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魂鎮めの巫女は祓わない  作者: 初月みちる
第四章 意路不倒
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這い回る雷

幽子は怒ればいいのか感謝すればいいのか一瞬分からなくなった。今回も無断で術式を魂に刻んだとなると憤慨しても良いのだが、その結果またしても彼に救われたのだ。混乱しない方がどうかしている。前回無断で刻んだ件については、幽子の術式を刻む練習の実験台になることでケリがついたが、今回はどうしてくれようか。そんなことを考えていると、ふつふつと怒りが湧いてきて武瑠を思わず睨んだ。


「流石に全壊は無理だったがな。少しでも壊れた術式は作用しない筈だったがそれでも不完全ながら有効だったんであのときはかなり焦ったぞ。結果的に建御名方様にも協力してもらって事無きを得たがな」  


ほとんど無意識下でやったことだと建御名方様が教えてくれたと付け加える武瑠は幽子の刺すような視線に僅かにたじろいた。


(武瑠君の術式が私を守ってくれたのね……あの時見た武瑠君は本物だったのも納得だわ。それによく考えたら武瑠君は素戔嗚命を通じて幽界に縁があるし私に刻まれた術式を辿って無意識に幽界へ霊力を送ったんだわ)


目の前にいた大国主命がいきなり武瑠に見えたのは彼の霊力によるものだろうか。それとも幽子が強く思ったのが武瑠だったからか。彼の霊力が武瑠の形を取るのは流石に無理があると幽子は考えていた。その時は彼は寝ていなかったし僅かな間しか彼は見えなかったからである。彼の霊力が幽子の思いに反応して具現化して彼女の目の前に現れたということか。


「守り人が一時的にとはいえ我を出し抜いたのは誤算であった! 我に立てつく人間がいることもな! だが()()()()が絡むならあり得ぬ話でもない! げに口惜しいものよ!」


大国主命の眦がつり上がったと思えば、二人と大国主命の間に雷が落ちる。幽子が咄嗟に磁界を発生させて、雷を明後日の方向に誘導したので事無きを得た。幽子が霊力を発動させたのは感じ取っていたが、武瑠には急に雷があらぬ方向へ吸い込まれたように見えて驚愕を隠せない。


「大国主様……!」


幽子は抗議の声を上げて、つかつかと大国主命に歩み寄ろうとしたが、武瑠の腕が彼女を制した。大国主命の霊力と武瑠の霊力がぶつかり合って渦を巻いている。互いに牽制しているので、幽子と大国主命のぶつけ合いのように暴風が発生することはないが、一触即発であることは幽子にも分かった。光る砂はいつの間にか朱に染まり、池の水は血を満たしたように赤黒く変化し、松の木が身をよじるかのように揺れる。だがこのまま見過ごす訳にはいかない。恐怖が這い上がるのを感じた幽子は、半ば悲鳴のような声を上げた。


「大国主様、いけません! 武瑠君も心を鎮めて!」


「駄目だ! 幽子は下がれ!」


「やだ!」


武瑠の腕を引っ張るがびくともしない。武瑠は必死で自分を止めたがる幽子に驚いたが、彼女を騙す形で利用しようとした大国主命への怒りは収まらずさらに霊力を強める。大国主命と武瑠の霊力は拮抗していた。だが大国主命が全力を出し切っていないのは幽子も分かっている。実際に拮抗したのは一瞬だけで、武瑠は徐々に押され始めていた。武瑠の額には汗が浮かんでいる。それでも霊力の放出を続ける彼を見ていられなかった幽子はキッと大国主命を睨み、武瑠から手を離して二人の間に割り込んだ。


「よせ!」


「幽子!」


切迫した二人の声を浴びながら、幽子は自身が二人の間に飛び込む。自らの霊力を捩じ込み、二人の頭上に文字通り雷を落とす。心臓を避けるように磁界で誘導させたので、体が痺れる程度である。案の定彼らの霊力は引っ込んで、同時に膝をつく音を幽子は聞いた。武瑠が呻いたので威力はそこそこあるようだ。大国主命の膝をつかせたのは予想外だったが。


「ごめん、武瑠君。大国主様と話をさせて」


膝をついた武瑠の手を取って立ち上がるのを助けながら、静かに幽子は言う。当然武瑠は納得いかずに声を荒らげた。


「駄目だ! お前はもっと怒れ! 下手したらそのままお前の人格が戻らなかったかもしれないんだぞ! 分かってんのか!」


幽子も負けじと言い返す。


「私だって怒ってるわよ! 信用していた大国主様に裏切られたも同然なんだから! 一言どころか物申したいこともたくさんあるけどそれよりも伝えたいことがあるの! それに今回の主眼は大国主様に決闘を申し込むことだったのに二人で一触即発になってどうするつもりなの! せっかく私が決闘の権利をもぎ取ったのに邪魔する気?」


