2−11 魔女との契約
魔法とは、魔力を消費して起こる不可思議な現象である。
魔法とは、理を捻じ曲げる技術である。
魔法とは、一歩間違えれば命を失うことになる、危険なものである。
「⋯⋯生命活動に最低限必要な魔力だけを残しておけば大丈夫だとでも思っていたのですか?」
あらゆる生命体には必ず『魔力源』と呼ばれるものが備わっている。それは臓器ではなく、死体を解剖してもそのようなものが実際にあるとは確認されていないが、形無き器官として確かにあるものと定義されている。そして多くの魔法使いはそれがあると感覚的ではあるが確信していた。
「魔力源は修復されない。それが壊れてしまえば、魔力の生産は停止して、いつか死んでしまう⋯⋯魔法の天才のあなたが、そんな常識を知らないはずがありませんよね?」
王国の辺境にある、青の魔女、レネの屋敷で、エストは義姉より説教を受けていた。
「すみません。以後気をつけます⋯⋯」
レネは普段は優しいが、怒ると怖いタイプだ。そんな義姉に、エストは反論できずにいた。
「⋯⋯それは、あなたが私のためにしてくれたことは分かります。でも、私はあなたに命を失うかもしれないことを、して欲しくありません」
レネにとって、エストは義妹のようなもの。そして、あの人に託された娘である。
──レネ、もし私が死んでしまったら、エストを頼む。
「⋯⋯分かりましたか?」
「はい⋯⋯」
エストの態度から察するに反省しているようだ。それにはレネが彼女に、本気で怒ったことがこれまでなかったこともあるだろう。
「⋯⋯まあ、説教もこれで終わりにしましょう。もうお昼ですし、ね」
タイミングをずっと伺っていた赤髪のメイド、メリッサは二人分の食事を持ってくる。いつもの食事でさえ豪華であったが、今日のそれはいつも以上だった。
目につくのはやはり霜降りステーキだろう。エストはよく知らないが、それは小ザシという種類のもので、本当に高価な肉である。
「⋯⋯ねえ、どうして姉さんは赤ワインで、私は水なの?」
エストはレネと二人っきりのときだけ、彼女を『姉さん』呼びする。お姉ちゃんと呼ぶのは本人が恥ずかしがったが、これは良いらしい。
「あなた、お酒は飲めないでしょう?」
「年齢的には飲めるんだけど」
「そうじゃなくて、酒癖が悪いってことです」
──過去、エストは、アルコール度数5%のお酒をたった一杯飲んだだけで酔ったことがあるくらいの下戸である。その時の彼女は呂律が回らなさすぎて何を言ってるか殆ど分からなくなり、また力の制御も大雑把でレネの屋敷の物をいくつか粉々にした。
「⋯⋯ふっふっふ⋯⋯そう言うと思って、昨日、一夜で酒が飲めるようになる独自魔法を創ったんだよね」
魔法の天才。生まれ持った能力だけで、一切の努力をせずに彼女は人間でありながら第十階級魔法を最初から使えた。そんな彼女の能力であれば、独自魔法を創ることなど容易いだろう。しかし、『酒が飲みたいから』という理由で魔法を創るなど、才能の無駄遣いと言えるが、また、才能を持て余しているとも言える。
「〈酒耐性強化〉!」
レネに出された赤ワインのアルコール度数は15%。それをエストは手に取り、そのまま口へ運ぶ。フルボディのそれは赤ワインの中では一番渋みが強く、ワインどころか酒すら殆ど飲んだことのないエストにはあまりおすすめできない代物だ。
「⋯⋯」
一口飲むと、彼女はピクリとも動かなくなる。
「⋯⋯エスト、どうしたのですか?」
「⋯⋯あれぇ? 魔法の効果が効かなぁい?」
彼女の顔が赤くなる。体もフラフラしており、今にも倒れそうだ。
「⋯⋯いや、おそらく魔法の効果はちゃんとありますね」
たしかに彼女は酔っているが、以前酒を飲んだときよりかはマシになっている。体の成長スピードが極端に遅い魔女という種族は、たった数十年で酒への耐性なんてできるはずはない。つまり、彼女の酒への弱さは、魔法ではどうにもならないものであるということ。
「全く⋯⋯」
レネはエストを、彼女が使っている部屋のベッドに転移させると、
「お願い」
いつの間にかそこに居た青髪のメイドに、エストの食事を片付けさせる。彼女は食器を持つと、次の瞬間には消えていた。
「転移魔法をあそこまで容易く使えるようになるなんて⋯⋯ホムンクルスも成長するのですか」
