17節 瞋(いかり)
誤字報告ありがとうございました。
大いに励みなりました。
私がこうして小説を投稿していられるのは、読んでくださる方がのおかげです。
心の底から大変感謝、申しあげます。
この第17節もお楽しみいただけたら幸いです。
底國 暗寿が目覚めてからまる3日がたった。
その間、暗寿はただぼんやりと惰性を貪っていたわけではない。
義手を動かす練習をしていたり、掛上夫妻の手伝いをしたりして過ごしていた。
義手の練習の内容はレイとのジャンケンや、雄作から貸してもらった新聞を読むなど、日常的なものがそのまんま練習になった。掛上夫妻の手伝いもその一環だったりする。
ある程度は動かせるようになってきたものの、頭の中で想像しながら動かすのはやはり難しいもので、箸を動かしたり、物を掴んだりできるのは、まだまだ先になりそうだ。
義手が動いたことに夫妻は驚いていたが、「そんなこともあるんだな」と合点したようで、深く訊いてこなかった。
一方でレイが言う御修羅を殺すための特訓もやっていた。
内容としては、夜、寝る前に2時間か、3時間程、筋力トレーニングをするだけである。レイ曰く体の丈夫さも神通力に関係するとのこと。
レイが取り憑いてやっているので、トレーニング最中、暗寿は実感がわいていなかった。
唯一、トレーニングの実感をする場面は翌日の筋肉痛だけだ。
その筋肉痛のせいで暗寿は今、苦しみに苛まれていた。
つなぎを着た暗寿はペンチなどの道具が入った箱を雄作のところに運んでいる。
筋肉痛のせいでどうもうまく動けない。
「大丈夫か、暗寿ちゃん?」
車をいじくっている雄作が声をかける。
別に雄作は仕事をしているわけではない。余りにも客がこないので自分の愛車を改造していた。雄作の愛車は一昔前の電気自動車で、誰が見ても郷愁にかられるぐらいのレトロな感じを放っていた。
「はい大丈夫です」
暗寿はゆっくりと雄作に箱を渡した。
「ありがとうなぁ」
雄作はニコッとした顔で受け取る。
暗寿と一緒に暮らすことに反対していた雄作だが、この3日間、暗寿に優しく接してくれていた。
困っていることがあったら助けてくれるし、お手伝いをしたら、今のように褒めてくれる。
「おーい、暗寿ちゃん」
灯の声が耳に飛び込んできたので、暗寿はビクッとする。
「時間やでぇ」
灯が着替えを片手に手招きをしていた。
整備場のおき時計は午前9時を指していた。
「わ、わ、わかりました……」
暗寿の頭から湯気がでた。
これからはじまるのは掛上家での生活の中で一番、緊張する時間だった。
「お、いってこい」
雄作が暗寿に手を振る。
暗寿はこれから起こることを想像しただけで、顔が赤くなった。
朝の9時は暗寿のお風呂の時間なのだ。
風呂場にきた暗寿はゆっくりと椅子に腰をおろす。
もちろん全裸だ。義手は錆びれると悪いのでつけていない。
「痛たたた……」
筋肉痛の襲撃により、暗寿は悲鳴をあげた。
痛いところをおさえようと思っても腕がないからできない。
「大丈夫かいな?」
後ろから灯が座るお手伝いをする。
「だ、大丈夫です……ありがとうございます」
椅子に座った暗寿は顔を真っすぐ前に向けながらお礼を言った。
「ええんやで」
灯が暗寿の前方に移動する。
すかさず暗寿は灯から顔をそらす。
暗寿のその頬は薄紅に染まっていた。
何故か。
灯が文字通りすっぽんぽんだからだ。
灯が毎朝、暗寿の体を洗ってくれることになった。
ありがたいのだが、正直、視線のやり場に困る。
掛上家の風呂場は一階の整備場の裏についていた。
風呂場と言っても、シャワールームに無理やりドラム缶風呂をつけたようなものだったのだが。
