1節 堕獄(だごく)
『客星帝座を犯す』
天に浮かぶ国、天帝国。そこでは多くの“神”が暮らしている。
その中の、1柱、中津邦 安世は8歳の誕生日を迎えていた。母親と手をつないで、神通りの多いオフィス街を歩いている。
まわりは背の高い墓石のようなビルディングが立ち並び、歩道のすぐ横の道路では、多くの車が列をなしていた。
「ねえねえ、猫さんのケーキまだある? ある?」
安世が興奮気味に、黄色い声をあげる。
「えぇ。あるわ。そんなに急がなくてもいいのよ」
明るいオレンジ色の髪を垂らしながら、母親は笑顔で対応した。
「だって、猫さんだよ! 猫さん!」
安世は、待ちきれないといいたげに母親の手をはなして、前へかけていった。
「はやくいこう!」
「……」
唐突にまわりの音が消える。
さっきまで歩道を歩いていた神々は、いつの間にかいなくなっていて、道路の車たちも停まっているままだ。
「ねぇ、お母さん……」
怖くなった安世は、母親を振り向く。
「えっ……」
母親の顔を見たまま、その場にかたまった。
赤い眼を見ひらいて、まじまじと母親を見つめる。
「お母さん……、お母さん!」
安世は金切り声を吐きだし、震えながらしりもちをつく。
その瞳にうつる母親には、本来あるはずのものがなかった。先ほどまで存在していたから「なくなった」という表現でもいいだろう。
母親の首からうえ、頭がなくなっていたのだ。
「なんで……、なんでぇ……」
安世はうずくまって嘔吐した。
突然のできごとと、嘔吐の苦しさで、目から涙がこぼれだす。
口から放出されたものは、涙と混じって、歩道のコンクリートに広がっていく。
「あんまり、公共の道を穢すなよ。ゲロガキ」
年老いた男の声が聞こえたので、ゆっくりと安世は頭をあげた。
安世の前にいたのは、不健康そうな男だった。
トレンチコートのすきまから見える肌は青白く、骨の輪郭が見えるぐらいまでひどく痩せていた。その割には妙にお腹がふくらんでいる。
禿げた頭頂部のまわりの髪は長く、骸骨みたいな顔の横にたれている。
死神のようだった。
男は怪しく光る丸い瞳を安世にむけた。
「お、お母さんが……」
男に恐怖感を感じたものの、現状を説明しようと必死で話しかけた。
ふと、男の右手に視線がいく。
男の右手になにかがあったからだ。
長いオレンジ色のひものようなものが沢山生えていて、目と鼻、口がついている。
まさに、それは。
母親の頭だった。
「ぁ……あ……」
安世の口から声にならない声がでる。
「クソガキが。オマエもママァのようにしてやるよ」
男は安世に向かって腕を振りおろした。
安世は反射的に構える。が、なにも起こらなかった。
「なんで、“神通力”が発動しない……」
男はありえないものを見ているような表情だった。
震え声で呟いた。
次の瞬間、男の指先が濃い灰色に変色した。
そして、灰色が指から手、手から腕にどんどん広がっていく。
まるで、腕が腐敗しているようだった。
おいおい、嘘だろ……と男は騒ぎはじめる。
灰色が肘までくると、両腕は文字通り灰になって、母親の頭と一緒に崩れ落ちた。
ドサッと落下音が響く。
「畜生! なんてことを……! 覚えてろよ!」
男の言葉が終わるころには、母親の姿も、男の姿も消えていた。
その代わりに、安世のまわりを背広の神々がなんともなかったかのように歩いていた。
車の列も前に進んでいる。
安世だけが一柱、取り残された。
人生が真っ逆さまに堕ちた瞬間だった。
これから安世は、天の国にいるはずなのに、地獄の神生を送ることとなる。
読んでくださりありがとうございます。
クロイオウエンカと申しあげます。
ついにはじまりました! 第一作目!
はじめての投稿なので正直、緊張しました……。