憤然とした幽子を見て武瑠は二の句を継げない。幽子は一呼吸おいてから続ける。


「お願い。大国主様と対話がしたいの。武瑠君は見守って欲しい」  


「だが幽子、一体何を……」


墨色に一瞬だけ閃光が走ったような気がしたが、すぐに元に戻る。そこには揺るぎなき決意が見て取れて武瑠ははっとした。


「必要なことなんだな?」


幽子は強く頷いた。


「変なことを言ったら即刻止めるぞ?」


一瞬きょとんとした幽子だったが、徐々に彼女は口元を綻ばせた。にっこりとして彼女は感謝の言葉を伝える。


「うん! 無断で魂に刻んだ件は不問にするわ。助けてくれてありがとう」


武瑠の眉がぴくりと動いたが、幽子はお構いなしである。既に立ち上がっていた大国主命を見据えて、静かな声で幽子は告げる。


「大国主様、お教え下さい。詳細を私に伝えなかったのは偏に帝、いいえ、天照大神の子孫が憎らしいからでしょうか」


是、と短く応える大国主命。荒れ狂う旋風がこちらに向かってきたので咄嗟に下降気流を展開して相殺したが、周りの砂が巻き上がり、池の水はざわざわと波をたてる。


「大国主様、本当にそう思っていらっしゃるのですか? それを実行したいと思っているのですか?」


「何を言う……!」


雷轟が目の前に出現するが、幽子が残した磁界のせいで直撃を免れる。それに構わず大国主命は幾度となく纏った雷を周囲に落とす。二人は目を閉じながら後ずさる羽目になった。幽子が設置した磁界も限界を迎えつつある。幽子は全神経を集中させて、磁界を保っているがどれだけ持つかは未知数だ。


「我は中つ国の大怨霊である! 恨まずして何が怨霊か! 我が苦労して平定した中つ国を彼奴は寄越せとのたまい、我の息子を死に追いやり幽閉し、我自身も幽界へ(とこしへ)に隠した挙げ句、それを後世に伝えず国譲りと美談に歪ませた! 口惜しい以外に言の葉は持たぬ!」


磁界が限界を迎えた。すぐさま新たな磁界を作っても瞬時に駄目になって電磁誘導が難しい。大国主命にもそれが見透かされたようで片っ端から設置した磁界を破られた。幽子との試合はただの児戯だってのではないかと思い知らされる程の巨大な霊力は、武瑠が張った結界のお陰で何とか防がれている状態だ。それも長くは持たないかもしれない。


「口惜しい口惜しい! 千年以上も待った巫女ですら守り人に邪魔立てされ届かぬ! 我が無念は汝らには分からぬよ!」


「いいえ、わかります。大国主様!」


幽子は叫ぶように言葉を大国主命にぶつける。彼の纏う雷が一瞬弱まった。言葉は彼に届いているようで幽子はゆっくりと大国主命に歩みながら言葉を紡ぐ。


「相手に力が及ばず自らの国が武力で奪われて悲しまない人はいません!」


「幽子、よせ! 行くな!」


彼女の霊力が遠ざかるのを感じた武瑠は、目を閉じたまま彼女の腕を掴もうとしてつんのめり、地面に手をついた。何もないところでつまずいたかに思われたが、自らの両足が根が生えたように動かないことに武瑠は気づく。


(何だと!)


いくら踏ん張っても両足が動かないのではどうしようもない。片足を手で地面から引き剥がそうとするが、その手の動きすら封じられ、じたばたすらできない。焦燥感に駆られている間も、幽子は武瑠から離れていった。


(そうか! 幽子……なんてことをしてくれた!)


幽子は直接触れないと電流を流せないと武瑠は思い込んでいた。だがそんなことは一言も本人の口からは聞いていないことに気づく。大方足の裏から武瑠の神経を拘束したに違いない。状況を理解した武瑠は、離れていく幽子の背中に自らの霊力を叩きつける。一瞬彼女の体が震えたが、それでも歩くのを阻止することはついにできなかった。

大国主命の周りには絶えず雷が発生しており、とてもではないが近づけるものではない。それにも関わらず、幽子は雷をかわしながら大国主命の前に立つ。


「たかだか十数年しか生きておらぬ汝に我の怨恨が! 無念が! 憤懣が分かる訳なかろう!」


幽子目掛けて雷が無数に落ちてきた。幽子はあえて避けずに真正面から雷鎚をその身に受ける。脳と心臓だけは当たらないように誘導したが、全身が一瞬引き攣り、その後に体が無理矢理引き裂かれたような痛みが襲って大国主命に縋り付く。引き裂かれた痛みが鎮まったと思えば、今度は全身を疼痛に犯され、思わず涙が出てずるずると大国主命の足元に崩折れた。体の内側から焼けるような痛みが幽子を苛む。焦げた肉の匂いもする。武瑠が何やら叫んでいるが上手く聞き取ることはできない。


