滲み出る霊力
誤字報告ありがとうございます
陽子と朋樹に寝る前の挨拶をして部屋に戻ろうとしたら、お風呂場から出た武瑠に出くわした。
「おい、九鬼」
「わあっ」
「驚くことないだろ。こら待て逃げるな」
そう言われて腕を掴まれた。駄目だ、武瑠と近くにいたら震え上がってしまう。声を掛けられても怖い。もう幽子には気質が嫌がるのか自分自身が嫌なのか判別がつかない。
「具合悪いのか? 震えてんぞ」
出来ればあまり彼には近づいて欲しくはなかった。せっかく風呂に入ったというのに鳥肌がたって仕方ない。
「え、えっと、そこは気にしないで。気質のせいだから」
「気質のことは仕方ないにしても声掛けただけでいちいち震えられても困るんだよこっちは。ほら、心当たりあるなら言ってみろ」
幽子の手を引いて幽子の部屋に足を踏み入れる。幽子をベットに座らせ、自身は床にどっかり座った。
「その、天野君は金行の気質が強くて霊力が周りにたくさんあって、威圧感がすごくて……」
「は? 俺そんなに霊力撒き散らしてる? お前の方が霊力は上だぞ」
武瑠はしょっちゅう幽子に霊力が上だと言い張っているが、それでも怖いものは怖いのだ。霊力の多寡は恐らく関係がないと思われるが、通常の霊力持ちなら彼の言うとおりなのかもしれなかった。
「えっと、たぶんだけど今日陽子さんに天野君が怒られてたよね?あの時と同じくらい霊力が出てる」
武瑠は目を見張った。相剋の関係だから少しの霊力でもきついのか。しかも幽子は霊力が高い故に影響を受けやすいのだろう。
自身が相剋の関係である姉を知っているのに、言われるまで気づかなかった。
「まじかよ……悪いな。お前を怖がらせるつもりはなかったんだよ……最初から」
武瑠は頭を掻いて下を向いた。まるで子供が先生に許しを乞うてるように見える。
(素直な人ね。彼の素はこちらか)
幽子にはしゅんとして項垂れているように感じた。
「あ……頑張って慣れるようにするから、その」
「駄目だ。それだと封印の強化ができん。あとそうやって自分さえ我慢したらどうにかなるとか考えるな!自分を大事にしやがれ」
食い気味で怒鳴った。ついつい語気が荒ぶってしまう。幽子は思わず下を向いてしまった。震えも大きくなり言葉も出てこない。やり過ぎたと反省したのか、武瑠がある程度霊力を引っ込めてくれた。それに伴い少しずつ震えがなくなっていく。
「少しの霊力でも反応するんだな。すまない。気づけなかった」
武瑠の口調が柔らかくなった。幽子はようやく武瑠と目線を合わせた。
「ううん、いいの」
武瑠が幽子の手を取る。幽子はぴくりと反応したが震えてはいない。
「これくらいの霊力なら問題ないな?」
「……」
「俺は鈍感だ。しっかり言ってくれないと分からない」
「……もう少し小さく、して欲しい、です」
「分かった」
幽子の頬に赤みが戻った。手は冷たいが自分が風呂上がりで体温が上がっていたことを忘れてる。おそらくは問題ないだろう。
「封印の補強を始めていいか?」
「はい、お願いします」
「楽にしてろ。すぐ終わる」
こくりと頷く。武瑠は幽子の手を両手で覆い、片膝をつき何やら唱える。
「汝の影奪うこと能わず」
胸に楔を打ち込まれたような心地がして空いている手で胸を押さえる。痛くはないが圧迫感が凄まじい。
「大丈夫か?」
顔が青くなっている幽子を見て、武瑠は声をかける。
「胸に圧迫感が……」
「少しだけ我慢してろ。汝の心奪うこと能わず」
幽子は歯を食いしばったが、うめき声は唇の端から漏れてしまった。
「汝の魂奪うこと能わず」
最後の呪文を唱えた直後、すうっと圧迫感が消えた。
「あれ、何もなくなった」
武瑠は手を離した。どうやらこれで封印の補強は終わったらしい。
「しばらくこれを毎日続けるぞ。この術は負担が大きいから少しずつ継続して行う必要がある」
「負担って、天野君に?」
「お前にだよ。俺も霊力消費するがお前の方が消耗激しいぞ」
「そうなのね……だから私は天野家に……」
「そういうことだ。九鬼家には木行の気質を抑える者がいないからな」
