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白の魔女の世界救済譚  作者: 月乃彰
第四章 始祖の欲望
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4−15 狂気の音

 ただ情報を公開するだけでは、軍にすぐさま証拠を差し押さえられて、カバーストーリを流され、情報の真偽性を疑われる結果になってしまうだろう。何なら根拠のない反軍行為として、強引に処刑されてもおかしくない。

 人は、第三者からの言葉の方が信用できる。これをウィンザー効果と言う。

 ということで、情報屋にこの軍の不祥事の証拠を流すと、瞬く間に情報は拡散された。

 防衛要塞の侵入から二日後のことだ。


「⋯⋯思い通りになったってわけだな」


 外で軍に対するデモが行われているのを横目に、マサカズはそう言った。

 流石に軍も表立って民の大量虐殺は行えないようで、デモの沈静化もあまり効果がなかった。

 軍はもう解体されることが決定的だろう。黒の教団もこの国から手を引かざるを得なくなり、ようやくエストたちは『始祖の魔女の墳墓』に向かえると言うわけだ。


「そうだね。⋯⋯さて、『死者の大地』を越える手筈でも整えようか」


 気分はすっかり勝利モード。今までは相手を殺すことが勝利条件だったが、今回はその立場を奪うだけで良い。国外追放の後、復讐として襲ってきても、その時には既にエストは魔女としての力を取り戻している。返り討ちなど容易いだろう。


「そういやレイチェルは?」


「買い出しだと思うけど⋯⋯どうしたの?」


「いや、お礼を言ってなかったなと。彼女のおかけで、今の勝利があるからさ」


「ふーん」


 家に匿ってくれて、防衛要塞への侵入を手助けしてくれたレイチェルの功績は大きい。もし彼女が居なければ、ここまで安全な方法は取れなかった。


「探してくる」


「別に、待ってたらそのうち帰ってくると思うけど」


「わざわざ探してから感謝して、それで飯でも奢った方が好感が持てるだろ?」


 いつからマサカズは女の子の好感など気にする性格になったのだろうか。いやおそらく、死にすぎで精神が疲弊しているのだ。可愛い女の子に癒やされたいのだろう。


「⋯⋯それなら私にも感謝するべきだと思うけど」


「何か癪に障るから嫌だ」


 マサカズの即答具合に、エストは一瞬困惑する。


「キミの私の扱い方が酷いと前々から思ってたんだけど、何か悪いことでもした?」


「初めてあったときに殺しにかかった。というか実際殺された。帝国のときにも何度か。エルフの国のときにも裏切られるわ、お前を説得するために六回ぐらい死ぬことになったが?」


「うっ⋯⋯」


 痛い所を突かれて、エストは何も言えなくなった。思い返してみると、絶交されてもおかしくないことをしでかしている。むしろマサカズはかなりエストに優しく接しているだろう。


「⋯⋯じゃ、行ってくる」


 ◆◆◆


 レイチェルは買い出しに行っているらしいので、町ある商店街に、マサカズは向かった。

 時刻は昼頃ということもあり、そこには買い物客が多かった。


「あ、すみません。通ります」


 人混みの中を、針に糸を通すかのような繊細な動きで避けていき、目的の人物を探す。


「⋯⋯あ、居た。レイチェル、探したぜ」


 こんなにも人が多いと、探すのは難しいだろうと思っていたが、幸運にもマサカズは探し始めてから十数分でレイチェルを見つけられた。


「マサカズさん? 何か用ですか?」


「まだ礼を言ってなかったなと思って」


「礼なんて⋯⋯むしろこっちから言いたいですよ」


「いやいや、レイチェルの協力がなかったら、俺たちはあそこに侵入できなかったからな。ありがとう」


 レイチェルが居なければ、マサカズたちは防衛要塞に、あんなにも安全に侵入することはできなかった。だが、レイチェルからしてみても、マサカズたちが居なければ、彼女の目的を達成することは不可能に近かった。