レネは食事を終えると、昼からの用事を思い出す。
「⋯⋯たしか王様に呼び出されていましたね」
集合時間は30分後。たしかエストも呼ばれていたはずなのだが、彼女の今の状態では行ったって何もできないだろう。それどころか、何かやらかすに違いない。
レネは厨房で食器を洗っていた青髪のメイドに「一時間もすればエストが起きてくると思うので、その時に王城に来るように彼女に言っておいてください」と伝えると、いつものワンピースではなく正装に着替える。
「〈転移〉」
◆◆◆
先日、王国では青の魔女、レネが帝国によって攫われた。数日後に彼女は救助されたのだが、元より仲が悪かったこともあり、王国は帝国と戦争を始めるか、それを決める会議を開くこととなった。
「王よ。私に軍の指揮を任せて頂きたい」
会議の結果は見ての通り。開始から五分で宣戦布告を出すことに決定した。全会一致である。
「⋯⋯ああ。頼もう」
そう申し出たのは、十二人の貴族のうちの一人、ニコライ・メルセル・アーゴディ・ミリテブだ。彼は指揮官としてはとても優秀であり、五百人の精鋭の私兵を持っている。
「ありがとうございます。神に誓って、この戦争で王国を勝利へと導きましょう」
「期待しているぞ」
王国と帝国はいつ、戦争が始まってもおかしくない状態であった。黒の魔女の復活が確認されてからかれこれ一ヶ月と三週間ほどしか経っていないのだが、未だ黒の教団は活動していない。──もっとも、それは知らないだけなのだが。
「皆のものに伝えたいことがある」
おそらく王国史上、最も短時間で終了しそうな会議を、王は止める。それはまだ、会議は終わっていなかったからだ。
王の言葉に貴族たちは耳を傾け、その一言一句を逃さないようにする。
「⋯⋯戦争には、白の魔女、エスト様が参加する」
──絶句。聞き間違いはありえない。つまり、王は本当にそれを言ったということ。
王国で魔女と言えば青の魔女であるが、彼女以外の魔女は恐れられている。当然、白の魔女も例外ではなく、なんなら素性が一切知られていないという点からも、他の魔女より警戒されるほどだ。
「──ここからは、私が話しましょう」
そう言って現れたのは青髪の、非常に美しい女性だ。豊満な体からは大人の魅力というものが全面的に押し出されており、男だけしかいないこの場所では、それはより目立つ。会議の開始と同時に部屋に居ないことは、普通なら避難されるものだ。しかし、彼女の場合はそれが許される。
「すみませんね。少し困っていた冒険者さんがいらしたので」
国の会議<人助け。これが彼女──レネのモットーだ。そしてそれを咎められるほどの人物は、ここには居ない。何せ、一番権力を持つ王でさえ、彼女に無礼を働くことはできないのだから。
「い、いえ。そんなことは⋯⋯それよりも、白の魔女──様が戦争に参加するとは、どういうことですか?」
「そうせざるを得なかったからです。⋯⋯私のメイドであるメリッサに帝国軍の調査をさせたところ、その戦力はおよそ10万でした」
王国と異なり帝国軍の殆どは職業軍人で構成されている。それに対して王国の戦力は約30万であるが、その殆どが徴兵であり、毛の生えた素人同然である。
「それは⋯⋯」
帝国軍人と王国軍人、どちらの方が質が高いかと聞かれれば、百人いれば百人、帝国軍人だと答えるだろう。だが、3倍もの戦力差がある。それならば、互角と言えるはずだ。
「それだけならば大した問題にはなりませんが、問題なのは──神父アレオス・サンデリスの生存が確認されたことです」
レネを攫った張本人。魔女に匹敵しうる実力を持つ人間。国に帰還して来た神人部隊の報告では、アレオスは倒されたはずだ。
「私はたしかに、神父アレオスが倒される瞬間を目撃しました。普通の人間なら、あれだけの傷を負えば死ぬだろうと思っていました。⋯⋯しかし、神父アレオスはその『普通の人間』ではなかったということです」
あの十字架の剣がなくとも、彼の生命力は既に人間の域にない。化物じみた能力を持ち、それに驚きながらも、心の底では所詮人間と侮っていたのがこの結果だ。
「⋯⋯分かりました。⋯⋯あの、白の魔女様はどちらに⋯⋯?」
「おそらく、今も私の屋敷で寝ているかと」
「──」
思わず出そうになった不敬な言葉を、貴族たちは飲み込む。エストの立場が分からない以上、下手な言葉は口にできないからだ。
