4−10 裏側の存在
──戻ってきたのは、数時間前の時間軸だった。
「⋯⋯マサカズ、何があったの?」
急にマサカズの瞳から生気が失われたことで、エストは彼が『死に戻り』したことを確信した。
『死に戻り』をしたことで、精神的な疲労にマサカズは少しフラつき、ベッドに座り込む。
「⋯⋯」
死の恐怖にはもう慣れたものだと、彼は思っていた。しかしそれは半分合っていて、半分間違っている。
死そのものに慣れることはできない。それへの対策方法は、自身の精神を殺すことだけしかない。死に慣れていると勘違いしていただけなのだ。
殺した精神を蘇生したならば、死への恐怖や不快感は何の軽減もなしに覚えることになるだろう。
「⋯⋯死に慣れる──いや精神を完全に殺してしまったら駄目だ。耐えろ、俺」
精神を殺す、あるいは殺されるということが、今の彼にとってはどんなことよりも怖い。どういうわけか、彼はそれらへのある種トラウマにも近いものを持っているのだ。
心を落ち着かせて、恐怖を押し潰すのではなく、忘れる。
少しだけ時間が過ぎた。
「⋯⋯よし、もう大丈夫だ。⋯⋯えっと、俺の死因だが、共和国軍総司令官マイによる襲撃だ」
「⋯⋯何言ってるんだ? 死因ってどういうことだよ?」
テルムは、マサカズの『死に戻り』の加護を知らない。いきなり『俺の死因は』なんて言われても、頭がおかしくなったのかと思っていた。
「まあそうだよな。それが正常者の反応だよな。⋯⋯簡潔に言えば、死亡したら時間が巻き戻る加護を俺は持ってるんだ」
「⋯⋯お前は、こんな非常事態で冗談を言うような奴じゃないから、真実なんだろうが⋯⋯」
突拍子もなく、あらゆる加護と比較しても明らかに異質な効力。この魔法があるような世界の住人でも、信じられないと言いたげだ。
「⋯⋯とにかく、何であれこのまま逃げようとしても、またマイに襲撃されるだろうし、現状の戦力じゃあ彼女には勝てない」
シュウジという転生者とは違う。マイは恐ろしく強くて、勝てる気がしない。銃器が不利である閉鎖空間ならばあるいは可能かもしれないが、そもそも彼女をそんな状況下に追い込める気はしないのだ。
「砂漠に逃げても、おそらく運命は変えられない」
何度か『死に戻り』をしているマサカズは、あることに気づいていた。それは、どんな時間軸でも絶対に起こってしまう出来事があるということ。極端な話、太陽が東から昇って西に沈むという事象を、マサカズは変化させることは不可能であるように。
今回の場合、砂漠に逃げるとマイに襲撃される、というのが、その絶対不変の事象に当てはまるだろう。
「なぜなら、マイは俺たちが砂漠に逃げることを予想しただろうからだ。砂漠は見晴らしがいい。ユナの『慧眼之加護』しかり、視力が良くなる系の加護を持っているならば、見つけ出せるだろうな」
モルム聖共和国から別の国へ逃げるとするならば、必ず砂漠を超えなければならない。砂漠は広いのだが、森のように森林があるわけでもない。たしかに砂丘などはあるが、それも飛行機器で上空に居るならば、目標を探すのには、大して問題はないだろう。
なにより、砂漠超えをするならば、昼を過ごすためにオアシスや村に滞在する必要が出てくる。ある程度のルートはそれらの配置を知っているならば、用意に予測できるだろう。
あとはそれから導き出される複数のルート候補を、高速飛行できるあの機器で虱潰しに回っていくだけだ。
「そこで、だ。⋯⋯ここであえて、『死者の大地』に行ってみるのはどうだ?」
『死者の大地』はアンデッドが無数に存在する地域だ。そこを超えることさえ難しく、仮に超えたとしてもその先には人間国家がない。つまり、行く意味がない。しかしそれは、普通の人間だったらの場合だ。
「そもそも、俺たちの目的はエストの魔女のとしての力を取り戻すため、『死者の大地』の中心に存在するはずの『始祖の魔女の墳墓』に向かうことだ。だったら、さっさとそこに行って、魔女としての力を取り戻して、共和国に帰ってきてからマイを殺せば良くないか?」
まだ『始祖の魔女の墳墓』にさえ行ければエストが魔女としての力を取り戻せるとは確定していないし、仮に始祖の魔女が存在していて、エストを魔女に戻せるとしても、それをしてくれるとは限らない。
