3−9 大罪人
頭をゆっくりと潰されて死ぬ感覚を知っている者は非常に少ない、というか居ないだろう。
ある意味で、彼は幸運と言えるかもしれない、そんな誰も体験し得えないことを体験できたのは。
「──」
マサカズは自身の頭が潰されていないことを確認すると、安堵する。
「⋯⋯っ」
自分が怖い。あんな残虐で、思い出すことすらしたくない最悪な死に方をしたというのに、恐怖を感じなくなりつつあることに。
「『人は慣れる生き物』⋯⋯そろそろ、俺も『死』に慣れてきたのか?」
今でこそ、まだ死への恐怖は感じられる。たが、それは確実に薄くなりつつある。
光があれば影がある、勇者が居れば魔王が居る、正があれば負がある、それらのように、生は死があるからこそ実感できるものだ。
もし、マサカズの中で死ぬことが息を吐くように軽々とできるようになれば、大した覚悟もなくするようになれば、生き物が本来持つ、生への執着はなくなるだろう。生死の違いが分からなくなったとき、人は人ではなくなる。それは、化物だ。
「⋯⋯クソっ」
世界はどうしてマサカズにこんな加護を授けたのか、他の加護とは明らかに異質の最強であり最弱の力を。
──加護は世界の寵愛。
「考えるだけ無駄だな⋯⋯俺にできるのは、この加護を授けられた理由を考えることではなく、どれだけこの加護を活用するかだ」
状況を整理する。
現在の時間軸はイシレアとメレカリナが襲撃してくる一週間前。つまり、王城に立てこもり始めた直後であり、エストとレネの二人もまだ起きている。
「たしか、あいつらは『虚飾の魔人』と『憂鬱の魔人』だよな」
どちらが虚飾で、どちらが憂鬱かは分からない。これはあとでレイに聞くとして、次に考えるのは彼らの能力だ。
「⋯⋯まあ、分からないな。能力を使った様子がない。それとも常時発動型能力なのか」
能力以外だと、イシレアは魔法使い、メレカリナは拳闘士であることだろう。そしてイシレアの扱う魔法は岩石を創り出し、それを高速で飛ばす物理攻撃魔法だ。
勿論、それは十分脅威であるが、マサカズでも即死は免れた。まぐれであったが、知っているから今度は比較的軽症で済むだろう。
「それで、襲撃タイミングが、エストたちが寝た直後だということだが⋯⋯これは、おそらくドメイが教えたものだろうな」
ドメイとエストは、決して仲が良いわけではなかったようだが、付き合いは長そうだった。ならば、魔女には睡眠が必要で、寝ずに活動できる時間も把握していておかしくない。
「と、なると襲撃タイミングは一週間後で確定⋯⋯ってわけだ」
であれば、対策方法は単純明快。襲撃タイミングの前日にエストとレネには寝てもらい、襲撃を万全の状態で迎え撃つ。
「⋯⋯それで、最大の問題は⋯⋯イシレアが復活した理由だが」
イシレアは『そんなことができるほどの魔力なんて私にはありません』と言っていた。だが、それが嘘である可能性なんて十二分にありえる。
もしくは、その言葉自体は本当であり、イシレアの能力が復活や蘇生であるか、だ。そうだとしたら自分も蘇生できる、無敵の能力。マサカズの『死に戻り』よりも使い勝手が良さそうな力だ。
「⋯⋯イシレアの能力が原因、で間違いないな」
だとしたらイシレアは殺害しても意味がない。能力を無力化できるのは同じ能力だけだが、エストの記憶操作では能力を無力化はできないだろう。
「封印魔法とかあるならいけるかもしれないな」
マサカズはレイとエストを呼びつけ、いくつか質問する前に彼が知っている全てを話す。
「なるほどね。一週間後に寝ていたら、私たちは死ぬ、と」
「虚飾と憂鬱、ですか⋯⋯」
「ああ。それで質問したいんだ。で、一つ目、虚飾と憂鬱の魔人の能力を知ってるか?」
エストは首を横に振る。レイも同様だった。しかし、全く知らないということでもないようだ。
「正確には、知りません。ですが⋯⋯私は何百年か前にその虚飾と憂鬱の魔人に出会ったことがあります」
「え!?」
その時に得た情報をレイは話し始める。
「まず、名前ですが虚飾の方がイシレア、憂鬱の方がメレカリナです。それで、能力ですが⋯⋯メレカリナのものは全く検討すらつきません。ですが、イシレアの能力はおそらく、魔法に似た能力です」
「魔法に似た能力⋯⋯?」
