3−3 大樹の森の異変
まだ日は完全には昇りきっていない時間。そんな早朝から、彼らは大樹の森を調査していた。
「⋯⋯なるほどな、エストが言っていた通りだ」
第二調査隊隊長、リーグル・レレルはそう呟く。
大樹の森では生態系の頂点に立つはずの大黒熊が『何か』から逃げ出すようにしていた。当然、他の動物も同様だ。
そして、何よりの異変と言えば、
「さっきよりも⋯⋯魔力の密度が大きくなっている」
通常、魔力は空気に触れると消滅する。もし消滅しないのであれば、長時間魔力を放出させ続ける存在が居るということ。
こんな広範囲かつ、こんなに大きな密度の魔力を放出させ続けられるような化物。エストですら、不可能だ。つまり、その存在は魔力量だけなら魔女をも凌ぐということ。
魔力量=強さ、というわけではない。魔力は魔法を使えば使うほど増えるが、魔法能力には直結しないからだ。だが、魔力量が多くて弱い、ということもありえない。
空気中の魔力密度は大樹の森の外側に向かえば向かうほど、一定の幅で大きくなっていく。
「隊長! 第一調査隊からの連絡が途絶えました!」
「何!?」
第一調査隊は500mを先行している。その『何か』と遭遇し、戦闘になったのなら魔法の音が聞こえるはずだし、何より敵との遭遇には音響弾を撃つはずだ。
一部隊は六人で編成される。六人全員が、音響弾を放つ暇もなく無力化されるなんて信じられない。
「⋯⋯第二調査隊は第一調査隊の生存確認をする。第三から第五調査隊には状況を伝え、撤退命令を出せ」
「了解」
何か嫌な予感がする。
第一調査隊にはドメイが居る。彼はエルフの王族であり、魔法能力に大変優れているはずだ。
隊員のエルフが残りの部隊に連絡し終わると、リーグルたちは第一調査隊の消失地点へと向かう。
「──馬鹿な」
血の香り。
そこには、五つの全身が潰されたエルフの死体があった。近くには、本来ここにはないはずの岩石がいくつか転がっており、それには血と肉が付着している。
何者かがここで待ち伏せをし、第一調査隊を不意打ちで襲撃した、ということだろう。
「ドメイ第一調査隊隊長はどこだ?」
そこにはドメイの死体は無かった。たしかに顔も確認できないほど損傷している死体もある。だが、数えても死体は五つしかない。
「逃げ出した? ⋯⋯状況は把握できた。ただちに我々も撤退するぞ」
生存確認は終わった。
敵は今、この場には居ない。だが遠くへ行ったという保証もない。今すぐにでも、逃げ出さなくてはならない。
しかし、その判断をするのは遅かった。第一調査隊が全滅した時点で、撤退するべきだった。
「──逃さないヨぉ〜?」
「っ!?」
長身の男が、彼らの行く手を阻んでいた。
◆◆◆
あと数時間で昼間になる頃。
「⋯⋯? 何か騒がしいね」
一人でエルフの国を観光して回っていたエストは、妙に騒がしい集団が居ることに気づく。
「何かあったの?」
集団のうちの老いたエルフにエストは話しかける。
「今朝、大樹の森に行った調査隊が壊滅したらしいんだ。戻って来たのは数人だけで、その数人が⋯⋯」
エストは集団に囲まれていた、調査隊の装備を身に着けたエルフを見る。彼らは酷い恐慌状態にあり、「あ」とか「う」とか、言葉を話そうとすらしていない。
「──」
会話しても無駄そうだ、と思ったエストは彼らの記憶を読み取ると、そこにあったのは『長身の趣味の悪い服を着た男から必死に逃げる』という記憶であった。また、何か──おそらくエルフが潰されるような音があった。
「⋯⋯何、これ。⋯⋯そうだ。リーグル。リーグルとドメイは⋯⋯」
