2−9 平等主義者
──1724年。冬も終わり、春の陽気が訪れ始めた頃。
「そろそろ行くわよー?」
「分かっています。⋯⋯ほら、アリシア、ママが呼んでいます。早く行きましょう?」
「うん!」
ガールム帝国は人尊主義国家だった。しかし、帝国民の全員が全員、他種族を卑下するわけではなかった。彼──アレオス・サンデリスも、その数少ない親亜人異形種派であった。彼は帝国の今の在り方ではいつか取り返しのつかないことになると考えており、人一倍愛国心が強かった彼は帝国を変えようとしていた。そのために彼は政治家となったのだが、色濃い国民の思想を変えるにはあまりにも彼は非力であった。しかし、それでも尚諦めることのできなかった彼はある国を訪れ、そこで亜人と共存できると証明しようとした。
その国とはエルフの国。帝国と敵対的なウェレール王国の実質的な属国ではあるが、形式上は同盟国──独立国であり、帝国民であるアレオスでも入国はできた。そして今日、エルフの国に訪れて彼はエルフの王との対談をするつもりであった。家族も連れて行くのは、連れて行かないことが亜人は危険であると自ら証明してしまうと考えたからだ。
三日間の馬車による移動で、アレオス達はエルフの国──ローゼルク王国に到着した。
入国手続きを済ませると、エルフの役員はアレオス達をある場所へ案内する。
「これは⋯⋯流石はエルフですね」
目の前にあるのは魔法陣が描かれた鉄のプレート。人一人が乗れるくらいのそれは、おそらく転移魔法が込められた魔具の一種だろう。
「行き先は王城だと聞いておりますが、それでよろしいですか?」
「はい。お願いします」
転移魔具はいくつかあるため、三人同時に転移できる。それぞれ、それら魔具の上に乗ると、次の瞬間には王城の目の前に転移していた。
息を呑むような気品さ、そして美しさを兼ね備えた王城。自然と一体化しており、遺跡のようにも思える。
「わぁー!」
金髪の少女はその光景に魅了され、王城に入ろうと走り出す。しかし、王城から出てきたある男のエルフにぶつかってしまう。
「アリシア! すみません、うちの娘が⋯⋯」
「いや、大丈夫。⋯⋯お嬢ちゃん、怪我はないか?」
彼はアリシアを咎めることはなく、それどころか心配さえする。
──やはり、亜人と人間は仲良くできる。
「ごめんなさい! 怪我はありません!」
「そうか。なら良かったぜ。⋯⋯っと、お前達が俺に会いに来たっていう人間だよな?」
アレオス達が会いに行ったのはエルフの現国王、ドメイ・シェルニフ・ヴェル・ローゼルクだ。つまり、目の前のエルフは国王であるということ。
「は、はい。アレオス・サンデリスです」
「なら早く話をしようぜ。⋯⋯おい、娘さんとお嫁さんを別室に通してもてなせ。くれぐれも失礼がないように」
「はっ」
後ろから現れた彼の従者に、ドメイは命令する。
「じゃあサンデリスさん、俺に付いてきてくれ」
アレオスはドメイの後をついていく。しばらく王城内を歩き、会議室に入る。
会議室はとても広かった、アレオスとドメイの二人で使うにはあまりにも。しかし、他の部屋で話をするわけにもいかないので、仕方なくここでする事となった。
「⋯⋯挨拶なんかはいらない。本題だけ話してくれ」
ドメイの言葉遣いは一国の王とは思えない。しかし、そこにはたしかに威厳のようなものが感じられる。
「分かりました、ローゼルク国王」
「ドメイでいい」
「⋯⋯ドメイ国王。⋯⋯私はガール厶帝国の人尊主義の思想が遠くない未来、帝国を自ら滅ぼす原因になると考えています。そこでエルフであるあなた方と友好的な関係を築けると証明し、帝国の思想を変えたいのです」
ドメイはアレオスの言葉をしっかりと聞いていた。エルフ族を過去に一番迫害したとされる帝国民の言葉を、だ。しかし、話を聞くのと、それを肯定するのは違う。
「⋯⋯その程度で、帝国の思想が変わると思っているのか?」
「⋯⋯っ」
ドメイの雰囲気が変わる。そして部屋の空気が緊張する。
「たしかに、お前の言っていることは正しい。このまま帝国が人尊主義を貫いていれば、あと百年もしないうちに崩壊するだろう」
人間という種族は弱い。この大陸には人間の国がいくつかあるが、それは奇跡的なものだ。他の二つの大陸では、人間の国は存在せず、奴隷や食料として飼われている。
ウェレール王国やその他の国には多くの亜人、なんなら異形種だって存在する。そして規模も大きく、亜人や一部を除く異形種の国と戦争を行ったって、虐殺にはならない。しかし、ガール厶帝国は違う。人間のみの国には力はなく、攻められれば一夜にして崩壊する。