「⋯⋯どういたしまして」


 しかし、謙虚すぎるのも良くない。時には相手の礼をきちんと受け止めることも大事だ。


(⋯⋯ご飯にでも誘おうと思ったけど、この様子じゃ辞めておいたほうがいいな)


 見ると、レイチェルの両手に持つバッグには、食材が大量に入っている。買い出しとはこのことのためだったのだろう。

 とは言っても、目的は成し遂げたのだ。

 マサカズとレイチェルは雑談をしながら、家に戻って、焼肉パーティとなる──はずだった。


「⋯⋯ん?」


 そのとき、マサカズの耳に何かが聞こえてきたのだ。その音の正体は、


「悲鳴⋯⋯?」


 それも一人のものではなかった。何人もの悲鳴だ。それが防衛要塞のある方向からした。

 銃声がないことから、軍人がやったことである可能性は低いが、何にせよ、また碌でもないことなのは確実だ。


「マサカズさん!」


「レイチェル、エストたちを呼んできてくれ。何か⋯⋯嫌な予感がするんだ」


 マサカズはレイチェルを起き去って、悲鳴があった方に走り出す。

 少し走っただけで息を切らすほど、今のマサカズは体力がないわけではない。しかし⋯⋯目の前の光景に衝撃を受けて、彼の息は荒くなる。


「──」


 人が、まるで玩具のように、弄ばれていた。

 腐った肉ダルマのような化物は、その3mもある巨体には不釣り合いなほど細くて短い手足がついていた。顔と思わしき部分は塩酸でもかけられた男性の顔をしており、右片方の眼球がない。ベチャベチャとした緑色の液体が口の端に付着しており──それを吐きつけられたであろう哀れな被害者の女性の全身は半分ほど溶けている。


「たす⋯⋯けて⋯⋯」


 生きている。だが、そのうち死ぬだろう。

 化物は女性の腕を引き千切ったりして、あえて即死させないように傷つけている。悪餓鬼が人形を壊して遊ぶように、化物は女性を壊して遊んでいるのだ。


「⋯⋯」


 マサカズは聖剣を鞘から抜き出して、醜悪な化物の体を真っ二つに切り裂く。その際に体液が飛び散って、それが付着した地面が溶けた。だがマサカズは、今更そんな液体を躱せないほど、身体能力は低くない。


