4−16 背徳者
肉体と心は相互に影響し合う。
肉体が疲弊しているならば、心も自ずと疲弊するし、逆に、心が壊れたならば、肉体は動かなくなる。
二つは同等であり、どちらも欠かせない。
そして、どちらかが無くなれば、もう片方も無くなる。これこそが、死というものである。
「──」
だがしかし、何事にも例外というものは存在する。その例外に当て嵌まる人物の一人が、彼、マサカズ・クロイであった。
「⋯⋯マサカズ」
夢想と現実の狭間を漂って、光が一切差していなかった虚ろな目に、黒髪青目のクオーターの少年の姿が映った。
「⋯⋯ああ? ⋯⋯ああ、少し⋯⋯ボーっとしていたようだ。すまないな」
マサカズの瞳に光が再び灯り、生気を帯びる。
「⋯⋯ボクは『死に戻り』がどれだけ辛いか知らないからあまり強くは言えないが、いきなり倒れるなんてしないでくれよ?」
「分かってる。⋯⋯善処はするさ」
現在の時間軸は、二日前の世界。脱獄を成功させた直後だった。
「⋯⋯ナオトとユナは総司令官室に行って欲しい。あそこではおそらく、マイやクアインとは遭遇しない。ただの警備兵数人だけだ。で、エストとレイは俺に付いてきてくれ」
マサカズは四人にそう指示を出す。
「分かりました。ナオトさん、行きましょう」
明確な指示が与えられたナオトとユナはすぐに目的の場所へ向かった。
「それで? 私たち二人をわざわざ抜擢した理由は?」
『付いてきてくれ』としか言われていないエストとレイは、まずそれについて聞いた。
強者と遭遇する可能性が高いこの施設内では、戦力を均等に分けるべきだと判断するのが普通だ。
「俺がこれから行くところは、不安要素が大きいからだ。ナオトとユナだと、何もできずに死んでしまう可能性があるし、俺一人だけお守りするほうがまだマシだろ?」
既知の場所より、未知の場所を怖がるのは人の性だ。その上、マサカズは、既知の場所が安全であるということを知っている。戦力の集中というのは危険である一方、刺さる時は本当に刺さる。
「⋯⋯分かりました。それで、私たちは何処へ?」
「地下だ」
前回、マサカズは防衛要塞からアンデッドが出てくるのを見た。地上に『死者の大地』とを繋ぐ道があるとは考えづらいならば、有り得るのは地下だけになる。
「地下⋯⋯?」
「そう、地下だ。⋯⋯まあ、問題は隠されているだろうそこへの道をどうやって探すかなんだがな」
床をぶち抜いて行こうとも考えたが、崩落の危険性がある。それは最終手段で、何より、その最終手段は日の目を浴びることがないだろう。
「それなら良い案があるよ」
エストの手の平に、白色の魔法陣が展開される。
「〈音波探知〉。地形のみを把握する魔法だよ」
名前そのまま、音波を発して範囲内の地形を把握する効果の魔法だ。
「本当に魔法って便利だな⋯⋯」
エストの脳内に、魔法によって得られた地形情報が送られる。すると、地下には大空洞があることが判明し、そこへ繋がる通路の位置も特定できた。
「⋯⋯まあ、この魔法の欠点は、消費魔力の多さなんだけど。第四階級だというのに、範囲次第じゃ第十階級魔法の消費魔力量さえ超えるんだよね」
美しい薔薇には棘があるように、大いなる力には、大いなる代償があるものだ。便利すぎる魔法だからこそ、消費する魔力はより多くなる。
「こっちだよ。早く来て」
エストが先導し、その地下に繋がる道がある場所に向かう。その道中で数人の警備兵と遭遇することがあったのだが、防衛要塞内が警戒態勢になることも。ましてや負けることもなかった。
少しでもアンデッドが二日後に群がることの情報を集めるために、マサカズは無力化した警備兵を尋問する。
「知らない! アンデッドは絶対にここを通り抜けれないはずだ!」
が、結果はこうだった。やはり、一端程度の兵にはそんな重要そうなことは知らされていないようだ。しかも、察するに『不死の軍』についての計画も知らないようだった。おそらく、この軍の不祥事は上層部にのみ知らされている極秘事項なのだろう。
「五月蝿い。喋れとは言ったが、叫べとは言ってないぞ、人間」
彼はナイフで警備兵の喉を突き刺し、声帯をグチャグチャにすることで発声を困難にしたのだが、勿論そんな傷をつけられたならば、普通の人は死んでしまう。