「はい。魔法の完全上位互換とでも言うべきですかね。彼女は好んで岩石を創造してそれを高速で飛ばすことで攻撃していたはずですが、勿論、炎や氷、水、光線を発したりもできます。魔法でできることは能力でもできるはずです」
つまり、あの蘇生は、それ自体が能力の内容ではなかったということだ。
魔法は強力な技術だ。それの完全上位互換ともなれば、どれだけ厄介な能力かはよく考えなくても分かる。
次に確認するのは、イシレア対策の封印魔法を、レネが使えるかだ。マサカズはレネに話しかけて、事情を話す。
「封印魔法ですか? ええ、勿論使えます。ですが⋯⋯相手の力が分からない以上、強力な封印魔法を使うことになります。それで、その魔法には特別な準備が必要で⋯⋯」
レネはその強力な封印魔法について話し始める。
魔法名は〈永久時間停止牢獄〉。
この魔法は対象を永久に停止する時間空間を持つ光の牢獄に閉じ込める魔法である。解除方法は時間系魔法に耐性を持つ者が外部から触れることだけであり、対象の時間系魔法耐性がどれだけ高くても、この魔法に抵抗することはできない。唯一できるとしたら、青魔法と白魔法の両方への高い耐性が必要であるのだが、それらを持つ者はほぼ居ないと言っても構わないだろう。
だが、当然だがこんな強力な魔法には弱点がある。
「特別な準備?」
大前提として、いかなる魔法を行使するときにも魔法陣は展開しなくてはならない。だが、大抵のそれらは魔法の詠唱と同時に展開されるため、ないようなものであるのだが、この魔法に必要な魔法陣は自動展開されるものではない。インクでも、なんなら傷をつけるだけでも良いため、魔法陣を描かなくてはならないのだ。
レネはこのことを皆に説明し終える。
「魔法陣を描く必要がある⋯⋯か。それを描くのにどれくらいかかる?」
「五分もあれば描けます」
「あ、そんな短い。じゃあ、何も心配する必要なくね?」
「⋯⋯ええ、事前に準備ができれば、ですが」
「──え?」
「この魔法陣は、描いたらすぐに効力が失われます。つまり、描いた直後にしか魔法が使えないということです」
そこだけは、通常の魔法陣と似ている。たしかに効力は素晴らしいが、発動の準備が面倒だ。
「⋯⋯えっと、それは、五分間奴らを足止めしなくちゃならない、ってことか?」
「そうです」
「⋯⋯ああ、分かった。エスト、イシレアとメレカリナを頼む」
「私に全任せ!?」
何せ相手は単純な力だけでもレイと同等。その上能力持ちだ。対抗、まともな勝負ができるのはエストだけ。次にレイくらいだ。
「⋯⋯はあ、全くもう⋯⋯まあ、仕方ないよね」
「すまないな。⋯⋯で、最後に伝えておきたいことがある」
マサカズはその瞬間、険しい表情になる。彼は操られるエルフの方を向き、
「──彼を、殺す」
「⋯⋯は?」
「そのままの意味だ。彼は助けられない。操られている状態を解除する方法は⋯⋯ない」
「⋯⋯」
マサカズの言葉の半分は本当で、半分は嘘だ。
あのエルフは操られている。解除できないというわけではない。能力でならば解除できる可能性はある。だが、今ここにいるエストとレネの能力では解除することはできないのも事実だ。
マサカズの目的はあくまで自分と親しい仲の者たちの生存。この場であればエスト、レネ、ミント、レイ、ナオト、ユナの六人がその対象になる。
本当は助けてやりたい。
本当は守ってやりたい。
本当は救ってやりたい。
──しかし、できない。
それらをするには、マサカズの力はあまりに弱い。誰もをを救える力、救おうとする度胸は、彼にはない。
彼の手では、零れる血を全て掬うことはできないのだ。
「⋯⋯殺るのは、俺だ。言い出した奴が、手を汚さないのはおかしいだろ?」
「マサカズ⋯⋯」
「仕方のないこと。⋯⋯何てのも、俺自身を慰める言葉なのかもしれないな。⋯⋯大丈夫だ。また、汚れが増えるだけだからな」
マサカズは一歩、また、一歩とあのエルフに近づく。それに気づいたのか、エルフはマサカズに会釈する。
「私に何か用ですか?」
操られている。
「⋯⋯ああ」
彼は魔人に操られている。そして、エストとレネを殺そうとする。
「何でしょうか」
今この場にいるメンバーでは、誰一人として彼を救えない。
