4−3 陰
エストたちがしばらく待っていると、数分してアルが帰ってきた。そして彼の近くには同年代ほどの、ワインレッド色のロングヘアに赤目の少女が居り、彼女こそがレイチェルなのだろうと分かる。
彼女はエストたちを見ると、まずは頭を下げて、
「この度は私の友達を救っていただき、ありがとうございました」
感謝した。
それからレイチェル・リド・マースとエストたちは互いに自己紹介を終えると、近くの飲食店へと入店する。
砂漠の日中は暑く、夜中は寒い。そのため、砂漠に住む人々は、そんな気温のどちらにも耐えられる強い体にならなくてはならない。
強い体になるには勿論鍛錬が必要だが、それより必要になるのは一日を過ごせる十分なエネルギーだ。そしてそのようなエネルギーが効率的に摂れるのは、やはり食事。特に肉料理だろう。
「⋯⋯」
屋根はあるが壁はなく、しかし太陽光は防げて風は通すといった造り方の飲食店。ちなみにシャッターのようなものがあるため、突然の砂嵐にも対応できる。
エストたち、ヤユクト夫婦、そして夫婦の共通の友人であるレイチェル。計八人は木の椅子に座って、円形の大きな机の上にある大量の肉料理と少量の野菜、スープなどを見ていた。
この国の出身であるヤユクト夫婦とレイチェルはその量に驚いていなかったが、そうではないエストたちはただ唖然としていた。
「⋯⋯え? これ⋯⋯え? 全部? 注文間違ってない?」
その量は、普通の観点からして見れば十六人分を超えているだろう。
「いいえ。間違っていません。この店では、きっちりこれで八人分ですよ」
たしかに値段が妙に高いなとは思っていた。しかしほんの少しだけ高い程度で、砂漠という環境では食料も比較的高価であってもおかしくないと思っていた矢先これである。
「⋯⋯残すのは駄目⋯⋯」
料理を趣味にまでしていたエストは、食物を無駄、つまり残すことには人一倍抵抗がある。
しかし、先程まであった空腹感は食べ始めてから十分ほどで消え去り、更に五分後には満腹感を覚え始めていた。
「うっ⋯⋯」
「口の中に入れすぎだ。ほら」
「ありがと⋯⋯」
エストはマサカズから水を受取り、それでご飯を飲み込む。
既にこれ以上食べることはかなり厳しい。一人分でさえ、少食であったエストの胃袋には入らなかった。
「エストさん、食べれないなら私にください。結構お腹空いていたみたいなので」
「え、あ、うん」
一人前の分量はおよそ800g。それをユナはペロリと一瞬で食べ終わり、かつエストの残りまで食べ始めた。
「美味しいですね。これで値段も⋯⋯低めですし。ここじゃこれくらいが普通なんですか?」
「ちょっとここが多くて安いだけです。でも、他もここよりちょっと少ないくらいですよ」
アルの妻、シノは答える。
「それにしてもよく食べますね。少し驚きました」
「最近色々とストレスを抱えていましてね⋯⋯」
ユナは元々大食いだったのだが、近頃の様々な事件によってストレスが溜まっており、その弊害として過食症を起こしていた。
普段からそのエネルギーは消費しているため、体型はあまり変わらないことが唯一の救いだろう。
「⋯⋯あの、マサカズさん⋯⋯でしたっけ?」
「え? あ、ああ。そうだが⋯⋯」
先程から──マサカズ、ナオト、ユナの三人の名前を聞いてからずっと黙っていたレイチェルが、その口を開く。
「⋯⋯珍しい名前だな、と思いまして。⋯⋯あの、マイ・カワニシっていう人を知っていますか?」
その名前を聞いた瞬間、マサカズたち三人の目が少し開き、微かに驚いたような表情を浮かべた。
「⋯⋯いや、知らない。⋯⋯が⋯⋯その人について何か知っていることがあるなら教えて欲しい」
おそらく、その『マイ・カワニシ』は──異世界人。日本人である可能性が非常に高い。
「えっと⋯⋯その人は⋯⋯」
レイチェルは『マイ・カワニシ』について話し始める。
──彼女はある日突然、この国に現れた。最初はどうしてここに居るのかも、そして常識も知らなかったらしく、一般的である魔法にさえも、驚いていたとのこと。
彼女は身体能力が非常に高く、そして魔法適正も全種にあり、さらには豊富な知識を持っており、そこを買われて聖共和国軍に入軍した。
