4−14 不死の軍
──冷たくて、硬い床。ここは石によって造られた部屋だ。人はそれを牢獄と呼ぶ。
「⋯⋯っ」
気づいたときには、既にここに閉じ込められていた。
しばらくここで眠っていたのだろう。体が妙に痛い。
辺りは完全な暗闇ではなく、弱いが火の光がある。それは牢獄外部からのものであった。確認はできないが、おそらく、見張りがそこに居るのだろう。人の気配がする。
「──」
布を噛まされていて、発音することができない。喘ぎ声のようなものは発せられるが、したところで意味はない。魔法の詠唱は不可能である。
「⋯⋯」
無詠唱でも、魔法は行使できなかった。他人から魔力を奪う術は、先代の白の魔女であるルトアの能力『奪取』のような特殊な例外を除けば存在しないし、現にエスト自身も魔力がなくなっている感覚がない。
そうつまり、今、彼女を拘束しているこの拘束具は、魔法の行使を無効化する魔具であるということだ。
魔力を消費する、つまり体外へ魔力を放出しなければ、魔法は行使できない。であれば、魔力を体外に放出できないようにすれば、魔法の行使はできなくなるということ。カバーのようなものを対象に貼り巡らせて、魔力の放出を防ぐことができるのがこの魔具だ。
(⋯⋯まあ、ここまでは想定内のことだね)
だがこの魔具には一つ欠点があった。それは、既に行使されている魔法を打ち消す効果はないということである。
エストは体内に予め、〈収納〉という魔法で、異空間を創造していた。そして吐き出すようにして、彼女は口部から刃物を抜き出し、それで噛まされた布を切り裂く。
その刃物は魔法武器だ。足の鉄の拘束具も、バターのように断ち切れたため、エストの拘束具は腕のみとなった。しかし腕は後側で拘束されており、彼女一人の力だけでは外せない。
(よっ⋯⋯と)
だが、それでも問題はなかった。足が動けば、あとはどうにでもなる。
エストは口に咥えたままの刃物で牢屋の鉄格子を斜めに切り裂いて、そして蹴りつけることで無理矢理脱出した。
「っ!?」
見張りがそれに気づき、周囲に知らせるより先に、エストは彼に上段蹴りを叩き込んで、気絶させる。
見張りは定期的に交代するはずだ。その頻度は不明だが、早めに行動しておくことに超したことはない。
さっさとマサカズたちを牢獄から脱出させ、拘束具を破壊し終わったのは、数分後のことだった。
「ちょっと予定とは違ったけど、侵入成功⋯⋯次は、不祥事の証拠を探し出すだけだね」
そしてあとは逃げ出すだけ。転移阻害の結界魔法も展開されていない、魔法使いからしてみればあまりにもお粗末な警備体制であるようなので、証拠を見つけ出した時点で作戦は成功したと言っても過言ではないだろう。
「⋯⋯にしても丸腰か。エスト、俺たちの用の武器創れるか?」
牢獄に収容されるに当たって、マサカズたちの武具は没収された。レイは二本の鎌を魔法によって異次元に保管しているため、問題なかった。
「できるけど、一時間も経てば消えるから、気をつけてね」
シンプルな両刃の赤黒い両手剣、それぞれ金と銀を基調とした二本の短剣、銀色のカーボンのようなものを素材とした弓を、エストは〈魔法武器創造〉によって創造した。性能だけならば、マサカズたちが使っていた武具よりも高いだろう。
「今回はマトモだな」
「私のセンスがキミには合わなかったようだからね。シンプルな物にしてみたんだよ」
「お前のセンスは本当におかしいからな。治したほうがいいぜ?」
「私は大抵のことに才能を持っているはずなんだけどね。芸術関係はからっきしなのかな。それとも、キミがおかしいだけなのかな」
「それは断じてない」
「そこまで言う? ちょっと傷ついたんだけど」
今度エストが創造したのは、シンプルながらもカッコイイ、実用性に長けた魔法武器だ。
魔法武器ということもあり、純粋な鉄製の剣よりも軽くて、振りやすかった。いやその点においては前回の趣味の悪い魔法武器も同じだったが。
「さて、五人で要塞内を探索するには効率が悪いし、発見されるリスクも高い。だから、二手に別れない?」
要塞内はかなり広い。エストが記憶しているだけの範囲でさえ、探索するのは少々面倒になるくらいだ。全域ともなると、長い時間を要するだろう。
