4−4 選択
今回、人によっては不快になるかもしれない描写があります。
薄暗い一室。そこは、一般的な家屋の寝室と殆ど同じ部屋だった。しかし、そこは一般的家屋なんかではない。
「あっ──」
喘ぎ声が、それもまだ幼い声のものが、部屋に響いた。
白くて小さくて細い体の上に、太くて汚くて醜い体が重なっている。その醜い体の持ち主である男は獣のように息を荒くして、腰を上下に動かす。
「ふぅ⋯⋯」
ピストン運動が終了すると、男は少女から離れた。
少女は腕で自分の顔を隠すわけでも、男に抵抗するわけでもなかった。できないと知っているから、もう諦めているのだ。
「もっと締めろよ」
男はそう言った。少女はその意味を理解できなかった。
締めろ? 何を?
「⋯⋯使えねぇな」
一年前、少女は気づいたらここにいた。砂漠のとある村の娘であった彼女だったが、彼女の家族は貧困であって、ついに彼女は売られることとなったのだった。
しかし、彼女は自身の両親を恨んでいなかった。いや、恨むに当たる理由を知れなかったのだ。それを知って、理解して、恨めるほどの余裕さえ、彼女にはなかったのだ。
日々来る男の快楽を満たすための道具。つまり、性奴隷になることしかできない。ここではそれ以外の選択肢はなかった。
「⋯⋯」
『使えない』とは、それは一体どういう意味なのだろうか? ──考えるまでもないだろう。
彼女が思う、彼女自身の存在意義とは、性奴隷になること。それがどれだけ嫌なことでも、どれだけ苦痛なことでも、今すぐここから離れたくても、存在意義がそれなのだから抗うことはできない。抗えばどうなるかなんて、想像に難くない。
だから──彼女は媚びた。汚くて大嫌いで殺せるなら殺したいと思う目の前の男に。泣きついて男の嗜虐心を煽り、自身を人間でも性奴隷でも、『道具』としてでも良いから、存在意義を奪わないで、と。
しかし、結果は残酷だった。使えなくなった道具を修理するより、新しく買い直したほうが安く済むように、性奴隷も買い直せば良いだけで、古いものは捨てる。
「──」
存在意義を失ったかのように思われたが、まだ、彼女にはそれがあるようだった。
だが、その新しく与えられた存在意義を、少女は拒絶した。その存在意義が死ぬことより苦痛なことだったから、彼女は逃げ出した。
「⋯⋯お前、人間か?」
逃げ出した路地裏で、レザーコートを着た人に出会った。声色から察するに、おそらく男だろう。
「⋯⋯追われてるのか。はぁ⋯⋯ったく、面倒だな」
男だと理解して、少女は彼からも逃げ出そうとした。しかし、先程までレザーコートのフードに隠れて見えなかった彼の顔を見て、少女はそれを辞めた。
──白色の、顔。それはまさしく骸骨であった。
「おいガキ、後ろに隠れてろ」
スケルトンはそう少女に言うと、懐から得物を取り出す。それは赤色のナイフだった。
「な、何だこ──」
追ってきた三人の男たちの首を、スケルトンは一瞬で斬り落とす。少女には結果しか分からず、その過程は見えなかったほどに、スケルトンの動きは速かった。
スケルトンは赤色のナイフを懐に仕舞い直すと、そのまま立ち去ろうとした。
「⋯⋯待って」
少女はスケルトンを呼び止める。
「⋯⋯何だ。匿えなんて言うなよ? オレは忙しいんだからな」
「違う。⋯⋯私を殺して」
「──は?」
少女は、存在意義を見失った。ならせめて、目の前のスケルトンに殺してもらおうと思ったのだ。
「⋯⋯いいぜ」
スケルトンは、アンデッドだ。目の前のスケルトンは特別、生者を殺すことに執着しているわけではないようだが、かと言って生者を殺すことに躊躇いがあるわけでもない。
『殺してほしい』という願いを、少女の儚き人生で唯一心から願ったことを、スケルトンは簡単に叶えることができる。
スケルトンはナイフを振り上げて、苦痛なき死を少女に贈ろうとする。
そして、少女は願いが叶うと思い、満面の笑顔を浮かべた。
ようやく終わりを迎えられる。この苦痛の人生から開放される。そう、思って目を閉じて、その時を待った。
──だが、その時はいつまで経っても来なかった。
「⋯⋯どうして」
見ると、スケルトンのナイフを持つ手が震えていた。そしてスケルトンの眼窩はただ暗闇が広がっているだけだった。
「早く、私を殺して」
言っても、スケルトンは返事しなかった。代わりに、何か呟いている。
「⋯⋯クソッ⋯⋯何でだ。何で⋯⋯手が震える? これ以上動かせない?」
「早く私を⋯⋯」
「静かにしてくれ。それどころじゃないんだ。⋯⋯っ!?」
スケルトンは突然頭を抱えて、倒れる。片手で体を支えるが、未だもう一方の片手は頭を抱えたままだ。
