2−3 恨み合い
「⋯⋯どうやら居ないようだね」
エスト達は近くの茂みから、丘上の教会を見張っていた。もしここに『神人部隊』が来ていたら、エスト達は街の中央で情報収集をしようとしていたのだが、どうやらそんな面倒な事はしなくて済みそうだ。直接敵地に侵入し、全て殺し尽くす。それがエスト達の計画と呼ぶにはあまりにも雑なものであった。
「さて、と⋯⋯〈生命探知〉」
エストの視界に複数のシルエットが浮かび上がる。彼らは全員教会関係者のようで、おそらくそこに一般人は居ない。最も、一般人が居ようが居まいが、エストのすることは変わりなかったのだが。
「〈範囲拡大魔法強化・重力操作〉」
殺意の塊のような魔法。ただでさえその効果は凄まじいというのに、より重力は強くなる。教会の全域を対象範囲とし、教会ごと中の人物全員を押しつぶそうとするが、
「エス──エミーさ⋯⋯ん、教会を破壊しては、もしレネ様がいらっしゃると危険に晒してしまいますし、奴らから情報を吐かせることもできなくなります」
その愚直さをメリッサは伝える。メイドである彼女の意見は最もであり、エストは発動しかけていた魔法の効果を解除する。
「それもそうだね⋯⋯」
あまりにも短絡的すぎる。レネが攫われてから彼女はずっとこうだ。
「エスト、落ち着け。お前はこんな奴じゃないはずだぞ?」
「⋯⋯ああ。⋯⋯私は⋯⋯すこし焦っていたようだね。すまない」
自分の血を啜った蚊を潰すときに何の罪悪感も湧かないように、彼女は彼女を不快にさせた存在を殺すことに良心は痛まない。彼女に命乞いをすることほど無意味なことはないという事だ。
強者の余裕を醸し出しながら三人は教会に入る。当然信者達は彼女らを警戒するも、その正体を知っているのかあるいは勘か、自分達から手を出すことは即座に死に繋がることを分かっており、動かない。
「初めまして、皆さん。⋯⋯今すぐにレネを返せば、苦痛なき死を贈るよ。だけど、もし断れば──キミたちを、私は、可能な限り痛めつけて、苦しませてから殺してあげる」
白魔法は空間と時間に影響を及ぼす魔法。これまでエストは対象を瞬時に殺すことができる重力系魔法を好んで使っていた。
「⋯⋯これは」
魔女は生物ではあるが、非生物じみた能力を持つ。致命傷を負ってもなお即死しない生命力、何も食べなくても生きていられ、身体能力も生物の域にない。唯一生物らしいのは呼吸が必要であることなのだが、数時間程度であれば無呼吸で走り続けることだって可能だ。
ホムンクルスも、人造人間であり魔女ほどではないにせよ、呼吸はそれほど必要としない。
──この教会内の酸素濃度が著しく低下する。
「〈気体操作〉⋯⋯さあ、早く結論を出すといい。このまま苦しんで死ぬか、私に楽に殺されるか」
すぐには死なない程度の酸素濃度。しかしそれは今もなお低下しつつある。あと一分も経過すれば無酸素空間となり、そのまま窒息死を待つことになる。エスト達に襲いかかり苦しみを味わって死ぬか、降伏して安楽死を得るか。普通なら選ぶのは後者であるだろう。だが、
「⋯⋯なるほど。キミたちの結論はそれか」
教会は魔族淘汰を掲げている。魔族に平伏すなどあってはならない。例え死ぬことが確定していても、最期まで抗い続けることこそが教会の教えだ。
雄叫びをあげ、信者達は三人に襲いかかろうとしたその時だった。
「⋯⋯魔法使い。それも私の魔法を無効化できるとは」
教会の入り口には、いつの間にか一人の女性が居た。間髪入れずにそのおそらくシスターは神聖属性の攻撃魔法をエストに放つも、メリッサはそれを手刀で掻き消す。
「よくもまあやってくれましたね、魔女。⋯⋯あなた達は今すぐに逃げて、サンデリス神父にこの事を伝えてください」
「行かせるとでも? ──鏖殺だ。〈魔法拡散・大火〉」
「〈光壁〉!」