不確定要素が多くて、リスクも高いし、時間もかかる。
しかし、それ以外の解決方法がない、思いつかないということもまた事実である。
「まあだから、テルムたちには、悪いが少しだけ付き合ってもらうことになるな」
「⋯⋯それ以外の方法がないんだろ? なら喜んで付き合ってやるよ。エレノアもそれでいいか?」
テルムはエレノアにそう聞くと、彼女は小さく頷いた。
「よし、じゃあ決定だ」
◆◆◆
前回、既に一度『死者の大地』に行ったことがあるため、エストの転移魔法でそこに転移することができた。
「誰もいませんね⋯⋯」
周りを確認しても、生者は居ない。不死者も、壁の近くということもあり、どうやら居ないようだ。
見つかる心配があまりないとはいえ、可能性はゼロではない。一刻も早く、『始祖の魔女の墳墓』に向かうべきだろう。
一行はその場から逃げ出すように走り出す⋯⋯が、
「──皆、誰か来るぞ!」
急に、ナオトがそんなことを言って、後ろを振り返る。釣られるようにマサカズたちも振り返ると、そこには、
「あれは⋯⋯まさか⋯⋯!」
短い黒髪に黒目の、共和国軍の軍服を着た男がこちらに向かって走り近づいてきていた。その走るスピードは尋常ではなかった。
彼──クアインの両手にはサーベルが握られていることからも、目的はすぐに分かった。
この中で一番正面戦闘が強いと思われるレイが、クアインのサーベルを骨の鎌で受け止める。
「皆さん、ここは私に任せて先に行ってください!」
「っ⋯⋯分かった! レイ、命令だよ。そいつに勝って私たちに追いついてきて!」
そう、一刻も早く、『始祖の魔女の墳墓』に向かわなくてはならないのだ。一秒でも、時間を無駄にはできない。マイが来たらその時点で負けは確定なのだから。
「──我が主の思うがままに」
レイはエストたちが進んで行ったのを見ることもなく、目の前の男、クアインと相対する。
「⋯⋯あれだけの戦力があれば、私一人ごとき一瞬で殺せたでしょうに。どうしてそうしなかったのですか?」
「刹那でさえ今は惜しいというのもありますが⋯⋯何より、あなたの実力を信じて、ですよ」
なぜ、クアインはエストたちを単独で襲ったのか。これだけ人数差があるというのに。
その理由は、その人数差があっても、クアインは増援が来るまでの時間稼ぎが十分にできるほど、彼には実力があるからだ。
「ほう、そうですか。でもそれなら、あなた一人で私一人を相手するほうが危険でしょう?」
「⋯⋯あなたは私たち全員を相手に時間稼ぎができるかもしれないほどの実力者。そんな相手を、私一人で相手にするのは愚の骨頂です」
「ならどうして」
「⋯⋯マサカズさんは、よくこんなことを言っていました」
レイは笑顔を見せる。女性であれば、虜になってしまいそうなくらいの笑みだ。しかし、その笑みにはたしかに悪意が含まれていた。
「『勝つためなら、手段は選ばない』と」
──レザーコートを羽織ったスケルトンが、クアインの影から現れて、その赤いナイフで、彼の腹部を突き刺す。そのまま抉ろうとしたのだが、クアインはそれより速くスケルトンから離れる。
「ええそうです。私一人だけでは、あなた一人を相手することは少し厳しい。ですが、二人であればどうでしょうか?」
腹部を刺されたことで、クアインの動きは鈍った。出血が酷く、体を動かそうにも痛みがそれを邪魔する。
「あなたは所詮人間です。その致命傷に耐えることもできなければ、時間が経つたびに不利になっていく⋯⋯。そんな状態で、異形なる存在である私たちを相手にできるのですか?」
血が抜けていくことで、クアインの体力は失われていく。
「⋯⋯時間が経つたびに不利になっていく?」
クアインのサーベルを握る力が、より強くなった。
「⋯⋯ふふふ。なら、完全に不利になる前にあなたたちを殺せばいいだけでしょう?」
クアインは右手のサーベルをレイとテルムに向けた。それは勝利宣言にも取れた。
「さあ⋯⋯始めましょう」
クアインは到底人間とは思えないほどのスピードでレイたちとの距離を詰めて、サーベルを思いっきり振る。レイはまたもやそれを受け止めるが、先程のそれより力は強いような気がした。
「〈骨槍〉!」
クアインの足元から骨の槍が出現するも、彼はそれをサーベルで砕いて無力化した。続くレイの鎌による攻撃も避けた。