──眼窩の奥に、赤色の光が一瞬だけ灯った。
「⋯⋯すまないが、オレはお前を殺せない」
「え⋯⋯」
「だが⋯⋯もしお前がオレを見ても驚かないなら、付いてくることを許してやる」
「⋯⋯うん」
存在意義は与えられるものではない。自分で、得るものだ。
◆◆◆
「⋯⋯お、目覚めたね」
少女が目を覚ますと、そこには長い白髪のとても若い女性が居た。
「ここは⋯⋯」
「宿屋の一室さ。病院に行くより、私の魔法のほうが⋯⋯まあ色々と都合が良いしね」
周りを見渡すと、たしかに宿屋の一室のようだ。部屋には衣類や食料品などがあるが、そこに一つだけ異質なものがあった。
「あれが何か気になる? ⋯⋯キミが聞いても後悔したり、私に怒ったりしないと誓うなら、教えてあげてもいいよ」
およそ1kgほどの灰が入った小袋。何かを燃やしたあとのものだろう。
そういえば、少女はやけに体が軽くなった感じがする。完璧な治療もその理由の一つだろうが、まるで重荷を手放したようだ。
「⋯⋯聞かないのね。⋯⋯良かったよ。その選択肢を選んでくれて。私も⋯⋯言いたくはない」
少女はその灰が何なのかは分からなかった。しかし、目の前の白髪の女性の瞳から察するに、聞くべきでないものであったことは理解した。
「⋯⋯あなたは、誰?」
「エスト」
「エスト⋯⋯」
どこかで聞いたことがあるような、とエレノアは思うが、よく思い出せなかった。
「ああ、今日一日は動かないほうがいい。キミへ行った治療と⋯⋯あと一つは、かなりキミの体へ負荷をかけたはずだ。私もその道のプロじゃないからね。少々荒々しくなってしまったんだ。下手に動けば傷がまた開く。でも安心して。傷跡は何とか無くしたから」
少女の全身は包帯でグルグル巻きの状態だった。痛みはないのだが、何か傷口あたりに違和感を覚える。
「一日の辛抱だ。明日になれば走り回れるよ。魔法って凄いからね」
「魔法⋯⋯ってことは、エストは魔法使い?」
「あ、ああ。うん、まあ⋯⋯そんなとこかな」
会話を終えると、エストは座っていた椅子から立ち上がる。
「どこへ行くの?」
「町に。私はこの国にある要件で来たんだ。その情報収集さ。夕方には帰ってくるから、大丈夫だよ。⋯⋯っと、さっき動いちゃ駄目って言ったけど、別に少し歩くくらいならいいからね。適当にそこらのバックから飲み物とか食べ物とか勝手に取っていいよ。じゃあね」
次の瞬間、エストの姿が部屋から消える。その間際、彼女の立っていた床には白色の魔法陣が展開されていた。
「転移魔法⋯⋯かな?」
一人になってしまったし、ベッドの上で寝ていると、娼館に居た頃を思い出してしまう。だが、こことあそこでは、何もかもが違う。ここはきっと安全で安心で、苦しくないところなはずだ。
「⋯⋯聞かなかったけど、あれ、なんだろう」
エレノアは再び灰の小袋を見る。だが、検討もつかない。
「まあいいや」
彼女は瞼を閉じて、意識をゆっくりと手放していく。
なんの重りもない体。疲労がなくなったことも原因だが、大きな原因は他にある。
罪なき純粋な者の死は、同じく罪なき彼女の命のために散っていく。そう──灰のように。
◆◆◆
転移して、エストはある男の目の前に現れた。
「どうでしたか、あの子供の様子は」
「元気そうだったよ」
白と黒とが反転している瞳を持った執事服で高身長の黒髪の男は、エストにそう聞いた。
「⋯⋯正直、人間なんてどうでも良いと思っていましたが⋯⋯アレは不愉快でしたね」
レイは魔人である。普通の人間なんて虫と同等であり、心底どうでも良いと日頃から思っている。
しかしそんな彼でさえ、エレノアの境遇には眉を顰めてしまった。
「⋯⋯人間なんてどうでもいい、ね。なら今の私にも同じことを思ってるのかな、レイ?」
「いえそんなことは決してありませんよ!? 興味がないのはあくまでただの人間です! 今のエスト様も十分魅力的で私の主に相応しき、いや寧ろ私ごときで従者が務まるのかと⋯⋯」
「冗談だよ」
「⋯⋯あ、はい」
質の悪い冗談である。
レイは朝の一件もあり、これ以上エストへの無礼な態度は取りたくないと思っていた矢先、これである。不憫と言っても良いだろう。
「さて、さっさと情報収集といこうか。キミにどうでもいいなんて思われる主にはなりたくないからね」
エストは、言葉の後半をあえて小さい声で言った。
「そうで──え?」
「ふふっ⋯⋯何でもないよ、レイ」
先程何を言ったかを聞いてくるレイを適当にあしらいつつ、エストは砂漠の中の町を歩いて、あるところを目指す。