火は教会を焼くも、光の壁は信者達を焼かせない。
(──おかしい)
エストは自身の魔法に違和感を覚えた。よく考えれば、あのシスターの魔法能力はたしかに凄いが魔女に匹敵するほどではない。ではなぜ、エストとの魔法戦を互角に行えるのか。
(⋯⋯まさか。⋯⋯なら、ロアとレイも⋯⋯)
現在、町中で情報収集中のレイはおそらく単独。彼であれば単独行動をしても、強敵が現れても逃げれると思っていたが、もしエストの予想が的中していればそれは確実とは言えなくなる。むしろ、可能性は低くなるだろう。
「⋯⋯気づいたみたいですね。魔法使いでありながら、今更と言った感じですが」
シスターの言葉は丁寧ではあるものの、発音は明らかに挑発、侮辱の意図が込められている。
「ロア、メリッサ。逃げた奴らを皆殺しにして、レイと合流したあとは──町中にある結界のコアを破壊して」
「結界!? わ、わかった」
エストは二人を転移魔法で町中に適当に転移させると、片手で自分の顔を覆う。そして、
「⋯⋯ふふふ。ははは。アハハハハハハっ!」
普段の美しい声とは異なる、金切り声を彼女はあげる。
その変貌の様、その狂気に警戒、動揺してシスターは動けなかった。
「レネを攫い、更には私を殺せると思っている。私がここまでの不快さを感じたのは久しぶりだよ⋯⋯!」
「──っ!?」
怒りを通り越して笑顔となる。だがそれは非常に歪んだ笑顔であり、その美貌にはあまりにも似つかわしくないものだ。
人外じみた身体能力だけでエストはシスターに接近する。その動きにシスターは一切反応できず、そのまま攻撃を許してしまう。
魔女とは何だったのか。エストはシスターに膝蹴りを叩き込み、教会の天井に吹き飛ばす。天井にのめり込み、引っかかったシスターであったが、重力魔法により地面に叩きつけられる。
「まだまだ終わりじゃないんだよっ!」
左手を無茶苦茶に振り回し、それに連動してシスターの体も無茶苦茶に振り回される。床に天井に左右の壁に、何度も何度も何度も何度も叩きつけられ、黒色のシスター服は血で赤く汚く染まる。
「⋯⋯。やっぱり、魔法の力が──いや全ての能力が弱くなっているね」
いつものエストならば〈重力操作〉のこの程度の連続使用は問題はない。しかし今のエストだとこれが限界だ。
「⋯⋯防御魔法で耐えていたってわけね」
死んだように思えたシスターは立ち上がる。明らかにボロボロであるが、あれだけ全身を叩きつけられて生きている方がおかしい。
シスターは血反吐を吐き、口に付着した赤黒い血液を手で拭う。
「私は⋯⋯お前達──魔女を六人全員を殺すまで死ねません! 〈聖火〉っ!」
「魔女達を殺すまで死ねない? 私一人でもキミはアンデッドになる必要があるというのに? 〈闇渦〉!」
黄色を主とした火を、闇の渦は飲み込む。力が互角であるからこそ、それらは相殺されるだけで、どちらか片方が残ることはなかった。
「キミは満身創痍の筈だ。だからもう動けないだろう?」
シスターは跪く。魔女に対して、多く敬意を含むこの動作を、彼女は故意的には絶対にしない。思わずであってもすぐに違う動作を取るだろう。しかし、彼女はそこから動かない──いや、動けなかった。魔力はまだあれど体への負担の方に耐えられない。普段は微弱であるそれも、今回ばかりは、このボロボロな体では大きく感じる。
「さあ。⋯⋯今度こそ、終わりにしてあげる」
甘くて、美しくて、女でさえも虜にされそうな声。もし彼女が魔女でないならば、女神であると思えそうだ。だが現実は異なる。彼女こそが魔族、彼女こそが魔女である。
──魔族には、魔女には、彼女には、世界の救済はできない。できやしない。できてたまるか。世界を、人類を本当の意味で救済できるのは人類だ。ガールム帝国だけなんだ。
「〈次元──」
