マッチョの糸
マッチョの糸
一
マッチョのことでございます。
お釈迦さまは極楽のはす池のふちを、ひとりでシャカシャカ競歩なさっておりました。
プロテイン池の中に咲いている【上腕二頭筋】は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある黄金のチャンピオンベルトからは、なんともいえない汗のにおいが、たえまなくあたりへあふれております。
極楽はちょうど朝なのでございましょう。
やがてお釈迦さまは池の水面で腕立て伏せをおはじめになって、ふと眼下の様子をごらんになりました。
極楽
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三途の川
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↓
↓
針の山
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血の池
◯地獄の底・血の池地獄
マッチョがたくさん
「あー、うー、あー、うあー」ちゃぷちゃぷん
大泥棒カンダタ
パンツマスクの筋肉モリモリマッチョマンが、鉄の斧を片手に、無表情で流れている。
変態なれど、筋肉ダルマ。存在感がほとばしる。
急にざぶん、と、上陸してダッシュ!
ウワハハハー、巨大ふとももブンブンブン!
◯極楽・はす池
「なんなんだ、あのマッチョはッ!」
お目にとまりました。
「カンダタ、放火、火事場泥棒、ストーカー
証拠隠滅の殺人、王家の財宝、暗殺未遂
闇オークション……クズ野郎じゃないかッ!」
釈迦の右眼は、人生を見通すのでございます。
「だがッ、しかしッ、筋肉はあるッ!
筋トレは毎日欠かさずやっているなッ!
えらいッ! えらいぞナイス追い込みッ!」
蜘蛛を助けたこともありますがそんな事より筋肉でございます。
「おもしろいッ、あのカンダタに、糸をやろう。
ミオシンとアクチンを束ねて……
【筋繊維】だッ! フハハハハハー」
赤くて丈夫な糸ッ!
蜘蛛の糸よりぶっといぞッ!
つ
つ
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ニ
こちらは地獄の血の池で、ほかの罪人たちと一緒に、水面を走ったりスクワットをしているカンダタでございます。
なにしろどちらを見ても、マッチョで、たまにその暗闇からぼんやり浮き上がっているものがあると思いますと、それはおそろしい針の山のような、【背筋】ッ!
【鬼の背筋】【鬼の背筋】【鬼の背筋】!
背中に地獄が宿っているッ!
はーっはっはっは!
赤鬼
「はーっはっはっは、オラァ」ドゴォ
「ぎゃー」「うわー」「やられたー」
池へ、ぼちゃん
……
ある時のことでございます。カンダタが背泳ぎの練習をしておりますと、その熱苦しい闇の中を、遠い遠い天上から、紅蓮の【筋繊維】が、雑に、人目を気にせず垂れてまいるのではございませんか。
「んん?……やったぁ!」
きっと地獄からぬけだせるッ!
それどころか、天国へ行けるかもッ!
バッタのように跳ねまして、しがみつき、一生懸命【筋繊維】をたぐり寄せるのでございます。
しかし地獄と極楽の距離は遠く、およそ、
337560km、フルマラソン8000回分でございますから、いくらあせってみたところで、容易に上へは出られません。
そのうちわずか10kmで、腕に乳酸がたまりにたまり、もうひとたぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。
「ぜえ。ぜえ。ぜえ。こりゃ、たまらんッ」
指の筋肉で糸にぶら下がりながら、はるかに目の下を見下ろすと……
血の池も、針の山も、ちっちゃな点!
プロテインの粉末よりも細かくなったッ!
何も知らないカンダタは、
「しめた、しめた、そうとう上まで登ったな。
地獄から抜けるのも、思ったよりも簡単そうだ
筋肉があれば何でも、んん、んんんんん〜?」
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カンダタ
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亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
亡者
「うええええぇぇぇ、なんっじゃこりゃぁ!」
なんということでしょう。
数かぎりのない亡者の群れが、カンダタを追いかけて、まるでアリの行列のように、上へ上へと猛スピードで登ってくるではございませんか
「あわ、あわわ、あうあうあ」
と、口ぱくぱく、目をぐるぐる、正気に戻って考えます。
亡者はざっと、4000人、バーベル2000個以上の重量です。
いくら頑強な【筋繊維】といえど、さすがに限度があるでしょう。
もし万一、途中で切れたといたしましたら、せっかく登ったこの、肝心な、自分自身まで、地獄へ逆落としに落ちてしまわなければなりません。
亡者たち、どんどん登り、
カンダタ、不安がつのる。
亡者たち、ガンガン登り、
カンダタ、冷静さを欠く。
亡者たち、そこまで迫り、
カンダタ、とうとう大きな声を出して、
「こら、罪人ども。この【筋繊維】はおれのものだぞ。おまえたちはいったい誰にきいて、のぼってきた。おりろ、おりろ。」
その途端でございます。
今までなんともなかった【筋繊維】が急にぷつり……なんてことはありません筋繊維は強靭でしたが代わりに、カンダタの手が、
つるり
手が滑ったァァァァァ!
落下ッ!
先頭を行く亡者に、ケツアタック!
ドカ
ドカ
ドカ
ドカ
ドカ
ドカ
ドカ
ドカ くるくる
ドカァァァァァァン くるん
ひゅ
ん
ドカンとはねて、高速回転ローリング!
そのまま地獄へローリング。
血の池へ、ドボン。
三
お釈迦さまは、かなしそうなお顔をなさり、おキレになって、
「あああー、どうしてそこで手が滑るんだよ
メンタルかッ、メンタルによって筋肉に
迷いが生じたのだなッ、やはり脳は筋肉ッ」
と、ゲシゲシお歩きになりはじめました。
カンダタの未熟な心が、その心相当の筋力低下を招き、もとの地獄へ落ちてしまったのが、お釈迦さまのお目からすると、あさましくおぼしめされたのでございましょう。
しかし極楽のプロテイン池の【上腕二頭筋】は、すこしもそんなことには頓着いたしません。
その玉のような白い【上腕二頭筋】は、お釈迦さまのおみ足のまわりで、ブゥゥゥゥゥゥンとダンベルを動かして、そのまん中にある黄金のチャンピオンベルトからは、なんともいえない空腹の音が、たえまなくあたりへあふれております。
極楽ももうひるになったのでございましょう。