2−4 神の代理人
結界のコアを探し、壊せ。それがロアとメリッサが、エストに任された仕事だ。
「〈爆振動〉!」
赤の魔女、ロア。彼女の本気の戦い方は格闘を主体にし、魔法で格闘の攻撃力を上昇させる、といったものだ。
空間を殴り、振動を与える。振動は空気を通り、そして対象に影響を及ぼす。結界のコア──水晶を守る信者4人全員を一斉に即死させると、ロアは指をポキポキと鳴らす。
「準備運動にもならないな〜」
そう言いながら、ロアは水晶に近づき、先ほどと同じように殴る。唯一違うのはそれが直接的攻撃であることなのだが、
「⋯⋯なっ」
しかし、空中に浮かぶ水晶にはヒビ一つ付かなかった。それもそのはず、ロアの拳はそもそも水晶にすら届いていないのだから。
何度もロアは水晶に拳を、足を叩き込む。だが結果は同じであった。
(⋯⋯ロア様でも水晶に触ることさえできない。なのに、どうして見張りが居たのでしょうか。⋯⋯試してみる価値はありそうですね)
「メリー?」
「ロア様、一度私に任せてはくれませんでしょうか?」
「いいけど⋯⋯」
自分で出来ないのだから、お前にできるのか、と、ロアは言いたげな表情だ。しかし、メリッサは優秀な人材だ、メイドとしておいておくにはあまりにも。そんな彼女は何の考えもせず、意味がなさそうなことをする筈はない。
メリッサはゆっくりと、力も込めずに水晶に近づくと、何の障害もなく水晶に触ることができた。
「えっ?」
やはり、とメリッサは思う。
「おそらく、この水晶は魔族では触れないものになっています。その理屈はよく分かりませんが⋯⋯まあ、神聖魔法でしょう」
魔法とは奇跡を意図的に引き起こす──理を捻じ曲げる技術だ。そんな事だって、絶対に出来ないとは言えない。
ロアは魔族である魔女だから水晶に触ることが出来なかった。メリッサは魔族ではない人造人間だから水晶に触ることが出来た。それがこの水晶の理である。これだけは他の魔法、加護による干渉以外では変えることのできない、不変の事実である。
「むう⋯⋯ならメリー、頼む」
「承知いたしました」
「⋯⋯ちょっとまって。そのガントレット何? というかどこから取り出した?」
いつの間にか、メリッサの右手にはガントレットが装着されていた。本来は甲冑の一部分で、攻撃目的に使用されるものではないのだが、素材が鉄であることもあり凶器としては十分な働きを持つし、そのガントレットは彼女用に作られた戦闘向きの特別製だ。
「私の武器です」
「あっ、そう。⋯⋯で、どこから」
「ロア様、早く次のコアを探しに行きましょう」
「⋯⋯」
それからも順調にコアを破壊し続け、五個目を破壊した時だった。
結界のコアに近づけば近づくほど、魔族の力を弱める効果は強くなる。それは非常に僅かな違いではあるものの、ロアの感覚ならばその違いが分かる。
「次は⋯⋯北西の方向」
完全に感覚頼りな捜索方法であるため、多くの時間を要する。その事に焦燥感を覚えるも、捜索時間の短縮には繋がらない。
(エスト様⋯⋯)
レネの義妹。メリッサのエストへの認識はこれだ。600年前に数年とはいえ、実際に屋敷で生活しており、メリッサも世話をしていた。たまに会いに帰って来る彼女への思いはさながら家を出た子供へのものであった。仕えるべき存在というよりも、可愛らしい子供と言ったほうが正しい。様付はしているも、レネと違うのは様付しなくて良いと言われれば即しないようになることだろう。
(⋯⋯いえ、あの方であれば大丈夫でしょう)
屋敷で過ごしていた頃はとても小さくて、無邪気であった。あんな事がありながら、心の表面だけかも知れないが、それは非常に愛らしかった。今は昔の子供らしさはないも、メリッサにとってエストはいつまでも年下の存在で、愛すべき存在で──
(私は、私のすべき事をしなければ)
「⋯⋯メリー」
