3−14 銀髪の魔女
──1130年。
そこは、一言で表すならば牢獄であった。
彼女からして、非常に高い位置に外と繋がる穴があるが、そこには鉄格子があり、仮にそこへ辿り着けたとしても、彼女では脱出することはできないだろう。
もっとも、彼女は脱出しようとする気さえないのだが。
月明かりに照らされている彼女は、微動だにしなかったが死んでいるわけでもない。いや生きる気力が微塵もないということを考えれば、死んでいると言っても間違ってはないのかもしれないが、ともかく、心臓が脈打ち、生命活動は今も継続されているし、これからもきっとそうだろう。
彼女は、殆ど裸であった。ボロ布一枚を纏っているだけであったのだ。そして、何より目を引くのはその全身にある無数の傷だろう。裂傷、打撲、擦り傷、切り傷⋯⋯見るも無惨で、非常に痛々しい。
白くて長い髪は、自分の血と牢獄のゴミをより目立たせていた。灰色の瞳には光がなく、その創り物を思わせるほどの美貌も、無数の傷のおかげで見事に台無しである。
もしも彼女が綺麗な服装に適切な治療を施されたならば、人間の言葉では形容できないほどの美しさを取り戻すだろう。
重苦しくて圧迫感のある牢獄の鉄の扉が、突然開く。そこから、鎧を着た男が現れて、彼女にパン一つとスープの入った木のボウルを差し出した。
「食事だ」
彼女はゆっくりと動き、そのパンを口に運ぶ。その姿はとても弱々しくて、彼女がどれだけ衰弱しているのかがよくわかる。
「⋯⋯ありがと」
彼女は、非常に小さかったが、か細かったが、確かに、声を発した。
「⋯⋯! そうか。⋯⋯生きろよ」
鎧の男は、牢獄の扉を閉める。こればかりは、やらなければならないことである。
「⋯⋯おい、どうだった?」
その鎧男に、また別の男が話しかける。
どうだった、とは、彼女の様子はどうだったか、という意味である。
「生きてはいた。⋯⋯さっき、喋ったんだ。『ありがと』って」
これまで幾度となく鎧男は彼女に食事を渡していた。しかし、今回始めて、彼女は喋ったのだ。その事を彼は喜んでいた。
「⋯⋯本当に、なんであんな子を牢獄なんかに閉じ込めやがったんだ? あいつらの血は赤色じゃなくて、青色だったりしないだろうな」
もう一人の鎧男は、自分たちの主人に皮肉を言う。
「あまり声を出すな。聞かれていたらどうする?」
「でもよ⋯⋯普通、自分の娘を牢屋にぶち込むか?」
──貴族、ノトーリスには今から11年前にある娘が生まれた。
彼女の名前はメリー。彼女のその美貌は男どころか、女でさえも魅了するほどのものであったし、何をやらせても全て完璧にこなすほどの多彩な才能も持っていた。⋯⋯しかし、それがどうやら兄姉のしゃくに触ったようで、ありもしない悪評をでっち上げて、父親によってメリーは今こうして、牢獄に幽閉されているというわけだ。
「才色兼備の娘。俺なら嫉妬する気にさえなれないのに。⋯⋯どれだけ奴らの性格が悪いか、よく分かるぜ」
完璧すぎるがゆえに嫉妬され、彼女はここに幽閉されることになったのだ。
「⋯⋯そうだな。だが、あまり口にするなよ」
「はいはい。分かってる」
二人の鎧男は、警備に戻る。この、地下牢獄の。
◆◆◆
──お前なんて生まれてこなければ良かった。お前みたいな妹は、欲しくなかった。
「っ!」
鳥のさえずりが聞こえる。太陽の暖かさを感じる。昨晩の冷たさは、何処かへ行ったようだ。
メリーは、いつの間にか寝てしまっていた。何日も眠らなかったが、ついに耐えきれずになってしまい、寝てしまった。だから、あんな夢を見たのだろう。
「⋯⋯食事──」
鎧男が朝食を渡しに来たとき、メリーは彼の足にしがみついて、涙目になって、叫ぶ。
「私はなんで生まれてきたの!? 私は死にたい! みんながそれを望むから、みんなが私をいらないって言うから! でも⋯⋯私は生かされてる。ねぇ、早く殺してよ。私を殺してよ! あなたのその剣で! もう、嫌だから、生きて、いる、こと、が⋯⋯!」
彼女、メリーの顔は涙と鼻水でグチャグチャだ。
「⋯⋯」
これまで、彼女はずっと無表情だったように見えていた。しかし、それは永遠には続かなかった。溜められていた感情が今爆発したのだ。
