4−30 墳墓が墳墓していない
どうやら第三階層はあのイリシルというドラゴンがいる部屋しかなかったようで、エストたちはすぐに第四階層へ続く階段を見つけることができた。
「大丈夫、ですかね⋯⋯」
エストたちは第三階層にレイを置いてきている。彼は今、イリシルという古竜と戦っているはずだ。
古竜の実力は、ピンでも侮れないほど。キリともなれば、事前に入念な準備をしなければ、魔女でも厳しい相手である。レイは現在、魔女に匹敵する実力者ではあるものの、その力を全て使いこなせているかと聞かれれば答えはノー。いくら最大出力が高くとも、それを発揮できるだけの技術がないのだ。車で言うなら、マシンにホイルスピンをさせているような状況である。しかし、
「今は信じるしかない。勝てるのは、彼だけだから」
ユナの呟きに、エストは自信満々──にはできなかったが、信用と信頼を持って答える。ユナは「ですね」とだけ言った。
空気がとても重い。仲間を残してきたことがいつまでの心の中に留まるのだ。大丈夫とは断言できない。だがしかし、助けることもできないどころか、それはむしろ邪魔となる。レイの手助けをできないというもどかしさは絶えず三人の心を蝕み、自分たちの無力さを噛み締めさせられる。
「それにしても」
そんな空気を払拭しようと、エストは唐突に話題を出す。
『始祖の魔女の墳墓』、第四階層は、おそらくイザベリアの体が安置されている階層であるだろう。普通なら、墓場に相応しく、おどろおどろしい雰囲気を保っている必要がある。だが、この階層の印象は、エストたちの想像とはまるで違った。百八十度真逆であったのだ。
「ここは、まるで、人が住んでいるかのようだね」
上層の構造とは異なり、この階層は明らかに異質。壁や床などに使われている石材は、人の家に使われているようなものと同等だ。さながら王城のような設計。地下深くに作るにはあまりにも巨大かつ手間暇がかりそうだ。
ご丁寧に赤色のカーペットまで敷かれており、廊下は魔法の光によって照らされている。それも永続的にだ。第一階層で見た、あの魔法陣が組み込まれているのだろう。
劣化が一切進んでいないこと。そして埃などもあまりなく、定期的に人の手が及んでいることがわかる。
エストたちが通っている廊下は長いが、無限というわけでもなさそうだ。突き当りが見える。
「第四階層は居住区⋯⋯ってことかな」
人の生活感が溢れている。墳墓と聞いて入ったら、ダンジョンにも匹敵する危険度と、無限に広がる異常空間であったことより、ある意味驚かされた。そして、このいかにも人が住んでそうな場所だと言うのに、肝心の人の姿が見えない。そしてその人の代わりに、
「この化物共が住んでいるってか」
横に逸れた通路から、一体の化物が現れる。
真っ黒な半透明の体。目や耳といった感覚器官がまるでない真ん丸なボディは非生物的だ。ドロドロとしているわけでもない体はプヨっとしていて、体の色が異なればマスコットにでもなれたかのような愛くるしさを手に入れられただろう。
しかし、その化物からは到底無視できないような敵意と、威圧を感じる。
「混沌粘性体⋯⋯大昔に絶滅したはずの種族と、私の記憶の中にはあるんだけどね」
モンスターの記述というものは、いつの時代でも存在する。モンスターは危険であるから、その危険性と対処法を後世に伝えるためだ。
『欲望』のために、愛読家でもあるエストは、勿論そのようなモンスター関連の知識もかなり深い。知らないモンスターは未発見種と、文献にさえない希少種くらいだろう。
「スライムか。⋯⋯ボクの知ってるスライムは、最弱モンスターの代名詞的存在のはずなんだがな。それとも神話からの登場か?」
元の世界で有名なRPGは、世間にスライム=雑魚モンスターという印象を付けた。
しかし、考えてみれば、不定形生命体が雑魚であるはずがないのだ。とあるTRPGのスライム系神話生物も、遭遇すればまず勝てないくらい強かった。
ナオトは『テケリ・リ』という幻聴を思い出すが、目の前の化物はそんな独特な鳴き声は発さなかった。
「戦って勝てないわけではありませんが⋯⋯強敵、ですね」
この世界におけるスライムは、基本的にモンスターの中でも上位の存在だ。