「それもそうだな。戦力も考えると⋯⋯」
エスト、ユナと、マサカズ、ナオト、レイの二手に別れることに決定した。
戦力的にも、バランス的にも、これで丁度良いだろう。良いはずなのだが、見事に男女別々に別れたことに、男性陣は筆舌に尽くしがたい思いを抱いたが、すぐにそんなことは忘れた。
「俺たちはマイの部屋に向かう」
「わかった。じゃあ、私たちは適当に要塞内を探索しておくよ」
今の所、目ぼしい場所は聖共和国軍総司令官、マイの部屋だ。
「何か見つかったら魔法で連絡してね、レイ」
「かしこまりました」
連絡手段を確認しておくと、五人はその後二手に別れた。
◆◆◆
足音を一切立てずに、ナオトは警備兵の後ろに付くと、彼の頭部を両手で掴み、そのまま首を横方向に曲げる。ゴキッ、という骨が折れるような音と共に、警備兵の命は奪われた。
マサカズと違って、ナオトは既に、人殺しへの抵抗感は無くなっていた。躊躇など、微塵もなかった。
「⋯⋯二人共、終わったぞ」
「首折りとはな。どこでそんな技術を?」
「映画」
素人目からでも、ナオトの首折りは素晴らしいものだった。それがまさかの映画知識であったことに、マサカズは少し困惑した。
「⋯⋯私たち以外の生命体の気配はしませんね」
「りょーかい」
レイは大丈夫だと言っているが、念の為、警戒心を持ちながら、マサカズは、今殺された警備兵のせいで近づくことさえできなかった部屋の扉を開ける。
「⋯⋯部屋を開けた瞬間ライフルが飛んできて、『死に戻り』するってことはなくて良かったぜ」
マイのあのライフルは対物ライフル並の破壊力を有している。勿論、人間に命中すれば即死はまず免れないし、死体も弾け飛ぶだろう。上半身と下半身がおさらばするなんて考えたくもない。
三人はマイの部屋を物色し始める。
「⋯⋯これは」
壁の方にあった棚を調べていたマサカズは、目を引く資料を見つけた。
タイトルは『異世界間を行き来する方法について』だ。
この世界の言語を、マサカズはまだ読めない。翻訳されるのは音声だけで、文字は翻訳されないという謎仕様のおかけだ。しかし、そのタイトルは読むことができた。何せ、彼の母国語、日本語であったからだ。
「⋯⋯」
さらっとマサカズは斜め読みして、内容の大方を理解する。
結論から述べるならば、異世界間を行き来する方法は存在する──存在するということしか、分からない。
「『始祖の魔女が教えてくれた魔法を行使したが、それは効果を発揮せず、転生者である行使者の魔力のみを奪い、行使者は魔力の枯渇により死亡した』⋯⋯だって?」
転生者の実力は、世界最高峰に数えられる。転生者の魔法使いならば、魔女に匹敵する魔法能力、魔力の持ち主だろう。そんな転生者の魔法使いが、たった一つの魔法を行使するだけで魔力が枯渇し、死に至る。
──最悪なニュースだ、特に、元の世界に帰りたいと願っていたマサカズにとっては。
「どうした、マサカズ?」
「何か見つけましたか?」
「⋯⋯二人共、これを見てくれ」
ナオトとレイもその書類を確認すると、驚いたような顔を見せる。
「魔法一つで魔力が枯渇するなんて⋯⋯にわかには信じ難い話ですね⋯⋯」
魔法使いであるからこそ、レイはマサカズとナオトより、その資料の内容を疑っているようだ。だが、嘘の資料をここに置いておくとは考えづらい。
「⋯⋯まあ、今は作戦を優先しよう。マサカズ、その資料は持っておいてくれ」
「分かってる。⋯⋯ああ、クソ。そんなことがあってたまるかよ⋯⋯」
一先ず、このことは保留にしておくべきだ。今は優先順位を考えなくてはならない。
それからしばらく探索を続けるが、特にめぼしいものは何も見つからなかった。そろそろ、牢獄の見張りの交代時間が訪れて、マサカズたちの脱獄がバレてもおかしくない時間帯だ。
「⋯⋯ナオト、机はちゃんと調べたか?」
「うん、勿論調べた」
「見ただけか?」
「⋯⋯そうだが。どうした?」
やけに質問してくるマサカズを、ナオトは不思議がる。
マサカズはナオトが一度調べた机の前に行って、引き出しを引く。当然、そこには特に目ぼしいものはなかったのだが、
「⋯⋯ビンゴだ」
