3−18 壊れた時計は動かない
──氷と炎が衝突し、水蒸気が発生する。銀髪の魔女はその水蒸気を目隠しに使って、一気に黒の魔女との距離を詰めた。
「っ!」
体内の魔力を無理矢理に圧縮し、その密度を大きくする。
黒の魔女の頭を片手で全力で握りつつ、ルトアはその高密度の魔力をエネルギーに魔法を行使すると、黒の魔女ごと自分を猛炎によって燃やす。
しかし、直ちに炎は消え去る。水ではなく氷によって炎が凍りついたのだ。
「ああ、痛い。でも⋯⋯これがいい」
黒の魔女の頭から血が流れていたが、流血はすぐに止まった。そして、右腕をルトアに向けると、そこには黒色の魔法陣があった。
「やば──」
「〈幽界の破滅曲〉」
それは曲と呼ぶにはあまりにも不出来だった。この世に存在しない恐ろしい者たちが奏でる絶叫である。不協和音のみで構成されたそれは、聞く者、つまり生者全てに言語化できない不快感を覚えさせると同時に、その体が灰となる。
「〈時間逆行〉!」
ルトアの灰となった指が元に戻る。
ただの回復魔法では、灰となった部位を戻すことはできない。時間を操作するしか回復方法はなかった。
「そんな魔法初めて聞いたね。独自魔法?」
「ご名答。流石はルトアですね」
ルトアの力が劣っていないことを黒の魔女は確認した。この程度の魔法で死んでいたなら、きっと黒の魔女は呆れていただろう。
「⋯⋯やはり、あなたを殺すのは惜しい。私に協力して、そしてあなたが奪った能力を返してくれれば、つかの間の平和を約束しましょう」
「私がキミに協力することはないし、能力を返すことなんてもっとあり得ない。私は白の魔女。欲望はありとあらゆるモノを奪って手に入れること。──『つかの間の平和』を貰うのではなく、私はキミから『永遠の平和』を奪ってあげるよ」
ルトアは転移魔法を行使し、黒の魔女の懐に無理矢理入るが、黒の魔女はルトアを捉えており、彼女ごと自分を氷の槍で貫いた。
「私は完全な不死の力を手にすることはできませんでした。しかし⋯⋯このようにして、再生能力を高めることで死なないようにする、ということもできるのですよ」
「⋯⋯私が、それを予期しないとでも? キミはたしかに天才だった。けれど、一度も頭脳戦で私に勝ったことはなかったでしょ?」
声は後ろからした。
氷の槍で貫いたルトアは、ルトアではなかった。それは幻像だった。
「頭脳戦、ですか」
直後、黒の魔女の頭部が周りの空気ごと重力魔法によって圧縮され、潰された。
「そしてもう一つ。キミは私を殺せない。だって殺してしまえばキミは自分の能力と永遠にさよならになってしまうからだよ」
黒の魔女の潰された頭部が再生した。
「私の能力『奪取』は、奪い取って、それを永遠に私のモノにする能力。そして能力は能力者が死亡後も効果を持続する。⋯⋯私を殺せば、キミの最強の能力である私が奪った二つとも、永遠に創ることができなくなる、だよね?」
「⋯⋯ええ。でも、あなたに支配魔法を使えば、あるいは可能ですよ」
「その前に私は自殺するし、そもそも、キミに負けることはないね」
炎と氷の魔法が再びぶつかる。力は互角のように見えるが、若干氷魔法のほうが強い。
黒の魔女は氷の槍を無数に創り出して、ルトアにそれらを飛ばす。だがルトアはそれらを一気に炎で溶かし切った。
「〈重力操作〉」
ルトアの全身に強い重力が働き、地面に叩きつけられたが、この程度で死ぬ種族ではないのが魔女だ。しかし、同じ存在である黒の魔女は、そんなこと百も承知だ。
「──っ!?」
叩きつけられた地面に魔法陣が展開されて、次の瞬間そこから氷の槍が生える。なんとかルトアは既の所でそれを避けられたが、右脇腹を少し抉った。
ルトアは左手で地面を押して、距離を取りつつ体制を立て直す。
「白の魔女にそれを使うなんてね!」