「ぐっ⋯⋯!」
反撃にかかろうとしたところで、一瞬強くなった傷の痛みのせいで、クアインの動きが止まる。その隙を狙ってテルムが赤いナイフでクアインに斬りかかった。
だがしかし、クアインは痛みを無理矢理頭から掻き消して、テルムのナイフを受け止める。
続くレイの攻撃を、クアインはサーベルで受け止めるが、
「──!」
サーベルは折れてしまった。やはり、サーベル自体は普通の武器であるためか、レイの骨の鎌を何度も受け止めることはできないようだ。
しかし、サーベルが一本使えなくなったからといって、戦力が半減するわけでもない。元より刀剣類というのは一本で戦うのが一般的だ。
クアインに鎌が振り下ろされるが、
「〈瞬歩〉」
彼の姿が消えて、レイの鎌の上に器用に立つと、レイに向かってサーベルを突き刺そうとするも、赤色のナイフが飛んできて、クアインはその場から離れた。
「ってぇ⋯⋯!」
する必要はないのだが、そうしてしまうのはなぜか。テルムは激痛を感じて、過呼吸の状態となっており、膝が地面についていた。
──テルムの眼窩から、赤色の光が消えた。
「一本創り出すだけでもこれかよ⋯⋯」
瞳が光る。それは、能力者が能力を使ったときに起こる現象だ。
テルムは黒の魔女に支配されたとき、その能力を酷使してしまったことで使えなくなっていた。しかし、時間が経って、少しなら使えるくらいまでには回復していたのだ。だが、この能力を使ったときの反動は以前の比ではない。
激痛によって怯んでいるテルムをクアインは狙うが、勿論レイはそれをさせない。骨の鎌を振り下ろして、回避せざるを得なくすることで、テルムを守る。
「ありがとうございます。立てますか?」
「ああ⋯⋯何とかな」
能力の使用による反動の激痛は、すぐに消えた。
「能力者⋯⋯魔女や大罪の魔人以外では、初めて見ましたよ。凄いですね」
「そりゃどうも⋯⋯っ!」
テルムはクアインにナイフを振るも、サーベルで受け止められた。
「その能力の反動をなんとかする代わりに、私たちの仲間になりません?」
「そんなのお断りだ。オレにはもう守らなきゃならない奴が居るしな。アイツをお前らと一緒にしたくねぇよ」
テルムはナイフを引くようにして、力が加えられていたサーベルは空振って、クアインは体制を崩した。
すぐさまテルムはナイフを逆手に持って、クアインの首を狙うも、彼はとんでもない反射神経を持ってして、それを避けた。しかし体制を崩した状況からの無理矢理な回避行動。腹部の傷に負担がかかり、更にそれが開くことで激痛が生じ、一瞬視界がボヤケた。
テルムが追撃と言わんばかりにクアインに攻撃を仕掛けるが、彼はサーベルでテルムのナイフを弾くと、カウンターを行う。
サーベルよる斬撃は単純な軌道ながらも、パワーとスピードに物を言わせて、テルムでさえ、赤いナイフで受けきるのがやっとだった。これが普通のナイフなら、今頃破壊されていただろう衝撃だ。
後ろで鎌を大きく振りかぶるレイを見たテルムは、すぐに彼が今からしようとすることに気がつき、ここに居ては巻き添えを食らうと判断した。
「〈影化〉」
テルムが真っ黒な液体のようなものに変化して、クアインの影に溶け込む。
「〈裂風〉!」
そして次の瞬間、クアインを、風が襲った。その風には斬撃が乗せられており、さながら鎌鼬のようだった。だがその威力は鎌鼬程度ではない。なにせ、破戒魔獣のモートルの肉体を切り裂くほどなのだから。
しかし、クアインはその技をサーベルで掻き消した。
「⋯⋯いやはや。少し今のはヒヤッと来ましたよ。この感じは、ケテルを本気で怒らせて、喧嘩したとき以来です」
「──ケテル?」
「⋯⋯は? それってまさか⋯⋯」
クアインは、今、たしかにそんなことを言った。
「⋯⋯おっと、口が滑ってしまいましたね。⋯⋯まあいいでしょう。そうです。あなたたちの予想通り⋯⋯」
ケテル。『黒の教団』の幹部最強の存在だ。レイは、エストからその名前を聞いていた。
テルムも同じで、黒の魔女に操られた際の記憶も残っているため、ケテルという人物のことを知っていた。
「──私は、『黒の教団』の幹部、コクマーです。クアインはこの国で使ってる偽名ですよ」