夜色の中で
暗闇の中で目が覚める。辺りを見回し、いつもの夢だと一人ごちる。
あの白い灯りに近づいてみようか。道はこちらに続いているのかもしれないとなんとなくだがそう感じた。これで外れたとしても軌道修正の機会はあるだろう。
転ぶのが怖いので歩いて近づく。今回は白い灯りも逃げなかった。自分が灯りに近づいているのか、灯りがこちらに近づいてるのかは、自分の体もろくに見えないこの状態では判別のしようがなかった。
どのくらい歩いただろうか。真っ白な篝火が目の前にあった。暗闇の中でそこだけ浮いてるようにも見えなくもない。試しに近寄ってみたがその炎は熱くない。炎かどうか疑わしくなる。
(炎の色って温度で決まるって教科書に書いてあったわね……確か温度の高い順に、青、白、黄色、赤だったはず。上から二番目の筈なのに、どうして熱くないのかしら)
ひょっとしたら本で読んだ狐火は、こんな感じなのかなとぼんやり考えた。何となくその正体を確かめようと思わず幽子はそれに手を伸ばした。触れるか触れないかのうちに辺り一面が真っ白に包まれ、やがて全ての感覚が遠ざかる。
「はっ!」
上半身だけ起こして辺りを見回す。いつの間にか朝になっていた。どうやら目覚まし時計が鳴るより早く起きたらしい。あの夢を見るようになってからずっと早起きだ。時折寝不足で授業中に居眠りをしていて最近先生から態度が悪いと小言を言われていて、幽子は理不尽だと思った。夜ふかしだと勘違いもされていたりする。もっとも、早起きで寝不足だなんて主張しても信じてもらえなさそうだが。
「これからどうなっていくのかな……」
夢は確実に進んでいる。今後の展開が読めないことに一抹の不安がよぎる。今まで悪い夢を見ると大体良くないことが起こってたが、あの夢は吉と出るか凶と出るか見当もつかない。一気に内容が把握できたら苦労しないのにとありもしないことを考えて、幽子は借りてきた古事記を手に取って続きを読み始めた。
「どうしたの?そんな難しい顔して」
昼休みにお弁当を食べながら紫が話しかけてくる。そんなに分かりやすく顔に出てたのかと幽子はため息をついた。
「うーん、最近変な夢を見るんだよね。ひたすら真っ暗で坂道を滑り降りて灯りを見つけて」
「夢ってそんなもんじゃない?」
そうだといいんだけどね、と幽子がため息をついて言葉を続けた。
「ここ何日か同じ夢ばっかり見るのよ。しかも少しずつだけど進んでる」
「え」
紫が驚いて幽子を見る。連続して見る夢には何か意味があると聞いたことがあるからだ。
「え、ひょっとして何がまずい夢なのかな」
「まずいというか何というか…」
妙に歯切れが悪く、紫の顔色はあまりよろしくない。不吉なことを言われると勘付いた幽子だが、ひょっとしたら元気がないのかもしれないので紫の顔を覗き込んで声を小さくして尋ねる。
「ゆかりんどうしたの?具合悪いの?」
紫は明らかに狼狽していた。何か隠してると思ったがそれを聞くのが何だか怖い。
「ううん、大丈夫だから。幽子が気にすることじゃないよ。そんなことより古事記読んだ?」
あからさまに話題を逸らされた。幽子は訝しんだが追及しても教えてくれそうにないことを薄々感じたので深追いするのをやめた。
「まだ最初の方しか読んでないよ。神世七代のとこ」
まだかなり最初の方だと紫は思ったがそれは仕方のないことかもしれない。古事記は様々な長ったらしい名前の神様が数多く登場するので読み解くのも一苦労する書物だと紫は思う。
「そうなんだ。確か性別ない神様が三柱いて、さらにニ柱の神様が生まれて、だよね」
「うん。伊奘冉と伊弉諾が最初の神様だと思ってたからびっくりしたよ」
有名な神様が世界を創設したとは限らない。古事記を読むまで幽子はそのことに気づかなかった。
「確かに最初の神様って神話に出てこないもんね。しかも出てきただけでそれ以降はどっか行ったのか話すら書いてない」
打って変わって紫は楽しそうに話す。釈然としないものの、紫が楽しそうだからそれをぶち壊しにかかるのも何となく憚られる。
「ごちそうさま。もうすぐ昼休み終わるから席戻るね」
数学の教科担当は他の先生よりも人一倍時間に厳しいのだ。もたもたしていると大目玉である。
「うん。また後でね」
「古事記読み進めた方がいいよ」
最後の小さな呟きは幽子には届かなかった。
(また来たのね)
本を借りてから5日経った。夜色の中を駆けて坂を滑り、白い篝火を見つけた。今度は篝火が二つになっていて、それらはまるで目のようだ。左右に揺らめいて浮かんでいるその炎はまるで幽子を待っているかのように踊る。
転ぶことはないと分かっているので走って篝火へと向かう。段々と篝火が大きくなってきた。篝火の先に何かぼんやりと見える気がする。目を凝らしても不明瞭なそれは、近づくと傾斜のついた上り坂に見えてきた。
(いや、これは階段?)
