3−12 絶望
「〈重力操作〉!」
何度目かになるか分からない重力魔法を、彼女はまた行使する。彼女は、自身の魔力がとんでもない勢いで減っていっているのを実感できていた。
「流石は魔女。魔力量も、他とは比べ物にもならないですね」
虚飾の魔人、イシレアの能力はおそらく、魔法の完全上位互換。魔法では、能力には勝てない。
──エストは、イシレアと戦っているとき、ずっと違和感を覚えていた。
(そう。魔法では、能力には勝てない。私の能力も、そうだった)
彼女の記憶操作によって改竄された記憶が何であるかを確定することはできない。あくまで他者からの憶測でしか判断することはできず、黒だとしても、他者からは、それは限りなく黒に近いグレーだということしか分からない。
(⋯⋯なら、どうして私の魔法でイシレアの能力を打ち消せるの?)
魔法だと、術者の力が互角であるから。しかし、魔法と能力の場合だと、両者の力が互角でなくても能力者側が勝利するのが、この世界の絶対不変のルールだ。
例え、一般人程度の力しかない能力者でも、魔女の魔法には勝てるはずなのだ。
(⋯⋯あの岩石は、能力によって生み出されたもの。だけど、岩石自体は能力の効果を受けているものではない?)
創造系の魔法ならある。言ってしまえばエストが愛用する炎系攻撃魔法も、創造系だと言えるだろう。しかし、その炎は魔法の炎であるため、魔法抵抗力で打ち消せる。0を1にするように、本来そこには存在し得ないものを創り出すのが魔法だ。
では、イシレアの『魔法の完全上位互換』の能力は、どのようなものか。
(魔法で打ち消せる⋯⋯いや、魔法で消滅させられるものだから)
あの岩石は、能力によって直接創られたものではないとしたら。0を1にしたのではないとしたら。
(⋯⋯ああね)
──0を1にするのではない。『最初から1だった』ことにしている。最初から、そこには本物の岩石があった。最初から、岩石は運動エネルギーを持っていた。最初から、イシレアはそこに居た。最初から、イシレアは死んでいなかった。
(イシレアの能力は『現実改変』)
全てを思い通りにできる圧倒的な力。
しかし、そうだと考えると、浮かんでくる疑問点がある。それは、どうして『エストは最初から死んでいた』という現実に改変しないのか、ということなのだが、
(できないからだね。他者に直接干渉することはできないとか、あるいは他者に直接干渉する場合は触れなければならないとかの条件があるか⋯⋯)
しかし、そうだとしても、厄介な能力には変わりない。現状をひっくり返せる点にはなり得ない。
「どうしました? 先程から、動きが鈍ってきていますが」
「ちょっと考え事をしていてね。⋯⋯〈支配空間〉」
エストを中心として、非現実空間が展開される。しかし、それはイシレアを飲み込む前に消滅する。
「白の魔女、と言うこともあり、こんな凶悪な魔法も使えますか」
「⋯⋯」
今、おそらくイシレアは魔法に干渉し、魔法の効果を消し去った。
魔法は打ち消される。勝利は絶望的だ。
「⋯⋯だからって、諦めれるわけないでしょ」
イシレアから投げ飛ばされた本物の岩石を、エストは拳で砕く。そして重力魔法と時間加速魔法を行使すると、ビュンっという轟音と共に粉々の岩石はとんでもないスピードでイシレアを襲うが、彼女に着弾する直前にそれらは消滅する。
「──」
イシレアが気づいたときには、視界内にエストは居なかった。だが、すぐさま後ろを振り返ると、細長い刀身が彼女を斬ろうと迫っていたのだが、次の瞬間、それを消す。
「⋯⋯今ので分かったよ。キミのその能力は、自動発動じやない。キミは認識できない攻撃を消滅させることはできないんだよね?」
「まあ、そうですね。その様子だと、私の能力が何であるかも分かったようですし⋯⋯もっと、警戒する必要がありそうです」
エストの背後に、無数の魔法武器が創造される。
「⋯⋯。これは、少し骨が折れそうです」
「骨が折れるだけじゃ済まないようにしてあげるよ」
雨のように降ってくる武器は、イシレアに命中する前に消滅していく。しかし、彼女の顔には焦りの表情が見えた。
