4−17 失くしたモノ、無くすモノ
──レイチェルの家に、戻るはずだった。
「⋯⋯不運、だな」
ナオトのユナを回収しに行ったとき、そこであったことはマサカズが知らないことであった。
「おや。鼠が増えましたか」
二人は、マイと遭遇していたのだ。そして、その原因もすぐに分かった。あの地下の探索に、時間をかけ過ぎていた。前回を知るからこそ、知ってしまっていたからこそ、大丈夫だと思いこんでしまっていた。
「⋯⋯抗うしかないね。〈黒炎〉!」
理を捻じ曲げて、本来そこに生み出されるはずのない真っ黒い炎が、赤色の魔法陣から放たれる。それは対象であるマイだけでなく、ここにいる全員を燃やそうとするほどの火力であったが、レイの防御魔法によってマサカズたちへの影響はなかった。
「魔女の力を失い、ただの人間になってこれ。流石ですね」
黒い灼熱が場に満ち、生者以外の全てを燃やし尽くす。
床や壁、天井は焦げてしまい、また使えるようにするには、取り壊す他ないだろう。
「お褒めに預かり光栄ですよ、転生者様。でも、それを言うなら、せめて火傷くらいは負って欲しかったよ」
マイはサーベルを一振りするだけで、エストの炎魔法を掻き消したのだ。
炎を掻き消す──考えてみれば、意味のわからない技だ。果たしてどれだけの力が、技術があれば、そんなことができるのだろうか。少なくとも、今のマサカズたちにはできない芸当であるだろう。
「そうですか? 火の粉が私に降りかかれば、それで十分だと思うのですがね」
マイの軍服は、エストの炎魔法によって、少しばかり焦げていた。だが、その程度だ。服が少し焦げる程度。身体を火傷させることは叶わない程度なのだ。
人間とはいえ魔法の天才のエストでさえ、マイを燃え尽きた肉塊に姿を変えることはできない。
「全く⋯⋯今までどうやって私は転生者を殺してきたのかな」
転生者と転移者。その両者は、人を凌駕する力が、差はあれど与えられる。その力とは加護であり、またの名を世界の寵愛。
転生、あるいは転移ボーナス。神が与えてくれる力。
だがそれを使いこなせる力を、マイは持っていた。だから、エストに、彼女を殺すことは不可能である。
「知りませんね。それは⋯⋯あの世で、考えてみては?」
ここまで接近されれば、ライフルなどの銃器より、剣の方が強い。
マイはサーベルを振りかぶったまま低空を跳躍し、エストに跳びかかる。その行動一連に、マサカズたちには反応できなかった。
「っと」
だがエストはそれを避けた。しかし、反応して避けたわけではない。今のエストの動体視力では、本気のマイの動きを見切れるわけがない。ただ単に、構えた次の瞬間に、彼女の攻撃を予測し、避けただけ。体の僅かな動きから、その行動をこの短時間で見抜き、予知しただけなのだ。
「〈闇氷柱〉!」
空中に紫がかった、先端が尖った氷が三本生成され、辺りの温度を少しだけ下げる。冷気も紫がかっており、それの妖しさを強調している。
氷塊は対象であるマイに飛ぶが、彼女は安安とその氷塊を切断し、続くレイの鎌を受け止めようと──
「危ない危ない⋯⋯もう少しで死んでしまうところでした」
赤紫色の鎌を、マイは間一髪の所で避けた。
「妖赤色鋼の鎌⋯⋯危ないですね⋯⋯!」
マイの姿が消え、そこには埃だけが舞う。だが次の瞬間、レイの真ん前に現れて、サーベルが彼の喉を少し斬った。
一瞬重力が操作されて、サーベルはその場に停止したが、それも束の間。圧倒的な力に物を言わせて、マイは無理矢理にでもサーベルを動かすが、もう遅い。刃は肉ではなく空気を切り裂き、そこに真空を発生させるばかりだった。
「⋯⋯面倒ですね」
いつの間にか後ろに回り込んでいた転移者三名に対して、マイはそう言った。
そして彼女は呟く。
「〈死の恐怖〉」
瞬間、その場に居た全員に、とんでもない不快感を伴う恐怖が襲った。それは生暖かくて、また氷柱のように冷たくもあった。だが共通するのはどんなそれより強い怖気を対象に感じさせることであった。
生者は、その恐怖にたじろぐ。何故ならば、それは今までに感じたことのない恐怖であるからだ。
死の恐怖。死を味わうことでしか感じられない恐怖にして、この世で最も強い恐怖。言語化できないものである。
──だがしかし、
「〈十光斬〉!」
一人だけ、その恐怖を知っている者が居た。たしかに彼は恐怖したが、そんなの、所詮死を知らないものが創り出した死だ。本物の劣化版でしかない魔法なのだ。