「いいえ! 大国主様のお気持ちに触れるのはこれが最初ではありません! それを受けた私も悔しいですし悲しいです! 弱いというだけで武力で蹂躪され尽く奪われるのは理不尽です! ましてや血縁を奪われ、苦労して治めて慈しんできた国を奪われ、自らも抵抗の末殺されれば恨みも募りましょう。それに飽き足らず願ってもいないのに勝手に幽界に隠され、現世に出てこないよう『死』拍手や逆さまに()われた注連縄でもって幽界へ封じられ、さらに日本最高の高さを誇る宮殿に祀られたとなると、無念という二文字で片付けるにはあまりにも軽すぎます!」


幽子が雷撃で痛む喉を必死で動かして自らの思いを訴えていると次第に大国主命の纏う雷が弱まってきた。足元に転がる幽子はそれをぼんやりと眺めていたが武瑠の足音が近づき体が強張る。


(しまった)


痛みが酷く武瑠に流した電流にまで意識を向けられず強制的に解除になったことに気づいたが、地面に触れている箇所から武瑠の神経を拘束する気力は残されていなかった。


「このっ! 何しやがる!」


骨と骨のぶつかる音が幽子の耳に届く。ハッとして顔だけでも上げたかったがそれすらできないほど幽子の体の痛みは酷かった。ふわりと自分の体が浮いているのもどこか他人事のように思っていたが武瑠の顔が間近にあって幽子の意識は現実に引き戻される。


「幽子!」


幽子の顔にぬるい雫が落ちてきたと思ったら、頬に大きな手が添えられる。幽子は酷い有様だった。白衣からあちこち焼け焦げており、そこから覗く皮膚は赤くなっているのは可愛い方で所々皮膚が焦げていて焦げた匂いを発生させていたし、白衣から僅かに覗く胸元や手首も水ぶくれができていた。足は隠れて分かりづらいが恐らくは同じ状態になっていると思われる。武瑠はすぐさま幽子に治癒の術式を何重か施す。


「武瑠、君? 治して……くれてるの?」


焼かれた喉が調子を戻したらしく、細い声だが幽子が少しでも回復したのに武瑠はホッとする。


「喋るな。残りは術式が効くまで我慢してくれ」


何度も頬を撫でる手を幽子の小さな手がやんわりと添える。体表面は何やら引き攣ってはいるが動けないことはない。そう思って身じろぎしたが武瑠にどやされて治癒が効くのを待つ。


「武瑠君、あのね、大国主様にまだ話せてないことがあるの」


「駄目だ! あれだけの傷を負わされてまだ話すことがあるのか!」


耳元で怒鳴られたので幽子は顔を盛大に顰めたが、彼女のひそひそ声を聞くために、顔を近づけてくれる武瑠には嬉しい気持ちを込めて、彼に触れられている箇所から霊力を流す。


「でも変なことを言ったら即刻止めるって話だったじゃない」


言葉に詰まった武瑠は幽子を睨みつけるだけである。


「だがまた怪我をさせられたら……」


「そこは武瑠君が守って欲しい。ちょっと今は磁界を作れないの」


肩を竦める幽子に、武瑠は反論したい言葉が次々と口の中で消えていく。大国主命に近づく前の、あの意志の強い瞳が全く揺らいでいないのに気づいたからだ。こうなれば幽子は武瑠の言うことは聞かないだろう。苦々しげに幽子を見つめる武瑠は今日一番の大きなため息をついて項垂れる。


「じゃあ大国主様に言いたいことをここで話せ」


上半身の火傷は粗方治ったので上体を起こして耳打ちする。幽子はその間に、武瑠の膝の上に座っていると気づいて顔を赤くした。


「で、勝算はあるのか?」


「ええ、そこはばっちり」


幽子はそのまま立ち上がった。足が引き攣ってふらついたが何とか武瑠に支えてもらって大国主命がいるところまで歩く。


「ありがとう、武瑠君」


にっこり微笑む幽子を武瑠は複雑な思いで見ていたが、幽子の決めたことに従おうと誓った以上、割り切る必要があると思い直した。

頬の片方が真っ赤になって立っている大国主命の周りに雷はなかったので、幽子はホッとしたが彼の目は虚ろである。それに構わず幽子は大国主命に声を掛けた。


「大国主様、私と取引しませんか?」


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