2−8 知識=力≠勝因
アレオスがまず狙ったのはロアだ。ロアは前衛を担当しており、彼女を無力化しなくては、ロアを盾にしてエストはアレオスを一方的に攻撃できるからだ。
十字架の剣を地面に対して平行に片手で持ち、そして腰を低く落とす。アレオスはその体勢から地面を蹴り、瞬時にロアとの間合いをつめる。
「っ!」
ロアはアレオスの接近に反応することができた。しかし問題はそのあとだった。
──彼女の頬に赤い線ができる。その突きを本当に既のところで避けられたのは彼女の反射的行動であり、意識的ではない。
そして、アレオスの剣撃はそこで終わる。たった一撃。同格同士の戦闘において、初撃が躱される可能性は非常に高い。現に反射的であるとはいえロアは彼の攻撃を回避した。普通の戦士であれば第二撃、第三撃⋯⋯と相手に反撃の隙を与えないように、そして回避を妨害するように攻撃を続けるはずだ。
(──嫌な予感がする!)
ロアはアレオスの身体能力、戦闘のセンス、そして経験をこの短時間で見破っていた。だからこそ断言できる、彼は三流や二流程度の戦士ではなく、人間の領域にない実力者であると。
相手を信じるというということは非常に大切だ。そしてそれは敵対関係にある相手に対しても同じことが言えるだろう。
ロアは隙だらけのアレオスに反撃せずに、後方へ飛び退く。それは彼の近接戦闘能力を信頼しての行動だ。
「⋯⋯ほう。よく気づけましたね」
「お前ほどの実力者が、追撃を仕掛けて来ないのはおかしいからね」
会話はそれで終了し、再びアレオスは先程と同じ構えを取る。戦闘で同じ手を二度も使うことは悪手と言える。しかし、ことアレオスにおいてはそうとは限らない。なぜならば悪手となるには相手がその攻撃を見切れていなくてはならず、見切れていないこの状況では二度目も通じるということだ。
アレオスは先程よりも素早く間合いをつめるも、
「〈重力操作〉」
ほんの一瞬だけ、アレオスの体が停止する。たしかに刹那ではあるも、ロアにとっては十分な時間。彼の腹部に膝蹴りをくらわせ、そして戦士のセオリーに従い、拳のラッシュを彼に叩きこむ。
たしかな手応えをロアは感じる。しかし、アレオスは彼女の攻撃に痛む素振りさえ見せず、剣を振る──が、それは空を斬った。エストの無詠唱化された転移魔法が、間一髪の所でロアをその場から転移させて、彼の攻撃から逃したのだ。
「⋯⋯コンビネーションがやけに良い。まるで互いのしたいことが分かっているような⋯⋯」
戦闘に参加することができずに、ただ見ているだけだったマサカズはぽつりとそう言った。
エストとロアの共闘はこれが初めてである。そしてそれは真実だ。なのに、二人の息は非常に合っている。
「多分、エストの能力じゃないか?」
「⋯⋯なるほどな」
マサカズの独り言に反応したのはナオトだ。
エストの能力は記憶操作で、対象の記憶を改竄したりすることができる。そして、その能力は対象に記憶を与えたり、対象の記憶を視たりすることもできる。それを応用して思考の共有に似た事ができても何ら不思議はない。演算能力が人並外れた彼女達だからこそできる芸当で、普通ならその情報の処理をしている暇はないだろう。
「接近戦のときはロアの方が行動が早い。でも魔法戦のときはエストの方が早いだろ? 状況に応じて指揮を交代しているんだ」
ちょっと前までは、マサカズ達は彼女達の動きが速すぎて全く何をしているか分からなかったが、今では観察できるくらいにはなっている。無論、それだけに集中しているからこそできる事であり、もし戦闘中であれば同じ事はできないだろう。しかし、それでもこれは確実な成長である。
「〈竜炎〉」
竜の形の炎をアレオスは剣で容易に掻き消す。しかしそれは最初から彼にダメージを与える目的のものではなく、ロアの接近を隠すためのもの。炎をそのまま突破し、アレオスに着実に攻撃を加えていくも、彼の傷は瞬時に治癒する。
(やっぱり、回復魔法が込められた魔法武器。⋯⋯このままじゃ埒が明かないね。ロア、奴の動きを止めて)
(さっきからやろうとしてる! でも下手に近づけないし、筋力ならあっちのほうが上! 本当に人間が怪しくなってきたんだけど!?)
スピードではロアの方が優れているが、筋力ではアレオスの方が圧倒的。掴まれれば頭蓋骨など指の力だけで粉砕されるだろう、それこそ卵みたいに。彼への下手な接近は、魔女であろうと即死に繋がるのだ。
(⋯⋯私に案がある)
(案って⋯⋯これ? ──エスト、正気?)
エストが共有した「アレオスの魔法武器を破壊する方法」を確認したロアは、思わず彼女が正気であるかを確かめざるおえなかった。
(正気も何も、これしかないでしょ? 何か代案ある?)