調査隊に属している二人のエルフを、エストは探す。だが、そこには居なかった。
「⋯⋯。ああ、もう⋯⋯!」
転移魔法を行使して、エストは大樹の森の入り口に転移すると、範囲を拡大した感知魔法を更に行使する。
「居ない。もっと奥に居るの? いや、それより⋯⋯」
──急に、魔力密度が大きくなった。
「一体、アイツの正体は何? この魔力量⋯⋯私以上なんてものじゃない。こんな広範囲を、こんな密度で?」
エストの魔法の感知範囲外ギリギリに対象が居たとしても、その魔力量は彼女よりも高いことは確実。具体的な倍数は分からずとも、二倍や三倍どころではないだろう。
「全く、ここ最近はどういうわけか、化物とばかり遭遇している気がするね。⋯⋯私ほどの強者が、私以上の強者が、これほどまで居るとは」
自分のことを最強だと思っていた彼女は、その事実に驚くと同時に、また、面白いとも思っていた。なぜなら、それはまだ自身に成長の余地があることを知らせてくれるものであるからだ。
「⋯⋯これくらいで、私が臆すわけないでしょ」
飛行魔法を行使して、エストは大樹の森内部を飛び回りつつ、一定間隔で感知魔法を行使する。
しばらく飛び続けていると、彼女はエルフたちの死体を大量に見つける。そして、そこには──上半身の表面が抉りとられ、破損した内臓が剥き出しになり、下半身がなくなった死体が、大樹の根本に座るようにしていた。顔だけは綺麗で、その死体が何者であったかは分かった。
「リーグル⋯⋯」
前日の夕方、生きていた彼だ。実際に会った彼だ。
「⋯⋯私の精神は異形化したはずなんだけどね。これは⋯⋯久しぶりの感情だ」
おそらく、それはエストがリーグルと最後に出会ったのは人間時代だったからだろう。彼女の彼への気持ちは、人間のときのままだった。
「私が冷静なのは、リーグル、キミの死をそこまで悔やんでいないからだろう。⋯⋯でも、私が必ず、キミの仇を討とう」
魔法は、死者を蘇生することができる。だが、それにはたった一つの条件がある。その条件とは、死体が七割以上がその場にあるというものだ。
エストはリーグルの死体を後にして、大樹の森の外側へと向かう。その間にも、魔力密度はどんどんと大きくなっていくも、彼女はそれに動揺することはなかった。
「⋯⋯っ!?」
──それを見るまでは。
◆◆◆
宿屋は洋風ではなく、和風造りだった。勿論ベッドは床布団だし、椅子はなく、代わりに座布団があった。
古く、エルフという長寿な種族ですら昔という時代、およそ1500年前からの伝統であるらしい。
「緑茶は久しぶりに飲みましたね」
自然あふれるのどかな町並みを見ながら、ユナは優雅に緑茶を飲む。その仕草は気品に溢れており、彼女の育ちの良さを示していた。
「わらび餅美味しい」
一方、マサカズはユナの隣でわらび餅を食べていた。きな粉に砂糖はないが、餅本来の甘みが強く、十分である。
「⋯⋯いくらなんでも日本の文化取り込みすぎだろ。何だよ、緑茶って、わらび餅って」
「そう深く考えるなよ、ナオト。異世界転生物のテンプレに『日本文化がやけにウケる』ってのがあるだろ? そういうものなんだよ」
「⋯⋯」
納得するだとか、理由を求めるだとか、そんな事ばかりしていてはいつか理解できない壁に当たることがある。
人間は不完全で、完璧な存在から大きくかけ離れた存在。全知全能ではなく、虚弱で、貧弱で、無知で、無能だ。であれば、理解できないことが一つや二つあってもおかしくない。いや、むしろ、ない方がおかしいのだ。
池澤直人は、考えるのをやめた。そういうものなのだと、理解できないのだということを理解した。