当たり前といえば当たり前だ。物理攻撃に対しての高い防御性能。魔法攻撃にもそれなりに耐性があり、かつ伸縮自在な粘性の体。一度取り込まれれば脱出困難である。
唯一の救いは知性のなさだが、スライムの中でも上位になれば知性も目覚め、体の特徴を使って擬態することも可能。攻撃性能も低くないので、これらしい弱点がない。
「侵入者。侵入者」
カオス・スライムは言葉を発した。中性的で、抑揚がなく、機械的な声だったし、単語の羅列ではあるが、それには確かな自我が感じられる。
「排除対象二名。白髪対象外。排除対象二名。白髪対象外」
白髪とは、エストのことだろう。
「⋯⋯私は、対象外?」
なぜなのかは分からないが、目の前のスライムには確かな目的、もしくは命令があり、エストを殺すことはできないようだ。しかし、ナオトとユナは違う。
「──っ!」
ナオトは短剣を取り出し、スライムを襲う。
戦技によって火を纏った短剣は、スライムに効果的な一撃を与えるだろう。
スライムは自身の体を伸ばし、触手のようなものを作り出した。それでナオトの心臓を抉ろうとするが、彼は見切ってそれを避けて、スライムを斬り裂く。
体が燃えて、裂かれても、スライムは悲鳴を上げなかった。それどころか死ぬことさえなく、反撃を繰り出す──が、その前に、
「〈凍結〉、〈重力操作〉」
エストは魔法を唱えると、スライムの体が凍って、続く重力魔法でその凍った体を砕いたことで、真っ黒なかき氷のようなものの出来上がり。全く美味しくなさそうだ。
「スライムは凍らせて、細かく砕くのが一番手っ取り早い。キミたちには手強い相手だよ。だから、全部私に任せて」
「⋯⋯全部任せるには、ちょっと荷が重いかもしれない」
ナオトは呆れたような声で、そう言った。
「何かあったんですか?」
「ああ。⋯⋯奴ら、尋常じゃないくらい多い」
なぜ、先程スライムは声を発したのだろうか。機械でもなければ、声を発することは無駄であるはずなのだ。
「え? でも、さっき〈敵知覚〉には反応がないって」
「〈敵知覚〉はあくまで、ボクたちに敵対意識を持つ者を知覚する戦技だ。大抵のモンスターは常に人間に敵対意識を持ってるから、普段はそこまで問題ないけど⋯⋯」
そう、スライムのあの発声には、意味があった。排除対象──侵入者を見つけたということを、味方のスライムに伝える目的があったのだ。
「奴らはボクたちに今、ようやく敵対した。そしてその位置も伝わっているはずだ」
──大量の真っ黒いスライムが、エストたちの逃走経路を封鎖するように現れた。
「厄介極まりない⋯⋯ね」
凍結の魔法は対単体魔法だ。勿論この数全てを凍らせようものなら魔力は大量に消費する。広範囲の氷属性魔法も、この閉鎖空間で行使しようものならナオトとユナも氷像になってしまうだろう。
数的有利。立地的有利。それら二つが、スライムに取られた。
「⋯⋯ユナ、ナオト、私の転移魔法で、逃げてくれる?」
このまま普通に戦えば、死ぬことはないにせよ、消耗が厳しいだろう。得策には、ナオトとユナの二人は邪魔になる。
「⋯⋯分かった」
それを理解できないほど、二人は馬鹿ではない。
「エストさん、頑張ってくださいね」
「うん。宿屋に飛ばすよ」
二人の足元に白色の魔法陣が展開されると、次の瞬間、二人の姿がその場から消える。
カオス・スライムたちは排除対象の消失を確認すると、敵対意思が無くなった。
「⋯⋯ねえ、キミたち、会話できる?」
「ハッ、可能デアリマス」
一体のカオス・スライムが、エストと会話できると示してきた。触手のようなものを手に例えて、スライムはエストに敬礼する仕草を見せる。
「そう。なら、聞きたいことがあるの。⋯⋯始祖の魔女、イザベリアはどこに居るの?」
エストには、どういうわけか『下の階層に行かなければならない』という脅迫じみた記憶があった。
魔女の力を取り戻すためにも、イザベリアとは話しておきたいところだ。
「魔女様ハ、コノ墳墓内デアレバ、ドコニデモ居マスガ、ドコニモイマセン」
しかし、スライムは、エストの予想の斜め上の回答をした。困惑した表情を彼女は浮かべ、それがどういう意味であるかをスライムに聞き返す。