立ち止まって目の前の階段を見る。階段は数メートル先には闇に飲み込まれており、どこに続いているのかは不明だ。
(え、これひょっとしてこれ登ったら落ちるとかじゃないよね?)
何も見通せない道を通るのはかなり勇気がいりそうだ。実際幽子は階段の一段目に足をかけたまま進むかどうか逡巡している。
(いいや、夢だし落ちたとしても何とかなる、はず?)
1分くらい悩んだ末に、ゆっくりと階段を登ることにした。自分の足音しかしない静かな場所では心臓の音がやけに大きい。恐る恐る視認できる最後の段に足を掛ける。そして目の前の夜色に向かって足を踏み出した。
(あれ?)
落ちることを覚悟していたが、しっかりと足は階段に乗っかっている。しかも左右に篝火がポンっと音と共に現れ、また数メートル先を照らした。このまま進めばいいらしい。篝火はまるで幽子を導いているようである。
(落ちないでよかった)
この篝火は案内用なのか。道なき道を延々と歩くか、そのまま落ちるかのどちらかだと考えていたが、どちらでも無かったことに心から安堵した。
「ありがと」
思わず声を掛けてしまった。返答はなく、自分の声は夜色に吸い込まれた。何か反応を期待していた訳ではなかったのだが。
(これ、どこまで続いてんの?)
もう何回篝火を見たか覚えていない。思わず振り返って下を見ると遥か下に最初の篝火が見える。数を数えると11回灯ったようだ。一体何階分登ったのだろう。既に息切れをしていた幽子はこれ以上登れるか心配になってきた。しかし今ここで引き返すわけにはいかない。笑いかけてるかもしれない足を叱咤し、ゆっくりと登って行く。夢の中なのに疲れるというのも変な話だ。しかも延々と階段の登り続ける夢なんて何かの拷問なのだろうか。帰宅部な幽子には分からなかった。
(あ、あれはもしかして)
さらに篝火が4回灯った時、大きな扉が目の前に現れた。やっと登らなくてすむ。そんな暢気なことを考えて扉をまじまじと観察した。まるで日本の城のような門はぴったりと閉じられ、開きそうにもない。
(なんだろ、これ。開けゴマ!とか言ったら開くのかな?)
試しに言ってみたが何の反応もない。当たり前と言えば当たり前であるが、幽子は肩を落とした。
(そりゃそうか。あれ日本の話じゃないもんね。ってあれ?)
扉を観察してみると、閂らしいものが見当たらない。もしかしたら閉じているが開かない訳ではないのかもしれない。幽子は扉をゆっくりと押してみた。手応えが重いがゆっくりと開いていく。全体重をかけて自分の体を押し込めるようにしたら中に入れるはずだ。人一人分の隙間ができたところで体を捻じ込み中に入った。
(えっ)
そこには見渡す限り大きな庭が広がっていた。