「で、お前らはエルフの国を観光せずに、翌日の出立時間までここに居ると?」
「そうだな。俺はもう満足したんだ、昨日で。それに、俺の不幸体質を知ってるか? 外に──」
「──あっ、もしかしたら竹弓とかあるかもしれませんし、私買いに行きたいです」
このエルフの国に竹弓なんてものがあるか怪しいが、ないとも言えない。
「マサカズ、行くぞ」
「⋯⋯はいはい」
ユナは美男美女が多いこの世界、この国でも、上の上くらいの美貌を持つ。弓の腕前といい、神は二物を与えないのではなかったのか。ともかく、彼女が不用意に外出しようものなら、かなりの高確率で被害が出る。──もっとも、それはユナに、ではないのだが。
ユナを守るというより、彼女から周りを守るという意味合いで、マサカズとナオトは彼女の外出に同行しなくてはいけなかった。
三人が外に出て武器屋を探していると、妙に周りが騒がしいことに気がつく。
「あれは⋯⋯?」
数人のエルフが酷く取り乱しており、そのうちの一人が必死に何かを訴えていた。そのエルフ以外は俯き、ずっと何かに怯えていた。
「──っ!」
その怯え様は、マサカズも幾度か経験していた。圧倒的強者と遭遇したときの怯え方だ。自分の力だけではどうすることもできず、絶望しているのだ。
自らの不幸体質を、マサカズは改めて恨む。
「皆聞いてくれ! 森には化物が居る! 森に入っては駄目だ!」
森に居る化物。そう、化物。──また、だ。
今から逃げようたって、それはエルフを見捨てることに繋がる。ちょっと前のマサカズならそんなことは気にせず、簡単に見捨てて逃げようとしただろう。しかし、今回ばかりはそうはいかない。
マサカズはエルフを見捨てることができない。ようやく手に入れた夢を捨てることはできない。
「王女様、報酬はたっぷりと払ってもらうぜ⋯⋯?」
マサカズは大樹の森の入り口へと走り出す。
「二人とも行くぞ!」
「わかった!」「わかりました!」
森に入り、走り続ける三人。しばらくしてから、レネたちを探してから行ったほうが良かったのではと今更気がつくが、時すでに遅し。引き返すくらいの余裕があるとも思えないので、進み続ける。
「⋯⋯岩石?」
森の中央付近辺りで、大量の鼠色の岩石を発見する。
「⋯⋯っ」
よく見ると、その下にはエルフだったものがあった。大方、魔法か何かで岩石が出現し、それによりエルフは潰された、ということだろう。ここまで肉体が破壊されているなら、蘇生魔法の条件は満たされない。
「なんだ、この感じ?」
マサカズは大樹の森の外側へ走るたびに、何かを感じていた。魔力もあるのだが、それ以上の何かがある。
「⋯⋯いや、この感覚は覚えがある。ケテルと出会ったときに感じたもの──殺気だ」
とんでもない殺気、殺意。それがヒシヒシと感じられる。
またしばらく走る。そろそろ、森の外側、平原に出る頃だろう。
「⋯⋯〈敵知覚〉に反応。200m先、二時の方向に一つだ」
そんな時、ナオトの知覚系戦技に反応が出た。200m先と言えば、大樹の森を抜けた辺りだ。
森を抜けて、平原に出る。すると、そこには見覚えのある白髪の少女が居た。
「⋯⋯なんだよ、アレ」
当然、ナオトが敵として知覚したのは彼女ではない。彼女と対面している存在だろう。そして、三人はその存在を一目見るだけで、化物だと断定する。
その存在から溢れ出る魔力量とか、威圧感とか、そんな所謂気配というものが原因でそれを恐れたわけではない。たしかにそれもあるが、大きな要因はまた別のもので、かつシンプルなものだった。
「化物⋯⋯比喩でも何でもない、正真正銘の怪物だ」
彼らが恐れたのは、その外見だったのだ。