8−11 暴走する禍
八対一の戦いとは、一見するとただのリンチのようなものだろう。優れた兵士であっても、数が圧倒されていては負けるのが普通だ。
しかし、この世界には例外がある。例えば竜一体を討伐するのに、一国が全兵力を注ぎ込むように、そしてそれでも敗走することがあるように、数の優位性はいとも簡単に覆される。
この戦場に居るのは、そんな一騎当千の化物たちばかりだ。中でも、八人の大罪魔人が相対する少年は、化物を屠る捕食者に位置する存在であった。
「⋯⋯フィル姉が変なこと言うから」
頭を抱え発狂し、『瘴気』の触手を振り回して無闇矢鱈に辺りを破壊し尽くすマガを、大罪魔人たちは眺めていた。
レヴィアがこうして誰かを責めることは珍しい。彼女の性格的に、自分の評価が下がるような嫌味は言わないものだ。
「うっ⋯⋯レヴィにそう言われたら何も言い返せない⋯⋯」
「でも安心して。ワタシたちならあれをやっつけられるから」
「レヴィ⋯⋯!」
気持ちがどん底に落ち、しかしレヴィアの一言で一気に上がるフィルの表情の様変わりは大変面白かった。
レヴィアの顔を見ないように、全員、彼女から一歩引く。彼女は反対に一歩前に出て、そして、顔のヴェールを除けた。
──万物が息を呑み、目を開き、釘付けになるような美貌。美男美女の中でも、一際目立つ、この世界で一番の美しさ。
例えヴェールに隠されていたとしても魅力を感じるとされるレヴィアの顔を見た者は、その至高の幸せを享受し⋯⋯即死する。
そこに例外はない。死という概念が無いものにさえ死を与える絶対即死の能力だ。
「⋯⋯⋯⋯」
──だが、マガは死ななかった。
『嫉妬の罪』を回避する方法は、そもそもレヴィアの顔を見ない、感知しないこと。
マガはそれを初見で看破し、対処しただけのこと。ただこれも想定内の出来事だ。
即ち、相手は視力などの状況判断の手段を殆ど失ったということ。残されるのは聴覚などだろう。下手をすれば『第六感』さえも能力発動のトリガーとなるのだから。
大罪魔人の中で最も一撃火力が高いのは、メラリスの能力を用いたメイスによる一撃だ。そのための準備は既に終了している。
「出力最大⋯⋯っ!」
メラリスは炎を纏う。上昇した熱によって景色が歪んだ。次第にメイスにも熱が、炎が伝わり、燃え上がる。
体温上昇による身体能力向上。それを存分に活かし、メラリスは一直線にマガに接近する。
無防備。無警戒。大振りの一撃を叩き込める。そう判断したメラリスはメイスを振り上げた。
「させないわ」
その時、とてつもない風圧が生じた。彼の名を叫んだのはシニフィタであり、彼女は彼を守るために来たのだ。
メラリスの背中を貫こうとした黒い触手にシニフィタが触れると、触手は即座に弾けた、液状化したように。
「う、らァァァァァッ!」
メイスをマガの脳天目掛けて振り下ろす。すると即座に触手が展開されて防御した。が、この程度、マガと一緒に叩き潰せる。
力を更に加えて、接触点に膨大な熱エネルギーを発生させる。
シニフィタはその意図に気が付き、メラリスの爆発のベクトルを操作し、全ての力を一極集中した。
王都に響き渡るほどの轟音。陥没する地面。衝撃は地震と見紛うほどだった。
マガの頭は当然潰れ、体さえもそうだ。原型がなくなるほどの火力だった。
「⋯⋯でもまあ、そうだよね。これで終わるはずがない」
触手がマガだったものを包み込む。パズルのピースを嵌めるように足りない部分を形成し、やがて人の形を作っていく。
そうすれば、マガは完全復活だ。蘇生魔法ではない。もっと恐ろしい力によって、彼は生き返ったのである。
「フィル、何か変化に気づいたか?」
サンタナがフィルに問いかける。その言葉から察するに、サンタナは何かしらの変化に気づいたようだ。
「魔力量⋯⋯とは違うけど、名称不明のエネルギーを消費したようね」
