4−2 モルム聖共和国への道中にて
「⋯⋯おっ、あったね」
やはりというか、当たり前というか、村の近くにはオアシスがあった。それもただの溜池ではなく、水源のあるものだ。
その辺りだけはまるで森林のようで、汚水ではなく、とても綺麗な水があった。流石に、それは蒸留水ではなかったが、飲むことは十分可能だ。
手持ちの全員分の水筒と、ワイバーンに積む用の水袋に水を汲む。
「にしても本当に暑いですね⋯⋯」
この砂漠──ハレイト砂漠の日中気温は最高64度を記録したことがあり、平均でも50度前後ほどはあるだろう。最早、長時間この猛暑の中居るのは危険の域に達している。
「そこで水浴びでもする?」
見ると、オアシスの水源部分は二つに分けられていた。それは明らかに人工的であり、おそらく村人たちが水浴び用に造ったのだろう。
少し汗ばんだ服を脱いで、二人は全裸となって、そのままオアシスに浸かる。
地下水であるためか、水は冷たく、火照った肌には心地よく、体が冷却されていく感覚を味わう。
ユナはサウナに入ったあとの水風呂を思い出した。
「⋯⋯エストさんって以外と細いんですね」
「そうなのかな?」
エストの服は長袖で、スカートも少し長めだ。そのため素肌を晒すことが少なかった。
「魔女から人間に変わったから、肉体も変化しました?」
「いや。少なくとも私自身では、肉体的な変化は感じなかったかな」
つまり、彼女はこんな細い身だというのに剣を振り回したりしていたのだ。この世界における人体構造は元の世界とは違うようだ、と、彼女はつくづく思う。
「⋯⋯で、そんなに細身なのに胸だけ大きいのはどうしてでしょうか⋯⋯」
ユナはじっくりとエストの全身、特に胸部を見る。これは同性だから許されることである。異性ならば即刻お縄についていただろう。
所謂『ボン、キュッ、ボン』であるエストの体型は、自然にできたものであるとは思えないのだが、
「⋯⋯そんなこと言われても。生まれつきとしか言いようがないよ」
実際はそうらしい。
魔法によるものだと言って欲しかったと、ユナは思った。
「というか、キミだって私を恨むほど、小さくないでしょ」
エストは言わずもがなだが、ユナも、何がとは詳しく言わないが、大きくて美しいタイプだし、クビレも十分にある。少なくとも現代日本においては、何回も異性、希に同性からも告白されるくらいには魅力的だ。そして、いつも彼女は友人に『その胸でよく弓道ができるわね』と言われたものだった。
「まあ⋯⋯でも私の年でもまだ成長するので⋯⋯まだ⋯⋯まだ⋯⋯」
ユナの現在の年齢は16歳だ。女の子はおよそ17歳くらいまで成長するらしく、まだ諦めるには早いだろう──だろうか?
「そ、そう⋯⋯」
それから他愛もない会話を広げて、少しだけ時間が過ぎた頃。そろそろ帰ろうかと思い、オアシスから上がった瞬間だった。
「エスト様ー! どこ⋯⋯に⋯⋯」
「⋯⋯あっ」
「⋯⋯」
黒髪の執事服を着た男が、全裸の女性二人の前に現れて、目が合う。
「──」
男は絶句し、顔がみるみるうちに青ざめた。
魔人には明確な性別はない。しかし、性格的な性別は勿論あり、レイの場合中性的ではあるものの、どちらかと言えばそれは男性寄りだ。
「待て、待って!?」
異性の主人の裸を見る。それは故意的ではなかったにせよ、レイは大きな罪悪感を覚えて、主人から静止されなければ彼は自分の首をもう少しで鎌で斬り落とす所であった。
「⋯⋯お詫びの言葉もございません」
レイは跪き、二人の全裸を見ないように俯きつつ謝罪する。
「いや、いいから⋯⋯。ユナ、許してやってくれない?」
「レイさんが意図的にこんなことするとは思えないので、勿論大丈夫ですよ」
二人は特に何も思っていないようだった。というのも、まずエストはその辺りはあまり厳しくなく、ユナはレイをあまり異性として見ていないからだ。
「⋯⋯もう二度と、こんな失態は犯しません」
そして何より、レイが可哀想だったからだ。もしこれがマサカズ、あるいはナオトだった場合、今頃彼らは気絶して、魔法で記憶を消されていただろう。ちなみに、魔法による記憶操作は能力によるそれよりも精度が悪く、された方はタダでは済まない。
レイの姿がその場から転移魔法によって消え去った。
「⋯⋯悪意はなかったんでしょうが、どうしてここに来たんでしょうか」