本物の死を知る彼からしてみれば、十分に耐え得る恐怖であった。
思わぬ反撃に、マイは反応が遅れて、背中に傷を負う。だが流石は転生者。その傷は浅く、致命傷にはならなかった。
「⋯⋯死を⋯⋯その程度だと思うなよ?」
「⋯⋯あなた、何者なんですか?」
マイは、転移者であるマサカズを見下していた。だからこそ、今の独自魔法で、他二人の転移者と同様に、足をプルプルさせて、無様に尻餅でも付くと思っていた。
「⋯⋯ちょっとばかり、死を知る者だぜ」
「厄介⋯⋯ですね。やはり人数の差は大きいアドバンテージです。⋯⋯ですから」
──新たな、とんでもない威圧感を持つ者が現れた。
「クアイン⋯⋯いや、コクマー。私の負担を少し減らしてくれませんか?」
「ええ。⋯⋯そのために来たのですから。あなたを守ることこそ、あの方のためになるので」
黒髪黒目の二十代後半くらいの男が、ゆっくりと歩いてきた。
マイが彼を本当の名前で呼んだということは、つまり、マサカズたちを絶対に逃さないということである。
「⋯⋯殺す前に、あなたたちに聞きたいことがあるのです」
コクマーはそう、マサカズたちに質問した。
「私の友人であり同僚のティファレトを殺したのは⋯⋯誰ですか?」
彼はそのとき、少しだけ笑みを浮かべた。だがそれは愉快さを表すものではなく、内に秘めたる激情を抑えた笑みだった。
「⋯⋯赤の魔女、ロア」
マサカズは包み隠さずにそう言った。
それを聞いてコクマーは怒ると思ったのだが、
「ああ、赤の魔女であることは知ってます。ですが赤の魔女が殺したのは、彼女であり、また彼女ではないものです。私は、本来のティファレトを殺した者のことを聞いているのです」
そんなことはなかった。
本来の彼女──あれはティファレトであり、ティファレトではなかった。まあ確かに、あんな醜悪な化物をかつての親友だとは言いたくないだろう。
彼が言う『本来のティファレトを殺した犯人』は、この場に居る。
「⋯⋯おめでとう。お前はその親友の仇を討つチャンスを得たってわけだな」
マサカズは、いや、不意に、前触れもなく、心を失くした青年は、そう答えた。
「俺を何度も殺してくれたんだ。たった一回だけじゃ、殺し足りないし、生憎、俺には奴を弄べるだけの力がなかった。だから苦痛なく死んだだろうさ。喜べよ、親友。苦痛なき死は、死ソムリエの俺からしてみれば、とんでもなく楽なものなんだぜ」
青年は歪んだ笑顔を浮かべて、嬉々として当時の状況を振り返った。
「⋯⋯」
どこか、青年には違和感があった。
確かに彼はマサカズではあるが、マサカズではないような。そう例えば、存在しないはずの彼自身の人格が今、現れているような。
「⋯⋯って、俺は何言ってんだ。⋯⋯ああ、でも俺がティファレトを殺したことは事実だ。怒るか?」
正気と今の人格を取り戻し、マサカズは混濁した記憶をろ過する。
不規則に人格、記憶が別のものに交代しているということから、自身の精神が本当に摩耗しているのだと改めて自覚する。
「⋯⋯いえ、それが確認できただけで良いです」
そう言うとコクマーは動き出し──そして、マサカズに迫る。マサカズはコクマーの剣撃を受け止められたが、力では負けており、押し飛ばされる。
一番奥の部屋まで突き飛ばされてしまった。
「マサカズ!」「マサカズさん!」
軽く十数メートルは飛ばされて、彼の体は何回も跳ねた。頭が高速で回転したことにより脳が掻き回されて、視界に映る世界が歪む。
「──っ!」
コクマーのサーベルを反射的に避けるが、今の状態でのそれはかなり無理がある行動であったために体制を崩す。
勿論その隙を逃すはずがなく、追撃のサーベルが迫るが、それは既のところで、ナオトによって防がれたが、衝撃を全て吸収することはできず、弾かれる。
「はぁぁっ!」
真紅色に染まった瞳の少女、ユナは、矢を逆手に持ち、コクマーのうなじに突き刺そうと跳びかかる。だがコクマーは回転しつつ姿勢を低くすることでそれを避けて、彼女の足を掴み、地面に叩きつける。
「〈一閃〉!」
光にも及ぶ速さのマサカズの剣撃を、コクマーは簡単に、しかも素手の左手で掴むように受け止めた。どれだけ速くても、その軌道は単純過ぎるからだろう。
「よくもまあ、この程度でティファレトを殺せましたね」
剣は一ミリ足りとも動かない。
コクマーはサーベルを振りかぶり、マサカズを狙ったので、彼は聖剣を手放した。
「マサカズ、受け取れ」
