2−5 死ぬということ
「──私こそが神の代理人ッ!」
アレオスが十字架の剣を次なる標的、ユナに振り下ろそうとする。彼女の視界では世界はとんでもなく遅くなり、今までのあらゆる記憶が蘇る。
(これが⋯⋯走馬灯⋯⋯)
嬉しくない、できるならばしたくなかった初体験だ。
この瞬間にも、剣はユナに向かって来ているが、彼女のあらゆる記憶からもこの状況を打開する術は見当たらなかった。
(⋯⋯左肩から右脇腹に向かって一刀。体が真っ二つになって死にますね)
そして、彼女の脳は死を悟り、諦めの感情を抱く。
目を閉じて、ゆっくりと迫りくる死をただただ待つことしか、彼女にはできなかった。しかし、いつまで経っても死は訪れなかった。
「──レイさん!?」
濃い赤紫色の金属でできている鎌が、十字架を受け止めていたのだ。そして、その鎌の持ち主は、執事服を着た長身の男だった。
「ユナさん! 早く逃げてください!」
「──わかりました!」
レイは十字架の剣を弾き、一瞬の隙を作り出す。ナオトはマサカズを抱え、その他の生存者たち全員も逃げ出すも、当然それをアレオスが許すわけがない。
「〈転移陣〉ッ!」
だがレイは転移魔法で彼らを逃した。
「⋯⋯お前は⋯⋯魔人ですか」
「そうですね。⋯⋯私は──冷笑ノ魔人デス」
姿が変わる。身長は2mほどの、細い体を持つ醜悪な化物へと。それが彼本来の姿であり、全力で戦うときの形態だ。
鎌を縦に振りかぶり、両手で全力でそれを落とす。アレオスの頭蓋骨を砕くことはできなく、代わりに地面を砕くことになったものの鎌は刃こぼれなんかしていない。
「ただの魔人にしては能力が高い。流石は『名持ち』の魔人ですね」
ここで言う『名持ち』とはレイの『冷笑』のことだ。魔人という種族において『名持ち』とは強者の証なのだ。
「オ褒メニ預カリ光栄デス──ネッ!」
触れればいかなる存在であろうとも必ず傷を与えるのが、この鎌の特性であるが当たらなければ意味がない。結界があろうがなかろうが、アレオスとレイだと実力に決定的な差がある。正攻法では勝利はほぼないのが現状だ。今でこそ、アレオスはレイの能力と鎌の特異性に勘付き慎重に立ち回っているが、それも時間の問題。「大したことがない」と判断されればそれで終わる。
(私ガ奴ヲ殺セルノハ今シカナイ!)
エストあるいはロアの到着を待つという判断をしたいが、確実にそれまで時間稼ぎができるとは思えない。しかし、何もしないよりかはマシだろう。
アレオスに蹴りを入れ、ノックバックさせ、そして魔法を行使する。
「〈爆裂〉!」
体内にある魔力の二割ほどが一気に持って行かれ、大爆発を引き起こす。しかし響いたのは轟音だけであり、被害は少し近くの建物が焦げる程度であった。
「剣デ魔法ヲ掻キ消シタ!?」
予想外のことであった。仕留められるとも思っていなかったが、殆ど無傷で突破されるとも思っていなかった。しかし、最低限の役割は果たせたはずだ。
(コレデ心オキナク戦エマスネ)
「コレナラドウデスカ! 〈千骨槍〉!」
雨のように降る骨の槍を、全てアレオスは剣で弾くなり避けるなりして無力化し、レイに接近する。
「慎重に行動する必要はなくなりましたねぇ⋯⋯もう、お前の力は分かりましたから」
「──ッ!」
アレオスの剣撃のスピードとパワーが格段に上昇した。レイですら反応ができず、体に無数の傷が付けられていく。浅い傷で済んでいるのはレイの能力が以前よりも成長していることが関係しているのだか、今のラッシュを受け切るだけでも体力はかなり消耗した。
「たったこれだけでそこまで消耗したのですか? それでは時間稼ぎはできませんよ」
(──来ル。⋯⋯ドウセ死ヌナラバ、セメテ最期二)
レイは無理矢理、強引に鎌でアレオスの剣を受け止める。その衝撃に顔を顰めるよりも先に、鎌から手を放す。
「⋯⋯!?」
アレオスは剣を空振る。そして隙ができて、レイの次の行動に反応することが間に合わなかった。