発声は困難どころではなく不可能となり、警備兵は喉を切り裂かれたことにより死亡してしまった。
「⋯⋯マサカズ、キミ、いつからそんな残虐思考の持ち主になったの?」
普段の彼からは想像もできない行為。ついこないだまで人を殺すことに対して未だに躊躇を感じていた少年が、いきなりこうも人を殺せば、流石のエストでさえも困惑する。
「──え」
光が消えていた瞳だったが、その言葉を聞いた瞬間、光が再度差す。
「⋯⋯は。え。何で⋯⋯俺は⋯⋯一体何を⋯⋯?」
どうやらマサカズは、今自分が行った事を、覚えていないようだ。
彼からしてみれば、気づいたら自分は、人を殺していた、という状況である。
「マサカズさん、本当にどうしましたか?」
これにはレイも、マサカズを心配する。どこかおかしい。どこか狂ってる。
「⋯⋯ああクソ。第二人格ってやつか?」
解離性同一障害。またの名を多重人格障害。
今度の『死に戻り』の際に経験したトラウマから逃れるべく発症しかけたのだろう。
「この一件が終わったら、少し休むべきだね」
「⋯⋯そうだな。『始祖の魔女の墳墓』には、俺は同行できそうにないし」
エストたちが『始祖の魔女の墳墓』に行って戻ってくるならば、最短でも四日はかかるだろう。その短期間とは言え、休むのと休まないのでは天と地ほどの差がある。
「ちょっと時間を使いすぎた。急ごう」
防衛要塞の地下へ続く道は、ある一部屋にあった。
その部屋とは、副司令官室。つまり、クアインの部屋だ。
「鍵かかってるな。鍵を探しに⋯⋯」
珍しく、その部屋には鍵がかかっていた。生憎、ピッキング技術を持っていないこのメンツでは、鍵を探しに行く必要がある。
いや、少し訂正があった。ここで言うピッキング技術とは、ピッキングツールを用いた方法であり、決して──扉を蹴り破る方法ではない。
「よし、居ないね」
ピッキング(物理)を行ったエストは、内部に誰も居なかったことを確認する。無警戒にも、危険にも程がある。もし中に部屋の主が居たならば、どうなっていたか。
「流石エスト様です!」
「⋯⋯レイ? いくら従者だからって、主の失態を絶賛する必要はないぞ?」
「え? 何か言いましたか?」
「⋯⋯いや、何でもない」
レイは従者としては素晴らしく優秀で、その振る舞いも気品ある執事そのものであった。だが、主人であるエスト関係になると、ポンコツになるらしいことを、マサカズはこれで認識した。
「で、どこにそんな通路があるんだ?」
見ると、この、極々普通の、本棚が複数ある書斎のような部屋には、そのような地下通路はなさそうだった。
「ここだね」
エストはある本棚に近寄ると、軽々しく、それは退かされた。
本棚が退かされると、そこは壁だったのだが、エストはそこを押すと、その部分の壁は回転し、通路を開く。
「隠し通路ってことか。いよいよきな臭くなってきたな」
通路からは生温い風と、それに乗って──死臭がする。
予測は確信となり、この先に何があるのかが理解できた。
「⋯⋯生者のアンデッド化実験⋯⋯」
知能あるアンデッド。これ以上にない厄介さだ。普通、知能を持つアンデッドなんて最上位種のみである。
◆◆◆
非人道的で、冒涜的で、理解し難き惨状。人体実験という言葉で覚悟はしていたのだが、そんな覚悟が簡単に潰れるくらい、そこに広がる光景は冷酷無残だった。
体育館ほどの広さの地下空間。柱は無いが、外壁はコンクリートのような素材で構成されている。
その広大な面積の殆どを牢屋が占めており、入り口の近くに研究用のテーブルと椅子、そして、研究結果のレポートが大量に詰め込められた書棚がある。
「何だよ⋯⋯何なんだよ⋯⋯?」
牢屋の中には、様々なアンデッドが無数に存在していた。そしてそのアンデッドたちは、
「タ、ス⋯⋯ケテ」
喋った。
「⋯⋯何これ」
「⋯⋯」
何も言えなかった。何も、理解できなかった。
こんなの、あまりにも酷すぎる。
もしマサカズの予想が正しければ、このアンデッドたちは皆、元生者、そう、元人間だ。
──タスケテ。たすけて。助けて。
そう言っている。そう喋っている。そう発声している。
アンデッドたちは、そいつらは、彼らは、もしかすると、今も、意識を、人間だったときの記憶を持っているのかもしれない。
だが、それが分かったところで、何ができる?