「だが、人尊主義があったから帝国は発展した。思想も国民の深層心理に刷り込まれたもので、結果もあってそう簡単には変わらない。それこそ、マッチポンプをしなければ」
「⋯⋯」
「それでもう一度聞く。俺達エルフ族が帝国に赴いたところで、何が変わる? そして俺達が自ら危険を冒して、亜人を敵視する国に行ってなんのメリットがこっちにある?」
ドメイの言っていることは最もだ。アレオスも最初から分かっていたはずだ。
「⋯⋯お前は帝国が間違っていると知っているが、愛国心が強い。だから、こんなことをわざわざするのだろう?」
アレオスは無言を貫く。彼のその言葉が正しいと知っているからだ。
「わかっただろう? ⋯⋯お前のために忠告しておく。帝国を見限れ。いつか、帝国は最悪な結末を迎えることになるだろう。それが、お前が死んでからの事とは限らない」
「⋯⋯ご忠告ありがとうございます。ですが、私は帝国を最後まで信じます」
対話は終了した。
アレオスの心の中が晴れた。だから、彼は決心できた。他に頼ることができないから、自分で何とかするしかないと。
──アレオスがエルフの国に訪れたのは、それを確かめたかったからなのかもしれない。
彼は部屋から出て、妻と娘を迎えに行く。
「⋯⋯あなた、どうだった?」
「⋯⋯やはり、私達で解決するしかないようでした」
妻はその事実に「そう」とだけ答える。最初から、失敗することを予想していたようだ。
「⋯⋯なら、帰ったら、今までよりもっと忙しくなるね」
「そう、ですね」
自分の無茶に、妻は昔から付き合ってくれる。
「パパ、ママ、どうしたの?」
「いや、何でもないですよ、アリシア」
今のアレオスにとって、妻と娘の二人はこの世で一番大切なもので、癒やしだ。
「お菓子美味しかったです! ありがとう!」
見送ってくれていたドメイに、アリシアは手を振る。ドメイも彼女に手を振り返して、目が届かない所まで離れると彼は一人呟く。
「──アレオス・サンデリス。いつかお前は必ず後悔することになる。⋯⋯それでも、お前は帝国を愛し続けるのか?」
◆◆◆
時刻は既に夕方。今から馬車で移動するのは危険であるため、アレオス達は宿屋に泊まった。どうやらエルフの国にも人間は居るようで、旅人や冒険者がこの宿屋には多く、従業員以外のエルフは少なかった。
「⋯⋯これが、帝国以外では普通なのでしょう」
人間と異種族が互いに手を取り合い、生活する。耳が長いだとか、毛が深いだとか、肌の色が違うだとか、体の作りが違うだとか、そんなのは所詮、大した問題にはならない。互いに手が取り合えるのなら、それが最も良い事だ。
「人と亜人、異形種は何もかもが違う。帝国はその違いを恐れて、受け入れようとしなかった⋯⋯のでしょうか」
変化。それは喜ぶべきものであると同時に、恐れるべきものでもある。その変化によって、どんなことが起こるかが分からないからだ。予想はできても、それは確実ではない。だから根本的に能力も、見た目も、考え方も何もかもが違う他種族を迫害、つまり恐れることは、弱い人間の性と言える。
「──!?」
突然、宿屋に直径5mほどの岩石が降ってくる。そして、それが直撃した場所は、
「アリシア! シーヤ!」
アレオスの妻と娘が居た場所だ。
すぐさま彼はそこへ向かうが、既に手遅れ。岩石には血が付着しており──少女の体のみがそこに倒れていた。おそらく頭部は岩石の下敷きだ。
また、アリシアの首無し死体の近くに、下半身が岩石の下敷きになり死亡した妻、シーヤの死体もあった。
「──」
言葉が出なかった。
人は本当に絶望すると、涙さえ出なくなるらしい。顔は無表情となり、頭が真っ白になる。やがて意識が戻った頃には少しだけ時間が経っており、外を見ると逃げ行くエルフ達が大勢いた。
「⋯⋯」
逃げないと。今はとにかく、逃げなければならない。アレオスは跪いていた足を立てようとするも、動かない。体が言うことを聞かない。恐怖に支配されているのだ。
「クソっ! 私は⋯⋯。アレオス、早く逃げろ!」
自らを鼓舞し、恐怖を跳ね返す。下へ続く階段は崩壊しており、二階から飛び降りるしかないようだ。
アレオスは普通の人間だ。飛び降りたときの衝撃は凄まじく、涙が出る。しかし、今はそんなことに構っている暇はない。痛みに耐えながら、その場から走り出す。
「何なんですか⋯⋯!」
走りながら、周りの状況を確認する。
エルフ達の家屋は火でも放たれたのか、国の大半を占める森にも火の手が迫っていた。焼死体もいくつかあり、またあの岩石もあれからいくつも降ってきていたのか、潰された死体も多くあった。
逃げる、逃げる、逃げる。
絶叫が聞こえる。悲鳴が聞こえる。だが、アレオスは彼らの元へは向かわず、ただひたすら走り続けた。