レイは上に跳躍する。
「〈重力増加〉ッ!」
レイの魔法では容易に抵抗される。ならば、対象をアレオスにしなければ良い。レイが重力魔法の対象としたのは──彼自身だ。
拾って、隠し持っていた鉄パイプを取り出す。それは先端が斜めに切られており、簡単に人間の体を貫くだろう。
「しまっ──!」
間一髪の所で、心臓にそれが刺さることは避けられた。しかし脇腹を貫通し、処置しなければ出血多量で死亡することが一目瞭然だ。
「⋯⋯なっ⋯⋯」
フラフラと、アレオスはレイから距離を取る。それはあまりにも小者らしく、先程の彼の余裕はない。思わぬ成果が得られたことにレイは驚き、すぐさまアレオスを始末しようとする。だが──それをするために近づいたのは愚直であった。
「⋯⋯バカ⋯⋯ナ⋯⋯ドウ、シテ⋯⋯?」
「⋯⋯」
反応すらできないスピードの剣撃がレイの両腕を切り飛ばした。
「⋯⋯素晴らしい。まさか私に致命傷を与えるとは思いもしませんでしたよ」
アレオスの脇腹にあった筈の穴がみるみるうちに塞がっていく。それの効果は緑魔法の〈自動回復〉に似ている──いや、それなのだろう。
「魔法武器⋯⋯!」
アレオスが使っている十字架の剣は、ただの剣ではなかった。魔法が込められた武器、つまり、魔法武器であったのだ。
「正解です。⋯⋯もうお前には何もできません。まさかここまで耐えるとは思ってもみませんでしたが、これで終わりです」
ゆっくりと、アレオスは剣を振り上げて、そして振り落とす──
◆◆◆
失った意識を取り戻すという経験は、マサカズはあまりしたことがない。なぜならば彼が意識を失うときは大抵、死ぬときであるからだ。
「──ろ。──きろ。起きろ!」
気絶から覚醒する感覚は眠りから覚めるのと、本質的にもそれは同じだ。しかし確実に違うのは疲労は全く回復しないということだろう。
「──っ」
全身が痛い。特に腕に関してはピクリとでも動かせないほどに。目の前はボヤケており、自分の視力が失われたのではないかと疑うも、すぐにそれは晴れる。
「ここ⋯⋯は?」
ユナや女性陣に膝枕されて、気力を養いたかったなというふざけたことを考えるくらいには、マサカズには精神的余裕があった。だが現実は非情である。彼の顔を覗き込んでいるのは彼がよく知る男であった。幸いなのは彼に膝枕されていないことだろう。
「ようやく目を覚ましたか。⋯⋯ここは下水道だ」
麻痺していたあらゆる感覚を取り戻しつつあるマサカズは、ようやく匂いを嗅ぐことができるようになってきたところだ。たしかに少し──いや、かなりキツイ匂いが辺りに充満している。
「⋯⋯! そうだ、皆は!?」
マサカズの記憶は、彼がアレオスの剣を受け止めた辺りから無くなっていた。
「⋯⋯神人部隊の四人が死亡した」
「⋯⋯クソッ。⋯⋯それで、どうして俺達は逃げられた?」
あのときは、あの神父から到底逃げられるような戦力ではないはずだったのに、どうして逃げられたか。
「レイが来て、囮になってくれたからだ」
「⋯⋯おい。⋯⋯じゃあ、お前らは──俺達はレイを見殺しにしたってわけか!?」
マサカズは叫ぶ。
「仲間を見殺しにしたのか!? ナオト、ユナ!」
「⋯⋯」
どうしてレイは死ぬことを選んだ。なぜレイを助けなかった。戦力ならばマサカズ達よりもレイのほうが優秀だ。合理的に考えれば、レイが死ぬことは避けなくてはならない。
「どうして──」
「黙れ!」
いつもナオトは、マサカズに肯定的だった。しかしそれはいつも、彼にしか現状を打破することはできないと考えていたからだ。
「⋯⋯」
そして何より、ナオトはマサカズを信頼していたからだ。手段は何であれ、全員が生き残るためにどんな事でもしたからだ。
「お前は⋯⋯あの時何もできなかっただろ! 気絶して、そこでお前はお荷物になったんだ!」
だが、今の彼の言葉でその信頼はなくなった。