「──あっ、すみません。考え事をしていました」
ロアがメリッサを呼ぶ。しかしロアはメリッサの方向を見ておらず、またその横顔は少し驚いているようなものだった。
「⋯⋯!」
ロアの目線の先に居たのは一人の、フードでその殆どが隠れているとはいえ、非常に顔立ちの整った女性であった。だが、今更美女を見たところでロアやメリッサは驚くことはない。
──森妖精の種族的特徴は顔立ちが美しいこと。それは男性にも適応され、美男美女が多い種族である。
「どうして、この国に⋯⋯」
二人はハッキリと見た。そのフードに隠れていた、長い耳を。エルフの特徴を。
エルフは周りをキョロキョロと絶え間なく見ている。それは視線だけであるが、注視していれば誰でも気づくくらいにはあからさまだ。
「⋯⋯そこのエルフ」
「っ!?」
ロアがエルフに話しかけるも、それに応じるということは自分がエルフであると認めるようなもの。無視して大通りを過ぎようとするも、
「⋯⋯何なんですか」
メリッサがエルフの正面に回る。
「エルフでないなら、そのフードを上げて証明してください」
「⋯⋯私達はこの国の者じゃない。だから安心して」
裏路地に向かい、エルフは観念したようにそのフードを上げる。その下には予想通り、美しい顔と長い耳があった。梔子色の髪のエルフである。
「それで⋯⋯私をどうするつもりですか」
エルフはロアとメリッサを大変警戒している。
「殺したり、帝国に売り飛ばす気はない。どうしてこんな所に居るのかって聞きたいだけ」
「⋯⋯私は母国で帝国の聖教会に誘拐されました」
「母国──エルフの国か。それで逃げ出した、と」
「⋯⋯いや、逃げ出したわけではありません。囚われていた所から青髪の女性に助けてもらったのです。私はこれから母国に戻って、あの人を助けなければならないのです」
──青髪の女性。それに真っ先に反応したのはメリッサだった。
「その青髪の女性はどんな人ですか?」
「⋯⋯とても美しい人だった。水色のワンピースを着ていて、人とは違った魅力を持っていました」
美貌を持つエルフですら「美しい」と言い、ワンピースを着ている青髪の女性──確実にレネだ。
「⋯⋯わかりました。それで、その人は今どこに?」
「町の中央には下水道に繋がる階段があります。そこから更に西の方向に進んだ所です」
「では最後に。確認したいことがあります。お名前をお聞かせください」
突然名前を聞かれ、驚くエルフ。しかし言わないとなればどんな目に合わされるか分からないため、エルフは躊躇いもなく名を明かす。
「私は⋯⋯私の名前はフェリシア・シェルニフ・ヴェル・ローゼルクと言います」
「⋯⋯やはり。⋯⋯あなた様はここに戻ってくる必要はありません」
急にメリッサはエルフ──フェリシアに跪く。それはレネやエストへのそれと同等のものである。メリッサのこの行動にまたしてもエルフは驚く。まさか自分の家柄を知っているとは思わなかったからだ。
「どうして──」
「私達がその女性を助けます。そして、このお礼は必ずしましょう。⋯⋯フェリシア王女様」
エルフの国における王族の名はシェルニフ・ヴェル・ローゼルクである。目の前のエルフこそ、王女なのだ。メリッサは現国王と面識があり、フェリシアのことをひと目見た時から彼女が王女ではないかと思っていた。
◆◆◆
「マサカズさん、話を聞かせてください」
マサカズ達は丘上の教会に行こうとしていた神人部隊を引き留めた。今は町の中央辺りに居る。
「⋯⋯俺の加護については話したよな。⋯⋯あそこに行けば、俺達は全員殺されていた」
「なっ⋯⋯!」
王国の最強部隊を全滅させられる戦力を、帝国の教会は持っている。その戦力とはあのシスターだ。
「私達が⋯⋯全員⋯⋯」
「ああ。しかも、それをやったのは最大戦力ではない。おそらくNo.2だ」
聖教会最強は神父アレオス・サンデリス。そして、彼は前回、この辺りに居た。
