寿はぷりぷりしているレイが見えているので、空気を重く感じたが。
途中、長いトンネルに入ったり、急な斜面をくだったりして、ようやく巨大な壁が見えてきた。雨形公爵府がある、“雨形市”を囲う壁らしい。近くで見てみると、その天まで届きそうな高さに圧巻した。壁の門は紅花のレリーフなどで飾りつけられた綺麗なものだった。紅花畑がそのまんま壁から生えているようだった。
門の脇には守護者みたいな2体の巨像がポーズを決めていた。
左側の像は右手に刀を握って、左手を前に突きだすポーズをとっていた。
細い、少女のような体つきで、1つだけある巨大な目のしたにある口はパカっと開いていた。像がのっている台には『敬王大権現』(下界で信仰されている治療の神)と書かれてあった。
右側の像は腰に布を巻いているだけの猛々しい益荒男が威嚇をするようなポーズをとっていた。口をがっと閉じてなにかを強く睨んでいる。台には『戴巽皇大御神』と書かれてあった。
「下界を荒らしただけの男が、勇ましい美丈夫として崇拝されているなんて、なんか皮肉ね」レイは載巽像に軽蔑したような顔を向ける。
暗寿は門番気取りの粗大石よりも門を通る車の数に目を見張っていた。
門の前、一面が車。
道路の隅っこまでぎゅうぎゅうに車が詰められている。
まるで、車の海のようだ。
第弌号道路と合流したあたりから車は多くなっていたのだが、この数は圧巻である。
ふと、車じゃないのがいるのに気がついた。
「あっ」
声をあげてしまった理由は暗寿が知っているものだったからだ。
「あれって……恐竜ですか……」ついその名が口からもれてしまう。
馬ぐらいの大きさで細い手足が特徴的な蜥蜴のような恐竜だった。背にシャツ人とジーパンを着用した人を乗せている。
「あぁ、あの蜥蜴のことか」暗寿の言葉に気がついた雄作が説明をしてくれた。「迅猛竜ってやつだ。なんでも公爵が車に代わる移動手段って言って、震旦から輸入してるらしいぜ。未来的には車なくして、あのへなちょこ蜥蜴だけにしたいらしい。多分無理だけどよ」少し嫌味っぽかったが。
雄作は迅猛竜に舌打ちをして前に向き直った。
恐竜を輸入⁉ 暗寿にとってそれは余りにも想像ができないことだった。
まず、恐竜って絶滅しているはずじゃ。理科の授業ではそう習った。
思いあたることが1つあるとすればある。
レイから聞いた人体実験だ。
もしかしたら、あの恐竜も人体実験の産物なのかもしれない。
門をくぐり抜け暗寿たちは雨形市に入った。
雨形市は都会だった。
4階建てくらいの赤レンガづくりのビルが立ち並んでいて、人も車もあふれている。
天帝国のオフィス街と比べたらまだまだ、小型模型なのだが、レトロな雰囲気があり、暗寿は好きだと思った。
しばらく雄作は雨形市の中で車を走らせて、ドライブインレストランに入る。
昼飯をとり忘れていて、腹が減っていたからだ。
時計は午後4時を示している。かなり遅めの昼食になりそうだ。
レストランの小さなトタンの店舗の前に大きな駐車場が広がっていた。
何台か車も停まっている。
雄作は、そこの一角に車を停めると、近づいてきた店員に注文をした。
注文内容はそれぞれ、雄作が熱狗、灯が高盧三明治、暗寿が超癸干忒斯泰坦三明治だった。
店員が去ると暗寿が雄作と灯に声をかけた。
「あの、すいません……」
「なんや? 便所か?」
「いえ、違うんですが……」
暗寿は車の外を指さした。
「あの建物ってなんでしょうか……」
暗寿の指の先には、希臘風の神殿とお寺を融合させたような建物があった。
まわりの建物と雰囲気が違い、物凄く浮いた感じになっていた。
暗寿はただの興味で訊いただけだった。が、それは興味の範疇を超える行動だったらしい。
灯も雄作も血相を変えて「指をさげろ!」と叫んだ。
その言葉だけ、灯も公用語だった。
「えっ、あっ、すいません……」
今の今まで雄作にも灯にも怒鳴られたことがなかったので、暗寿の心臓はビクッとした。そして、バクバクと早い動きを繰り返す。
「あ、ご、ごめんな……、怒鳴っちゃって……」
「そうや、そうや……あたいとしたことが……すまんかったのぉ」
雄作と灯は我に返ったようで、申し訳なさそうにへこへこする。
「あれはな……“明王庁”や……」
「明王庁……?」
雄作が灯の言葉の後を継いだ。
「なんでも天からきた明王っていう神さまが滞在している建物でな……。そこから目をつけられると貴族に目をつけられたときより面倒なことになるんだ……」
雄作は何度も明王庁の様子をうかがっている。暗寿が指さしたことがバレていないか確認しているのは一目瞭然だった。そんなに神は怖がられているのか。暗寿は聞いてみた。
「神は怖いですか……?」
雄作の返答がきたのは明王庁の確認を終えてからだった。
「怖いよ、そりゃ。逆らったり、気に入らないことしたら、天罰で必ず殺されんだろ……」
『天罰で必ず殺される』……。
『天の地雷』
暗寿の脳は自動的にその言葉をつくりだした。
下界の人間の神のイメージはそんな感じなのか。
自分が神であることを知ったらこの2人はどう思うだろうか。
やはり、明王庁のように怖がられるだろうか。
そうしたら、今まで通りの関係ではいかないだろうな。
「ねぇ、底國さん」悩む暗寿の心も知らないようでレイが話しかけてきた。
「な、なんでしょうか?」ムッとした顔のレイに動揺しながら話を聴く。
「今の話聞いた?」
「今の話とは……?」
「明王庁よ、明王。覚えている底國さん?」
みょうおうちょう。
みょうおう。
明王。
そういえば……。
『下界には御修羅の直属の手下“明王衆”がうろついているわ』
レイがそんな言葉を言っていたのを思いだした。
じゃあ、あそこには御修羅の手下がいると……。
暗寿はレイに頷いた。
レイは察した様子を見せ、無言で頷き返した。
あそこと関わっては駄目だ。
考えなくてもわかることを決心した。
・本編にあまり関わってこない裏設定説明
『五賢帝』
歴史の中で最も偉大とされる、5柱の天帝のこと。
面子は下記の通り。
1代目“救世 婆楼那”……天帝国を建設。
8代目“救世 紂政”……反乱を鎮め、天帝の権力を復権。
52代目“救世 載巽”……医療・科学技術を大幅に進歩。
53代目“救世 伊智呼”……100年の長期にわたり天帝国を安定的に支配。
54代目“救世 照瑠天”……史上最強の天帝。800万もの神通力を持つ。暗寿の父。
『敬王権現』
天帝国かできる前から、下界で崇拝されている治療の神。鍛冶や製鉄も司っている。
偶像は1つ目で右手に刃物(刀、剣など。鎌の地域も)を持っている姿で表せられる場合が多い。下界で同じく治療の神として崇拝されている52代天帝載巽と同一視されている。
実際に存在しているかどうかは不明。