「⋯⋯。あ、どうやら来るようですよ」
レネの見立てでは、あと半時間は起きてこないと思っていたのだが、今、青髪のメイドより〈通話〉があった。
「っと⋯⋯」
転移してきたのは10代後半ほどの、まさに絵に描いたような美貌を持つ少女だ。白のゴシックドレスと長い髪は乱れており、その目元から察するに、本当に先程まで寝ていたのだろう。
「──え?」
そして、貴族たちは、彼女に見覚えがあった。それもそのはずだ。少し前の魔人騒動で、その魔人を撃退した冒険者──エルトアの容姿と彼女は全く同じであるからだ。
「⋯⋯あーうん。私はエルトアと名乗っていたね」
そう、あの時から、ずっと白の魔女はこの王国に居たのだ。しかも、英雄として。その現実に驚愕し、貴族たちは言葉が出なかった。
「⋯⋯で、何で私がここに呼ばれてるの? 消せばいいの?」
「消──っ!?」
何を、と言わないのは、別に彼女が意図してのことではない。それで通じると思っていてのことだ。勿論、レネはエストの言葉を理解し、
「いえ、違いますよ」
「──なるほどね。まさかあの状況で生きているとは思わなかったよ。これは私の落ち度だね」
レネの記憶を読み取り、エストは全てを理解する。
神父を殺せるのは魔女だけ。そして、レネだけではアレオスを殺すことはできない。ロアも居ればその勝率は上がるが、全く知らない魔女二人が突然現れれば、パニックになる可能性だってある。エストだけでもこの有様なのだから。
「⋯⋯さて、自己紹介でもしよう。知ってると思うけど、私の名前はエストだ。よろしくね」
素性の知れない魔女であったが、レネの知り合いということで多少は信用できる。だが、完全には信用できない。
「そんなに警戒しなくてもいいよ?」
「は、はぁ⋯⋯」
そんなこと言われても。という言葉をエストは視る。それは当然の反応で、むしろ最初から信用度マックスであるほうが怖いだろう。
「なに、私は友好的な相手には友好的に接する優しい魔女だ。キミたちが私を頼って、利益があるなら、私はそれに応えよう。この場合、利益とは王国からの信用だね」
エストのこれは、殆ど本当の事だ。彼女は冷酷だが残忍ではない。しかし、それに付け加えるとするなら、人助けをするときは気分が良いとき、ということだ。魔女は自由奔放である、とはよく言ったものだ。
「──でも、同時に、敵対的な相手には敵対的に接するとも言う。私への態度は気をつけたほうがいいね。⋯⋯私は貴族というものが少々、好ましくないと思っているからさ」
エストは睨むわけでもないが目を細め、貴族達を見る。彼女は残忍ではないが冷酷だ。自分への害をいち早く排除するのが、彼女の性格である。
この状況で脅すことは、彼女自身の信用度を下げることに繋がる。本来ならばいらない一言であるそれをわざわざ言ったのは、釘を刺すためだ。レネと異なり、頼めば力を貸してくれる優しい存在ではない。だから必要以上に関わるな、と。
その後すぐに貴族達は部屋を出る。部屋に残ったのは魔女二人と王だけだ。
「⋯⋯あっ、そういえば。王様、私はあなたに謝っておかないといけないことがあるんだ」
「⋯⋯エスト様と私は以前お会いしたことがありましたか?」
「あのときは気絶していたからね。私がエルトアとして初めて出会ったときに、『どこかで会ったことがないか』と聞いたでしょ? あのときは『ありません』と答えたんだけど、本当はあったんだよ」
エストは王に何があったかを伝えるも、彼はそれを詳しく、はっきりとは思い出せない。無理もない。彼女の魔法によって一時的に気絶していたのだから。
「じゃ、それだけ。姉──レネ、帰ろう。まだ頭痛いから」
「ふふ⋯⋯。分かりました、エスト」
白髪の少女と、青髪の女性は同時に消える。
王は、部屋から誰も居なくなったことをもう一度確かめると肩を落とす。
「⋯⋯はあ」
緊張が解け、王は思わずため息をつく。
何せ相手は気分屋の魔女。少しでも機嫌を損ねれば、レネが居ることもあり、死ぬことはなくても痛い目に遭うだろう。そんなのは真っ平御免である。
「⋯⋯戦争、か」
王はここには居ない第一王子の姿を思い出す。二十歳の大人ではあるが、親にとってはいつまでも子供である。