「そんなに恥ずかしがらなくてもええんやで」
灯はニコッとして暗寿の体をスポンジで拭きはじめる。
「い……いや……その……」
掛上家で暮らして3日間、灯はずっと暗寿の世話をしてくれていた。
ご飯を食べさせてくれたり、お着替えを手伝ってくれたり、今のように体を洗ってくれたりなど、仕事のとき以外は1日中つきっきりだった。
私になんでここまでするのでしょうか――暗寿はその距離感になかなか慣れなかった。
「暗寿ちゃんがきてくれて本当に良かったわぁ」
灯がスポンジを持つ手を止めた。
「えっ?」
訊き返す暗寿に、灯が語りはじめた。
「実はな。雄作もあたいも子どもが欲しかったんよ。けどな、2人とも、子どもをつくれる体ではなかったんや。雄作は精子ができない病気やし、あたいはそもそも性器がないし……」
「そうだったんですか……」
「すまんかったな。暗い話をしてもうて。まぁ、暗寿ちゃんがきてくれて、あたし、めっちゃ嬉しかったし、雄作も外にはだしていないけど、めっちゃ喜んでいるでぇ」
灯が首を縦に振って、また暗寿の体を拭きはじめる。
(灯さんと雄作さんにはそんな過去が……)
にしても、他人である暗寿をここまでお世話してくれるのは常人の域を超えている。本物の聖人か、神みたいだ。どれだけ、子どもが欲しかったのだろうか。
まぁ、どんな理由があれ、暗寿にとって灯は命の恩人であることは変わりがなかった。
心の底から感謝をしている。
「じゃあ、流すなぁ」
灯がシャワーを暗寿に向けたとき。
「大変や!」
風呂場の扉を開いて、雄作が入ってきた。
その姿はいつも通りのツナギの格好だった。
「ヒャッ!」
暗寿は思わず体を隠そうとする。
「すまん! 暗寿ちゃん!」
雄作は暗寿の方を見ないように顔の向きを固定した。
「なんや、雄作? 一緒に入るのは夜って言っているやろ」
灯が前にでて暗寿の体を隠してくれた。
「いや、今、それはいい」
雄作は焦っている様子だった。
「早く着替えてくれ。役人の野郎どもがきやがっている」
「役人?」灯が訝しげな表情を浮かべる。
「わかんねぇけど、車には雨形公爵って書かれていた」
「なんでや。ここは伯爵領やぞ」
「だから、わかんねぇって」
雄作にせかされるまま、灯と暗寿は風呂(入っていないが)をあがった。
パッパと着替えた(暗寿も着替えさせた)灯は雄作と共に整備場の外にでた。
なにが起きたのか気になった暗寿はこっそりと2人のことを物陰から見た。
開かれた門の前に停まっては黒塗りの車だった。
車体にはラインが引かれていて、そのうえに『雨形公爵府』と書かれてあった。公爵府とは公爵領の役場のことである。
車の両隣にはバイクが停まっていて、なんと、甲冑を着た武士みたいな人が乗っていた。右の方の武士が大きな旗を持っていた。輪の中に円があるマークがでかでかと描かれていて、巨大な目玉に見える。そのしたには『鞴家』と書かれている。正直、暗寿には旗を掲げている暴走族に見えた。
ガチャと音をたてて、車の後部座席から2人の人がでてくる。
2人共背広を着た男で、雄作程ではないが、いかにも育ちがよさそうな見た目をしている。
掛上夫妻に挨拶をするとなにか話をはじめた。
「あいつらは貴族の手下かしら」
予期せず後ろから声がした。
「わっ!」
暗寿はギョッとして振り返る。
レイが暗寿の後ろに立っていた(足がないので本当に立っているかはわからないが)。
「なんだ……レイさんですか」
「なんだとはなによ」
レイはそう言って視線を雄作たちの方向に向けた。
「あいつらは多分、雨形公爵とやらの手下なのでしょう。隣にいるサムライたちはボディガードって感じなのかしら」