ルトアが大きく開いた両手には白色の魔法陣が展開されていた。
彼女の瞳が光ると、黒の魔女は魔力が奪われた感触を覚える。
「〈重力操作〉っ!」
奪った膨大な魔力を存分に豪快に使い、ルトアは黒の魔女を地面や家屋の壁などに何度も叩きつけて何度も殺し、最後に黒の魔女を真っ二つに引き裂く。
「はあ⋯⋯はあ⋯⋯はあ⋯⋯」
だが、黒の魔女の引き裂かれた体はそれぞれ蠢き、くっつくと傷が完治する。衣類までくっついていることから、それがただの治癒系能力ではないことが分かる。
「まだ⋯⋯っ。〈大火竜巻〉!」
大火の竜巻が黒の魔女を天高く巻き上げつつ、その体を燃やし尽くす。全身が黒い灰となるが、一瞬で元の体に戻る。
黒の魔女は地面に着地する寸前に重力魔法を行使してダメージを無効化する。
「何度やっても無駄です。私は死なない⋯⋯殺すことはできませんよ」
ルトアの瞳がまた光った。
「⋯⋯どうして」
「『再生能力を奪えない』⋯⋯なぜだと思います?」
黒の魔女の声色からは煽っているような雰囲気は感じられない。だが、本心は違う。
「答えは簡単です。私はあなたの能力に抵抗しているからですよ」
「⋯⋯抵抗しているってわりには、それほど集中力が削がれているって感じがしないんだけど?」
ルトアの能力の内容は『他者からモノを奪う』である。そのため、普通、能力とは同格相手には通用しづらいが、彼女の能力は他よりも同格相手に通用しやすいのだ。当然、そんなものに抵抗しようとすれば、集中力がとんでもなく削がれる。そんな状態でルトアを相手にできるような強者は、それこそ黒の魔女くらいしかいないだろう。
「いえ。結構削がれていますよ。集中力。単純に、それでようやくあなたは私と互角に戦えるということなだけです」
「⋯⋯そうかい。なら」
ルトアの近くに二本の剣が創造され、重力魔法によってそれらは空中に浮かんでいる。
どちらも上物の魔剣に相当し、掠っただけでも、その傷から死に導くだろう。
「私の集中力とキミの集中力、どちらが高いか、勝負と行こうじゃないか?」
「⋯⋯流石、ですよ」
二本の剣は自立移動しているわけではない。どちらもルトアが動かしているのだ。しかも、その上で彼女自身も動いている。
剣のうちの一本が黒の魔女を突き刺さすべく飛ぶが、彼女はそれを少し体をひねるだけで避けると、剣は彼女の後側の地面に突き刺さる。
「〈獄炎〉!」
赤黒い炎が放たれるが、黒の魔女はそれを風魔法で吹き飛ばす。そして追撃としてもう一本の剣が黒の魔女を斬ろうとするが、彼女は左手の人差し指と中指だけで受け止める。
「嘘⋯⋯」
剣はカタカタと音を立てて黒の魔女から逃れようとするが、動かない。
「弱い弱い。私は魔法使いですよ?」
黒の魔女は右手をルトアに向けて、魔法を放とうとする。
「⋯⋯な〜んてね。刃物は取り扱い注意、だよ?」
黒の魔女が受け止めた剣が急に熱くなり、刃の部分が赤くなると、それは爆発した。
「くっ。⋯⋯あっ、しまっ──」
彼女は爆発に事前に気づき、何とか避けられたのだが、そのために彼女は後ろに跳躍したのだ。──そして着地した場所には、最初避けた剣が刺さっていた。
「計算通り計算通り。キミにはやることなすこと全てを最低限に済ます癖があるよね」
「⋯⋯」
両足が吹き飛び、黒の魔女は地面に倒れている。だが到底人間、いや生物とは思えない速度でそれは生えていっている。
「キミが何度でも生き返るというのなら、私はキミを何度でも殺してあげる。キミが死を望むまで、私はキミを殺し続けるよ」
ルトアは右手を上に上げると、それに従って黒の魔女も空中に浮く。そして、彼女は手を思いっきり握ると──黒の魔女の体も潰された。
「⋯⋯」
潰された肉が再生を開始し、すぐに人の形を作る。だがそれが完全体となる前に、ルトアは彼女を燃やす。
