4−19 死闘
──刹那の間、何もかもの音が無くなった。
完全なる無音だったが、やがて緊張が高まり、そして、破裂する。
光を完全に吸収しているかのように真っ黒な手が、コクマーの背後から三本飛び出し、マサカズ、ナオト、ユナの三人をそれぞれ狙った。
真っ黒な手に捕まればお終い。三人は全力で回避しつつ、コクマーとの距離を詰めようとするが、勿論、コクマーはそれを妨害するように黒手を動かす。
「チっ⋯⋯!」
『影の手』は物理攻撃無効化なんていう馬鹿げた能力だったが、この黒手は違うかもしれない。コクマーは『模倣品』だと言っていたし、おそらくオリジナルを使っていたイシレアの体は自壊しているのに対して、コクマーの体は自壊していない。つまり、この黒手は『影の手』の劣化品である可能性が高い。であれば、物理攻撃が有効であるかもしれない。
マサカズは聖剣で、黒手を斬る──と、黒手は容易に切断できた。
「これなら!」
物理攻撃が通るならば、まだ希望はある。
マサカズは聖剣で黒手を斬りながら走り、コクマーに接近した。
「っ!」
コクマーはナオトとユナを対処していた黒手を全てマサカズに向けた。どうやら同時に展開できる、あるいは制御できる黒手の数には制限があるらしい。
「〈炸刃〉!」
斬撃が弾けるように飛んで、集まった黒手を一気に切り裂く。黒手が失われたことで、コクマーには一瞬だけ隙ができた。
「〈剛射〉!」
パワーとスピードが限界まで上げられた矢が、コクマーに撃ち込まれる。それは彼の頭部を狙っており、命中すれば即死が確実であった。だが、そう簡単に当たるわけにはいかない。
コクマーはサーベルを抜刀しながら、戦技を行使する。
「〈黒風斬〉」
真っ黒な風が発生し、ユナの矢ごと、近距離に居たマサカズを切り刻む。
聖剣でガードしたが、しきれず、マサカズは全身に無数の裂傷を負った。
「〈迅一雷斬〉」
雷のようなものが発生し、二本の短剣がコクマーを襲うが、コクマーはサーベルで受け止め、ナオトの腹部に蹴りを入れる。
「がっ⋯⋯」
床を何度か転がり、壁に当たって体が止まる。痛みに体は麻痺したように動かしづらかったが、ナオトは何とか立ち上がり、頭を振って、失いそうな意識を取り戻す。
「ナオト、大丈夫か?」
「⋯⋯大丈夫、に、見える、かよ⋯⋯だが、まだ、何とか⋯⋯行ける」
「そうか」
マサカズとナオトは聖剣と短剣をそれぞれ構えて、床を踏み、一気に加速するとコクマーに同時に斬りかかる。
二人の斬撃を回避したり、防御したりして的確に、最低限の力でいなしていく。
「二人とも、離れてください! 〈爆矢〉!」
マサカズとナオトは後側に跳躍し、二人と入れ替わるように矢が飛ぶ。それはコクマーの足元に突き刺さって、
「──」
爆発した。
爆風が、部屋中の埃を立てる。血の匂いがすることから、爆発はコクマーに直撃したことを三人は確信したが、同時に、その程度で死ぬとも思えなかったため、警戒する。
「!」
特に濃く舞い上がった埃から、サーベルを持った、引き締まった上半身の筋肉を晒したコクマーが現れて、マサカズたちとの距離を今度は詰める。
剣筋は一直線で、読みやすかった。だが、読めても、そのスピードは対処が難しい。凄まじい連撃に、マサカズの腕は痺れていき、弾く度に腕が動かしづらくなる。
「しま──」
下からの切り上げに反応が遅れてしまった。マサカズは何とか聖剣で防御することはできたが、聖剣は大きく弾かれた。
このままコクマーのサーベルでマサカズの首が飛ぶ。そんな未来が視えたが、視界の左横から現れた足がコクマーの顔面を蹴った。
「っらあ!」
真紅の瞳の少女が、マサカズの窮地を救ったのだ。そして彼女は、その状態でも正気を保っている。
やはり弓は使えないと判断したのだろう。
殴られた衝撃でコクマーの体は回転するが、彼はその衝撃を逆に活用し、体制を整える。そこにユナは跳躍し、コクマーに肉弾戦を仕掛ける。
──だが、何度拳を叩き込んでも、コクマーにはダメージが入らない。
「魔力の壁か!?」
ユナの乱打も無限には続かない。魔力の壁を何度も殴ったことで拳に傷がつき、一度、コクマーから離れる。
「⋯⋯なるほど」
今の一連の行動を見て、ナオトは、コクマーの魔力の壁の性質を理解した。
「〈黒手〉」
コクマーは黒手をもう一度三本展開し、最初と同じ状態へと戻した。
今の一連で、両陣営はかなり消耗している。だが、数的有利もあり、少しだけマサカズたちが勝っている。しかし、それでもまだ油断ならない状況である。
「〈一閃〉!」