──アンデッドは、回復魔法でダメージを受ける。そして、蘇生魔法とは回復魔法の一種であるため、アンデッドにとっての蘇生魔法は、生者にとっての即死魔法だ。
種族が既にアンデッドとなった者は、生者には戻れない。それが『世界の理』であり、魔法で干渉できない理でもある。唯一、できる可能性があるとするならば、それは人々が呼ぶところの『能力』であるが、エストたちの『能力』では、そんなこと不可能だ。
「⋯⋯エスト、『死者の大地』とこの空間が繋がっている様子はあるか?」
あえて、意識して、マサカズたちはそのアンデッドたちから目をそらして、視界に入れないように、考えないように、そこに居ないものとして扱うようにした。
「ない⋯⋯と言いたいけど、あの天井に魔法陣があるでしょ?」
エストが指差す辺りの天井には、目を凝らさないと見えないほど、本当に小さい魔法陣が描かれていた。
「多分、〈崩壊〉。あれが発動したら天井に穴が空いて、『死者の大地』から大量のアンデッド共が押し寄せてくるだろうね」
大抵のアンデッドは生者を憎み、その憎悪を糧に活動する。そのため、アンデッドは本能的に生者を感知でき、その感知範囲も個体によるが、平均して半径数kmにも及ぶだろう。
「⋯⋯魔法陣は消したし、早くユナたちと合流しようよ。そろそろ時間も限界のはずだし」
エストはさっさと、〈崩壊〉の魔法陣を、魔法によって遠隔で消して、ここから離れることをマサカズに提案する。
「そうだな」
やることは終わった。ならばさっさとこんな所からは離れるべきだ。エストたちはナオトとユナを回収して、そのままレイチェルの所へ向かおうとしたときだった。
「──エスト様、マサカズさん、これを見てください」
レイが、ある紙を、二人に渡した。
「この言語⋯⋯おそらく魔法語です。何ですが、私の知識ではこれが読めなくて⋯⋯」
魔法語。魔法を行使するときに術者が詠唱する言語である。
「⋯⋯分からないね。知らない単語ばかりだ」
エストは魔女であり、今でこそ人間となってしまっているが、人間としての彼女は超記憶症候群を患っていたため、魔法の知識についてはまだ覚えたままだ。
しかしそんな彼女の、広くて深い魔法知識を持ってしても、その紙に書かれた魔法語が一体何を意味するのかが分からない。
解読は時間がかかるから、一旦持ち帰ってからしよう。そう考えてレイはその紙を懐に仕舞おうとしたときだった。
「──待て。その紙、もっと見せてくれ」
魔法知識なんて一切ないはずのマサカズだったが、その言語を見たとき、あることに気づいた。
「⋯⋯ははは。これは⋯⋯どういう偶然だ?」
マサカズは、英語が得意だ。学校の英語テストでは常に満点近くを取っていて、英検も中学一年生の時には、一級に合格していた。
「まさか⋯⋯分かるの? これ」
「ああ。⋯⋯これは、俺の居た世界で使われていた言語──英語だ」
この世界には、度々、異世界人が転生するなり、転移するなりと言った形で現れる。それはどうやらかなりの昔からあったことであるらしく、異世界文化が浸透している地域は珍しいが、あることにはある。
だが、それでも、まさか、この世界における特有の技術体系の魔法に、そのような異世界の言語が使われているとは思わなかった。
たしかに、これまで、魔法の行使の際の詠唱文が、英語であったことに違和感をマサカズは覚えていた。しかし、この世界の言語は、マサカズたちの言語に、音声のみだが自動翻訳されるらしい。英語が得意であったマサカズだからこそ、その自動翻訳語されたあとの魔法の言葉が、たまたま英語であったのだと、これまでは思っていた。だがしかし、文字も英語そのままならば、これはもう疑うしかあるまい。
「soulspiral、exercise、country、sacrifice、Maga、deviant、evolution⋯⋯英語だが、文ではないな。ただ単語を連ねただけだ」
ネイティブ・アメリカンと遜色ない発音で、彼ら紙に書かれた英語を音読する。
「キミが魔法言語⋯⋯エイゴとやらを読めるなんてね。それで、なんて意味なの?」
「順番に翻訳すると⋯⋯魂の螺旋、運動、国、犠牲、Maga、逸脱、進化だ」
意味不明な単語の羅列だ。
「Magaはおそらく人名だな。マガっていう人を知ってるか? あと魂の螺旋ってのも、何かの現象のことか?」
マサカズの問に、エストとレイはどちらも「知らない」と答えた。
「解読はできたが、専門用語っぽいのと、単語の羅列なせいで全く分かんねぇ⋯⋯」
だがしかし、それでも、重要な情報であるはずだ。覚えておいて損はないだろう。何せ、この紙にはこの単語の羅列の他に、この世界の言語で『指令書』と書かれているのだから。
「魂の螺旋⋯⋯ソウルスパイラル⋯⋯」
「エスト? 何か心当たりがあるのか?」
先程は「知らない」と答えたが、エストはそれについて何やら考えているようだ。
「いや、ないんだけど⋯⋯何というか、魔法っぽいっていうか」
一部を除き、魔法語を翻訳すると、大抵日常生活では使わないような言葉になる。〈重力操作〉こそ、まさにその例だろう。
魂と螺旋という二つの言葉を組み合わせるなんて、まず普通はしない。だから、これは魔法ではないか、ということだ。
その魔法が実際にあるのか。そしてその効果とは何なのかを調べようにも、そもそも魔法陣を知らないエストでは、その〈魂の螺旋〉という魔法は行使できないのだが。
「⋯⋯っと、そろそろ時間的に不味いな」
「だね」
地下施設を魔法によって創造した土砂によってアンデッドごと埋め立て、それから転移魔法を行使して、ナオトとユナを回収し、そのあと、レイチェルの自宅へ戻ることにした。