4−24 未知の魔法
──私はあなたが大好きだから、特別扱いしたいの。
仕立ての良い喪服を着た彼女の、ルビーのように真っ赤で綺麗な瞳には光がなかったが、それは先程までだった。あの少女とようやく、夢の中でとはいえ会えたこともあり、彼女の目標への第一歩が踏み出されたからである。
「ああ⋯⋯」
愛してる、あなたを。
髪も、瞳も、耳も、口も、手も、足も、外見も、性格も、その才能も、何もかも。
だから、だからこそ、そのために、それゆえに、
「あなたが」
彼女は白髪の少女の姿を思い浮かべる。笑顔も泣き顔も怒った顔も、どれも、どんな表情も、とても愛らしい。少女のあらゆる動作一つ一つが、愛おしい。
彼女の心には、彼女の想いには、六百五年前からずっと、たった一人の少女だけが映っている。
「──欲しい」
雪のように綺麗な髪を触りたい。
灰色に、宝石のように輝く瞳を見つめていたい。
色素が抜けた耳を甘噛みして、その感触を味わいたい。
真っ赤で健康的で、柔らかで魅惑的な唇を奪いたい。
繊細な指先の、滑らかでザラつきのない手の甲にキスをしたい。
引き締まっていて細く、美麗で柔らかな足を撫でたい。
あなたの全身を、隅から隅まで、じっくりと堪能したい。
それこそが──始祖の欲望。
「初めてあなたと出会ってから、ずっとワタシはあなたの全てを手にしたかった。⋯⋯ワタシはあなたの全てが」
狂わしいほどの純愛。無垢な性愛。束縛的な慈愛。
「──大好きだよ」
◆◆◆
「⋯⋯っ」
勢い良く起きたことで、彼女の長い白髪は酷く乱れた。両目が自身の髪で隠れたが、彼女はそれさえも気にできるほどの余裕がなかった。
「⋯⋯何か、あった⋯⋯」
夢を見ていた気がする。そしてそこで忘れてはいけないことを体験したはずだ。なのに、その殆どを忘れてしまっている。
「⋯⋯下に、行かなくちゃ」
『始祖の魔女の墳墓』の下層に行かなくてはならない。なぜなのか、どうしてなのかは全くもって忘れているのだが、それだけは覚えている。そんな強迫観念だけは、彼女の記憶に残っている。
「エスト様? 何か悪夢でも見ましたか?」
酷く冷や汗を流して、表情もおよそ普通ではないくらい怯えているエストの姿を見て、一人起きて夜警をしていたレイは心配そうに彼女に話しかけた。
早朝の冷たさがエストを落ち着かせたのは、それから数分後のことだった。
「落ち着かれましたか?」
「⋯⋯うん。心配させたかな⋯⋯ごめんね」
「いえ。エスト様が謝ることなんてありません」
眠気は実体の知れない悪夢のおかけで覚めて、体力も回復している。
そろそろこの墳墓内を探索する頃だろう。
「ふぁ⋯⋯」
ナオトとユナも目覚める。
ダメージとなるし必要もあまりないレイ以外の三人は、浄化魔法で体を清潔に保ち、軽く朝食を取る。
朝食は乾燥させたパンだ。保存食としてはうってつけであるが、味はそれほど良くない。けれどここ最近マトモな食べ物を食べていない体にはこれがどうして、中々悪くないものだ。
支度を終え、そして寝泊まりしていた大広間に、地下に続く階段を見つける。
「行こう」
先頭は索敵能力に優れるナオトで、後にエスト、ユナ、殿にレイという隊列で進む。
光の魔法の照度は松明より少し大きい程度。20m先くらいが、普通の人間が目視できる限界の距離だろうか。
「⋯⋯広い空間に出るな」
五分ほどゆっくりと階段を降りていると、やがて上層の大広間よりもさらに広い場所に出る。
やはりというか、当たり前というか、内部は真っ暗で時間感覚が狂いそうだし、換気口もなさそうだ。地下がどれくらい深いかは分からないが、場合によっては酸素が薄くて呼吸さえ苦しくなりそうである。