「多分、中々戻ってこない私たちを心配して見に来たんじゃやないかな」
「それだと私たちに非がありますね⋯⋯」
エストの予想通り、彼女らを心配したレイは一人で彼女らの安否を確認しに来たのだ。つまり、レイは一切悪くないどころか寧ろ被害者であり、エストとユナの二人のほうが加害者と言っても良い。
「あとで私たちから謝っておくべきだね」
「そうですね。その方がいいと思います」
その後エストとユナはレイに謝るのだが、余計にレイの罪悪感を肥大化させ、二度目の自殺未遂をするのはまた別の話であった。
◆◆◆
日が落ちた。砂漠では夜になると気温が急激に低下するため、昼間からは考えられないほど寒くなる。
しかしながら、日中に移動するよりかは遥かにマシである。
「い、いや⋯⋯来ないで⋯⋯」
モルム聖共和国にはハレイト砂漠を必ず通って行く必要があり、聖共和国に向かう人も少なくないため、度々この砂漠には通行者が現れる。
砂漠には遮蔽がほとんどないため、何かから逃げることが難しく、それ故にモンスターだけでなく盗賊団という危険もある。食料に水、金銭、そして女が居るたった二人を襲わない盗賊団が、はたして居るだろうか。いや、居ない。
「やめろ⋯⋯!」
青年が少女の前に出て、剣を構える。だが相対するのは屈強で、汚い大男だし、盗賊団なので数も多い。青年の体格も悪くないが、到底勝てるはずがないだろう。
「へっへっへ⋯⋯抵抗しなけりゃ傷つけやしない。大人しくしてろ」
「くっ⋯⋯」
このままでは食料や金銭は奪われ、少女は強姦されてしまうだろう。
青年の持つ剣が震えるも、意を決してそれを振りかぶる。しかし、
「ガっ⋯⋯」
盗賊の拳が青年の腹部の正中線に入り、キーンという耳鳴りが頭の中に響く。
絶体絶命だ。
「彼女は⋯⋯俺の⋯⋯っ!」
根性で青年は立ち上がった。だが、意味はない。突然秘められし力が覚醒するなんてことはない。現実は無慈悲で、彼には今この瞬間パワーアップするポテンシャルなんて、一切ない。
「雑魚が。そこに寝て、大切な女が目の前で犯されるのを見てろよ。彼氏さん」
少女の腕を盗賊は掴み、そして衣服を千切って裸にしようとした瞬間だった。
「やあ。面白いことしてるね。私も混ぜてよ」
──いつの間にか、そこには白髪のまた別の少女が居た。白色のゴシックドレスを着て、灰色の綺麗な瞳で、傾城傾国の美人であった。
「ほう⋯⋯上玉じゃないか」
盗賊は白髪の彼女に近づき、そのゴツくて汚い手で彼女の大きな双丘を触ろうとする。だが、
「──」
次の瞬間、盗賊は絶叫した。それもそのはずである。なぜならば、盗賊のその右腕の肘から先が両断されたからだ。
蛇口から流れる水のように、断面から出血しており、気絶しそうなほどの痛みが走る。
「何か勘違いしてない? 私はキミたちの性欲処理の人形になりたいわけじゃないんだよ?」
痛みに喘ぐ盗賊の顔を、わざわざ白髪の彼女は覗き込んで、嫣然として、嗜虐的にそう言った。
「この女⋯⋯!」
他の盗賊が女に襲いかかる。だが、
「イテテ⋯⋯やっぱり動体視力も運動神経も落ちてるね」
白髪の彼女は腕に掠り傷だけ負ってしまったが、3mほど跳躍して、その場から離れたのだ。
そしてその掠り傷も、すぐに治癒された。
「全く。か弱い美少女魔法使いに、屈強な男複数人でかかってこないでよ。卑怯だとは思わない?」
か弱い美少女魔法使い。彼女はたしかに美少女魔法使いであるが、か弱いということは決してない。国一つぐらいなら簡単に潰せる実力者である。
「なっ⋯⋯!?」
人外じみた身体能力を、盗賊は信じられなかった。
格上の相手であると理解した盗賊団はその場から逃げようとするが、しかし、振り返った先には黒髪で、黒目と白目が反転した瞳を持った長身の執事服を着ている男が立っていた。彼の片手には巨大な骨の鎌が握られており、そんなのを振り回されたら即死するだろう。
「逃げられるとでもお思いで? ──芋虫のように這いつくばって、汚らしい声で叫び、エスト様に傷をつけたことを後悔しながら、ここで死ね」
執事服の男は鎌を振りかぶる。
「レイ、もういい」
だが白髪の彼女──エストと呼ばれた少女が、彼を静止する。
「殺す必要はないよ。⋯⋯そうだよね、キミたち? 殺されたくないよね?」
腰を抜かした盗賊たちは怯えて、二人から距離を取る。