新聞や掛上夫妻の話しぶりから、下界には貴族と呼ばれている人たちがいるのを暗寿は知った。
天帝国には貴族制がなく、貴族というのもお話の中だけの存在だったので、こうして現実的なに話題になっていると不思議な感じがする。
「底國さんは気がついていたかしら。この下界は天帝国とたいして文明水準は変わらない。けど、下界とは違ってテレビとか携帯とかの情報機器類は見かけていない。今のところ目にしているメディアは新聞だけ。その情報統制によって貴族制とか王制が成り立っているのかもね」
「そ、そ、そうなんですか」
暗寿はわざとすげなく言おうとする。
暗寿のレイに対しての態度は変だった。
レイを道具として利用しようと決めた暗寿だが、そもそも道具として扱うってどういうことなのかがわからなかった。レイのことを道具として見ようと意識をしてみたのだが、なんの道具として見ればいいかが悩みの種になった。御修羅を殺す道具として銃や刀、自分を強くする道具としてダンベルやハンドグリップ、などなど色々な道具を想像してみたのだがどれもしっくりこない。
じゃあ、冷たくしてやろうと、言葉をそっけなく話そうとしたり、無視しようとしたり、したのだが、冷淡な態度をとること自体に慣れていなかった。なので、つんつんした言葉を言おうとしても、舌を噛んでしまいカミカミの言葉になってしまったり、無視しようとしても、普通に対応してしまったり、いまいちうまくいっていない。
今回もうまくいきそうにないので、せめてもの抵抗として、レイとは顔をあわせないようにしている。
「ねぇ、底國さん。なんかあたしのこと怒っていない?」
「いいいいい、いいえ、べ、べ別に。お、お、怒ってもいませんけど」
実際には怒っていた。
「嘘ね。この3日間、ずっと機嫌悪いし、ずっとあたしに冷たかったじゃない」
暗寿のちぐはぐな対応でも、レイにはしっかり伝わっていたらしい。
それが吉か凶かわからないが。
「す、すいません。げげ、猊下を殺すのに支障をきたしていました……ね。次から態度改めます」
「…………」
レイの眉間にしわが寄る。
「なんなのそれ」
「そ、それとは?」
「わかるでしょ? あんたのその態度よ。なににムカついているかわからないけど、八つあたるのやめてくれない? あんた、神として恥ずかしくないわけ?」
八つあたりって……。ブチッと暗寿の顔に青筋がたった。
珍しく、自分のくちから惑いもなく、ツンツンした言葉がでてきた。
「レイさんこそ……!」
暗寿が怒鳴りつけようした瞬間だった。
「ふざけんじゃねぇオマエらぁぁ!」
雄作の迫真の怒声が響いてきた。
雄作が灯に羽交い絞めにされて暴れていた。
2人の背広の男を守るように武士が雄作の前に立ちふさがっている。
「おんどりゃぁぁ! それが、テメェら貴族さまがやることかぁ!」
雄作の気迫に負けたのか、男たちはなにかを言い残して車に乗り込み、去っていった。
武士もそれに続く。
その間、ずっと雄作は怒鳴り散らしていた。
それで、灯の堪忍袋の緒が切れたのか。
「ええ加減しろやオマエ!」と灯は雄作を思いっきりぶん殴った。
右頬にクリーンヒットして雄作は気絶する。
「なにがあったのでしょう……」
暗寿は不安そうに、雄作を担いでこっちにくる灯を見ていた。
灯の顔は暗い影に包まれていたので、彼女が今、どんな表情をしているのかわからない。
「わからないけど、もう、ここには住めなくなるかもね」
レイは冷たい声を残して整備場の奥に引っ込んでいった。
・本編にあまり関わってこない裏設定説明
『府』
貴族が支配している領の行政機関。
貴族の家と併設していることが多い。