14節 客星(かくせい)
ボブカットこと掛上 灯が安世の部屋に鍋を持ってきた。
中に入っているのは、安世の体調を考慮したのか、お粥だった。
そのお粥は本当にうまかった。味付けは優しくてほんわかとしている。
「はぁい、あーん」
安世は腕がなくなっているので、灯に食べさせてもらっていた。
灯の左手には安世のお粥が入った茶碗。右手には若干大きな銀色の匙が握られていた。
安世はさしだされた匙を笑顔で口に入れている。
「それにしても、これで7杯目だぜ」
掛上 雄作は感心したように目をぱちくりさせている。興奮で目をカッ開いた馬みたいだ。入れ込み状態なのかもしれない。そこまでではないが。
「3日も寝てたんやから、腹減ってんやろ。まだまだあるからいっぱい食べななぁ」
おいしそうにご飯を食べてくれる安世に灯は満足そうな表情をつくる。
「あ、ありがとうございます」
安世はへこへこと頭をさげた。
『赤べこみたいに』と文頭につければ、さらにイメージがしやすくなると思われる。
「あ、そういやぁ」
雄作は改まった感じに安世に顔を向けた。
「おいらたちのことまだ言ってなかったな」
「あ、そうや! あたいもまだや」
雄作と灯は頷きあうと、安世に顔を向けた。
「おいらは掛上 雄作。一応、自動車整備が仕事だ」
「あたしは灯。雄作とは夫婦なんや」
唐突な自己紹介がはじまったかと思ったら、すぐに終わった。
「はい、よろしくお願いいたします……」
雄作は「キミは?」と安世に自己紹介をするよう促す。
「えぇ、と……私は……」
レイが言うには本名を言ってはいけないとのこと。
じゃあ、偽名を言うしかないのか……。
「えっと……『そ』の……」
偽名と言われても、すぐに思いつけるものではない。
脳みそ内を三考後行して探る。
「「『ソ』?」」
雄作と灯の声が重なる。
「そこ⁉」
なんで、『そ』だけに反応した。
「「『ソコ』?」」
なんか掛上夫妻が勘違いをしはじめている。
(あぁ……もう)
しかたがいないので安世は適当に自分の名前から文字を拾って、吐きだすことにした。
「くに!」
「「『ソコグニ』?」」
「あん…………じゅ……」
「「『アンジュ』?」」
「はい、そうです。私の名前は」
夫妻が復唱していった言葉を呪文のように唱えた。
「ソコグニ アンジュです!」
一瞬、静けさが場を支配する。
安世は雄作と灯の顔を交互に見つめる。
なんだこの状況は。安世から冷や汗がでてきた。
謎のダンマリタイムは、人見知りとしては苦痛である。
そのうち。
「おぉ、アンジュって言うんや! かわええ名前やなぁ」
灯が安世の頭を優しくなでてくれた。
「あ、いや……その……」
褒められると、急に嘘をついた罪悪感に襲われた。
成りゆきで出来あがった名前だなんてことは当然、言えない。
「漢字で書くとこうか?」
雄作はどこからか、メモとペンを取りだして文字を書きはじめた。
しばらくして安世にメモを見せる。
メモには『底國 暗寿』と書かれていた。
(意外とごっついです……)
旧字体の国に、暗って……。
特に否定する理由はないし、否定すると面倒臭そうなので安世は首を縦に振った。
その様子を傍から眺めていたレイがにこやかにささやいた。
「じゃあ、今日からよろしくね。底國さん」
今までと違う呼称で呼ばれることに、強い違和感を覚えた。
慣れるのに結構、時間がかかりそうだ。
「で、暗寿ちゃん。キミは何処からきたの?」
雄作は安世改め、暗寿に聞いた。
「えっ、あっ、はい……。私はなんていうか…………」
「…………」
「……」
まさか天帝国からきたって言えるわけがない。
ここでもなんらかの誤魔化しをしなくてはならないだが、名前のところで頭を使い過ぎたので、良い感じのアイディアが思いつかない。