すると、アレオスの目の前に二人の人間が現れた──いや、人間ではないと、彼は直感的に気づいた。
「イシレアぁ〜なんか人間がぼく達を見てるヨぉ〜?」
「そうですね。仕方ないでしょう、私達は珍しいでしょうし」
黒い全身タイツの上から、黒と青のチェック柄のロングケープを身に纏った、身長は180cmを超えており、痩せ気味で、耳が隠れるくらいの青髪青目の不気味な男と、背中を全て隠すくらい長い銀髪で、水色の目を持ち、可愛らしい白色のゴシックドレスを着た少女。その二人は確実に人外だ。
「メレカリナ、あなたはお腹が空いているでしょう? 食べていいですよ」
──食べる。
「いいノぉ〜? ぼくが先に食べテぇ〜?」
「いいですよ」
メレカリナと呼ばれた男がアレオスに近づく。
明らかに異常だ。そう判断したアレオスはメレカリナから離れようと逃げる。しかし、
「おっと、逃してはいけませんよ」
突然現れた岩石が、アレオスの行く手を阻む。
「なっ⋯⋯」
さっきまでは無かったはずだ。魔法を使った様子もないのに、どうして岩石が現れたのか。
「今は力もあまり使えないので、メレカリナ、今度は手助けしませんよ」
ゆっくりと、長身の男は近づいてくる。逃げることはできない。
「だ、誰か! 助けてくれ!」
非力なアレオスにはこの状況を打開する術がない。だから、助けを求める。彼のその願いが天に届いたのか、近くにはエルフが隠れていた。
「助けて!」
アレオスはそのエルフに、必死に助けを求める。
──しかし、エルフはアレオスを無視して、逃げた。
「⋯⋯っ!」
「おや、そこにまだ生き残りがいたのですか」
イシレアと呼ばれた少女は逃げ出したエルフの方を向くと、次の瞬間、エルフの周りの地面の砂が浮かび、そしてそれらは不自然に動き、エルフを削り殺す。エルフはグチャグチャの肉片となる。
「⋯⋯流石はエルフ。上質な魔力ですね」
いつの間にか、イシレアはその場から離れており、いつの間にか、一口分の肉となっていたエルフだったものを食らっていた。
「ずるイぃ〜、先に食べるなんテぇ〜」
「あなたが遅いからでしょう?」
「そうだけどサぁ〜。まあいいヤぁ〜、頂きまスぅ〜」
メレカリナは大きく口を開け、アレオスの首を掴む。その細くて筋肉のない腕からは想像もできないほど、力は強い。
(あの岩石⋯⋯アリシアとシーアを殺したのは、間違いなくコイツら。⋯⋯そして、エルフは私を見殺しにしようとした)
メレカリナの口がどんどんとアレオスに迫ってくる。
(⋯⋯帝国が異種族を蔑んでいた理由は⋯⋯これ。恐れていたのではなくて──恨んでいた)
弱肉強食。弱いものは強いものから奪われるしかない。だから、弱いものは集団を作り、強いものに対抗する。そして、人間とは弱い種族だ。
(⋯⋯異種族は淘汰すべきだ)
──アレオスはメレカリナの顔面を殴る。ちょっと前までのアレオスの力だと、メレカリナには一切のダメージを与えられなかった。しかし、
「メレカリナっ!?」
メレカリナの体が、後方にあった家屋まで殴り飛ばされる。更に追撃を加えるため、アレオスは地面を蹴って跳躍する。
「痛イ⋯⋯じゃないカぁ!」
メレカリナはアレオスの蹴りを受け止めようとする。しかし、本来の力を発揮できない彼はアレオスの力には勝てず、そのままラッシュをモロに受けてしまう。全身の骨が折れて、身動き一つできない。
「さっきまでとは違いますね⋯⋯まさか、加護をこのタイミングで⋯⋯」
アレオスの突然のパワーアップの理由は、加護を授かった事以外では説明できない。しかも、その加護はかなり強力なものだろう。普通の人間が、普通の加護を授かった程度でここまで強くなるはずはないのだから。
加護は通常、生まれたときに授けられる。しかし極稀に、後天的に授けられる場合もある。そして授与者は、授けられた瞬間にそれが何なのかを瞬時に理解できる。
アレオスは、直感的に授かった加護が何であるかを理解した。それには特殊な力はない。だがその代わり、純粋で、かつ膨大な力があった。
アレオスは次なる標的を視界に捉えると、またもや人外じみた身体能力で少女の頭を握り潰すべく距離をつめる。しかし、アレオスの周りにはいくつもの槍や剣、矢などが現れ、彼を串刺しにしようとするが、彼はその全てを回避、または弾いた。
「これは⋯⋯逃げなければいけませんね」
イシレアはアレオスを岩石の中に閉じ込めて動きを封じている隙にメレカリナを連れて消える。無詠唱化された転移魔法を、先程食らった魔力を早速消費して行使したのだ。
殺すべき対象を逃して、アレオスは呆然とその場に立っていた。そして──
「⋯⋯アハハハハッ!」
──燃え盛る町の中、彼は大きく笑った、家族を失い、その復讐と憎悪に支配されて。狂気に囚われて。