「ボクはお前の『死に戻り』が何なのかが分からなかった。だけどそれを信用した。でもその結果がこれだ!」
部隊の四人が死亡して、レイも死んだだろう。
「部隊は半壊。彼女にもどんな顔をして会えばいい?」
前回はレイの死体があったから、蘇生ができた。だが完全な肉体の消滅は、流石にエストでも蘇生はできない。
「ボク達は彼女との信頼関係を失い、なんなら復讐として殺されてもおかしくない!」
エストとレイには主従関係があった。そして互いを信頼していた。片割れを潰したとなると、彼女を怒らせる燃料としては十分だ。ただでさえレネを攫われて機嫌が悪いというのに。
「⋯⋯マサカズ。お前が今すべきことは、自殺することだ」
エストとの関係の悪化は避けるべきことだ。
「⋯⋯!」
その結末が嫌ならば変えれば良い。それができるのがマサカズの加護だ。そしてそれは死をトリガーに発動するという、簡単な仕掛けだ。
「⋯⋯死ね、か。⋯⋯まあ、それが正しい。それが最善の策だろう。だが⋯⋯俺は死にたくない」
死を何度も体験しているからこそ、死ぬことへの恐怖は人一倍強い。
そこで、ようやくナオトは冷静を取り戻す。
「──。ごめん。言い過ぎた⋯⋯」
ナオトは自分の発言がどれだけ酷な事であったかを理解したから、謝った。ああ言ってしまったのはマサカズが『死に戻り』をすることでしか現状を打破できないと判断したからだ。合理的ではある。だが倫理的ではない。
「⋯⋯いや、良いんだ。俺だってお前と同じ立場なら、同じことを言ったさ。⋯⋯すまないな。俺は──臆病者だ」
マサカズとナオトは子供ではないが、大人でもない。その中間で、不安定な時期だ。片方は自己犠牲を平然とできるほど優しくないし、もう片方は人を考えて物事を判断することができなかった。
「⋯⋯!」
空気が悪くなり、誰も何も言えなかった時に、ユナは気づく。彼女の加護、慧眼之加護は暗闇を見通せる。この暗い下水道でも昼間のように見えるのだ。だから誰よりも早くそれに気がつけた。
「チッ⋯⋯!」
現れたのは神父服の男、アレオス。服には血が付着しているも、傷は一切見当たらない。
マサカズが舌打ちしたのはアレオスに見つかったからではない。レイの死亡がこれで確信できたからだ。
「──クソがッ! 〈一閃〉!」
痛みを感情で殺し、剣を振る。だが二人の間にある実力の差は大きく、容易に防がれ、そして吹き飛ばされる。
「マサカズ! 大丈夫か!?」
「ああ、なんとか⋯⋯」
絶体絶命。
「⋯⋯あなた達は逃げてください」
「⋯⋯え?」
突然、神人部隊の神官はそんなことを言い出した。
「私達はリーダーを奴に殺された。だからその復讐をしなければならない。でも、あなた達に突き合わせる気はありませんから」
「⋯⋯。いいや、俺達も戦う。いいよな?」
ナオトとユナは頷き返す。
「ここで俺達が逃げたって、あんたらはすぐに殺され、追いつかれる。それなら少しでも勝率を上げるべきだろ?」
「⋯⋯耳が痛いですね」
四人は武器を構える。そして絶望的な戦いへ身を落とす。激闘とは言えない、一方的な殺戮が始まろうとしたそのときだった。
「──やっと見つけた」
下水道の天井に風穴が開いて、そこから地上の光が差す。それを行ったのは金髪の十代前半の少女。彼女に落ちる瓦礫は全て、重力が捻じ曲がり、不自然な軌道を描いて命中しない。
「レイを殺したのはキミだね。そうだ。そのはずだ。私から何かを奪うことができるのは既にこの世界には居ない人だけだ。だから私から二人も奪ったキミは万死に値する。殺す。今すぐにでも、一秒でも早く!」
空間にとんでもない重力が発生する。それは今までのどの重力魔法よりも強力で、隠す気もない殺意が発せられていた。下水道のあちらこちらに小さなクレーターがいくつも出来上がる。
(⋯⋯前回も、前々回ももっとエストの力は弱くなっていたはずだ。でも今回は──いつも通り、なんならいつも以上!?)