「もしかして……、えらく遠くの国からきたんか?」
灯が助け舟をだしてくれた。
「は……はい! すごく……すごく遠くの国からきました」
下界からすごく遠いところにある天の国からきたので嘘はついていない。
「遠くの国って、高麗とか、震旦とか、天竺とかか⁉」雄作の勢いが一段と強くなっていた。
「は、はい、そんな感じです……!」
ただただ、頷くしかなかった。
もちろん、雄作が列挙した国が、どんな国なのかはわからない。
「そっか……」
暗寿が答えると、雄作と灯は急に暗い表情になった。
「暗寿ちゃん、ちと酷なこと言って申し訳ないけどな……」
灯は躊躇いが感じられる言い草をする。
「元の国には帰れへんかもしれん……。高麗も震旦も天竺も海の向こうにあるんや。あ、海って言うんは大きな水溜まりのようなもんで……。まぁアレや。俱戒さま(下界で信仰されている水神)が住んでいるところや。それでな、その海っちゅうもんを渡るのにお金がたんまりかかるわけよ……。こんなこと言うんは可哀そうやけど、暗寿ちゃんが一生働いても稼げないくらいかかるんや……」
「そうなですか……。でも、そこらへんは……大丈夫です」
暗寿は手を横に振る。
暗寿が住んでいた国は海の向こうにある国々ではなく、天のうえにある天帝国なのだ。そもそも、海を渡る心配はない。
それに、今の暗寿は元の国に帰る気はサラサラなかった。
「大丈夫って……、何処かいく宛あるんか……?」
「いやぁ……それは……」
「いく宛ないんやろ?」
灯に見透かされてしまった。
灯はジト目で顔を暗寿に近づける。
「いや、その、あのぉ……」
頬をふくらませているリスの顔はもう暗寿の目と鼻の先だ。
「……はい、ありません!」
あまりにも灯の顔が近いものだから、暗寿は顔を赤らめて答えた。
「やっぱしなぁ」灯はうんうんと頷くと、雄作に目を向けた。
「なぁ、雄作。暗寿ちゃんをしばらくの間、この家で預かってええか?」
「えっ?」
予想外の提案に、暗寿も雄作も耳を疑った。
「腕もないし、いく宛もないみたいやし、孤児院とかに預けてもきっと奴隷のように扱われて終わりや。だから、少しの間だけでも、この家で預かった方が暗寿ちゃんにとってはええかなぁって思って」
その提案に雄作が思案顔になる。
腕を胸のしたで組んだ。
「灯の言うことはもっともだ。おいらもそのことを考えていた」
じゃあ、と期待の視線を向ける灯に雄作は「けど」と冷たく言った。
「家もな、今赤字やろ。3人でいつまで持つか……」
雄作の語り口は冷たかった。
しかし、その表情は苦しみを含んでいるようにも見える。
「わかったわ」灯が反論するように口を開く。
「あたいの分の飯は夜だけでええから。それだとお金が浮くやろ?」
「灯おまえ……!」
雄作はなんでそんなことを言うんだ、と言いたげに口をパクパクさせた。
「あの、灯さん……」
暗寿はつい口を挟む。
「なんで、ここまでして私を……」
灯には暗寿を助ける義理はないはずだ。
ましてや、家の方が赤字なのに暗寿を入れてなにになるって言うんだ。
そう考えている暗寿に灯は満面の笑みで言った。
「人を見捨てるわけいかへんやろ」
「えっ……」
予想以上に抽象的な回答だった。
暗寿は拍子抜けせざるを得なかった。
「人を見捨てたくないそれ以外に理由いるん?」
「い、いや……その……」
灯はまた顔を暗寿の目と鼻の先まで近づけた。
その迫力で暗寿はのけぞってしまう。
「で、雄作」
灯は雄作に体を向ける。
「本当に頼むで。この子を家で預からせてくれや」
灯はなんと、床に自分の額をつけた。つまり、土下座をしてみせたのだ。
「あぁ、もう、わかった!」と雄作。
「しばらく、暗寿ちゃんは家で面倒見よう。だから、頭をあげてくれ」