フィルは簡易的に魔法を組み、マガの正体不明のエネルギー量を感知した。大雑把ではあるものの、ないよりは格段にマシだ。
「そうか。私と同じだな。ただ、威圧感は寧ろ増している。⋯⋯不味いな」
マガの背中から触手が更に生えた。それが伸びて、目の前のメラリス、シニフィタだけでなく、他の魔人たちも標的としているようだ。
「⋯⋯⋯⋯」
だが、魔人たちに伸ばされた触手は空中で突然分解される。真っ黒な液体となり、地面に落ちるまでに蒸発した。
レヴィアの『嫉妬の罪』だ。対象を狙うということは即ち、対象を認識しているということ。これが能力の発動条件を満たしたのだろう。しかし非生物には普通、『嫉妬の罪』は発動しない。
「⋯⋯マガは暴走している。あれではマトモな思考ができる状態ではない。つまり、触手に対して『嫉妬の罪』が発動していることも考慮すると⋯⋯」
──触手には自我がある。これらはマガという命令系統を失っても、自立して動く機能がある。これを生命であるとして定義され、『嫉妬の罪』が発動した。
レイの予想は正しい。マガが扱う『瘴気』の触手は完全オートで動く化物だ。
そうつまり、レヴィアの能力で触手は封殺できるということ。
マガに操作権が移りマニュアルになる──
「それまでにマガを殺すしかない」
触手も馬鹿ではない。レヴィアの能力を一度で理解し、対処法を考案したようだ。どうやら彼らがレヴィアの顔を認識するのは、彼女に一定距離近づいてかららしい。それまでは発動条件を満たさない。
よって、やるべきことは遠距離攻撃。レヴィアから距離を取り続けて、攻撃を加え続けること。
「〈結晶雪崩〉」
レイと同じ結論に達したフィルが、一足早く魔法を行使した。メラリスとシニフィタは息のあった動きで即座にその場から離れ、残ったマガを結晶の雪崩が飲み込んだ。
触手がそれを受け止め、砕こうと展開する。だがあまりの質量に耐えられず、マガは全身がすり潰される。
魔法効果が終了すると結晶は魔力となり、空気中に散布した。ただそれが齎した被害は無くならず、そこには肉片となったマガをが散らばっていた。
「⋯⋯蘇生によるエネルギーの消耗は⋯⋯この感じだと何百回は生き返れるだろうね」
再び感知魔法を行使したフィルはとてつもないことを言い放ってのけた。あれを殺すためには生半可な攻撃では無意味だ。一撃一撃が全力。何百回もやってられない。
「どうするんだ、じゃあ。他の方法を考えるか?」
「まあ話は最後まで聞きなって、サンタナ」
フィルはこの二回の攻防で得た情報から、事実確認と立てた推測を話した。
まず、マガには魔力や体力ではないエネルギーがあること。蘇生はそのエネルギーを用いて行われていること。触手も同様で、維持しているだけでもエネルギーは消費していっていること。そして攻撃や防御のために動けば動くだけ、消費エネルギーは増大しているということ。
「で、オートモードである触手は、できるだけエネルギーの消費を抑えたがっているようだね。主が狂乱状態だから、その保護に回っている。⋯⋯このまま防御に徹されていれば、私たちが勝つ方法はさっき言った通り何百回殺すことのみ」
「その口ぶりだと違うということか?」
フィルはニヤリと笑う。知識、知力、判断力の全てがトップクラス。エストに匹敵する頭脳の持ち主である彼女は勿論その対策も考えた。
その結論とは、ずばり、
「あの触手に攻勢に転じることを強制させる」
「⋯⋯どうやって?」
「少年は何のためにここに居る? どうして私たちと敵対している? 事情も知らなさそうなそうなのに、彼自体に私たちと敵対するメリットは一体何?」
「そうか──!」
マガは明らかにその精神には不釣り合いな力を持っている。ましてやオートモードという補助機能もある。もしこれが先天的なものであれば、あり得ない話だ。
そうだから、これは後付だ。ならば後付したのは誰だ? ならば彼の役目は何だ?