いつか、現国王──メラオアにも死ぬときが来る。そのときに、愛する息子へ渡す国を、できるだけ豊かな国にしておきたい。だから、この戦争で負けることは避けたい。
「⋯⋯黒の魔女の件もある。これからはもっも忙しくなるな⋯⋯」
帝国との戦争。黒の魔女の殺害。そして白の魔女が王国に協力した際の周辺諸国の反応──これは、最悪の場合また戦争を起こすことになるかもしれないことだ。
考えるだけで頭痛がする。
「ああ⋯⋯この老骨には荷が重い」
◆◆◆
数日後。帝都。
「⋯⋯やはり来たか」
二十代前半の若き、美しき皇帝、ケルニアス・アジシン・ミワル・イゾー・ケーニムの予想通り、ウェレール王国からの宣戦布告は、すぐさま届いた。しかし、彼は自身の金色の髪を触りながら、頭を悩ませていた。
「⋯⋯アレオスめ。しくじりやがって⋯⋯」
計画ではレネを攫い、エストを帝国の結界領域に誘き寄せた後に二人とも殺害するはずだった。しかし、新たな魔女、ロアが参入したことによって計画は頓挫した──いや、
「⋯⋯あの転移者三人、というより、その一人、だったか」
それ以上の例外が居た。
ケルニアスは側近に確認するように言う。
「はい。──マサカズ・クロイ。教会の生存者曰く、まるで結界のコアを事前に知っていたかのように破壊して回ったとのことです」
結界のコアの存在自体、魔族でなければ知ることができない。高位の魔法使いであればあるいは可能ではあるものの、情報ではマサカズは剣士だそうだ。
「⋯⋯ここに騎士団長を呼べ」
そして、結界の情報など漏れるはずがない。神への絶対的信仰心を持つ彼ら信者が他者に話すことはないだろうし、帝国政府ではそもそも、結界の存在を知る者が少ない。であれば、マサカズとやらは自力で情報を入手したということになる。警戒すべき対象である。
(なぜ結界について知れた? どうやって自力で?)
──『まるで事前に結界を知っていたかのような』
(魔法か? いや、あれは数分後の未来までしか見通せないはずだ。人間なら数十秒が限界。だとすると、可能性があるのは⋯⋯)
現在から未来のことを知ることができる手段は魔法であれば〈未来視〉のみ。だが、その線がないのだとしたら可能性はもう一つだけになる。それは、
(──未来から現在に、時間を巻き戻した。⋯⋯たしかにそのような魔法があるとは聞いたことがあるが⋯⋯)
帝国の大魔法使いがそんなことを言っていたはずだと、彼は思い出す。
(そんなことが⋯⋯いやまさか)
転移者はたしかに強大な力を持つが、それは人間と比較して。この世界における最上位の種族たちには、単体では負けてしまう。
(⋯⋯例え加護持ちであっても、そんな力があるとは思えない。加護はたしかに魔法よりも強い力だが、圧倒的というわけでもないから⋯⋯。分からない、な)
結局は分からないまま。そもそも、大前提からおかしかったのだ。世界の時間をいくらでも巻き戻せる力なんて、そんなのは──神の力。神の領域だ。
「⋯⋯分からないなら、分からないなりに動けば良いだけだ」
「失礼します。ケルニアス皇帝、お呼びでしょうか?」
先程、側近に呼ばせた騎士団長が扉を開ける。皇帝の目の前だというのに、彼は全身鎧を着たままだ。だが、それを特に咎めるわけでもなくケルニアスは接する。
「クアル、お前に、お前だけに頼みたいことがある」
「それは⋯⋯何でしょうか?」
ケアルは跪き、皇帝の命令を一言一句逃さずに聞く。
「──分かりました」
命令を受けると、ケアルは部屋から出ていく。
「マサカズ・クロイ⋯⋯お前がどうやって結界の情報を知ったか、それを必ず突き止めてやる」
ケルニアスの予想。彼の非現実的な妄想と言ったほうが正しいそれが命中しているかを確かめる。
彼はいつも、間違っていると思われるものでも、確かめずにはいられなかった。確証がないのに、それを確信することは愚者がすることだと考えていた。効率的ではないにせよ、安全的である。
そして、その考え方は、彼が生まれ持った豊かな想像力から来ている。
この世界では、加護、魔法、そして一部の存在のみが使える特殊な能力があるから、いかなるものも100%の確率で、法則に従うとは言えないのだ。死体は動かないのが法則であるが、ゾンビ化の魔法でその法則は破られるように。
「⋯⋯確信してはならない。ありえない、なんて言葉はバカが言うものだ」