「──モンスター!」
ユナは光の魔法で照らされていない範囲にモンスターを発見する。
八つある赤い目が暗闇で光っており、胴体は前後二部からなっていて、そこから八つの脚が伸びている。そしてその八つの脚のうち、前腕にあたるものは刃物のような形状をしており、下手な鋼の剣よりも斬れ味は鋭い。全身は暗い紫色で、この暗闇に上手く溶け込んでいて、光源や、人間以上の視力がなければ見つけることは非常に難しかっただろう。
全長はおよそ1mほどであるということを除けば、その姿はまさに蜘蛛であった。
「〈火球〉」
低階級とは言え行使者が行使者。そして基本的に有機物に最も効果的ということもあり、蜘蛛のモンスターはエストの炎魔法で簡単に焼き殺された。
表面が高熱によって溶けて、内臓が沸騰する──というプロセスは一瞬で完了し、すぐさま蜘蛛は蜘蛛だった灰へと変貌すると、それは綺麗さっぱり消え去った。
召喚された存在は、死亡するとこの世界から消え去るという。
「殺人蜘蛛だっけ」
蜘蛛なんて似たような外見の種類が多く、パット見ただけでは判別が難しいのだが、あれだけの巨体で、紫色の体、更に前腕が刃物のようなものだとするならば、殺人蜘蛛であると断言しても良い。
「キラースパイダー⋯⋯また英語か」
この世界にはどういうわけか、英語という言語が浸透している。魔法の名前も、一部のモンスターの名前も、英語で呼ばれているのだ。
「そうだね。こいつらは召喚魔法によってしか生まれない存在。魔法言語がエイゴとやらであったことも踏まえると⋯⋯まあ、そうなんだろうね」
英語表記のモンスターは全部魔法に関係しているのだろう。そして多くの英語表記のモンスターは、ファンタジー作品によく登場している存在である。
それとも、魔法言語を英語にした存在が生み出したからなのか、あるいは魔法言語を由来として現地人が名付けたか。それらは定かではないし、答えは現状では確定できないだろう。
「⋯⋯召喚魔法でのみ生み出されるモンスター、ということはこのどこかに魔法陣があるはずですよね」
魔法陣を物理的な方法で描くと、その魔法陣は例外を除き何度でも行使できる。詠唱が必要で、魔力も必要だが、術者の行使能力は問われない。消費魔力さえ何とかなれば、誰でも魔法が使えるようになるのだ。
しかし魔法陣を描くには相当な時間と労力が必要となる。魔法行使時に展開される魔法陣を、そっくりそのまま、一ミリの誤差もなく、形も配置も大きさも長さも何もかも全く同じに描かなければ、効果は発揮されないのだ。
「描かれた魔法陣は、魔力がないと発動しないはず⋯⋯なのに」
そう、召喚魔法は魔力を供給するものがなければ発動しない。魔力石を近くに置いていても発動するが、直に魔力石の魔力は尽きてしまうだろう。
定期的に魔力石を配置しているとは、この『死者の大地』において考えられない。
「何らかの方法を用いて、墳墓内に生者が侵入したことを感知し、そのときに限り魔法陣に魔力が供給されるシステムがある、とか?」
魔法についてはよく知らないながらも、ナオトは推測を立てる。
「そんなシステムは作れると思うけど、感知魔法の維持魔力はどうするの、ってことになるね」
「それもそうだな⋯⋯」
何をするにしてもエネルギーは必要だ。そのエネルギー問題を解決しなくては、このような召喚魔法の維持なんてできるはずがない。
「⋯⋯待ってください。召喚魔法に魔力を供給し続ければ、あのようなモンスターはいくらでも召喚できるってことですよね?」