(⋯⋯ないけど。⋯⋯あー、はいはい。分かった)
(──じゃ、あとは頼んだよ)
エストはそのまま無防備にアレオスの元に突っ込む。
「〈次元断〉っ!」
エストは魔法を放つが、アレオスはそれを剣で弾く。刃の部分が少しだけ削れるも、戦闘に支障はない程度だ。
「勇気と無謀は違いますよ?」
それどころか、アレオスはエストの頭を掴んだ。──彼に掴まれたが最期、そこから抜け出すことは不可能で、頭が潰されるのを待つしかない。
「しまっ──」
グチャっ。
エストの頭蓋骨が砕け、ピンク色の肉塊と液がぶちまけられる。白いゴシックドレスは赤く染まり、その命が終了したことは明らかだ。最強の魔女が死亡した瞬間である。
エストが──エストだったモノが床に落ちる。
「エストっ!?」
マサカズ達、レネですらその事実を一瞬だけとはいえ理解できなかった。
「よくもエストを!」
ロアは目の前で彼女の死を見た。逆上したように彼女はアレオスとの距離をつめるが、
「無駄ですね」
一刀。それはロアの命を奪うまではいかずとも、大きくダメージを与えることはできた。彼女は痛みでその場から動けない。
「⋯⋯さあ、これで終わりです」
アレオスは勝利を確信した。最強の魔女を討ち取り、そしてこの場で唯一彼に抵抗できたロアにもトドメをさせる。
誰がどう見ても、アレオスの勝利だと言うだろう。
歴史的瞬間。人間が魔女を殺した日。それも二人を同時に相手して、だ。奇跡以外の何物でもない。
「死になさい」
大きく振りかぶった剣がロアに当たり、その命を奪う──はずだった。
アレオスの剣は彼女には命中しなかった。勿論意図してではない。殺意は確実にあり、そこに躊躇はない。であれば、どうして彼はロアに剣を命中させれなかったのか。
ロアが避けたから? いや、違う。彼女はそこから一歩も動いていない。
第三者がロアを助けたから? これも違う。この場で、アレオスの剣撃をいなせる者は居ない。
答えは──アレオスの十字架の剣は、ロアを斬る直前に消滅したからだ。
「〈武器破壊〉。⋯⋯さあ、これでキミはもう終わりだね」
「なぜ、生きているんですか⋯⋯!?」
アレオスの背後には、赤い血に汚れたままの、真っ白いゴシックドレスを着た少女が立って、生きていた。彼女の死体があった傍を見ると、やはりそこには頭部を破壊したときにぶちまけられた血肉があるというのに。
「知ってる? 蘇生魔法は体の七割が残っていなければ発動しない。けど逆に言えば、どれだけ重要な器官でも、それが全体の三割以下なら消失していても蘇生魔法は問題なく発動するんだよ」
エストはアレオスに特攻する前に、ある二つの魔法を行使していた。その二つとは、〈復活〉と〈魔法遅延化〉である。前者は〈死者蘇生〉よりも高位の蘇生魔法であり、普通なら目眩や吐き気を伴い、復活直後はしばらく動けないのだが、この魔法だとそれらデメリットをなくして復活する。そして後者はその魔法の効果が発動するタイミングを自由に遅らせることができ、またそれは術者が例え死亡したとしても効力は失われない。
ただその代わりにこの二つの魔法は魔力消費量がとんでもなく、エストでさえ一回の戦闘に一度ぐらいしか使う余裕がなく、また蘇生魔法の条件を達成していないと普通にそのまま死亡するといったリスクがある。まさに一か八かの手段である。
「狂ってる──」
「そうかもしれないね。私が普通の、キミたち人間と違う所はここだ。──自分の欲望のためならば、自分の命さえ厭わない。私は狂っているから魔女になれた。私は魔女だから狂っている。私は私の狂気によって支配されているんだよ。私が魔女である限り、自分から逃れることはできない。でもそれが私の望んだこと、状態だ。逃れる気はない。私がおかしいことは私が一番良く知っている。でもそれはあくまで客観的に、周りと比べて私を見た時だ。主観的には、私は私が狂気に囚われているとは一切思っていない。むしろ私こそが正常なのかもしれないね。自身の欲望に従うというのは本能的な行動だ。欲望の前では、命の優先順位なんて低くなる。だって⋯⋯命は必ず失われるわけではないでしょ? 取り返せる命ならば捨ててもいい。本当に死ぬ可能性があっても、欲望を叶えられないほうが私にとっては死そのものだ。私が命を失うことを躊躇うときは、その可能性が確実であるときだけだよ。⋯⋯キミは魔女が憎い、そうでしょ? なら、魔女を知らなければいけなかった。私達がどんな存在であるかを、それを知っていれば、私を一度殺したときに、もしかしたらさっき、キミは違った判断をしていたかもしれない。殺したいほど憎いのなら、その相手についての知識をもっと深めるべきだ。⋯⋯まあ、だから私は私についての知識を外部に漏らさないようにしていたんだけどね。キミは魔女である私を知ることができなかったし、そして彼というイレギュラーを警戒しなかった。それがアレオス・サンデリス──キミが死ぬ理由だよ」
武器が破壊されたアレオスでは、魔女二人──その片方にさえ勝つことはできない。彼は剣士であり、拳士ではないからだ。
「⋯⋯そうですか。私が死ぬ理由、負ける理由は、魔女を知らなかったから」
アレオスは構えも何もしなかった。ただ立っていた。これから来るであろう魔法を回避する素振りを、一切見せなかった。一見すると、それは死を受け入れたように見えただろう。
「⋯⋯知識は力。初めて、魔族の言っていることが正しいと思いました」
エストの魔法詠唱は終了した。空間を切り裂く斬撃がアレオスに向かって飛んでくる。
「ですが⋯⋯一つ間違いがあります。それは『神父アレオス・サンデリス』が負けた理由です」
彼は空間を切り裂く斬撃を素手で弾く。
「あなた達にはまだ敗北していません、本来の私、あのときの私、魔族への復讐を誓ったときの私──父親であるアレオス・サンデリスは」
キリがいいのでここで一旦終わらせます。プロット通りに書いたら多分一万文字行きそうなので。