「しかも晩に行うものね。でも良かった。天野君には負担が少なくて」
武瑠はまたしても目を見張る。注意して見ないと分からなかったが、幽子の顔は小さく笑みを作っていた。
転校してから初めて幽子の笑顔を見た気がする。
「お前はお前の心配をしろ。そのまま立ってみ」
言われた通り幽子は立ち上がった……かのように見えた。実際は一瞬立っただけでバランスを崩し、ベットに倒れ込んだ。
「え、嘘。立てない」
呆然と呟く幽子。武瑠はその間にさっと立ち上がり幽子を見下ろしていた。
「言わんこっちゃない。俺は平気だから安心しろ。おやすみ」
相変わらずぶっきらぼうだ。しかしただのぶっきらぼうではない。突き放すような声音ではなかったのに少し安心した自分がいた。
「うん、おやすみ」
布団を幽子にかけて部屋を出ようとした。
「あ、あの!」
呼び止められた。振り返って幽子を見つめる。
「何だ」
「封印とか、布団とかありがとう」
何を言われると思ったらそんなことのために呼び止めたのか。武瑠は微笑んだ。
「礼はいらん。俺も修行中だしまだ未熟な点も多い。だが俺はお前の護衛だ。護衛として当たり前のことをしただけに過ぎん」
表情と声音が合っていない。幽子もつられて微笑んだ。
「そう……でも、ありがとう」
「……ゆっくり休めよ」
部屋の電気を消して武瑠は幽子の部屋を出た。
†††††
俺は人間関係に不自由はしなかった。
笑っていればいつの間にか人が集まってきたからだ。
でも心を通わせることは少ない。
人が周りにいるほど心が離れていく。
誰も俺を気にしない。
毎日違う顔の女子が話しかけてくる。
決まって皆少し俺が微笑んだだけで顔を赤く染める。顔なんていちいち覚えるのも飽きた。
つまらない、つまらない。
手伝いで出雲大社まで来た。
珍しく人手不足で俺に指名が来た。
妙だと感じたが、理由を聞かされて納得が行く。
早過ぎるとは思ったが、それは承知の上らしい。
目を合わせても照れない奴が八足門にいた。
照れるどころか怯えていた。
初めて違う反応をされて少し興味がわいた。
初めてその少女をまじまじと見る。
肩口までの長さの艶々した黒髪。確かボブとか言ったか。そんな髪型をしている。
墨色の瞳は吸い込まれるようだ。今は怯え一色だが、それでも美しいに違いなかった。
薄い唇は血の気が少ないようで色が少々悪い。ひょっとしたら単に具合が悪いだけかもしれないが。
ちょっと悪戯をしてみよう。怖がらせてみよう。悪戯心が鎌首をもたげた。
俺に殺されるか、監禁されるかどちらが好みだ?
すると少女の霊力が一気に周りに拡散した。
これが噂に聞く浅葱の巫女か。
俺よりも高い霊力がまとわりついてきた。
このままでは少女が危ない。
手を掴むと震えていた。
そんな顔をさせたくはなかったのに。
俺は霊力を集中させ、意識と霊力を斬った。
斬るというよりは根絶させたと言う方が正しいかもしれない。
少女は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
思わず支えた。顔が青白い。あれだけ霊力を出せばそりゃ体力も消耗する。
厄介な相手だ。
それでも何事もなくて本当に良かったと思う。
送り届けなければ。
少しくらい抜け出しても咎められはしないだろう。第一この状態を放置する訳にはいかなかった。
社務所でお守りを見ている少女の連れを見つけた。笑顔で声をかけると警戒して睨んできた。
この少女も担いでいる少女と同じだ。皆と違う反応をしている。
もっとも、彼女の場合は俺の霊力に警戒しているのだろう。彼女自身からも霊力を感じるので同じ霊力持ちだ。気質は水行か。
担いでいる少女と相性が良いと分かり、俺は安堵した。バスまで担ぎ、座席に下ろして下車する。
運命は回り出した。俺が彼女を最初に見つけた時から。彼女を止められるのは俺しかいない。俺は天野家次期当主で、金行を司りし者。彼女の憂いは何としてでも祓おう。
それが俺の生きる道だ。
†††††