「⋯⋯すまない。もう少し早ければ⋯⋯」


 襲われていた女性は完全に死亡した。死体も三割以上は失われているし、そう簡単に蘇生魔法を行使するわけにはいかない。

 マサカズは心の中で、女性の死に哀悼する。


「⋯⋯なんで、こんな化物が突然町中に──っ!?」


 突然の異変に対しての疑問を呟こうとしたその瞬間、マサカズに背後から掴みかかってきた存在がいた。

 腐臭がして、気持ち悪い。体の大半が腐っているにも関わらず動く存在。動く死体。ゾンビだ。

 後ろから掴みかかってきたゾンビに肘打ちをして離れさせ、よろめいたところを聖剣で切り裂く。


「⋯⋯嘘だろ?」


 そして、いつの間にかマサカズは大量のアンデッドに囲まれていたことに気づく。


「冗談キツイぜ⋯⋯!」


 襲い掛かってくる無数のアンデッドを、マサカズは一撃で、その活動機能を奪っていく。

 返り血さえ浴びることなく、近くに居たアンデッドを五分もしないうちに殲滅を終えるが、


「どこから現れた、コイツら⋯⋯まさか壁に穴でも開いたか?」


 町でもアンデッドが出現しているようで、悲鳴、銃声、魔法の行使の音などが聞こえる。町は既に阿鼻叫喚の事態に陥っていた。


「⋯⋯はは。クソが。アイツら⋯⋯やって良いことと悪いことがあるだろ!」


 マサカズは町に戻るとき──アンデッドが、防衛要塞から出てきているところを見た。

 防衛要塞の警備システムは非常に優れている。まさかアンデッドの侵入を許すことなんてありえない。つまり、これは人為的な災害。

 おそらく、犯人はマイ、あるいはクアインだ。今の軍が解体されれば、その目的が達成されないと判断したのだろう。だから、逃げるついでに──この惨劇を引き起こした。


「チッ⋯⋯」


 もう、この国はどうしようもない。逃げなければならない。できるだけ早くエストたちと合流して、ウェレール王国まで逃げる必要がある。


 ◆◆◆


 仲間たちの安否を確かめるために、マサカズは全力で走って、レイチェルの自宅に戻って、玄関の扉を勢い良く開く。

 

「皆、大丈夫か!」


 アンデッド程度、エストたちの実力があれば簡単に葬り去れる。『大丈夫か』と問いかけはしたが、マサカズは生きているエストたちを想像していた。だからこそ、目の前の現実を受け止めることが、一瞬できなかったのだ。


「──」


 人は本当に絶望したとき、声が出なくなるらしい。マサカズの思考は真っ白になり、悪寒を感じる。冷汗が流れ始めて、視界がボヤケていく。


「嘘だろ⋯⋯嘘だろ、嘘だろ、嘘だろ! 嘘だと言ってくれ!」


 ──部屋中にぶちまけられたら臓腑。血生臭ささと硝煙の匂いが充満しており、不快感をマサカズに覚えさせる。


「エスト! レイ! ナオト! ユナ! レイチェル!」


 名前を呼んでも、地面に転がる、体の一部が消し飛んでいる死体たちは返事をしない。

 部屋は酷く荒らされており、ここで争いがあったことがわかる。だが、エストやレイを殺せるアンデッドなんて、存在しないはずだ。つまり、彼らを殺した相手は、


「──マイぃぃぃぃっ!」


 硝煙の匂いがする。そう、あのライフルで、エストたちは殺されたのだ、報復として。

 憎悪の炎に心を燃やされて、理性を手放し、狂気に囚われて、殺意を噛み締める。


「殺す、殺す、殺してやる」


 正常な精神なんて砕け散った。

 目の前の現実が、非常な事実が、彼に怨嗟させ、憎悪を抱かせ、そして絶望させた。


「絶対に殺す。即死なんて生温いものじゃ済ませない。死を実感させながら、恐怖させながら、絶望させながら、ゆっくりと、じっくりと、痛みを噛み締めさせて殺してやる」


 醜い殺人鬼へと、人を殺すことで自身の欲を満たす薄汚い人間へと、彼は落ちぶれた。だが、それは彼が望んだことだった。

 憎悪を憎悪で、殺意を殺意で、狂気を狂気で塗りつぶし、一瞬も正気を取り戻そうとしないようにする。そうしないといけないからだ。そうしないと彼は本当の意味で狂ってしまうからだ。

 所詮は上辺だけの狂気。だがそれで良い。それが良い。

 殺しへの渇望。一時も、あの女の顔を忘れないように、常に頭に思い描いて、殺意を向ける。

 

 ──どうして世界は、こんなにも無情なのか。


「殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す!」


 マサカズは殺人欲を包み隠そうともせず、呪詛を口から垂れ流す。


「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死んでしまえ!」


 外側が狂うことで、内側の正気を守れる。

 彼は心根からではなく、記憶から狂気を生み出し、孕み、成長したそれを口から吐き連ねる。自分は狂ってると思うことで、思い込むことで、磨り減っていく精神を、正気を保っていられる。

