2−15 父親
設定変更。
ここで登場した皇帝の存在を完全に忘れていました。
「五万人を、一瞬で──だと?」
凄まじい振動は帝国軍の後方まで届いていた。それに驚いているのもつかの間、軍部総司令官、ケルニアスにはそれ以上の情報が伝えられた。
「はい。あくまでも、目測ですが⋯⋯」
大雑把な数え方ではあるが、あっても誤差は一万人。どちらにせよ、膨大な数の人が死亡、もしくは重傷を負ったということには変わりない。
「⋯⋯アレオス神父は今どこに?」
「おそらく、駐屯地かと」
側近のその言葉に、ケルニアスはらしくもなく怒りを顕にする。だが、冷静さはあるようで、アレオスに戦場に出るよう言ってこいと、側近に指示を出す。
「あなたはどうなさいますか? 私はあなた様だけでも撤退するべきかと」
帝国の政治状況に軍部総司令官の存在は必須だ。彼が死亡すると、帝国は苦しい状況となる。ケアルのその心配はもっともだ。
「⋯⋯いや、それは駄目だ。ここで逃げてしまえば、私の立場が揺らぐことになる」
「そうですか。──逃げてくれたほうが、楽に済んだのですが」
「⋯⋯なっ」
ケアルは剣を鞘から取り出して、一瞬にしてここに居る護衛二人の首を切り落とす。
「お前⋯⋯裏切ったか!?」
「裏切った? ⋯⋯いえいえ。私は最初からあの御方に絶対の忠誠を誓っておりました」
「⋯⋯支配か! いやしかし、そのようなことはないと⋯⋯どういうことだ!?」
ケルニアスは頭を回転させる。支配魔法が使われているかの検査を魔法で行った際には、なんの異常もなかったはずだ。検査員もずっと帝国内に居て、王国で支配される心配はなかったはずである。
「あまり騒がないでください。すぐに終わらせますので」
ケアルはケルニアスに向かって剣を振りかぶる。
「くっ⋯⋯!」
絶体絶命。騒ぎを聞きつけて兵がここに来た頃には、既にケルニアスは死んでいるだろう。
──その刃が、彼の首めがけて迫って来る。
◆◆◆
帝国軍は狂乱状態にあった。組んでいた陣形も崩壊し、皆がこの戦場から我先にと逃げ出そうと必死になっていた。その姿はまさに弱者、敗者で、彼らが帝国兵士の精鋭であると言えば、鼻で笑われてもおかしくない。
「お、お前たち! 我らは、誇り、高き⋯⋯」
帝国軍の指揮官は彼らを窘めていたが、声は震えていた。それは表面上の見栄に過ぎない。
「──誇り高き、ね。こんな醜態を晒しておいて、まだそんなことが言えるとは⋯⋯」
「ひっ⋯⋯」
転移魔法で現れた白髪の少女と青髪の女性に、指揮官の涙腺は遂に崩壊し、涙で顔を汚す。非常に、汚らしい。
「まあ撤退するならすればいい。私は自分の手で、必要以上の殺戮はしたくないんだ。⋯⋯でも」
指揮官が投げた短剣は、エストの眼前で白く輝き空中に停止する。
「敵対するなら、容赦はしない。私は優しいけど──」
短剣の先が逆転して、指揮官に向く。
「──優しすぎる、わけではないんだよ?」
左手で彼女はフィンガースナップをする。
指揮官の額を、短剣は貫く。脳みその一部を地面に落として、血を撒き散らす。鎧の金属音を響かせて、彼の体は地面に倒れる。
「⋯⋯人殺しを愉しむ子でしたか?」
「そんなことはないよ。⋯⋯殺すのに躊躇がないだけ」
魔女とは魔族だ。例え元人間でも、その精神は異形のものへと変化している。人間への同族意識など疾うにないのだ。むしろ人殺しにまだ抵抗のあるレネの方が、魔女としては異質とも言える。
しかしながら、かと言って人殺しを愉しむ精神になるわけでもない。ここにおいては、元人間、というのがかなり関わってくる。
「⋯⋯さっさと奴を殺しに行こう、姉さん?」
「ええ──っ!」
レネは横目で、エストに十字架の剣が迫っているのを見た。それは明確に首を狙っており、次の瞬間に彼女が絶命する──ことはなく、それは重力魔法によって空中に一瞬だけ停止する。
「〈獄炎〉」
十字架の剣の所有者──アレオス・サンデリスは赤黒い炎に包み込まれる。しかし、彼は剣を一振りするだけでそれをかき消す。