無論、マサカズがわざわざ最強の男が居る可能性の高い場所に向かったのは、自殺をするためなんかでは決してない。
「そして二つ目の情報だ。神父はこの辺りに居る可能性が高い。跡を付ければ、レネの居場所の手掛かりが掴めるかもしれない」
なぜ、神父ともあろう者がこんな所に来るのだろうか。王国の女神であるレネを攫っておいて、丘上の教会なんていう明らかに狙われる場所からなぜ離れるのだろうか。
(⋯⋯もし、俺達がこの国に入った事が既にバレていたなら──)
──レネをわざわざ生かしておく理由はなくなる。何かの拍子にレネが自由になると、魔女三人を相手取る事になるのだ。危険は予め消す行動をしたっておかしくない。
(丘上の教会はあくまでも囮。戦力を二分にするのが狙いだろう)
現に前回では、神人部隊は教会で壊滅。エスト達はアレオスに殺害されている。
「──どこでそんな情報を手に入れたのかは知りませんが⋯⋯まあ、ここで見つかってしまうのは間抜けですね」
「っ!?」
気づくと、そこには神父服の男が居た。⋯⋯アレオスだ。
「⋯⋯ははは。本当にそうだな。⋯⋯これでは、間抜けだ」
折角エスト達とアレオスの遭遇を回避出来たというのに、代わりにマサカズ達がその役目になっては意味がない。
九対一。戦力差は一見するとこちらのほうが圧倒的だ。しかし、彼から感じる威圧感は、まるで、
(⋯⋯ティファレト、ケテル以上。──エストと初めてあったときに感じたものと同等だ)
化物。強者。同じ人間とは思えないほどの威圧感を覚える。身長は人間形態時のレイより少し高いほどで、筋肉のつき方は神父ではなくヤクザのようにも思える。
魔女に匹敵する人間。魔女を殺すことができる人間。
全身が震える。脳が逃亡を促してくる。勝てるわけがない。絶対に死ぬと、本能が警告してくるのだ。しかし、アレオスと対峙した時点で逃亡の選択肢はなくなる。
アレオスはゆっくりと、走る予備動作を取る。次の瞬間、彼の姿は消えて、
「──ッ!」
マサカズに十字架の剣を振っていた。マサカズは反射でそれを剣で受け止めるも、響く振動だけで腕は麻痺し、剣を落とす。
「あああああ!」
外傷はない。つまり、内出血。肉体の内部へのダメージ。受け止めるだけで両腕は使い物にならなくなったのだ。
マサカズが文字通り命懸けで作った隙を、神人部隊の三人の剣士がアレオスを狙う。しかし、
「皆さんっ!?」
──認知することさえできない、刹那の時間で三人は全員真っ二つにされていた。これで四人、戦闘不能となった。
「クソ! よくもマサカズさんを、私の仲間を!」
「リーダー!」
アキラはアレオスに一人で突撃する。それはあまりにも感情的で、理性的な判断ではない。愚かな行動である。
「勇気と無謀は違いますよ」
そしてたった一振りで、ここに居る誰もが認知できないスピードで、アキラの命を奪う。
「うわああああ!」
圧倒的。絶望的。この十秒にも満たない間に五人が戦闘不能となる。
真なる強者には、雑魚がいくら集まろうが勝てるわけがない。
「異教徒は悪くありません。信じる神が、信じる対象が異なることは何らおかしくないのですから。⋯⋯しかし、その対象が魔族である魔女となれば、話は別です」
アレオスは十字架を胸に当て、その刀身に光が反射する。
「魔女の信者など、人類の敵。即ち、執行対象」
話し合いなどできない。
「私が、哀れなあなた達をせめて楽に葬ってあげましょう」
丁寧な言葉遣い。優しい言葉遣い。だが、そこにあるのは異常とも言えるほどの、聖なるモノへの信仰。神への信仰。そして魔族への敵意、あるいは憎しみ。
「魔族を滅ぼすことこそ私の使命」
彼の信仰は最早狂信だ。やっていることは確かに人類の為になっているかもしれない。しかし、その本質は黒の教団と全く同じである。
「──私こそが神の代理人ッ!」