「⋯⋯なるほど。結界のコアを破壊し尽くしたというわけですか」
流石のアレオスでも今のエストの重力魔法に直撃すれば即死は必至。避けることに集中していた。
「⋯⋯ならば、本気を出さなければ不味いですねぇ⋯⋯」
アレオスのスピードが更に増して、次の瞬間にはエストの腹部をその剣で貫いていた。だが魔女は生物を超越した者。その程度では致命傷にもならない。
「なっ⋯⋯」
「〈獄炎〉」
それどころか自分ごと魔法で燃やす。アレオスはすぐさまエストとの距離を取ることで燃えることを避ける。
「⋯⋯やはり化物ですね」
彼女の火傷と腹部の傷がみるみるうちに回復していく。おそらく無詠唱化した回復魔法を何度も使っているのだろう。彼女以外の魔女ならばすぐに魔力は枯渇するような魔法の連続行使だ。しかし、彼女は他の魔女とは一線を画す。
「〈黒孔〉」
視認できるほどの大きさの黒いそれが現れる。次の瞬間には術者を除いた全てを吸い込もうとする。それの対象には当然、マサカズ達も含まれている。
「まさか周りが見えていないのか!?」
以前にも似たようなことがあった。あのときも周りを見ることができていなかった筈だ。
「殺し尽くす。この国ごと!」
アレオスはブラックホールの引力に逆らい、エストに攻撃を命中させる。しかし無詠唱化された回復魔法が発動し、傷は瞬時に治癒する。
「うぐっ!?」
エストはアレオスにカウンターを仕掛け、彼を気絶寸前まで追い込む。しかし彼にも回復魔法が発動し、強制的に意識が回復する。それを目にしたエストは十字架の剣を素手で握り、
「〈武器破壊〉」
「──っ!」
それを破壊する。手の傷は瞬時に回復した。
「不味い⋯⋯これは⋯⋯」
アレオスは剣士だ。拳でも戦えないことはないが、相手がエストとなると分が悪い。作戦を魔女殺しから逃亡へと切り替え、高く跳躍する。が、
「逃がすわけ無いでしょ? 〈重力操作〉」
大きい瓦礫をアレオスに器用にぶつけ、落とす。そしてこれでトドメだとでも言うように、ある魔法を行使する。
「っ!? なんだこの感覚──いやこれは!」
エストからとんでもない力が漏れでる。それが一体何であるかは瞬時に理解できた。──魔力だ。視ることができるほどにそれの濃度は大きく、膨大な量である。
「何か⋯⋯ヤバイ!」
常識では考えられない魔力反応。魔法が使えない人間ですらその魔力を全身で感じられた。
「〈時間崩壊〉ッ!」
──その瞬間、人間には認知できない現象が引き起こされた。マサカズの脳ではその過程は理解できず、結果のみを何とか理解できた。
(あ⋯⋯れ? 俺は⋯⋯あれ?)
不思議な感覚。それもその筈だ。マサカズの脳では過去の全ての記憶が思い出され、未来の全ての記憶が詰め込まれた。そして、それらを処理することができずに記憶の混乱を引き起こしたからだ。
(⋯⋯動けない。それどころか⋯⋯声も出せない)
マサカズは自分の体の状態が分からなかった。客観的に見ると、彼の今の状態は身体のいたる所が老化していたり、逆に赤ん坊のそれになっていたりして、思うように体を動かせないのだ。
(⋯⋯あっ⋯⋯そんな⋯⋯これは⋯⋯)
今も尚、この時間の暴走は続いていた。彼の内蔵のみが急激に老衰していった。生物は時間が経てば老衰して死ぬ。寿命がいくら長くても、寿命がある限りいつかは絶対に死ぬ。この一瞬でマサカズの体の時間は百年経過して──老衰死した。
没になったマサカズのセリフを載せます。かなり長いのでご注意を。
最初はマサカズとナオトが対立して、離れ離れになるという展開にする予定でしたがどうやって仲直りさせるか迷ったので対立させること自体を無しにしたんですよね〜。
「お前らは死ぬということが分かるのか? 死ぬことがどれだけ苦しくて、痛くて、辛くて、怖くて、気持ち悪くて、不快で、気味が悪くて、反吐が出そうで、堪え難いか分かるのか? 致命傷を負うときの痛みを、体が冷たくなっていく感覚を、内蔵をぶちまける感覚を、頭がグチャグチャにされる感覚を、全身を潰される感覚を、体が腐敗していく感覚を、ゆっくりと脳が死んでいく感覚を、知っているのか? 知らないだろう? 知りたくもないだろう? そんなことを体験したくないだろう? 当たり前だ。それが普通で、それが正常で、それが人間──生き物だからだ。