「にわかには信じ難いよ。よくアレを受けて、死んでいなかったね? ⋯⋯いや、生き返ったと言ったほうが正しいかな?」
エストとレネは、アレオスのその外見に驚く。
──彼の体は、露出している部分だけを見ても、なぜその状態から生還できたのか不思議に思えるくらいだった。
体中の至るところに白色の縫い跡のようなものがあり、そしてそれは大きい。骨どころか内蔵さえも外気に晒されるほどの傷だっただろうことが分かる。何より目を引くのは頭部で、傷跡がその大半を占めていた。生々しくて、見ているこっちが、傷が痛むような錯覚を覚える。
「全く。私がこういうのもアレだけど、魔法って何でもアリなのかな?」
ほとんど死んでいるような状態からの回復。回復魔法は本人の自然治癒力を高めるものであるため、死体には使えない魔法だ。
「⋯⋯私がこうやって、会話をしようとしているのに、どうしてずっと黙りっぱなしなのかな──」
エストの挑発にアレオスは簡単に乗り、その剣を彼女に向かって振る。しかし、それは現れた青色の壁によって防がれ、
「〈重力操作〉」
以前よりも強くなったため、彼女の魔法はアレオスの体を空中に飛ばすくらいはできるようになった。
「〈大火〉」
「〈防球〉」
バリアによってアレオスは閉じ込められて、その中で焼き焦がされる。魔法効果が終了すると同時にバリアは解かれて、アレオスは地面に落ちる。だが、まだ生きている。神父服もただの服ではないのだろう。先程の魔法を受けてもなお、少々焦げた程度だ。
「⋯⋯あなた本当に人間ですか?」
どうやらあの十字架の剣には、回復魔法が込められていないようだ。魔法付与ができる人材も、時間もなかったのだろう。しかし、それでも武器としては十分で、切れ味も耐久力も並の剣とは比較にもならない。
「⋯⋯ふふふふ。こうやって、また、お前たちに報復する機会を与えてくださった神には感謝してもしきれません」
「⋯⋯なにを。そんな体で、今の私達に勝てるとでも」
アレオスのスピードも、パワーも、前回よりも格段に下がっている。エストの力が増したこともあり、負ける未来は全く見えない。
どこに、アレオスの勝機があるというのか。
「我が信仰心は魔族を討ち滅ぼすにあり⋯⋯っ!」
「何回やっても同じ結果⋯⋯」
アレオスの剣が、エストの頬を掠る。
「⋯⋯」
──速くなってる?
「〈防御〉っ!」
エストに突き立てられようとした剣は青色の壁によって防がれるも、それにはすぐにヒビが入る。
硝子でも割れたかのような音がして、それは砕ける。
「──」
彼女は何やらブツブツと、一人で喋っている。
「エスト、避けてっ!」
レネの言葉が通じたのか、アレオスの第二撃目をエストはすんでの所で避ける。
──いや、速くなっている。力も増している。前もそうだった。なぜ? ありえない。
「くっ⋯⋯。〈反射〉!」
──まさか。
「〈重力操作〉」
アレオスの体に異常はない。一瞬も、その自由を奪えなくなったのだ。それはつまり──彼はこの短時間で強くなっているということを示す。
「⋯⋯たかが思い込み。でも、それが確実に力になっているというの?」
信仰心。宗教じみた胡散臭い、実在するかどうか怪しい存在──神への忠誠。絶対的弱者が心から縋れる唯一の絶対的強者。人間だからこそ生まれる感情。それらが、彼を強くした。人を捨て、魔の側になった彼女には理解できないモノ。
しかし、それを知識として保管することができないわけではない。
「面白い。⋯⋯でも、キミは強くなりすぎた。結局、今ここで殺すことには変わらなかった」
エストが顔を上げる直前、アレオスが彼女に剣を振る。しかし、彼女はそれを一目もせずに体を少し捻り避けて、二人ごと青の壁に閉じ込められる。
「魔女と神父。どちらの方が魔法耐性は強いと思う?」
「──っ!」
思考共有によってエストはレネにこうするように伝えたのだ。
アレオスが彼女たちの作戦に気づいた頃にはもう遅い。ここから逃れようとしても、時間が足りない。
「〈爆裂〉」
普通の爆裂魔法であるとはいえ、依然その火力は全魔法トップクラスだ。