「うん。⋯⋯ああ、召喚されたモンスターは魔力を有しているけど、その魔力は召喚時のコストの一部程度だから、何度でも召喚できるわけではないよ」
召喚モンスターを魔力に還元し、それでまた召喚魔法が発動するのではないか、と考えたのだろう。それができれば、寿命や何らかの原因でモンスターが死亡しても、再度新しいモンスターを召喚できる。
しかしそんな上手い話はなかった。召喚には、召喚モンスターの保有魔力以上の魔力を必要とするのだ。
「⋯⋯見てしまった方が早いでしょう。何より⋯⋯何か、それを調べなければならないような気がします」
魔法のエキスパートでさえ、全く分からない原理。これまでの魔法常識では語れないシステム。
「そうだね。それが一番早くて、確実だ」
◆◆◆
今現在いる階層を第一階層、そしておそらくあるだろう下の階層を第二階層と言うふうに呼ぶことにした。
第一階層は高さ4mほどの大空間であり、面積は不明。ただ非常に広いということしか判明していない。
「おかしいでしょ、これ⋯⋯」
柱は一本もないというのに、とんでもなく広い空間は崩壊していない。更にはこの階層の端から見えず、無限に広がっているような気さえする。
声を張っても、帰ってくることはなく、先の暗闇に消えていった。
「⋯⋯異常空間だ」
『始祖の魔女の墳墓』という名前から、魔法的な異常を予想すべきだった。
ここじゃ法則は法則ではない。何が起こってもおかしくないということを留意しておくべきだろう。
何か不味い。それだけを感じる。根拠も、何もない。ただ不安だけが心に残る。
けれど、思う。
「下に、行かなくちゃならない⋯⋯行かなくちゃ⋯⋯行かないと⋯⋯」
エストの深層心理に刻まれた強迫的な行動意識。
抗えない。しなければならない。するべきだ。
「エストさん、大丈夫ですか?」
何やら独り言をブツブツ言っているエストを、ユナは心配する。
「⋯⋯大丈夫。大丈夫さ。⋯⋯大丈夫なはずだよ」
自我はあるのに、洗脳をされているようだ。
「レイ、私、洗脳されてたりしてないかな⋯⋯?」
「──いえ、全くそんなことはありません」
レイは世界最高峰の魔法使いだ。洗脳魔法がかけられているかなんて、簡単に判断できる。
であれば、この衝動はエスト自身の想いであるということ。洗脳なんかではないのだろう。
「⋯⋯あれじゃないですか?」
道中、あの蜘蛛のモンスターと接敵する頻度が高くなるように動き回っていると、目の良いユナは先に件の魔法陣らしきものを発見する。
魔法陣は予想通り黄色のもので、魔法陣のほぼ全てを覚えているエストは、それが〈中位蜘蛛召喚〉であると確信した。
魔法陣は非常に精密な芸術品と言って良い。そう精密だからこそ、小さな綻びで簡単に価値を失う。
「これでもうこの魔法陣は使えなくなったね」
エストは少し魔法陣を傷つけると、黄色に光っていた魔法陣は光を失い、その効力は無効化された。
「でもまあ⋯⋯これだけじゃないだろうね」
エストたちがこれまで殺害したモンスターは、凡そ一つの魔法陣から召喚できるような数ではなかった。
召喚魔法も万能ではない。これは一度に召喚できるモンスターの数は一体だけであり、またクールタイムが設けられているのだ。
「⋯⋯それで、エスト、レイ、何か分かったか?」
魔法陣の起動魔力源は何か。ナオトとユナには一切分からなかった。だったら魔法に精通しているエストとレイならどうか。
「⋯⋯全く分からないね」「分かりません」
どうやら魔法使いである二人でさえ、起動魔力源が不明であるらしい。
「──でも、一つ、気になる点⋯⋯普通の魔法とは異なる点が、この魔法陣にはあるね」