ナオトは二本ある短剣の片方をマサカズに投げ渡す。それをキャッチし、彼は構えた。
「刀身の短い剣は慣れない⋯⋯が」
マサカズの『剣之加護』は、剣類であれば全ての才能を引き出すものだ。あくまで才能を引き出すだけであり、それ以上は本人次第だが、今の状況には相性が良かった。
「そんなこと言ってられないな」
マサカズは短剣を逆手に持ち、斬撃ではなく刺突とスピードに特化する。
叩きつけられたあとに何度か跳ねたユナはまだ寝ている。おそらく脳震盪でも起こしてしまったのだろう。
未だ人数では勝っている。だがこれでも互角だとは思えない。
「⋯⋯」
一瞬の沈黙が場を支配し──
「っ!」
──再び、鋼の音が響き始める。
マサカズとナオトは一緒にコクマーに斬りかかるが、コクマーは二人の斬撃をそれぞれ一本のサーベルで捌く。それはまるで腕がいくつもあるように見えるほど、速かった。
「しまっ」
ナオトは短剣を完全に弾かれ、失ってしまった。
人数差によって何とか均衡に保てていた戦況に穴が開く。
コクマーはマサカズに無理矢理に蹴りを打ち込み、怯ませた隙にナオトを一気に殺そうとした。
勝てない。勝てるはずがない。勝てる気がしない。実力が空きすぎている。どう頑張っても、活路を見いだせない。そんな考えが、マサカズとナオトの脳裏に過った。
その時だった。
「〈爆矢〉!」
脳震盪から回復したユナは三本の矢を一気に携え、射る。飛んでいる最中に、矢の先に火が点いた。赤色の線を空間に描き、コクマーの頭部に命中したかと思えば、彼は見向きもせず、左手でキャッチした。
「いくら使い手の実力が高くても、武器が鈍らじゃ意味がない。自身の実力に見合った武器でなければ、力は引き出せませんよ?」
ユナの弓は木製のシンプルな弓だ。これでも人間世界では最高級品であり、戦技を行使すれば音速の矢撃を放てるのだが、コクマーなどの人外クラスからしてみれば、玩具のようなもの。プラスティックのナイフでは肉が切れないように、普通の人間が使うような弓ではコクマーたち強者を傷つけることはできないのだ。特に、スピードが武器の性能に依存する遠距離武器であると、その傾向が強い。
「御教授ありがとうございます」
やはり弓ではコクマーに傷を与えることが厳しそうだ。そうユナは判断した。
「⋯⋯でも、今はこれ以外の持ち合わせがなくてですね。なので、代替案として」
──彼女の瞳の紅さが増した。
「これで、戦いましょう」
彼女は指に力を込め、爪を立てる。
「はは⋯⋯ユナ、素手かよ」
黒の教団幹部最強は拳闘士だった。素手はたしかに剣より弱いが、結局、勝敗を決めるのはいつも筋力、あるいはそれをいかに使いこなしているかの技術力である。
「ぐぁ⋯⋯」
ユナは突然、血反吐を吐く。全身の血管が膨張し、体温が急上昇したことによる反動だろう。その激痛は、炎で体を直接炙られているようだった。
そんな苦痛に耐えながら、ユナはマサカズとナオトの方を見る、苦痛を見せないように努力した結果、とても歪んだ笑顔を見せて。
「⋯⋯マサ⋯⋯ズさん、ナ⋯⋯オトさん⋯⋯近、寄らないで⋯⋯下さいね」
理性を捨て去る直前にユナは二人に、最後にそう忠告し──完全に、彼女は怪物と成る。
「⋯⋯だってよ、マサカズ」
「⋯⋯全く⋯⋯俺たちの面目丸潰れだぜ」
女の子を守るどころか、守られたようだ。
ユナのスピードは既に、マサカズたちでは目でさえ追いつけないほどに増していたが、コクマーはそれを目視し、反応し、彼女の拳を避けた。
シュッ、という空を切る音が彼女の拳から鳴り、そのスピードを物語っていた。
理性を捨て、判断力を捨て、ただ本能に、破壊衝動に任せて行動する。なんと原始的で、なんと動物的で、なんと暴力的。彼女の美しく可憐な外見からは想像もできないほど凶暴。血を浴び、血を渇望する、人ならざる──怪物少女。
「⋯⋯今のあなたは、身体能力だけなら私に匹敵しますよ」
転移者は、どれだけ頑張っても世界最高峰の実力者にはなれない。だが、それは、あくまでも、何も捨てなければの話だ。
何かを捨ててこそ、真の強者に成れる。
天才に凡人が追いつくには、絶え間なく努力し続ける他がないように、真の強者に弱者が追いつくには、大切なものを差し出さなくてはならない。捨て去らなくてはならない。
それこそが、弱者が行える事だ。弱者だからこそ行える事だ。
──だから、ユナは、理性を無くした。
第四章前半の最終戦、開幕。