それに直撃してしまえば、流石のアレオスでも無傷ではなかったようだ。傷口が開き、また、更に新たな傷が出来上がる。
「〈治癒〉」
レネは比較的軽症であったエストに回復魔法を行使して、その傷を治癒する。
「姉さんって青だよね? 本当は緑、とかじゃないよね?」
「ええ。私こそ青の魔女、レネです。これでも、彼女よりも回復魔法は劣っていますよ?」
回復魔法の効果が自分よりもやはり高いことに驚き、エストはレネにそう確かめる。
「まあいいや。⋯⋯にしても、やっぱりあれくらいじゃ死なないか」
なぜ立っていられるのか。なぜ剣を握っていられるのか。それが不思議でたまらないほどにアレオスの体はボロボロだ。寝転がっていたら、死体だと間違われるかもしれない。
しかし、その力は前回よりも更に増していた。
「万全なら、私達が負けていたかもねっ!」
エストの予想は見事に的中している。こんなボロボロの状況だからこそ、彼と彼女たちは互角に殺り合えているわけで、もしも完全な状態だと──それこそあと二人ほど魔女クラスの戦力が必要だろう。それならば、エストはロアをここに連れてきていたし、ジュンの提案も渋々受けていた。
「もっとも、万全にするならミカロナの協力が必要不可欠だけど、キミは絶対にそうはしない、でしょ?」
この世界で、アレオスのあの傷をたった数日で完璧に治せる存在など、それこそ緑の魔女しかいない。だか彼の性格上、魔女を頼るなんてしないし、仮にしても彼女がそれに応じるとは、より思えない。
「だから、キミの、敗北は、最初から、決定していたんだよ」
数多の攻撃魔法を、エストとレネはアレオスに連発する。
彼は常人なら死んでいたほうが道理なくらいの量の出血をしている。しかし、その出血量に比例するように彼の身体能力も上昇していた。
炎、氷、水、風、雷⋯⋯多種多様な高位の魔法が継続的に、絶え間なく、回避しても弾いてもしきれないほどの密度で行使される。
魔女二人と神父の本気の戦い。世界最高峰同士のぶつかり合い。そこだけ、死が渦巻いている。
一時でも気を抜けば即死する。それは両方に適応される。一瞬の油断も許されない戦いが、五分ほどずっと続く。
魔力、体力を消費して、三人は過去級の状態となる。
「早く⋯⋯死んで!」
「一秒でも早く殺してやる──」
エストとアレオスは叫ぶ。だが、それは一瞬の隙となった。
「〈魔法三重化・次元断〉」
レネの短い詠唱が終了すると、三重の空間を斬り裂く刃か出現し、そして、トドメと言わんばかりにアレオスに飛んでいく。彼は剣でそれらを弾こうとするも、体が遂に負荷に耐えきれずに、その身体能力の活かせずに、動けなくなった。
魔法が全て直撃して、アレオスの体は頭、右上半身、左上半身、そして下半身の四つに別れる。
地面は真っ赤に染まる。
「⋯⋯私は⋯⋯負け⋯⋯た⋯⋯?」
どう考えても即死だというのに、アレオスは喋った。最早、彼は人間とは呼べないナニカになっている。
「⋯⋯そう。キミの負けだ」
エストの使える残存魔力量は残り三割を切っている。二回に渡る爆裂魔法がかなり負担になっていたのだ。あのペースだと、あと三、四分が限界だった。
「──嘘ですよね?」
見ると、アレオスのバラバラになった体がゆっくりとだが、未だ動いている。
「⋯⋯信仰心が、死してなお体を動かすというの?」
それらは死体だ。それらはアレオスだったものだ。
「〈凍結〉」
動く死体のうち、顔以外が氷漬けにされて、そして、エストによって踏みつぶされる。細々となった肉片は、もう流石に動かないようだった。
顔だけ氷漬けにされなかったのは、抵抗されたからだった。
エストとレネの顔を、アレオスは見た。
「⋯⋯ああ。アリシア、シーア⋯⋯そこに⋯⋯」
そして、その直後、アレオスの目から生気が失われた。その時の彼の表情は、とても──優しいものだった。
「⋯⋯人違いだよ」
──世界の寵愛。加護は、死でさえ克服する力を秘めている。だが、彼はそれを捨てた。
彼の最期の瞬間は、神父ではなかった。彼はその時、父親だった。