──こんな幼い子どもに「死にたい」と、「殺してほしい」と言わせたのは誰でもない、ノトーリス家だ。彼女の家族だ。
「駄目だ。お前はまだ子供だ。諦めるな。いつか必ず、救われるときが来る」
「救われるときは今よ! 死ぬことが、みんなにとっての救いでしょう!?」
『みんなにとっての救い』なんて、言うほどに彼女は追い詰められていたし、彼女は優しすぎた。
「違う。お前にとっての救いだ。みんなにとっての、じゃない。⋯⋯耐えろ。生きろ」
「⋯⋯でも」
「──何やら騒がしいな。何があった?」
いつの間にか、鎧男の後ろには、この場にはそぐわない小奇麗で高そうな服を着た男が立っていた。
「これはご主人様。本日はお日柄もよく⋯⋯」
「私は『何があった』と聞いているのだ。さっさと答えろ」
とても、ソイツは高圧的であった。
鎧男は心の奥底で舌打ちをしながらも、罵倒しながらも、説教しながらも、決して、それを口にはしない。
「⋯⋯」
「⋯⋯答えないのは、何かやましいことがあるからだろう? 別にコイツがお前たちに犯されようがどうだっていいが、コイツは商品なんだ。傷はつけるなよ」
「⋯⋯はっ」
心底、鎧男は主人に失望していた。もし彼が国家公務員ではなく、主人に雇われただけのただの兵ならば、今頃はメリーを抱えて逃げていた頃だろう。
「分かったなら、さっさと仕事に戻れ。⋯⋯もう、いい頃合いだろう」
ノトーリス家の主人は、メリーの体を見ると、また別の鎧男に話しかける。
「回復魔法の使い手を呼んで、コイツを治療させろ。明日までには終わらせろよ。娼婦に売りつけるからな」
「⋯⋯分かりました」
◆◆◆
メリーは、久しぶりに外へ出た。服も、悪くはないものを着ている。しかし、これから行く先は娼婦。最悪そのものだ。
メリーの顔は再び、無表情になっていた。彼女はまだまだ若いが、よく本を読んでいたから、娼婦が何であるか知っていた。これから来るだろう未来に絶望したのだ。
──だが、そんな未来は思わぬ形で否定された。
「⋯⋯なんだ、あの女?」
御者は、進路上に女がいることに気がつく。
女は大きな鍔のある黒色の帽子に、黒のローブと、まさに魔法使い、といった服装だ。太ももくらいまである長い銀髪は白色に近くて、瞳はきれいな碧色だ。身長は177cmと女としてはかなり高く、スタイルも抜群。そして何より
、その容姿が人々を惹き付けるだろう。まさに、羞花閉月の女性である。
「どうしますか、主人」
「⋯⋯退くように言え」
「分かりました。⋯⋯おいそこの女、そこを退け」
御者は銀髪の女にそう言うが、聞こえていないのかあるいは無視したのか、女はそこから動かない。
「⋯⋯おい、聞こえていないのか?」
「貴族、ね?」
返答になっていない。
それは美しくて透き通るようで、落ち着きのある声だったが、同時に恐ろしさを感じるものだった。
「いいや、貴族でしょうをそんな馬車に乗っているのだし⋯⋯」
銀髪の女は馬車に向かって歩いてくると、勝手に客室に入ってくる。
彼女からはフローラルのような香りがした。
「やあ、初めまして。⋯⋯私は悪ーい魔女だよ。死にたくなかったら、金目のもの全部、私に渡して?」
「魔女──っ!?」
ノトーリス家の当主は絶句して、怯えたような様子となる。
華奢な肉体。魅了されそうな外見。しかし、得体の知れない威圧感が、恐怖感が場を支配する。
「わ、わかった! だから、殺さないでくれ!」
彼は、プライドなんか忘れて、ただ自分の命のためだけに、身に着けていた宝石や貴金属類を集めて、銀髪の魔女に差し出す。
そこに、当主の威厳なんてなかった。
「⋯⋯あらその子⋯⋯。ねぇ、キミ、私の元に来ない?」
「⋯⋯え?」
銀髪の魔女は、メリーにそう話しかけてきた。
「キミは面白い。私はキミが欲しいんだ。⋯⋯でも、本人の意向を無視して、奪うのは良くないからね」
彼女は嫣然とする。
一見、彼女はメリーに行くか行かないかの選択肢を与えているように思える。しかし、実際は一択だった。
「ああ! こんな奴くらい、持っていけ!」
「⋯⋯キミに聞いているんじゃない。そこの子供に聞いているんだよ? 少し、キミは腹立たしいね」
「ひっ⋯⋯」
場を支配する威圧感が更に増すと、当主の顔も更に青ざめる。