「⋯⋯エスト様の質問に答えてください。さもないと⋯⋯」
レイは目を細めて、盗賊たちをゴミのように見る。
「ああ死にたくない! 殺されたくない! 殺さないでくれ!」
「そうだよね。死ぬことは誰でも怖い。死にたくないと思うのは当然さ⋯⋯だから、望むならば、私はキミたちを殺さない。でも⋯⋯殺さないことと見逃すことは違うよね」
その瞬間、盗賊たちが突然泡を吹いて倒れる。
それを見ていた青年と少女は唖然としていたが、すぐさまエストの方を向く。
「あ、ありがとうございます!」
青年と少女が全員エストたちに感謝する。
「⋯⋯今回はたまたま近くを通りかかったから助けただけ。ここじゃこんな盗賊やモンスターに襲われる確率のほうが高い。なのに自己防衛ができないのはいただけないね」
「うっ⋯⋯」
エストが言っていることは事実で正論だ。これだけ広い砂漠では、助けられることのほうが少なくて、水や食料が奪われた時点で、生きて帰れなくなったと言っても過言ではない。
襲われてもそれを返せないようじゃ、砂漠を渡ることはほぼ不可能で、あまりにも愚かで、考えがないということがよく分かる。
「⋯⋯エストさん。俺たちの護衛をしてくれませんか。勿論、報酬はお渡しします。図々しいなんて分かりきってます。ですが⋯⋯」
そんなことを言った青年を、レイは睨みつける。しかしエストはレイのその態度を無言で咎めると、青年と向き合う。
「⋯⋯キミたち。一応聞いておくけど、これがどこへ行くつもりだったの?」
「えっと⋯⋯モルム聖共和国です」
「⋯⋯そう。⋯⋯このまま見捨てるのも気分が悪いし、目的地が同じならいよいよ断る理由はなくなるね。いいよ、護衛してあげるよ」
「⋯⋯! ありがとうございます!」
◆◆◆
「へぇー、レイチェルって子に会いに行くんだな」
「そうなんです。えっと⋯⋯」
「マサカズ・クロイ。マサカズでいいぜ」
エストが助けた金髪金目の青年の名はアルフォンス・ヤユクト。金髪青目の少女はシノ・ヤユクト──そう、青年と少女は結婚している。
顔は悪くないのだが、オタク気質であまりモテなかったマサカズはそれを最初聞いたとき、少しだけ、本当にほんの少しだけアルフォンスを殴りたいと思ったのだが、彼と話しているうちに意気投合したため、今ではそんな気持ちはなくなっていた。
「マサカズさん」
「年は同じくらいだろうし、『さん』も敬語もいらない。俺もお前を『アル』って呼びたいし」
某鋼兄弟を知っているマサカズは、彼の名前を聞いた瞬間から彼を『アル』と呼びたがっていた。
「⋯⋯マサカズ、少し聞きたいんだけど⋯⋯エストさんってもしかして」
同姓同名だとは思えない。アルはそう言いたげな顔だ。
「⋯⋯エストはふざけて言ってる偽名じゃなくて、彼女の本名、とだけは言っておく」
「⋯⋯」
アルはマサカズが思っていたより、驚いていなかった。
おそらく目の前で彼女の圧倒的な魔法の力を見たからだろう。
「⋯⋯まあでもアイツは⋯⋯世間一般で言われてるようなヤツじゃないさ。いやたしかにプライベートなとこを隠し見されたり、割ととんでもないことをやってくれるくらいには、少しひねくれてはいるがな」
マサカズは過去にエストからされた様々な嫌がらせ、あるいはその範疇にないことを思い出して、彼女に彼の主観的には妥当だが客観的に見れば甘すぎる評価を下ろす。
それから様々な会話をしながら、砂漠を歩き続けること数時間。日も既に上がって来ていた頃、ようやく、彼らは到着した。砂漠の中の大国、モルム聖共和国の最大の都市にして『死者の大地』からアンデッドが国に侵入するのを防ぐ防衛都市でもあるアセルムノへと。
主に砂岩からできた家屋は、マサカズたちにとっても、エストたちにとっても珍しいものであった。
そして何より目を惹くのは、この都市の中央にある、高さ目測にして30mほどのルルネーツ遺跡の塔だろう。
「さて、ここでお別れだね」
「そうですね。⋯⋯あ、護衛の報酬は──」
「そんなの良いよ」
「でも⋯⋯」
「⋯⋯そういえばそろそろ朝食の時間だね。それに、キミたちをこの国に呼ぶわりには護衛もつけさせない、そのレイチェルっていう友人とも会ってみたいよ」
「はい! 今すぐレイチェルを呼んでくるので、ここで待っていてください」
そう言って、アルは一人でレイチェルという友人の元へ、彼女を呼びに向かった。