燃やす。燃やす。燃やす。燃やす。
何度も。何度も。何度も。何度も。
「⋯⋯本当にしぶといね。これで何度目?」
魔力が少なってきた。『何度も殺す』と言ったものの、そんなこと現実的に不可能だ。それに何度も黒の魔女から再生能力を奪おうとしているが、同じ数だけ彼女はそれに失敗している。
──瞬間、ルトアは油断してしまった。
「うっ⋯⋯!」
『影の手』が二つ、彼女の首を掴んだのだ。
それらの力は尋常ではなく、その上実体がないようで触ろうとしても触ることができない。なのに、彼女の首を締め付けることはできるようだ。
黒の魔女を燃やし続ける炎が消えたことで、黒の魔女は再生を完了させる。
「久しくこの能力を使うので、使い方を忘れていましたね。うっかりです」
『影の手』はルトアを近くの家屋に投げつける。割れて先端が尖っている木が彼女の胴体に突き刺さった。それはどうやら肺を貫いたようで、呼吸が苦しくなる。
出血が酷い。このままではすぐに死んでしまう。
「あら、少しやり過ぎましたか。大丈夫ですか?」
しかし、出血はすぐに止まった。木も黒の魔女によって取り除かれ、傷も完治した。
「〈時間崩──」
ルトアの両手両足が同時に、関節とは真逆の方向に凄まじい力によって折られる。
彼女は絶叫し、気絶しかけるも、すぐに痛みが無くなる。
「どうです、この能力。『影の手』といって、私と同程度の力を持つ非実体の手をほぼ無制限に出せるものなんですよ」
今、黒の魔女は『影の手』を四つ出し、ルトアの四肢を真逆に折り曲げたが、彼女に回復魔法を行使したのだ。
「あ、が⋯⋯」
「あなたが私に協力するまで、何度でもあなたを痛めつけましょう」
黒の魔女はルトアを何度も半殺しにし続けた。
四肢を捥いでみたり、腹を割ったり、皮膚だけを破壊したり、内蔵をグチャグチャにかき混ぜたり、溺れさせたり、燃やしたり⋯⋯ありとあらゆる方法で、しかし絶対に死なないように、何度も、何時間も黒の魔女はルトアを拷問した。
「⋯⋯少しやり過ぎましたかね」
ルトアの目には光がない。死体のようである。いくら魔女でも、死んだほうがマシとも言える仕打ちを何百回も耐えられるような精神を持っていなかったようだ。
「──っ!」
黒の魔女はルトアに肉体的なものではなく、精神的な回復魔法を行使すると、彼女は正気になる。そして一瞬の隙を狙い、ルトアは黒の魔女から離れる。
「⋯⋯狂人め」
精神は回復したが、拷問の記憶を失ったわけではない。今にも吐きそうなのを何とかルトアは耐えつつ、黒の魔女を睨みつける。
「狂人? ⋯⋯勘違いをしているようですね。私は別に狂ってなんかいません。正常、ですよ。だって──」
黒の魔女は目を、口を大きく開き、狂気的で恐怖的で、到底正常な精神を持っているとは思えないような笑みを浮かべる。
その形相に思わずルトアは後ずさった。
「──この世のありとあらゆる存在は常日頃から他を犠牲にして生きているでしょう? 食事も魚や動物、植物の命を犠牲にしている行為。衣類だって糸や毛皮のために沢山の命を犠牲にしていますし、家屋だって木々を殺して建てている。生きるという行為そのものが、何かを犠牲するということではありませんか。自分の『欲望』を叶えるべく他者を、全てを犠牲にする。それらとこれとでは、一体全体何が違うというのでしょうか? いえ本質的には何も違いはないでしょう。どちらも同格で、何の差もない。そんな当たり前のことを、私は行っているに過ぎない。あなたが私を否定するなら、それはつまりあなたはあなた自身を、この世界を否定するに同義ではありませんか? 私はあなたと同じ。世界と同じ。違うのはその目的だけです」
理解できない。
「⋯⋯そう。⋯⋯なら、私も犠牲にするよ⋯⋯私自身を」
「──まさか」
