4−22 血を啜る化物
一人の黒の教団員の体が白く輝くと、その教団員の体は宙を舞う。他の教団員を巻き込みつつ、エストは魔法によって人を武器のように振り回して、教団員を哀れな肉片へと変えていく。
最後に、武器として使った教団員にはまだ意識があったようで、エストはスポンジでも絞るように、ソイツの体をねじ切った。
骨が外気に触れ、血が搾り出される。肉が音を立てながら砂場に落ち、教団員を絶命させる。
「あの時は戦いにさえならなかったが⋯⋯」
短剣を構えて、ナオトは教団員たちの中に突っ込むと、喉を掻っ斬る。返り血は浴びてしまうが、教団員の攻撃は一切命中することはなかった。
「今なら、簡単に殺せますね」
ユナが射った矢は、的確に教団員の頭を貫いた。一発たりとも外さずに、射れば射るほど、その数を減らす。
「〈闇渦〉」
残り少なかった教団員たちを、レイは一纏めに闇の渦の中に飲み込んだ。その後どうなるかは、術者である彼にさえ分からない。
一瞬にして黒の教団は全滅した。
「⋯⋯何だったんだろ」
普通に考えて、エストたちに戦いを挑めば死ぬことくらい分かっているはずだ。幹部クラスの一人さえも同行していないのに、なぜだろうか。
あるいは、エストたちを殺そうと来たわけではないのか。
決して仲間意識が高いというわけでもなさそうなのだ。できもしない報復に走るほど、彼らは感情的でない。
何か他に目的があった。偶々エストたちと遭遇してしまっただけで、それ自体が目的ではなかった。こう考えるほうが理に適っている。
であれば、その目的とは何だったのか。
「分かりませんね⋯⋯まあ、そう深くは考えずに、先に行きましょう」
「そうだね。行こうか」
黒魔法第十階級の行使ができた理由。それは不明だ。
エストが覚えた違和感。それは、彼らの魔法能力では、到底十階級魔法なんて使えるはずがないことであった。魔力はあっても、魔法行使能力が低ければ、高階級の魔法は行使できるはずがない。なのに、彼らは行使できていた。
そうまるで、理を捻じ曲げられたように。
「⋯⋯」
何か引っかかる。何か、何か。そればかりが頭に思い浮かぶ、結論なんて出せないのに。
だが⋯⋯ユナの言う通り、考えても分からないなら、考えることは無駄だろう。エストは疑問を疑問のまま、記憶の片隅へと追いやって、考えから逸らした。
「──まあ、まさかとは思ってたが⋯⋯」
ナオトは、比較的損傷の少ない死体が被っていたローブを脱がせ、その素顔を見ていた。
黒の教団員は、普通の人間であった。人間によく似た化物や、人形の異形種、というわけでもない。
「普段は一般人に紛れ、生活しているってところかな」
実態が掴めないのも仕方ない。活動拠点も一つにせず、複数に分担し、その上で移動している可能性が高い。なぜそのようなことをしているのに、これまで怪しい人物が出てこなかったのかよく分かる。
「人間不信になりそうだな、全く⋯⋯」
少なくともここに居るメンバーが黒の教団関係者であるということはないだろう。そればかりが救いだが、これから出会う現地人を全員疑ってかかる必要がありそうだ。
「⋯⋯これは」
何の躊躇もなくなっている自分に驚きながらも、ナオトは死体を漁っていると、胸元あたりに手記を見つける。
「⋯⋯!」
それはどうやら日記であった。
この世界の言語を、日常会話レベルで理解できるようになっていたナオトは、その内容をスラスラと読む。
「⋯⋯趣味悪いな」
内容は、至ってシンプル。そう、普通の日記。一般人の何気ない日常を書き連ねただけのもの。そこには異常なんて、不自然なんて何もなく、極々当たり前の出来事しかない。
何か暗号が隠されているのではないかと疑うほどだった。けれど、いくら見て、考えても、暗号らしい文章はなかった。
つまり、それが意味するのは、
「──彼らは、洗脳されている」
「え? それってどういう⋯⋯」
日常と、黒の教団員としての活動は、完全に切り離されている。
教団員はおそらく皆、独身だろう。たった一人のサンプルしかないとはいえ、そう考えても、断言しても良い。