 だが、彼は自分自身を騙し貫くとことができなかった。良くも悪くも正直な彼では、所詮、仮面の狂気を素顔だと言い続けることはできなかったのだ


「⋯⋯うあぁ⋯⋯あぁ⋯⋯」


 彼は、自身の顔を両手で覆って、俯き、嗚咽する。

 一粒の涙が、床に零れ落ちた。


「ハハハ。フヒヒヒヒ。アハハハ⋯⋯」


 駄目だ。駄目だ。思い出せ、奴の顔を。殺意を抱け。殺すと決意しろ。狂気に囚われろ。

 狂っていなければ、正気じゃいられない。生きる気力を殺意という形で持たなくてはならない。殺人を切望しなくてはならない。


「──」


 だかとうとう、彼は、殺しに狂う人間の()()をし続けることができなくなってしまった。

 

「⋯⋯ぁ」


 今度は殺意ではなく、失意のどん底へと落ちた。現実から逃避しきれなかった。心の平穏を、正気を保てなくなってしまった。

 言いようもない、言葉にできない、筆舌に尽くし難い、抑圧していた感情が、濁流のように彼の心から溢れ出る。


「ああああああああああ!」


 ──彼は、狂ってしまった。

 絶望に打ちひしがれ、殺意でも憎悪でもなく、悲痛を叫ぶ。

 喉がはち切れそうなほど鳴き喚き、鉄の味を感じる。

 血涙を流して、苦しみを、心にあるあらゆる感情を流そうとした。だがそんなことでは、彼の絶望を治めることはできなかった。

 彼の苦しみは加速度的に増していき、悶て首を掻き毟るが、痛みは彼を救ってくれない。

 赤子のように、彼は泣き叫び続けた。


 ◆◆◆


 ──死臭が充満する町中。ゆっくりと何かが歩く音が、いやそれだけが響いている。

 先程までしていた悲鳴は既になく、代わりにするのは生者を怨むような、言語として機能していない言葉であった。


 どうしてこんなことに。


 この町の中で一番高い所。ルルネーツ遺跡の塔の頂上で、彼は一人思う。眼下に広がる地獄絵図を見て。──町に跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する不死者(アンデッド)たちを見て。

 原因不明。自然災害なのか人的災害なのかも分からない。どちらでもあってもおかしくない環境にあるのがこの国であるのだから。


「⋯⋯何で俺、生きてるんだろうな。もう、意味ないのに」


 どうせ死ぬ。こんな最悪な状況から彼が生き延びる方法なんて無い。

 たしかに彼ならば、アンデッドなんて、今ならば上位種でさえ容易に倒していける。しかしながら、下に蠢くアンデッド共は数百、数千なんかじゃ到底ない。数百万ものアンデッドが、この国に流れ飲んできて、今の地獄を創り出した。


「──」


 彼は反射的に、背後から迫る細い手を斬り落とした。

 細い手の持ち主は痛がることもせず、彼を睨みつける。


「あのときの俺なら、今ので死んでいた。強くなったから、今ので俺は死ねなかった」


 単体で都市を滅亡に導ける化物、吸血鬼(ヴァンパイア)。そんな化け物でさえ、彼にはもう歯が立たない。だが、殺せないわけではない。


「⋯⋯怖い、な。でも⋯⋯それは拒否する理由にはならない」


 聖剣を投げ捨てると、ヴァンパイアは彼をより一層警戒したようだった。


「知能はやっぱりあるよな。言葉も理解しているのか? ⋯⋯お前、俺を殺せ。俺はお前に抵抗しない」


 ヴァンパイアが後ずさる。


「⋯⋯本当だ」


 彼は壁で体を支えて、力を完全に抜く。そして懐に仕舞ってあったナイフを投げ捨てた。


「自殺はやっぱり本能が拒むんだ。⋯⋯ほら、殺れ」


 武器を完全に捨てたことで、ヴァンパイアは恐る恐る彼に近づいていく。同時に、彼も目を閉じる。

 ヴァンパイアの鉤爪が太陽に重なって、オレンジ色に光っていた彼の瞼に影が入って、そして──世界の時間は、彼の死によって巻き戻されることとなった。

 

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