「もう一度聞くね。私の元に来ない?」
「⋯⋯行く」
そう答えた瞬間、突然、メリーの体が白く輝き、空中に浮かぶ。そしてそのまま、馬車から外に出る。
「言っちゃうと、キミがなんと答えようと、私はキミを攫うつもりだった。⋯⋯だから、予想外だったんだよ。キミが了承するなんて。でもそれ以上に──あれ、キミの父親だよね? あの男は真っ先にキミを売ったことに驚いた。それはどういうことかな?」
「⋯⋯私は、生まれないほうが良かった人間だから⋯⋯」
「⋯⋯なるほどね。複雑な事情がありそうだ。⋯⋯ねぇ、キミ、お父さんのこと、どう思ってる?」
「どう思ってるも⋯⋯怖いとしか」
「そう。⋯⋯じゃ、行こうか」
メリーと銀髪の魔女の足元に、白色の魔法陣が現れる。
「こ、これは⋯⋯?」
「魔法。初めて見た?」
「実物は、初めて」
その瞬間、二人の姿がその場から消える。あとに残ったのは、唖然としていただけの御者と、メリーの実の父親だけであった。
◆◆◆
とある森の中。そこには小さな家があり、また近くには小川が流れている。畑もあり、それはきちんと整備されているようだ。
「ようこそ、私の家へ」
劣化が一切ない新築のような家。実際は魔法によって風化が防がれているだけで、築何十年かは持ち主ですら忘れてしまっていた。
「お邪魔⋯⋯します⋯⋯」
「違う違う。『ただいま』よ?」
「⋯⋯ただいま」
「おかえり」
メリーと銀髪の魔女は家に帰った。
家の中は、とても整頓されていた。机に椅子が一つ。キッチンもあるし、当然ベッドもあった。生活するには十分だ。
「よっ、と」
銀髪の魔女は何かの魔法を行使したようだ。机が一つ増えて、ベッドが大きいものに変化する。
「座って。ご飯でも食べてから、話をしましょう?」
「は、はい」
銀髪の魔女はどこからともなく食材を取り出し、木の器を用意する。また魔法を行使すると、次の瞬間、木の器に水が注がれて、そしてホワイトシチューが出来上がる。
「どうぞ?」
魔法による調理だ。
「頂きます⋯⋯美味しい!」
メリーはホワイトシチューを勢い良く口に駆け込むと、すぐに食べ終わる。
そのタイミングを見計らって、銀髪の魔女はメリーに話しかける。
「とりあえず、まずは自己紹介からだね。⋯⋯私はルトア。白の魔女だよ」
「魔女⋯⋯って、あの?」
「そう。六種類それぞれの魔法を司る魔族さ」
メリーが知る魔女とは、恐怖の権化である。出会ったら生きて帰ることはできないとされる存在。畏怖すべき対象だ。
「それで、キミを攫──保護した理由は⋯⋯キミを、私の弟子にするためだ」
「弟子⋯⋯?」
「そう、弟子。キミは今日から私、白の魔女、ルトアの弟子になるんだよ」
「⋯⋯私には、魔法の才能があるの?」
「うん。キミを一目見た瞬間から、欲しくなるくらいには」
銀髪の魔女はメリーの魔法の才能を見抜いていた。評価するなら、到底人間とは思えないくらいだ。純粋な能力だけならば、大罪の魔人にも匹敵するほどである。
「⋯⋯じゃあ、キミの名前を教えてくれる?」
「私の、名前は⋯⋯」
彼女は、自分の名前を思い出すと、同時に過去も思い出す。自分は、あの家の娘であると。メリーという人物は、生まれてこないほうが良かった人間だということを。
「⋯⋯何か嫌なことを思い出したようだね」
そう、彼女は自分が嫌いなのだ。一時は死にたいとさえ思ったことがある。
──その時、ルトアの目が、白く光ったような気がした。
「キミは⋯⋯今、死んだ」
「⋯⋯え?」
彼女は、自分の中から何かが奪われたような感覚を覚える。何が奪われたのかは分からない。しかし、何故か、心の荷が降りたような気がして、気持ちが楽になった。
「これまでのキミはもう居ない。今のキミは、同じ記憶を持っただけの別人さ。⋯⋯ということは、キミには新しい名前が必要になるね」
ルトアは彼女の名前を考える。
数秒後、ルトアは口を開く。
「エスト。キミの名前は、エストだ」
メリー・シュワム・ロロ・ノトーリスは今、ここで死亡した。
「エスト⋯⋯私の名前は⋯⋯エスト」
そして新しく生まれたのだ。白の魔女の弟子、エストが。
オバロ四期作成決定ですってよ! しかも、聖王国編を映画化っ! やったぜ!!!