「魔女様ハ精神体デス。ソシテ、コノ墳墓内デアレバドコニデモ実体化デキマスガ、我々カラ呼ブコトハデキマセン。故ニ、魔女様ハドコニデモ居マスガ、ドコニモイマセン」
イザベリアに出会うには、彼女が実体化したときに、幸運にもその場に居合わせる必要があるということなのだろうか。だとしたら、この『下の階層に行かなければならない』という脅迫概念はなんなのだろうか。そう疑問に思った瞬間、スライムは自身の発言に付け加える。
「シカシ、魔女様ノ体ニ直接触レレバ、確実ニアナタト魔女様ハ出会ウコトニナルデショウ」
「イザベリアの⋯⋯体? でもさっき、イザベリアは精神体だって」
「ハイ。魔女様ハ精神体デス。シカシ、魔女様ニハ体モアリマス。理由ハ知ラサレテイマセンガ、魔女様ノ体ハ現在、『封魔核』ニアリマス」
「『封魔核』⋯⋯。それはどこにあるの?」
『封魔核』とは、魔力を有する者──つまりあらゆる生命体を封じることができる核である。『封魔核』に封じると、その対象は永遠に老いることもなければ朽ちることもなくなるが、その間、意識は覚醒しなくなる。
おそらく、イザベリアは封魔核に体だけ預け、どういう原理かは全くもって理解できないが、意識だけ外部に飛ばしているのだろう。実体化というのも、その意識──つまり魂の入れ物を作り出すことである。
エストはスライムから『封魔核』がある部屋の場所を聞いた。これで、ようやっとイザベリアと対面できるようになった。
「⋯⋯あと二つ。私を排除対象としなかったのはどうして? それで、私はさっきキミたちの仲間を殺したけど、それについてはどう思ってるの?」
「前者ハ、ソレガ魔女様ノ命ダカラデス。後者ハ、ソンナニ気ニシテオリマセン。アナタノ仲間ヲ殺ソウトシタノデスカラ、殺サレテモ何ラ可笑シクナイ、トイウワケデス」
殺すつもりなら、殺される覚悟もあるということなのだろう。
スライム同士にはそれほど仲間意識というものがないようで、殺される方が悪いとでも言いたげだった。
「そう。ならいいよ」
エストは、それだけ言ってスライムと別れた。
◆◆◆
──彼女の記憶に触れたとき、イザベリアは少し驚いた。
「何て言うか、本当、運命ってあるのね」
真っ暗闇。そこには何もなかった。なぜならば、そこはイザベリアの精神の底であったから。思えば何でもそこに描くことはできるが、彼女にはこの虚無が一番過ごしやすかった。
エストのことが、まさかこうもイザベリアの未来に干渉するとは思わなかった。既にイザベリアの心はエストのことで一杯だったが、あの記憶で、彼女の心という盃は溢れてしまった。
「⋯⋯でも、形は最悪ね」
しかし、その記憶は運命を感じさせると同時に、絶望させることでもあった。
「まあ、最初から私には関係ないんだけど。意味なんて、ない。だって──」
その時、虚無だったイザベリアの精神内部に、色が付く。
青い空と、一面の花畑。そしてそれらを煌々と照らす太陽。全て、本物に限りなく近い偽物。イザベリアが作り出した幻像。しかし、彼女自身は精神体であり、まるで本物のようにそれらを触れ、感じられる。
「エストちゃん、あなたが、いるから」
なぜ、エストのことが、こんなにも、どうしようもなく、好きだと、欲しいと、手に入れたいと思うのかは、イザベリア自身も分からない。けれど、その気持ちは、その『欲望』は本物で、そこに嘘偽りなんて微塵もない。
支配欲。独占欲。所有欲。彼女の体が、彼女の心が、彼女の全てが欲しい、手にしたい、奪いたい、貰いたい。
「もう少しで直接会える。もう少しであなたに触れられる。もう少しであなたを知れる」
イザベリアはエストの記憶全てを視た。だから、彼女の六百十六年間を知っていて、覚えている。でも、それだけではイザベリアの愛は満たされない。
体に触れて、体温を感じて、瞳を見て。夢の中でも、自分の幻像でもない、本物の、白髪の少女と出会うことで、彼女の愛は、純愛は、性愛は、親愛は満たされる。
「愛おしい。早く会いたいよ、エストちゃん」
彼女はその華奢で真っ白な、十四歳の小さな体を、黒一色の服、喪服で包んでいる。もう少しで地面に付きそうなくらい長い黒髪に、真っ赤なルビーのような瞳には生気が感じられない。
可憐な少女、イザベリアは、エストに恋していた。
──始祖の魔女は、自身の『欲望』に盲目だった。