それからは一瞬であり、すぐに彼女は昇進していき──たった五年で、彼女は軍部総司令官の立場を得た。
「⋯⋯そう、か」
『おそらく』は『確実』となった。『マイ・カワニシ』は日本からの転生、あるいは転移者である。この世界における一般人であるとは到底考えられず、レイチェルの話が本当であれば最早疑いの余地はない。
「⋯⋯もしかして、同郷ですか?」
「その可能性が高い。⋯⋯何かソイツはやらかしたのか?」
レイチェルの顔には、隠そうとはしているが確かなマサカズたちへの不信感が見えた。
「⋯⋯すみません。せっかく友達を救ってくださった恩人だというのに、こんな失礼な態度⋯⋯」
「いや、大丈夫だ」
「⋯⋯それで、先程の質問に答えるとするなら⋯⋯彼女自身は、これと言って大きな不祥事は起こしていません。軍人としては非常に優秀なことは父親から聞かされています。⋯⋯ただ単に⋯⋯少しだけ怪しいなと思っただけなので」
レイチェルは後半の言葉を、周りを見ながら小さい声で話した。軍部総司令官を侮辱するような言葉と取られてもおかしくないのだ。どこで軍に聞かれているかわからない今の状況では、当たり前だろう。
またそれからしばらく時間が過ぎて、食事を終えた頃。
「じゃあ、これで」
「またね」
店から出ると、ヤユクト夫婦とレイチェルたちと、エストたちは別れた。
「⋯⋯さて、これからはまず宿屋を取って⋯⋯それから情報収集かな」
エストたちはしばらく寝泊まりする部屋を取るため、宿屋に向かうその道中であった。
「⋯⋯ん?」
マサカズは路地裏に、男三人に囲まれているコート姿の人影を見つける。
「お前らは先に宿屋に行っててくれ。ちょっとあっち行ってくる」
「あ、うん。あんまり目立たないようにしてよ?」
「分かってるさ」
マサカズは弱者であるが、それはこの世界の最高峰たちを基準とした場合である。普通の人間の実力者じゃ相手にもならないし、都市を壊滅させられるような上位アンデットと互角以上に張り合える実力者だ。今更そこらのチンピラ如き相手にもならない。
「おいお前ら。三対一なんて恥ずかしくないのかよ?」
コート姿の人物は高身長で、女の子ではなさそうだったことをマサカズは少し残念がったが、やることはやるべきだろう。
あえて腰に携えた剣ではなく、素手を三人のチンピラに見せつける。
「あ? なんだこのガキ」
「ガキとは何だ。ここじゃ十六歳で成人だろ? なら俺は成人、大人だぜ? そんな常識も知らないのか?」
「っメェ⋯⋯」
コート姿の人物に背を向け、チンピラ三人組はマサカズに向き合う。
「やめといたほうがいいぜぇ〜? 俺は強いからな──ぁ?」
その瞬間、チンピラ三人組は気絶した。
勿論、マサカズは何もしていない。気絶させたのはコート姿の人物──いや、
「⋯⋯久しぶりだな。マサカズ」
不死者、テルムだった。
「え? テルムか? 久しぶりだが⋯⋯どうしてここに?」
「オレが人間に成れる方法を探していることは知ってるだろ? ここなら、そう、アンデットについて詳しいこの国なら、何か手がかりが掴めると思ってな」
「なるほど。⋯⋯で、もう一つ。なんでお前、チンピラに絡まれてたんだよ」
「あー⋯⋯えー⋯⋯っとー⋯⋯」
テルムの様子が明らかにおかしい。何もないはずの眼窩に灯っていた白い光が消えて、顔を様々な方向へと向けることでマサカズから目を──ないが──逸らす。
「⋯⋯正直に答えろ」
「⋯⋯実は、アイツらの『商品』を奪ってしまって」
「は⋯⋯?」
テルムはマサカズに事の詳細を述べる。
テルムは昨日の朝にこの国に到着したらしいのだが、その夜、道端に転がる、甚振られた少女を助けたらしい。
しかし、どうやらその少女は『商品』⋯⋯つまり、娼婦であったらしく、今こうやってテルムは娼館関係者から目をつけられている、とのこと。
「お前⋯⋯変なところに正義感あるよな」
「そうなんだよな⋯⋯何故か、顔を見てからじゃ見捨てることができなくて⋯⋯」
「ロリコンか?」
「ロリ⋯⋯コン? ⋯⋯何言ってるか分からないが、ともかく貶されていることはよく分かるぞ」