光に匹敵するスピードでマサカズは剣を振るが、コクマーはそれを受け止め、後ろから黒手で彼の体を掴み、ねじ切ろうとする。だがユナが黒手を全て引き裂き、無力化した。
「オラァっ!」
剣に全力を込めて、コクマーを押し飛ばす。コクマーは体制を崩して、尻餅を付いた。
完全勝利。マサカズは戦技を駆使して、コクマーを殺そうと、剣を振る。
「──は」
が、マサカズの剣は、コクマーの喉仏を、少しだけ斬っただけだった。
マサカズの右足を、真っ黒な手が掴んでいたのだ。
「今のは、少しヒヤッとしましたよ」
真っ黒な手はマサカズを地面にたたきつけて、壁に投げつける。瓦礫の下敷きとなったが、世界の時間は逆行しなかった。そう、何とか彼は生きているのだ。
「黒手は三本しか使えない⋯⋯なんて決めつけたのが間違いでしたね」
コクマーはマサカズに近づき、サーベルを振りかざす。そして、それで確実に、彼の首を切断すべく、トドメを刺すべく、振り下ろした。
「──っ!?」
──しかし、斬られたのは、マサカズの首ではなく、ナオトだった。
マサカズの握っていた聖剣は床に落ちてカランっ、という音を立てると同時に、ナオトの体が床に倒れる音も響いた。
血が床にぶちまけられ、それは彼の即死を意味していた。
「死に損ないのために命を張るとは⋯⋯」
マサカズは、また、ナオトに命を救われた。彼が『死に戻り』できると知りながら、それを行った。
「⋯⋯さて、今度こそ──」
もう一度、マサカズ、コクマーはサーベルを突き刺そうとする。だが、マサカズは聖剣でそれを弾いた。
「なっ」
そして、コクマーに膝蹴りを叩き込み、左腕で彼の鼻柱を折る。
「⋯⋯お前は、お前たちは、何度俺から仲間を奪う」
マサカズは冷やかな目で、冷酷な目で、鋭く、コクマーを睨んだ。氷柱でも刺されたような錯覚を、コクマーは感じた。
「殺してやる」
剣を握る握力は、柄を少し砕くほどだった。手のひらに破片が突き刺さり、傷を負ったが、マサカズはそんなの気にしなかった。
横からのマサカズの斬撃を、コクマーはサーベルで受け流そうとした。だが、サーベルは剣を受け流せず、切断される。
魔力が一気に減る感覚と共に魔力の壁が生成され、それが首を狙った剣を受け止める。
壁を消去すると同時にコクマーは姿勢を低くし、マサカズの足を払う。だがマサカズはそれより速く跳躍し、剣を突き刺すが、コクマーは既にそこに居らず、剣が突き刺したのは床だった。
「〈一閃〉」
マサカズは回避して距離を取ったコクマーを捉えた。
光が発生し、剣がコクマーの首元に近づく。だがコクマーはそれを完全に見切っており、マサカズの顎を蹴り、そして踵落としをする。床が割れ、マサカズは顔面から叩きつけられる。
「⋯⋯口だけで、冷静さを失ったらそうなりますよ」
コクマーはマサカズに侮辱の言葉をかけ、そして足で頭部を踏み潰そうとするが、ユナが襲い掛かってきたことでマサカズへのトドメはできなかった。
「止めろっ!」
ユナの右ストレートはコクマーの頬を切り裂くこともなく、スレスレで避けられ、左フックが飛んでくる。なすすべ無くユナの頭部に衝撃が走る。意識が飛びそうなくらいの痛みだった。だが彼女は痛覚をシャットアウトし、無理矢理にでも体を動かす。
ユナのラッシュは悉く回避されるなり受け流されるなりして、コクマーに命中することはなかった。
「さっさと、三人まとめて同じところに送って差し上げます」
ユナの服の襟をコクマーは掴み、床に投げ、叩きつける。そして頭を足で踏みつける。
「頭蓋骨くらい、卵の殻のように簡単に割れますよ」
ミシミシという音が頭に響く。それは頭蓋骨の悲鳴であると理解したとき、ユナは死の恐怖を味わうことになった。
(これが⋯⋯死。マサカズさんもこれを何度も味わったのですか)
死を知ることはなかったし、これも死そのものではない。だが限りなく死に近いもので、その近いものでさえ、ここまで怖いなんて思いもしなかった。
(⋯⋯死にたくないです。死にたく、ない⋯⋯)
でも、現状を打破する方法なんてない。世界は彼女に最強の力を、突然与えてくれるわけではないのだ。
死を確信し、抗うことも無駄だと気づき、彼女は諦めた。
「──俺以外が死ぬ必要なんてない。その役目は、俺だけでいい。俺が、皆の代わりに何度も死んで、俺が救えるだけの命を守る。それが、俺の役目だ。俺にしかできないことだ」
聖剣がコクマーの両腕を切り飛ばした。両腕は空を舞い、汚い床に落っこちる。
そしてコクマーの頭を蹴り飛ばし、マサカズはユナを死から救う。