「彼らは何らかの方法で教団員として活動している間の記憶を失っていて、その失った部分に自然な記憶を入れられているってことだ」
記憶操作系の魔法。あるいは洗脳系魔法による効果だろう。人間の脳は、失った記憶を補完する機能が備わっていると言う。
徹底的な証拠隠滅。記憶を視られることへの対策までされていては、情報など吐き出させることもできない。
幹部クラスは違うだろうが、彼らも情報漏洩に関してはかなり強烈な対策が施されていることを、エストはよく知っている。
「全く⋯⋯狂人らしからぬ対策っぷりだよ」
黒の魔女。破滅の象徴。最強にして最凶、そして最狂の存在。終焉を齎す、化物。
「⋯⋯せめてもの救いは、彼らが、自分たちが行っているテロ行為を自覚していない、ということでしょうか」
自分自身が知らない間に、数々のテロ行為をしている。自覚しても止められない、質の悪い夢遊病のようなものであるだろう。
知識とは最高の武器であると同時に、絶望の真実を知ることになるかもしれない諸刃の剣でもある。
世の中には、知らないほうが良い事実もある。
「〈聖なる炎〉」
魔女の力を失うということは、また、魔女としての弱点も失うということであるだろう。
以前までであれば、行使に痛みを伴っていた神聖属性の魔法が、何の躊躇もなく行使できる。
聖なる炎は、普通の炎より煌めいていた。赤色ではなく黄色に近い炎が、哀れな犠牲者たちを燃やし尽くす。
炎は彼らを包み込み、優しくその身を消滅させた。
「さ、行こう」
それを行った少女は、誰よりも早く砂竜に乗って、先に走り出した。
「⋯⋯殺せるのか、ボクは」
ナオトは、憐憫の情を一切覚えないほど、冷酷ではない。知ってしまったからこそ、今度も彼らを、黒の教団員を殺せるだろうかと、心に憂いが生じる。
「殺せるか、殺せないかではありません。私たちにできることは、殺すことだけです」
頭を抱えるナオトを、レイが諭す。
「身の丈に合わない理想は、自身を殺すことになりますよ」
「⋯⋯っ」
無情? 残酷? それとも、無知?
レイは魔人で、人間ではない。ナオトは人間で、魔人ではない。種族が違うなら、その価値観も違う。
なのに、だというのに、レイの言っていることをナオトは納得できてしまう。それが正論だと思ってしまう。
けれど、それを否定したい自分がいる。感情が、それを拒む。
「──本当、人間って弱いな」
人間の弱小種族たる所以こそ、これであるだろう。しかし、それこそが人間の特徴でもある。
「⋯⋯そうですね。人間は弱い。無価値です。でも、あなたたちは、そうではありません」
「え⋯⋯?」
「ナオト・イケザワ、ユナ・カンザキ、そして、マサカズ・クロイ⋯⋯私を失望させないでください」
人間は、ただの人間には、価値なんてない。だが、そこに価値を見出すことはできる。なぜなら、価値は、見る人によって変わるのだから。見れば、無価値な人間にも、価値が出る。
「私が見たあなたたちには、価値があります。だから、無価値な人間には殺されないでくださいね」
「⋯⋯レイのそういうところ、見習いたいな」
人間は同族であれば、目の前の命を助けたがる。
魔族は、価値があると自分が判断した者を助けたがる。
知っている者と、知らない者の命を天秤にかけることなんてできない。
「さあ、行きましょう。エスト様とユナさんを待たせるわけにはいきませんから」
「ああ、そうだな」
先で待っていた二人の少女たちに、ナオトとレイは急いで向かった。
「──殺すことは、自分を守ること。ボクには、それができる」
命には価値がある。命には優劣がある。そして、自分という観点から見たとき、必然的に家族や恋人、友人の命の価値は、知らない命よりも高い。
絶対的な価値など存在しないように、人によって、他者の命の価値は相対的に変化する。
ならば、自分が救えるだけの命を、救いたい命だけを助けるべきだろう。
◆◆◆
酷く苦しい。酷く熱い。酷く痛い。酷く──辛い。
なぜ、こんな所にいるの? 私は誰なの?
目の前が紅い。全身を蝕むこの乾きは一体何?
頭の中が騒々しい。内側で暴れるこの欲望は何?