「ロリータ・コンプレックスの略称。十代前半くらいの少女を性愛対象にするって意味だ。たしかその全く逆の意味も持ち合わせていたはずだが⋯⋯まあいいか」
「へえそんな言葉が⋯⋯って、オレはその『ろりこん』とやらじゃないからな?」
「分かったよ分かってる分かってますよ」
「⋯⋯」
テルムはマサカズのいい加減な態度に呆れる。
そして、テルムは思い出したかのように後ろを振り返ると、おそらくそこで隠れているだろう少女の名を呼ぶ。
「エレノア、もう大丈夫だぞ。出てこい」
テルムに呼ばれて、路地裏のゴミ箱の影から十代前半くらいの白色の綺麗な長い髪を持つ美少女が現れる。ボロ布一枚だけ羽織っており、ほぼ裸のようなものだ。
「⋯⋯チッ⋯⋯胸糞悪いな」
マサカズは、彼女のお腹がポコンと、膨らんでいることに気がついてしまった。
娼婦とは言うが、まともな扱いは受けなかったのだろう。でなければ、それ相応の対策はされるはずなのだから。
──奴隷娼婦。そう言ったほうが正しい。
「テルム⋯⋯この人、誰?」
異常とも言えるほど、少女──エレノアはマサカズを怖がっていた。
⋯⋯当たり前だ。幼い頃からその小さくて純粋な体を、男が汚していたのだから。いつ何時も、四六時中、起きている間はずっと。
知らない男に、薄汚い男に、毎日毎日朝から夜まで犯され続ける。気持ち悪いも、しかし抗えない。あとに虚無感と絶望感と不快感に襲われることを知って、一時の快楽を強制的に感じさせられる。
男を怖がることなんて、必然であり当然。
「⋯⋯」
するとエレノアはボロ布を捨て去って、白くて細くて綺麗で汚れた体をマサカズに見せる。それは幼くて、まだ熟していない。
「っ⋯⋯」
何も言えなかった。言葉を失った。
それを当然だと思っているエレノアを見て、マサカズは絶句した。
──こんな子供を、犯す奴がいるのか。
「⋯⋯やめろ」
「⋯⋯どうして?」
生まれたての鳥の子供は、初めて見たものを親と認識する。その現象は『刷り込み』という。
「やめてくれ⋯⋯」
「お兄さんも私の体を求めるんじゃないの?」
彼女の目には光が灯っていなかった。彼女は、自分の体を大切に思う気持ちが欠如していた。
「エレノア⋯⋯彼は、マサカズはお前の体を求めない。だから、体を隠せ」
テルムの言うとおりに、エレノアは再びボロ布で体を隠す。たしかに裸のようなものだが、隠すべきところは隠されている。
「⋯⋯これは?」
マサカズは無言で、エレノアに彼が着ていた上着を渡す。
「着ろ。これから外を歩くから」
「⋯⋯別に、この姿でも──」
「駄目だ」
マサカズの声が極端に下がる。それでも一切の動揺をエレノアはしなかったが、どうやら気持ちは理解したようで、マサカズの上着をエレノアはボロ布の上に羽織る。
「テルム。宿屋に居るエストたちの元へ行くぞ」
「⋯⋯ああ。⋯⋯それで、コイツらはどうす──」
マサカズは、テルムがチンピラ三人組をどうするかと彼に聞く前に、三人組をゴミ箱に投げ捨て、その上にさらにゴミを乗せる。
「⋯⋯騒ぎは起こすなと言われててな。⋯⋯だから、これ以上はできない」
「お前⋯⋯あれから、何があった。⋯⋯だって、お前のその目は⋯⋯」
マサカズの、ハイライトがなくて、正常のそれとは大きくかけ離れてしまったその瞳を見て、ようやくテルムは気がついた。
「⋯⋯殺人鬼の目だぞ」
元暗殺者であり、多くの同業者を見てきたテルムだからこそ分かった。
「⋯⋯ああそうだ。俺は何人か殺った。⋯⋯でも、進んで人殺しをしたいと思ったのはこれが初めてだ」
マサカズはエレノアを──エストと重ねていた。
エストの過去を知る彼は、この少女のことを、ただの可哀想な子供とは思えなかった。
「⋯⋯悪い。変なことを話してしまったようだな。忘れてくれ」
「⋯⋯こっちこそ悪かった」
そうして、マサカズ、テルム、エレノアの三人はエストたちの後を追って宿屋に向かった。
その道中では特に会話もなかったが、マサカズはエレノアの小さい手をずっと握っていた。少し低い気もするが、子供特有のとても温かい体温を感じる。
「宿屋に行ったあとなら、もう少し──寄り道してもいいよな」