──百の魔法武器を消滅させた頃。イシレアは動き出す。
「いい加減、もうこれには飽きました⋯⋯あまり気は乗りませんが、本気を出すとしましょう」
その瞬間、エストの体の自由が奪われ、魔法を中断してしまう。だが、直に彼女は自身の体の自由を取り戻す。
「何を⋯⋯!?」
「感じた通りですよ。あなたの体の操作権を、一瞬ですが奪っただけです。⋯⋯私の能力は、他者にはあまり干渉できません。小指一つ動かさせるだけでも、反動は強い⋯⋯ので、今、私は結構疲れてるんですよ?」
能力は実質無限に使える。──そう、あくまでも実質、だ。本人の体調不良、あるいはその能力によっては、回数制限がある。
「ただの疲労なら、能力で消せるのですが⋯⋯能力の酷使による疲労は、どういうわけか消せないのです」
イシレアはエストの眼前に現れて、
「私に本気を出させたのは、これまでに数人しか居ませんでしたよ」
笑みを浮かべる。
エストは両手両足を茨で拘束される。茨の針が肉に刺さり、痛みを生み出す。
「──っ!」
力でそれから逃れようとするが、動けば動くほど針が深く刺さり、痛みが増す。白色のゴシックドレスが赤く染まっていく。
「さて、と」
イシレアはボロボロになっていたドメイの方を向く。それと同時に、マサカズも振り返っていた。
「エストっ!」
マサカズは、彼女の名を叫ぶと、聖剣を鞘から抜きだし、彼女の元に走り出すが、
「ダメですよ、そんなこと」
彼は、イシレアの魔法で空を舞い、壁に叩きつけられる。肋骨が何本が折れて、肺に刺さり、血を吐く。その程度では死ねなかったが、腕の骨も折れたようで、痛みもあり全く動けない。
「さっさと白の魔女を説得してください」
イシレアはドメイに近づく。
ナオトとユナは彼女に何もしなかった──いや、できなかった。
「⋯⋯ああ」
ドメイの傷が完治すると、彼はエストの元へ行く。
「⋯⋯エスト、聞いてくれ」
エストはドメイを無視している。だが、声は聞こえている。
「⋯⋯俺は、俺の目的は」
──ドメイの目的を、エストはたしかに聞いた。その瞬間、エストは驚愕した。
「⋯⋯まさか、本当に、そんなことが⋯⋯」
「ああ。本当だ。お前も、イシレアの能力を知ったときに思わなかったか?」
「⋯⋯」
エストは、彼女は、何も言えなかった。ドメイの目的を、彼女はすぐに否定できなかったからだ。いやむしろ、
「──イシレア、って言ったっけ。私も、キミに協力する」
「そうですか。分かりました」
エストの拘束が解かれる。彼女は自身に回復魔法を行使して、傷を癒やす。
「エストさん⋯⋯?」
真っ先に、彼女の名を呼んだのはユナだった。彼女は、ユナに振り返らずに一言だけ、答える。
「ごめんね」
──ユナは、その直後、床に倒れる。まるで、糸が切れたマリオネットのように。
「⋯⋯ユナ?」
ナオトが呼びかけても、ユナは答えない。それもそのはずだ。なぜなら、ユナは──即死したからだ。
「⋯⋯っ! エスト、お前!」
ナオトは激昂し、短剣を握ってエストに斬りかかる。だが、彼の刃が彼女に命中するより先に、彼の体は白く輝き空中に静止する。
「⋯⋯ごめんね」
ナオトも、ユナと同じく即死した。
「⋯⋯それでいい、エスト。あと二人殺せ」
すぐ近くで、冷笑と憂鬱の魔人が戦っている。そして、その戦闘は冷笑の勝利に終わったようだ。これから、憂鬱の魔人にトドメが刺されるところであった。
「⋯⋯それが、私の真意を確かめる方法なら」
エストが選んだのは、ドメイと同じく『裏切り』だった。彼の目的を聞いては、彼女はそうせざるを得なかった。
彼女は、同情心を捨てる。
彼女は、罪を受け入れる。
◆◆◆
「コレデ、終ワリデス──」
メレカリナの命が文字通り、レイの鎌によって刈り取られる寸前だった。このままでは、メレカリナの死は免れなかっただろう。
だが、
「〈重力操作〉」
レイの体が白く光り、抗えない力が働き近くの天井を支える柱に叩きつけられる。柱は崩れるが、支えていた天井は既になかった。
「ガハッ!」
「⋯⋯」
魔人の体は、そんなにヤワではない。たしかに痛みはあったが、戦闘不能になるわけではなかった。