エストは、彼女が知る全ての魔法の魔法陣を完璧に覚えているのだ、精密で、複雑なものを。そのため魔法陣を描くこと、また、その魔法陣の判別が容易である。
「この魔法陣は〈中位蜘蛛召喚〉に似ている⋯⋯いや、それそのものなんだろうね。でも、そこに全く別の魔法陣が組み込まれているんだよ」
「全く別の魔法陣?」
「そう。それも、私が知らない魔法陣よ」
エストが知らない魔法陣。これだけで、もう既に異常事態である。彼女はこの世界に存在する魔法全てのうち、殆どを覚えている。覚えていない魔法なんて、独自魔法くらいだと言っても過言ではない。
しかしそれ以上に異常なのは、
「──全く別の魔法陣が組み込まれている、なんて、そんなことが、まさか⋯⋯」
レイは、エストの発言を信じられないとでも言いたげだった。あの、エストが関係するとポンコツ化するレイが、だ。主の言うことやることほぼ全てに盲目的に肯定する彼が、だ。
「まさか、なんて私が言いたいよ」
エストもこの魔法陣の異常性が理解しきれていないようだった。
「⋯⋯何が可笑しいんだ、と言いたかったけど⋯⋯もしかして、全く別の魔法陣が組み込まれることは」
「ああそうさ。別々の魔法陣を一つにするなんて、できるはずがない技術なんだよ」
名付けるなら、これは合成魔法陣だろうか。
魔法学において、全く別々の魔法陣を、一つの魔法陣として完成することはありえないものだとされているし、現にそうである。
魔法研究に盛んだった頃、エストは勿論この合成魔法陣についても研究した。だが結果は失敗。どれだけの試行錯誤──それこそ人間の一生が二回ほど終わるくらいの時間を費やしても、できなかったのだ。
魔法学的に不可能な方法。それが合成魔法陣である。
「これは推論だけど、魔力供給システムは、この組み込まれた魔法陣にあると思うね」
状況証拠的にも、その可能性が非常に高い。魔女でさえ不可能だった合成魔法陣を成功させている者であれば、魔力というエネルギーの供給問題も何とかできて可笑しくない。
「この魔法陣は覚えたから、あとは解析さえできれば⋯⋯」
魔法知識がまた一つ増えたことで、エストの好奇心が掻き立てられる。
エストであれば、こと魔法研究に関して右に出るものは居ない。解析も一日もあれば終了し、それを応用可能レベルにまで引き上げることは確実だろう。
「⋯⋯っと、今はそれどころではなかったね」
自身の『欲望』に支配されそうになったのを、エストは寸前で何とか免れる。
今はそれどころではない。今は、一刻も早く下階層へ進まなくてはならないのだ。
「魔法陣は確認できたし、あとは下に続く階段を探すだけだね。⋯⋯〈音波探知〉」
魔法によって空間を把握すると、下に続く階段は簡単に発見できた。しかし、
「何この空間⋯⋯広すぎるよ」
階段を発見するのに消費した魔力は、エストの総魔力量のうちの四割ほどだ。しかも、まだまだ空間は残っているようである。このまま魔法行使を続ければ、魔力を消費し切って死んでしまうだろう。
「これは、もうこの魔法は使えないね」
一回使っただけで四割の魔力を消費する。これ以上使うのは命に関わるだろう。第二階層からは歩いて探すしかなさそうだ。
「⋯⋯異常空間に、魔法学的にありえない魔法。そしてそれらがある『始祖の魔女の墳墓』⋯⋯か」
一筋縄では行かないとは、元より思っていた。しかし、実際は、予想以上の困難でありそうだ。
「やるしかない、だな」
ナオトは、そう決意した。
始祖の魔女の墳墓攻略、開始です!
⋯⋯ちなみに墳墓攻略してからも更にやらなくちゃならないことがあるので、結構長くなりそうです。まあ、予定では、なんですけど。