だが俺はそれを何度体験したと思う? ⋯⋯俺にも分からないほどだ。数えることすら億劫になるほどだ。ただ膨大な数ということしか分からない、無数の死の記憶というものを俺は持っているんだ。これを、この死の記憶を俺は全て覚えている。死ぬということはとても凄惨で、忘れることができないものだからだ。俺の頭からこの最悪な記憶は永遠に忘れることができないんだ、少なくとも、俺だけなら。記憶を忘れる事が出来る手段があることは知っているだろ? 今回こそ、俺は彼女に頼むことは出来なくなったが、別にこれまでにその機会はいくらでもあった。なのにどうしてしなかったか──それは忘れてはいけないからだ。死ぬということの恐怖を忘れてはいけないからだ。俺は誰よりも死んだから、誰よりも命を大切にする。その大切にする気持ちを忘れないようにするためにも俺はその最悪で、醜悪で、残酷な死の記憶を忘れないようにしている。覚えていなければならないと思っている。でもそれを自ら進んで増やしたいとも思っていない。これは決して矛盾しているとは言えない感情だ。当たり前だろ? 俺はあくまでも『忘れたくないから覚えている』のであって、『死の記憶を新しく増やして、コレクションしたい』なんてイカれた、狂った人間なんかじゃない。そう、だから俺は死にたくないんだ。出来るならば俺は死ぬということをこれ以上経験したくない。何度こう思っただろうか。いつからこう思っていただろうか──いや、最初からだ。初めて殺されたときから、死んだときから、俺はもう死にたくないと思った。あんなのはもうゴメンだと思っていた。だけど俺は抵抗することも出来ずにその後何度も死んだ。眠れなかった夜が、死の記憶がフラッシュバックして吐いたことが、長い間恐怖に泣かされることが何度もあった。でも、それでも、俺はお前らに、俺のこの弱さを見せなかった。必死で押さえ込んで、必死で笑顔を作って、必死で別の感情を作り出した。二重人格でも作れそうなくらいに精神は疲弊していたんだ、ずっと、この半年間。想像してみろ。お前らが俺と同じ立場になったとき、発狂しないって確実に言えるか? 俺がどれだけ屈強な精神を持っているか考えたことがあるか? ないだろうな。他人の苦しみほど理解したくないものはないし、そんなことを考えるよりも先に俺のこの能力が使える。そう思うんだろうな。たしかに、この能力──この加護は何でもありの能力だ。世界の時間を巻き戻し、全てをなかったことにする。魔法ならば魔力だったり、生け贄だったり、あるいは術者の体の一部、感情、記憶などを媒介にしてやっと発動できるような代物だろう。それほどまでに驚異的な効果を持つ。未来に起こるであろうことを全てを知ったまま、なんの代償もなく過去に戻れる。条件を変えてリトライが出来る。最善の結果を故意的に出すことが出来る。少しでも、1%でも自分が望む結果を実現することが出来る可能性を見い出せた時点で、俺の勝利は約束されるわけだからな。でもそう上手くはいかないのがこの世の中だ。トリガーとなるのは死ぬことで、このプロセスを踏まなければ『死に戻り』は発動しない。そしてこの能力には術者のメンタルケアの効果はなくて、発狂することもある。死亡時のあらゆる感覚は掻き消されることはなく、例え無意識下にあってもその感覚は『戻ってきた』時に改めて体験させられる。逃れられないんだ。そして痛みや苦しみが一切なくても死ぬということ自体に言語化できない、人類の語彙では表せられない不快感があるから、『何のデメリットもない死に戻り』は絶対に出来ないようになっている。これを分かった上で、お前はさっき俺に『死んでやり直せ』と言ったか? 人に『死ね』と言うことがどれだけ愚かなことか分かって言っているのか? 多分、そんなこと一切考えていないんだろうな。ただそれが最善だと思ったから。俺の苦しみを知らずにそう言ったんだろう。確かに、その判断は間違っているかと聞かれれば、俺は間違っていないと答える。なぜならばそれが最も合理的な判断で、犠牲も俺一人で十分だからだ。だけど人間は全員お前みたいな合理主義の思考を持たないんだよ。人間は感情で動く完璧でない生物だ。だから、俺は死を受け入れられない。それでも同じことを言いたいならば、まずはお前が死を体験しろ。二度と出来ない貴重な体験になるだろうぜ?」