「情報収集と言えばやっぱりここだよね」
目的地に到着した。
「ここって⋯⋯酒場、ですか?」
「そう。昔から情報収集は酒場って、相場が決まってるからね」
エストとレイの二人は酒場に入る。
そろそろ夕方とはいえ、現在はまだ日が昇っている。しかし、どうやらこの酒場はこんな時間から、もう盛り上がっているようだ。
「⋯⋯」
酒場に入った二人は瞬時にして、こう思った。『間違えた』と。
しかし、時既に遅し。今更ここから出ていくことはできず、仕方なく、白髪がところどころに生えている店主に話を聞きに行く。
そのとき、エストに向けられる視線は、とても気持ち悪いものだった。
「⋯⋯『始祖の魔女の墳墓』について知って──ますか?」
いつものようにタメ口を聞く気にはなれず、彼女にしては珍しく敬語で店主に問う。しかし、店主は、
「ここは酒場だ。情報屋じゃない。だが⋯⋯何か注文するなら、話は違う」
「⋯⋯そう。ならエメケルトを二つ」
エメケルト。緑色に輝くアルコール度数20%の強い酒だ。
「エスト様⋯⋯?」
エストは酒に弱い。アルコール度数3%ほどでも、一瞬で酔ってしまうだろうほどだ。
「大丈夫だよ」
出されたエメケルトを、エストとレイは一気に飲み干す。レイは問題ないが、いつものエストなら、このあとすぐヘロヘロになっただろう。
「お酒は頼んだ。情報を話してもらえるかな?」
しかし、彼女は一切酔っていなかった。
僅かにだが魔力の反応がしたのを、レイは感じた。おそらく、彼女は転移魔法を使って、酒をどこか別のところへ転移させたのだろう。
「⋯⋯『始祖の魔女の墳墓』は所謂御伽話だ。実際にあるのかもわからないものだが⋯⋯噂によると、それは、この国にはない」
「⋯⋯え?」
思わぬ情報に、エストは驚愕した。だが、店主は話を続ける。
「まあ慌てるな。大方その反応だとこの国にあるという噂を聞いてやってきたんだろ?」
「⋯⋯まあね」
「その噂も、間違っちゃいない」
「⋯⋯それってどういうこと?」
二つの噂の内容は、矛盾している。この国にないというのと、この国にあるというのがどちらも合っているなんてありえないはずなのだ。
「その『始祖の魔女の墳墓』は──『死者の大地』の中心にあるってことだ」
モルム聖共和国は、『死者の大地』の支配権を握っていない。つまり『死者の大地』は完全にフリーの土地であるわけなのだが、アンデッドが大量発生するといった性質上、そんな土地を領土にしたいという国は存在しない。
よって、実際は『死者の大地』はどの国の領土でもないのだが、聖共和国が管理しているため、一般的には『死者の大地』は聖共和国の領地であるというのが共通の認識だ。
「なるほどね⋯⋯ありがと。お釣りは情報料だから貰っといて」
エストはテーブルに酒代と情報料を置いていくと、酒場を出ていく。
「⋯⋯今の」
「ああ。十代後半⋯⋯少し客の趣味からは離れるが、あの美形だ」
店の隅で、二人の男が、周りの客に聞こえないよう注意しながら、そんな会話をしていた。
「最近一人逃げたらしいから、新しい奴が入ってくるまでの繋ぎを探してこい⋯⋯か。それにしてはちょっと豪華すぎだよな」
「そうだよな。普通、あんなのメインになるぞ。⋯⋯でもまあ、多分俺たちに回ってくるだろ。楽しみにしてようぜ」
「そうだな」
男二人は汚い笑みを浮かべて、先程までこの店に居た白髪の美女の姿を思い出す。白くて美しい裸体と服の上からでもわかるほど大きな双丘を想像して、それを味わうときを楽しみに待つ。
「お前さんたち」
そのとき、店主が男二人に話しかける。
「食い逃げなんかしないっての。はいよ」
きっちりと酒と料理の代金を払って、店主はそれを受けとる。だが、要件は違ったようだ。
「⋯⋯あの女を狙うなら、辞めておいたほうがいい」
「⋯⋯は? なんでだ?」
この店の主人はあくまで中立的だ。一般人から犯罪者まで、騒ぎを起こしたり食い逃げをしなければ、皆平等に客として接するのが店主のモットーである。
「俺は元冒険者だから分かる。あの女はただもんじゃねぇ」
「⋯⋯そうかよ。でも、こっちも仕事なんだ」
「⋯⋯忠告はしたぞ」
男二人は店主を無視して、店を出ていった。
店主はそんな二人を咎めるわけでもなく、そんなことよりあの男女二人のことを思い出す。
「⋯⋯ああ。あの女はただもんじゃなかったが、人間だ。だが⋯⋯あの男の方、あれは⋯⋯一体何だったんだ?」
あの『1kgの灰』は一体何なんでしょうかね?
そういえば、これはちょっとした雑学なんですが、ネットで調べた感じだと、14歳でも子供は産めるらしいですね。