灯は嬉しそうに「おぉ」と声をあげて、姿勢を戻した。
そして、「良かったなぁ、暗寿ちゃん」と暗寿の頭をなでた。
正直、いくらなんでも灯の行動は異常だ、と暗寿は思った。
人を見捨てたくないという理由だけで、暗寿にそこまで固執するのだろうか。
もしかしたら、他に理由があるのかもしれない。
暗寿は理由を深く訊こうかどうか悩んだが、やめた。
なんど訊いたって、本当の理由を教えてくれなさそうだからだ。
それに、灯が暗寿を助けようとしてくれているのは明確だった。これから、恩人になる人を問い詰めるのもどうかと思った。
「あ、ありがとうございます……」
暗寿は頭をたれる。
屋根があって安心して眠れるところがあるのは暗寿にとって大きい。
感謝せねば。
「そのかわり、条件がある、灯にな!」
雄作は灯をギョロっと睨みつける。
「なんやねん」灯は雄作を睨み返した。
「誰かがなにかを我慢することは絶対になしな。そんなことして浮いても誰も楽しくねぇだろ」
雄作は灯に釘を刺した。
「わかった、わかった。ちゃんと朝、昼も食べるさかいに。けど、言いだしっぺは雄作やからな。雄作も言ったこと守れな」
刺された釘を灯は引っこ抜いて雄作に刺し返した。
「もちろんだ」雄作は頷く。
「というわけや暗寿ちゃん。今日からよろしくなぁ」
「よろしくお願いします」
暗寿は再び雄作と灯に頭をさげた。
ふと、灯はなにかに気がついたように視線を時計に向けた。
「とっくに開店時間過ぎとるやんけ!」
時計の針は掛上自動車整備場の開店時間である朝8時をとっくに過ぎていた。
「門開けんと! 客がきてるかもしれへん!」
と言って、灯は部屋からでていった。
部屋の中に取り残された雄作と暗寿。
茫然と灯の去った後の扉を見つめていると、雄作に話しかけられた。
「灯はな、ずっと子どもが欲しかったんだ。おいらたちが結婚したのは15、17ぐらいだったからな。もし子どもがいたら、暗寿ちゃんと同じぐらいだ」
「そうなんですか……」
「そうなんだ。だから、灯は暗寿ちゃんのことが放っておけなくなったのかもな」
雄作が言い終わると扉の向こうから「早うこい、雄作!」という怒鳴り声が響いた。「いまいく!」と返答した雄作は立ちあがって扉に向かった。
「あ、そうだ」
雄作は立ち止まって扉の脇にあった箱を手に取ると、ゆっくり蓋を開けた。
「これ、暗寿ちゃんにあげるぞ」
雄作が箱から取りだしたのは鉄の腕だった。
肘から先のパーツだ。
雄作はかがむと暗寿の両腕に鉄の腕をはめた。
スポッとはまり、金属の冷たい感覚が腕中に広がる。
「あの、これは……」
「おいらの親父も腕がなかったんだ。修理中の事故でなくなった。で、この義手をずっとはめていたんだ」
鉄の義手は可動式だった。
指の節や手首など自由に動くようになっている。
けれども、ただ可動式なだけであって、自分の意志で動かせるわけではない。
要するに形だけの腕だ。
「まぁ、あんまり役にはたたねぇとは思うけどよ」
「いえ、ありがとうございます」
人からなにかをもらうこと自体が久しぶりなので、暗寿は素直に喜んだ。
「なにやってんや! さすがに遅いでぇ!」
扉の向こうからまた怒鳴り声が響いた。
「じゃあ、今日からよろしくな」
そう言い残して雄作も部屋からでていってしまった。
・本編にあまり関わってこない裏設定説明
『俱戒さま』
天帝国かできる前から、下界で崇拝されている水神。正式な名称は俱戒権現。
偶像は童女の姿や竜の姿であらわされている。竜の姿の場合、恐ろしい程、口が大きく、声も大きいので、その言葉に従わない者はいないと言われている。
実際に存在しているかどうかは不明。
『震旦・高麗・天竺』
葦原王国より西側にある国々。
西側の文化はだいたい震旦と高麗を通って葦原王国にたどり着く。