仮にも総司令官、転生者であるマイの部屋に、あの異世界間を行き来する方法についての資料以外の何かしらがないのは少々怪しい。そして、こういうときは大抵、重要な書類というものは隠されているものだ。
机の引き出しの見えている底を、マサカズは取り外す。
「二重底⋯⋯予想外だったな」
数枚の資料しか挟まれていなかったため、それが二重底だとは分かりづらかった。予想でもしていなければ、気づけないだろう。
「えっと、何何⋯⋯」
また、マサカズは資料を斜め読みする。そして読み進めるだけ、彼の顔は険しくなった。数分が経過して、マサカズは数枚の資料を読み終えた。
「何が書いてありましたか?」
「⋯⋯最悪な計画だぜ、これは。──『不死の軍』。アンデッドを軍事利用する計画書だ」
「アンデッドで軍を? そんなの、できないはずですが⋯⋯」
黒魔法の〈不死者召喚〉によって召喚されるアンデッドは、知能なんて全く持たないアンデッドのみだ。その上位の魔法でも、理性を持たないアンデッドしか召喚できないため、召喚者が生者だと襲われることもある危険な魔法だ。
一体だけでさえ、生者には制御できないのに、ましてや軍のように、大量のアンデッドの統制を取ることなんて不可能である。
だったら、他の方法であれば?
「⋯⋯っ! マサカズさん、そのアンデッドって、まさか!?」
「⋯⋯ああ、召喚魔法じゃない──人間を媒体にしたアンデッドを創り出そうとしているんだ」
──アンデッドの知性を、人間を素材とすることで確保する方法を用いれば、アンデッドのみで構成された軍をつくることができ、また統制を取ることも可能だろう。
「⋯⋯色々と見えてきたぜ、クソったれが。俺たちがこの国に来る途中で見かけた村の村人も、おそらく⋯⋯」
抵抗した跡がないのに、何故か失踪した村人たち。それも当たり前の話だったのだ。軍人が村に現れたところで、誰が警戒するだろうか。誰が逃げようとするだろうか。誰が危険だと思うだろうか。
軍は血の一滴も垂らさずに、全員を無力化することを真っ先に考えただろう。マイの加護ならば、麻酔銃を創作できるだろう。そしてそれを使えば、村人を全員眠らせてそのまま実験材料にできるだろう。
「人体実験。マイは非人道的だなんて考えて躊躇するような性格じゃない」
もし躊躇するような性格ならば、マサカズたちをあんな残虐な方法で殺害するはずがない。
マイはマサカズたちと同じ異世界人だったが、マトモな人間性を持っていない。少なくとも倫理観は、正常な現代日本人のそれからは遠く離れたものになっている。だが、マサカズたちは彼女を非難できない。マサカズたちだって殺人を犯せるほどにはこの世界に影響されている。そろそろようやくこの世界に転移してきてから二ヶ月のマサカズたちでさえこれだ。五年前に転生してきたマイがああなるのも、何らおかしくはない。いやむしろ、ならないほうがおかしいというものだ。
「⋯⋯それに加えて、この計画にはまだヤバイのが載っているんだ」
人間のアンデッド化の実験を、砂漠にある村を犠牲に秘密裏に行っていたという事実だけでも十分、この国を揺るがせるというのに、まだ、他に不祥事がある。どれだけこの国の軍は腐っているのか。
「──『協力者 黒の教団』とのことだ」
本当に、笑えない、碌でもない狂人集団と一国の軍が協力関係にあるなんて。
黒の教団との関係が表になるということは、それだけで現在の軍は即、解体されることが運命付けられるようなものだ。それほどまでに黒の教団は忌み嫌われている。
「黒の教団⋯⋯ですか」
この調子だと、黒の教団は他の国々の裏にも、潜んでいたっておかしくない。どこかの魔女教のように、構成員の統率が取れていない組織ではないのだ。個々の力では、エストがいれば厄介でなくても、協力されたり、このように国を支配されればそう簡単にはどうにかできない。
「⋯⋯本当に、厄介だ」
トカゲの尻尾切り──ケテルやティファレトのように、彼らから直接攻められているわけではない今回においては、逃げられる可能性が非常に高い。
だが、見逃すわけにも行かない。
「⋯⋯とりあえず、レイ、エストに連絡してくれ」
「分かりました。〈通話〉」
レイはエストに連絡してから、レイチェルの家に転移した。