「少し、外に来てくれないか。俺だけ森に入りたいんだが、できるだけ魔力密度が小さい所から入りたいんだ」
──だから、殺さなくてはならない。
◆◆◆
彼にのしかかる罪はまた更に重くなった。
せめてもの救いとして、エルフは一瞬の痛みも、苦しみも、恐怖もなくこの世を去っただろう。
『死』を知る彼は他者を殺すことに躊躇がある。
『死』を知るからこそ、彼は他者を一瞬で殺せるし、いざ殺すとなれば躊躇はなくなる。
「⋯⋯すまないな」
首を一斬り。苦悶の表情、驚きの表情はなく、無表情のまま、胴体からそれは離された。迫りくる刃さえ、その目には映らなかったのだろう。
「⋯⋯」
彼は森の入り口の地面を掘り、そこにエルフの死体を埋める。そのあとに草木でその部分を隠す。
「──っ」
自分の無力さ。自分の愚かさ。自分の惨めさ。自分の罪の重さ。それらに耐えるには、彼はあまりに若すぎた。子供すぎた。
感情を溢れる涙に任せて、体から流し出す。大声は出さない。できるだけ小さな声で、彼は感情を爆発させる。
──少し、時間が経過した。
「⋯⋯何泣いてるんだ、俺。今はそんな暇はないのにな」
マサカズはその足で王城へ向かう。ポケットにあったハンカチで涙の跡を消しながら歩く。
「絶対に、奴らを──殺す」
マサカズは銀髪の少女と暗い青髪の男、そして、梔子色の髪を持った男のエルフの姿を思い出す。
「国を、俺たちを売ったツケは、皆を殺したツケは、絶対に払ってもらう⋯⋯その命で」
彼は決意を、殺意を、怒りを抱いた。
──その瞬間だった。
「⋯⋯!」
仇は、突然そこに現れた。彼の記憶では、一週間後に現れるはずの彼らだ。銀髪の少女と暗い青髪の男だ。
彼の決意は簡単に揺らぐ。しかし、いつもそうとは限らない。強い決意は、そう簡単には揺らがなかった。
マサカズは彼らを見るやいなや、足に全力を込めて地面を蹴る。人では到底出せないようなスピードで、彼は銀髪の少女を殺害すべく、彼女の首目がけて剣を突き刺す。
「⋯⋯イシレア?」
彼らは強者であったが、不意打ちを躱せるほどではなかった。
突然のことに理解が追いつかず、一瞬だけメレカリナの思考は停止する。
その一瞬を狙い、マサカズはメレカリナの首を狙うが、メレカリナは反射的に避ける。
そろそろ、奴は生き返る頃だ。
マサカズは先程殺した少女を再度殺すために剣を同じところに突き立てる。
「がっ⋯⋯」
生き返ることを知られているとは思っていなかったのだろう。イシレアは抵抗できずにまたもや死亡する。
「今ので分かった。死亡直後に生き返ることはできない。一瞬だけタイムラグがある」
また殺す。
「だからお前を無力化するには殺し続ければいい。ああ、だから二人で来ているのか」
後ろからの攻撃をマサカズは跳躍して避ける。その際に、マサカズはイシレアを担いで避けた。イシレアは小柄で軽い。マサカズの筋力であれば、担ぎながら戦闘は可能である。
「⋯⋯それが分かったところデぇ〜、君はどうやって僕を殺すつもりだイぃ〜?」
「何とかして殺す。絶対に殺す。お前たちを、俺は死んでも、死んでも死んでも死んでも、何度死んででも殺してやるよ」
「⋯⋯。じゃアぁ〜、何度でも殺すヨぉ〜」
メレカリナはマサカズの言葉を例え話だと解釈した。しかし、その『何度死んででも殺してやる』は、なぜか本当のように聞こえた。
──死んだら、生き返れないなら、そこで終わりであるはずなのに。
メレカリナはマサカズを大きく上回るスピードで彼に接近し、彼が認識できない攻撃を繰り出して、彼を瀕死の状態にする。メレカリナは彼を殺すつもりだったのだが、殺しきるには至らなかった。
「⋯⋯僕は、君を怖がっタ⋯⋯?」
「⋯⋯ははは。アハハハ! 『怖がった』だって? お前が、俺を? 俺如きを?」
「⋯⋯何で笑っていられるノ? 君はこれから僕に殺されるんだヨ?」
「おいおいおい、さっきまでの語尾を伸ばす喋り方はどうした? 余裕がなくなったのか?」
質疑応答ができていない。思考能力が低下している。恐怖を狂気で押しつぶし、掻き消し、感じないように、無意識にしているのだろう。
「⋯⋯気持ち悪いネ、君。普通の人間じゃないヨ」
メレカリナの拳がマサカズの胸部を貫く。心臓が破裂し、彼は即死した。
──彼は、最後まで、いや死んだ後も狂ったように哂っていた。