ルトアの胸に白色の魔法陣が展開される。それを見た黒の魔女はルトアのやろうとしていることを理解して、転移魔法を行使しようとするが、
「転移阻害⋯⋯!?」
いつの間にか〈転移魔法不能空間〉が展開されており、できなかった。
「キミを殺せないなら、動かなくすれば良い。そうだとは思わない?」
ルトアは彼女が創った魔法の名前を口にする。
「──〈壊れた時計は動かない〉」
◆◆◆
一年後。
「──」
白髪の少女は数分ほど、詠唱をし続けていた。そして詠唱をすればするほど、彼女の体は重くなっていく。
いや実際に彼女の体重が重くなっていっているわけではない。彼女の体調がどんどんと悪くなっていき、体が重く感じているだけである。これはおそらくこの儀式の反動であるのだろう。
頭痛がする。吐き気がする。悪寒がする。全身に痛みが走る。
だがそれでも彼女は耐えて、完璧に覚えた詠唱文を思い出して、声に出していく。
──そして詠唱を終えた瞬間、彼女はそれらから開放されると同時に、誰かの姿が脳裏に浮かんだ。彼女が知る誰でもないはずの人物であった。
その誰かの顔はよくわからなかった。黒色のベールがかかっていたのだ。しかし、全身像は見えた。ゴシック系の喪服を着た、十三歳くらいの少女だった。黒色の長い髪を持っていて、こちらを覗き込むように見ていた。
誰だったんだろう、と彼女は考えていたが、
「エスト、どうですか?」
レネの言葉が、彼女──エストを現実へと引き戻した。
「⋯⋯多分、成功した、のかな⋯⋯」
『魔女化の儀式』を終えたエストの体、魔力が変質し、彼女は人ならざる者となる。雰囲気が変化したのを、レネは感じ取った。
「おめでとうございます」
「⋯⋯うん。⋯⋯レネ、私はもっと魔法を知りたい。ありとあらゆる魔法を覚えて、いや魔法以外のどんな知識でも忘れないように永遠に記憶に保管しておきたい」
「⋯⋯そうですか。なら、私があなたに、知る限り全ての魔法を教えましょう」
それから、毎日朝から夜まで、ずっとエストは魔法の勉強をした。
その魔法の名前や効果だけでなく、魔法自体の歴史や数々の用語とその内容。つまり魔法に関する知識全てを彼女は学び、完全に、一言一句違わずに覚えていく。
ある日の夜。
「エスト、あなたの能力はもしかしたら、記憶関係の能力かもしれませんね」
「記憶関係?」
「はい。あなたはたしかに元より記憶力が高かった。ですが、それでも使わなければ忘れることはありましたし、一日にこれだけの量の魔法を一気に暗記するということはできなかったはずです」
既にエストはこの一週間でおよそ1000個の魔法と魔法の歴史や関連用語などを覚えており、さらにそれを一つも忘れていないどころか、完璧に聞いたこと全てを覚えてるのか、スラスラと、思い出そうとする素振りさえ見せずにそれらを暗唱できるのだ。明らかに異常である。
「⋯⋯!? エスト、何かしましたか?」
「え? ⋯⋯えっと、記憶関係の能力なら、自分以外の記憶にも干渉できるんじゃないかなって意識したんだけど⋯⋯もしかして」
「⋯⋯ええ。今、感じました。思わず抵抗してしまいましたが⋯⋯それが、エスト、あなたの能力です」
「これが⋯⋯」
自分、他者問わずに、記憶に干渉することができる能力。一度見たものや聞いたものを絶対に忘れないようにしたり、逆に特定の記憶を忘れたり、他者の記憶を覗いたり、ありもしない記憶を植え付けたりする力。
「能力──記憶操作」
ありとあらゆる知識を忘れないようにしたい、という『欲望』を叶えるべく、『記憶操作』という能力をエストは手にした。
エストは彼女の母を思い出す。
「私はどれだけの時間をかけてでも強くなって⋯⋯」
知識は力である。強くなるにはやはり、知識が必要だ。彼女は収集した知識を忘れないようになりたいと願ったのだ。
「そして⋯⋯母さんを超える魔女になるよ」