嗚呼、乾いた。乾く。乾いている。乾ききっている。潤いが潤いが潤いが潤いが潤いが潤いが潤いが潤いが欲しい。
──血ヲ、啜リタイ。
始原とは、その名の通り、始まりのことである。
始まりとは、不完全な存在であると同時に、強力な存在でもある。単純な力だけであれば、後裔よりも強大な存在であることが、この世界では多い。
それが最も顕著に現れた種族といえば、
「始原の吸血鬼⋯⋯!」
なぜ始原の吸血鬼が、今日まで存在できなかったのか。それにはいくつかの理由があるのだが、中でも最も有力なのは、その外見だろう。
吸血鬼は血を啜ることで、力を得る。ただの負のエネルギーでは、彼らのその圧倒的なパワーを維持できないのだ。
そして、始原の吸血鬼は圧倒的な力を有すると同時に、多くの血を必要とした。そのため、あっという間に血は不足した。だから、血が少なくても活動できるように、今の吸血鬼になった、というわけだ。
吸血鬼が総じて美貌を持つ理由は、血を啜る多くの対象が人間であり、彼らに近づくには、魅了するのが一番簡単だと知っているからだ。力を失った醜悪な化物のままだと、撃退される可能性もあるからである。
「──」
始原の吸血鬼は、醜悪な化物だった。
辛うじて人間の形を保っただけの化物で、それが人間であるとも、吸血鬼であるとも、なんなら生物であるとも言い難かった。
月明かりに照らされた真っ黒な体には赤色の血管が脈打っており、腕はソレの背丈の七割ほどの長さだった。その長い腕と足によって体を支える四足歩行の化物であり、全身に紅い瞳があって、それらは絶え間なく蠢いていた。
背中からは紅のコントラストがある真っ黒で不気味な、爪のある翼が四翼生えている。
頭部の半分ほどは人間のような口が占めており、歯並びは非常に悪く、犬歯が不自然なくらい尖っていた。そして口の上には他より大きな紅い瞳が一つだけある──ように見えるのだが、その瞳は無数の瞳によって構成されていた。
口の端から粘着質の涎が垂れており、醜悪な化物がいかに空腹であるかを示している。
「血、肉」
長い、長い手が、地面を押して、醜悪な化物、始原の吸血鬼は目の前の白髪の少女に飛びかかるのだが、寸前で避けられたようだ。
地面は始原の吸血鬼のパワーによって抉られた。
避けられた。だが、完全に避けられたわけではなかった。
始原の吸血鬼は、その大きな口で、白くて細い綺麗な左腕を噛み砕き、飲み込んだ。
「──っ」
エストの左肩から先が、丸々なくなっていた。
即死は免れた。だが、全力で避けてこれなのだ。そこにはやはり、確かな力の差がある。
「エスト様!」
「うん、大丈夫だよ⋯⋯〈上位回復〉」
左肩の傷あたりに緑色の魔法陣が展開され、失ったはずの腕が生える。一度失くしたのが影響して、少し痺れて動かしづらいが、大きな支障はない。
「どうしますか? 戦ってはいけないと聞きましたが⋯⋯」
見事なまでのフラグ回収。一番恐れていたことが今起こっている。
この中で、始原の吸血鬼とまともにやり合えるのはレイだけだが、彼も自分のことで精一杯だろう。
「逃げるしかないね」
兎が狼に立ち向かえるだろうか。それと同じで、エストたちは始原の吸血鬼から逃げるしかない。
しかし、始原の吸血鬼もそう獲物を逃がすわけがない。
先回りして行く手を阻むという動作が、エストたちには早すぎて反応するのがやっとだった。
「──」
純粋な暴力。その長い腕から繰り出される振り払いは、とんでもないスピードと破壊力を生み、対象を即死させるだろう。
死に物狂いでエストたちは攻撃を避けるが、衝撃波が生じて、空中に跳んだ四人の体制を崩す。そこを始原の吸血鬼は狙い、もう片方の腕で薙ぎ払う。
「〈裂風〉!」
「〈防壁〉!」
レイの戦技で始原の吸血鬼の腕による薙ぎ払いの威力を削ぎ、エストの防御魔法で受け止める。それで何とか腕は受け止めきれたのだが、
「強っ──!」
防壁に、ヒビが入った。このままでは防壁は完全に砕け散るだろう。そう予感したエストは、すぐにその場を離れる。
「皆下がって! 〈爆裂〉!」
始原の吸血鬼を中心に、とんでもない爆裂が発生する。煙が立ち込み、状況が確認できないが、すぐさま始原の吸血鬼が襲ってくることはなかった。
「今のうちに逃げるよ!」
しかし、これで死ぬならばどれほど楽か。おそらく始原の吸血鬼はまだ生きており、またしばらく時間が経てば再び襲い掛かってくるだろう。
砂竜に乗り直して、全速力でその場からエストたちは走り逃げた。