レイは邪魔をしてきた者に怒りを覚えて、鎌を強く握りしめるが、その相手の姿を見た瞬間、力が弱まる。
「エスト、様⋯⋯!?」
何せ、それを行ったのは自身の主人であったからだ。
レイは困惑の表情を浮かべ、主人の名を声にする。
「マサカ、操ラレテ⋯⋯」
「操られていないよ、レイ。私は本心で、キミに敵対している」
「⋯⋯!」
レイは、信じられなかった、主人の言葉を。
「⋯⋯抵抗しないで」
レイは、絶望するしかなかった、主人に。
エストは攻撃魔法を唱える。ナオトとユナの二人と同じようにレイにも即死魔法を使わないのは、彼には即死魔法は通用しないからだ。
せめて、痛みを覚えることなく、殺してあげよう。そう、彼女は思った。
「ッ!」
レイは、初めてエストの言葉に従わずに抵抗して、彼はエストの腕を斬る。
「今、アナタ様ヲ救イマス!」
叫ぶ。
鎌に再び力を込めて、レイはエストを救おうとそれを振る。だが、エストは片手でレイの鎌を受け止める。
「ドウシテ──」
エストの魔法が炸裂する。その時だった。
彼女に、氷の槍が飛んでくる。彼女にそれは命中しなかったが、攻撃魔法を中断することには成功した。
「⋯⋯レネ」
「エスト、なぜ裏切ったのですか?」
レネは、普段の彼女からは想像もできないほどに怒っていた。しかし、エストはそんな彼女を見ても動じなかった。
「⋯⋯答えない、ですか。⋯⋯なら、あなたを止めるしかないようですね──」
「折角白の魔女が僕たちの仲間になったのニぃ〜、そんなことさせるわけないじゃン〜?」
メレカリナが、レネを背後から現れて腹部をその爪で刺そうとする。しかし、それは叶わなかった。
メレカリナの爪は青い壁によって防がれる。それどころか、防がれた衝撃で爪は折れる。
「〈氷結〉」
そして、レネは振り返らずに魔法を唱えると、メレカリナは一瞬にして氷像となる。
「⋯⋯青の魔女は、魔女の中では最弱だと聞いたのですがね」
「そうですよ。私は魔女最弱。ですが」
レネの威圧感が増す。
「──あなたたち程度、相手にもなりません」
イシレアの周りに結界が展開される。彼女はその結界を破ろうとするが、できなかった。
「その結界は普通の魔法ではありません。私の独自魔法でしてね。簡単には突破できませんよ」
「⋯⋯流石だね、レネ。でも、その魔法は維持が難しいでしょ? そんな状態で、私の相手をできるの?」
エストの予想通り、レネのこの魔法は維持が難しい。創作者のレネですら、一分間の維持が限界であるし、それに割く集中力も普通の比じゃない。
「私たちは数度、喧嘩したことがありますよね。⋯⋯それで、あなたが勝ったことがありましたか?」
レネは魔女最弱だ。それは、彼女の得意魔法が青ということが関係している。
だが、その称号は自称したものではない。いやたしかに、レネの魔法攻撃力は高くない。戦闘でも、彼女はいつも後方支援に回っていた。
「⋯⋯」
「ない、でしょう?」
しかし、それは彼女が、後方支援の方が得意だからだ。そうした方が、集団にとっては有益だからだ。だから、彼女が本気の戦闘をしたのを見たことがある者は少ない。
彼女が魔女最弱であるというのは、どこの誰かが言っただけの、噂でしかなかった。
「少し集中力が欠けているくらいで、あなたに負けることはありませんよ、エスト」
「⋯⋯最後の喧嘩から、どれくらい時間が経ったと思ってるの? 私もあのときから、強くなって──」
レネは、エストが喋り終わる前に、彼女を氷漬けにしようとする。しかし、エストは炎魔法によって氷を溶かす。
「油断大敵⋯⋯ですね?」
「⋯⋯その容赦の無さ⋯⋯やっぱり、レネは怖いね」
彼女は万人に優しいと言われている。彼女はいつも穏やかだと言われている。彼女はどんな犯罪者だって救おうとすると言われている。それらが、世間一般で知られている彼女だ。
だが、彼女が怒ったとき、そんな印象は一瞬にして覆されるだろう。
「エスト、あなたを死なない程度に殺してさしあげます」
レネの雰囲気が変化する。エストでさえも、その威圧感、殺気に、全身の毛が逆立つ感覚を覚える。
──青の魔女、レネ。彼女は慈愛と非情をどちらも持った人物である。