「⋯⋯それまた、大層な目的ですね。人間らしい⋯⋯非現実的な⋯⋯」
両腕を失ったというのに、コクマーは少し痛がるだけして立ち上がる。切断面から黒色の腕が生えると、流れていた血が止まった。
「傲慢で⋯⋯しかし、理想的な⋯⋯。私には、全てを知る私には、到底できない」
コクマーはマサカズを視界に捉えた。彼以外には全く注意せず、ただマサカズだけを見ていた。彼のあらゆる行動。あらゆる動きに、最大の警戒を払っていた。
「⋯⋯っ!」
マサカズは剣を構えて、戦技を行使し、コクマーとの一瞬にして決定的な命のやり取りをしようとした。
だが、それは、たった一筋の剣によって、する必要がなくなった。
──短剣で、コクマーは後ろから突き刺されたのだ。
「悪いな。これも、戦いだ」
死んだはずのナオトが、コクマーを殺したのだ。
「え⋯⋯」
「死んだかと思ったか? 『死に戻り』できるお前を、わざわざ命懸けてまで助けるわけないだろ」
コクマーの胸に黒色の魔法陣が展開された。それは、おそらく魔毒の魔法だ。喰らえば、そのうち必ず死ぬ、超凶悪な魔法。今のコクマーには、耐えられないだろう。
コクマーは毒に侵され、胸を突き刺された痛みもあり、気絶して地面に倒れた。
「何で⋯⋯だってあのとき」
「お前と奴との間の距離を、幻で近くだと認識させたんだ。実際はあの地点からサーベルを振ったって、マサカズには当たりもしない。で、ボクの幻覚がマサカズを庇って死んだことにし、コクマーの注意が、ある一つになった瞬間、ボクは奴を、音もなく後ろから突き刺す。魔毒の魔法を持ってして、な」
転生者でさえ、一瞬とはいえ騙した幻覚だ。コクマーもよく見ていたら看破できたはずだが、マサカズへのトドメというものが見えていたからこそ、カモフラージュされていたものが見えなかった。
「ってことは⋯⋯」
つまり、マサカズがナオトを殺されて怒っていたのは、杞憂も杞憂、勘違いのようなものだったのだ。
「──お前なあっ!?」
「そう怒るなよ」
本人の目の前で、ナオトを殺されて激怒していた。マサカズからしてみれば、とんでもなく恥ずかしい。
「敵を騙すにはまず味方から⋯⋯なんて言うだろ?」
それにしてもやり方というものがあるだろうに。
「ナオトさん⋯⋯一発殴らせて貰ってもいいですか?」
これには流石のユナも、いつもの優しさがなくなって、先程のマサカズとはベクトルが違う方向で怒っていた。
「今のユナに殴られたら、頭と体が離れ離れになるから辞めてくれ」
殺し合いに卑怯なんてないのだ。何はともあれ、これは立派な勝利である。
エストたちの方の戦況はまだ不明だ。一刻も早く、助けに行くべきだろう。
マサカズたちは戦闘音がする方へ走り出すが、そのとき、
「待て」
コクマーが、三人を呼び止めた。
「⋯⋯私を殺したあなたたちに、一つ、良いことを教えて差し上げましょう」
死にかけの体で、ケテルやティファレトのように執念深く殺意に取り憑かれるわけでもなく、コクマーは血を吐き出しながらも話し始める。
「何だ?」
それは狂人集団のそれからはかけ離れた様子であった。
「私が計画を実行できなくなった今、代わりの者が送られてくるでしょう。その代わりの者は⋯⋯私なんかとは比にならないくらい、強い」
「⋯⋯どういうことだ」
コクマーは確かに最強の存在ではない。だが、かなりの強者だ。そんな彼でさえ、比べものにならない存在。
しかし、マサカズのさらなる問に、コクマーは答えようとしなかった。
「ふふ⋯⋯私から言えるのは、これだけです。⋯⋯あなたたちの行く末が、今から⋯⋯楽しみ、です、よ⋯⋯」
そこまで言って、コクマーは完全に息絶えた。
最後の一撃の余力くらいあったはずだ。だが、彼はこうしてマサカズたちに情報を渡した。
これまでの黒の教団の幹部とは、まるで違った。
「⋯⋯」
どこか、惜しい。もし彼が黒の教団の一員でなければ、きっと、仲良くなれただろうからか。
「楽しみにしてろ。俺たちが、お前たちを滅ぼすことを」
マサカズは笑って、コクマーに、彼らに、勝利宣言をした。
主人公が覚醒して強くなるとかいう展開が苦手なんですよね、私。
普通そんな突然強くなるのかなって。まあなので、ブチ切れたところで力の差が埋まるわけないという考えなんで、マサカズくんは主人公らしい台詞を吐いたあとにボコされるという展開になりました。
というか投稿遅れてすみません。
⋯⋯いや決して、サボっていたというわけではありませんから。別に一日中某蜘蛛の異世界転生のアニメ版を見ていたわけではありませんから。