「逃げる素振りを見せれば、絶対にあの少年は⋯⋯というより触手は、私たちの逃亡を阻止するべく動く。防御には徹せず、攻撃に移るしかなくなるはずだね」
現に、こうして逃げるわけでも攻撃を加えるわけでもない状態だと、マガは何もしてこない。おそらくは足止めが目標なのだろう。
「仮に追撃してこなければ?」
「そのまま逃げれば良い。イザベリアでもお嬢様でもエストでも、全員連れてきてリンチだね!」
そういうことだ。行動を変化させても、させずとも、どちらにせよ魔人たちには利益がある。作戦に欠点はない。
これを全員に伝えると、作戦行動の開始だ。
◆◆◆
──踵を返し、魔人と成る。か、そのまま全力で走り抜ける。魔法だろうが、能力だろうが、何でも使って逃亡する。
しかしそれは敗走ではない。勝利の為の一芝居。即ち陽動である。
そんな陽動にまんまと釣られた黒色の触手は、逃げようとする魔人たちを一網打尽とすべく、何十本にも、何メートルにも伸びた。
そう、攻勢に転じたのである。
「フィルの言う通りだ。俺たちを逃さないつもりだな」
コートのポケットから手を出し、掌にある口を正面に向ける。迫って来た触手は問答無用、怖いものを知らないのか、突っ込んでいった。
ベルゴールの能力、『暴食の罪』の権能は二つ。全身にある口に触れたものを食し、食したものを胃袋に溜め込むことができる。無論、胃袋といっても腹部にあるものではない。異能由来の全くの別物──ベルゴールでさえ、どこにあるか分からない所へと保管される。
これに対象を選別する方法は、発動条件を満たしたかどうか以外になかった。つまりこの能力を無効化することは、原則として不可能。唯一の方法も、触手には、当然、マガにはできないものだ。
「⋯⋯不味いな。セレディナ御嬢様の御料理と同等だ」
異空間に保管されると言っても、胃袋は胃袋だし口は口だ。味覚こそ普通ではないものの、味は感じることができる。ただ美味しいものは殆ど無い。
それでも、触手は特別不味かった。炭と海の水を混ぜたものに、濃縮した酢を足したような味がした。
「⋯⋯⋯⋯!」
今度は頭を狙って触手が伸ばされる。頭にある口はひとつだけ。隠されていて、あるかもしれない口に突撃することはない部位にして致命傷となる所だ。
勿論のこと、ベルゴールは同じことを過去に何度もされたし、今も警戒していた。いつでも頭を防御できるように戦闘中はいつも身構えていた。そのお陰で命拾いをしたことだってある。
ただ、それ以上のことはできなかった。だから、死ぬときは呆気なく死ぬんだろう。
「──しま」
ありえないくらい速い。目で追うことはできても体が反応しない。
今までの触手のスピードは抑えられていたものだったのだ。消耗を防ぐために、速度を低下させていたのだ。
けれど、いつまでも温存ばかりするようではいけないのだと分かっているのだろう。
急襲する黒き死。先端が尖った得物がベルゴールの頭を貫かんとする。
「ふんっ!」
凄まじい風圧と共に、ベルゴールの眼前に男が現れた。よく知る相手だ。
「無事か?」
「サンタナっ!」
両手剣で触手を切り落としたのだ。それによってサンタナはベルゴールを守ったのだ。
ただ、触手を切り落とした剣は使い物にならないくらい破壊されていた。サンタナの『憤怒の罪』は武器を作るというもので、これによって作られた武器は並の魔法武器を遥かに超える性能だ。単純な切れ味や耐久力であれば、セレディナの黒刀を超えるかもしれないもの。
そんなものを簡単に破壊する触手、ということだ。今、魔人たちが相手にしているのは。
「無事みたいだな。⋯⋯今しがた分かったことだが、触手は想定より遥かに凶悪だ。だから二人一組で戦闘するよう指示が出た」
「分かった」
不意打ちのように地面から突き出てきた触手をベルゴールは食す。
「あともう一つ」
ベルゴールとサンタナは互いに背を合わせながら、迫り来る触手たちを捌いていく。速さにも成れ、防戦であれば何とか耐えられるくらいにはなってきた。
「なんだ?」
「私たちは隙を見て本体を叩かないといけない。そのためには強力な一撃が必要だが、既に触手は私たちの実力を殆ど看破しているようだ」
アイコンタクトで、サンタナは「周りを見ろ」と言ってきた。
フィルとレイは主に魔法で応戦している。飛び回り、触手との空中戦を繰り広げているようだ。魔法使いはあんなにも出鱈目な戦い方ができるんだと、何度でも思う。
メラリスとレヴィアは圧倒的だった。触手はレヴィアが居る為に下手に近づけず、近づけたものも、メラリスによって一撃で粉砕される。正し、触手も戦い方が上手く、可能な限り消耗しないように深追いをしていない。
シニフィタは言うまでもない。追撃してくる触手を悉く叩き落とし、叩き潰し、叩き壊している。
「⋯⋯ふむ。戦力をきちんと分散している。実力に応じたものだな」
「ああ。そうだ。⋯⋯そして怖いことに完璧だ。全員、逃げることはできても、少年に近づくことは不可能な状態にある」
フィルの作戦を読み、その上での完全な戦力分散。手腕は見事としか言いようがない。オートモードだからこその判断力だった。
そうつまり、誰もマガを襲撃できないのである。──ただ一人を除いて。
「⋯⋯カルテナが居ないな」
周りを見ても居ない一人の魔人。仲間を捨てて逃げたわけではない。カルテナは確かに弱いが、心まで弱いわけではない。
よって、これは作戦だ。
「ああ。──カルテナはカルテナ自身の判断で単独行動している」
まさかの週一投稿。直したいな、サボり癖。
ちなみにイラストの方は、ようやく線画が終了しました。色塗りは得意ではないので試行錯誤しながらやらないと⋯⋯。