──あの人こそ、魔族を滅ぼせる唯一の人類なんだ。希望なんだ。私達はあの人の理念に賛同し、この世界を救うために動き出したんだ。
「──断〉」
◆◆◆
「⋯⋯やはり、私の力が弱まっている?」
教会の信者が多数現れたので、レイは一人を除き全員を殺害した。その時に、無性に殺人衝動が増した気もするが、その理由はよく分からない。本来の彼は特段殺人を好む魔人ではない。彼の友人にはそういうのが何人か居たが。
「考え得るのは範囲内の特定の存在の力を弱める結界魔法⋯⋯この場合、対象は魔族でしょうか」
魔族にはかなり多くの種類がある。特定する種類の幅が小さければ小さいほど弱体化の度合いは大きくなるが、逆にその幅が大きいほど弱体化の度合いは小さくなるのが結界魔法の特性だ。だからすぐに気づけるほど弱くはなっていなかった。
「ならば、結界のコアが町のどこかに──この町全域を範囲にするならば最低でも10⋯⋯維持コストも考えて多くても15個はありそうですね。そうでしょう?」
レイは唯一殺さずに残しておいた情報源に、そう聞く。
「⋯⋯」
だが答えない。人間の見た目をしているレイが魔族であると、勘づいたからだ。
「全く⋯⋯マサカズさんや王都の皆さんのように、親切な人間ばかりではないという事ですか。⋯⋯〈支配〉」
男の信者はレイの支配魔法に抵抗するも、弱体化されているとはいえ魔人の魔法。一秒も持たずに支配される。
「話しなさい。結界はどこに、いくつありますか?」
「⋯⋯俺達には知らされていないから、分からない」
男の瞳からは光がなくなっている。これは支配魔法が正常に働いている証拠で、本当に知らないのだろう。
「なるほど。下っ端には重要な情報は渡さない。上位者としては正しい判断ですね。⋯⋯では次の質問です。あなたの上とレネ様はどこに居ますか?」
「俺達に上の存在なんていない。あの魔女ならば町の北部にある本当の教会の地下牢獄だ」
「⋯⋯え? ⋯⋯質問を変えましょう。神父は今どこに居ますか?」
「神父様の場所は正しくは分からない」
どうやら本当に神父に関しての情報は無さそうだ。これ以上、この男から情報を吸い上げることは無理そうだと考えるも、ここでレイは気づく。
「『正しくは』? ⋯⋯予想でも良いから、場所を吐いてください」
「⋯⋯おそらく、魔女と同じ場所。さっき町の中央へ向かうのを見た。多分そこから地下に行って、教会地下に向かったんだと思う。下水道と本当の教会地下は繋がっているから」
それが本当だとしたら非常に不味い。レイの主であるエストはこう言っていた「丘上の教会に入れなさそうなら、町の中央で情報を集める」と。
「早く、行かなくては! 最後の命令です。自殺しなさい!」
男はレイの命令に従い、自分の舌を噛み千切る。舌からの出血が気管に入り込み、凝固した血がやがて彼を窒息死させるだろう。もしくは、彼を誰かが助けることで彼の命は簡単に救われるが、それもこの裏路地では難しい。
レイは馬よりも走る。この結界に覆われた町でもし、エストと神父が遭遇したらどうなるか。神父の力を知らされていたレイに、その結末は想像に難くない。
自分が行ったって勝てはしないかもしれない。だがエストの、彼の主の命を守るための壁になることぐらいは十分できる。転移魔法の詠唱時間の確保くらいはできるのだ。主を守って死ぬのならば、そこに恐怖はない。一番恐れているのは主に失望されることであるのだから。
(間に合ってくださいよ⋯⋯!)
焦るレイであったが、それは杞憂であった。彼の主は現在、教会でシスターとの戦闘を行っている。しかし、その彼の行動が、後に影響を及ぼす事となる。
──冷笑の魔人、レイ。彼の主は白の魔女、エストである。しかし、彼の名付け親は違う。彼の名付け親は三勇者のうちの一人、ユナ・カンザキだ。彼女もまた、レイにとっては大切な人である。彼の「主を助けるために奔走する」という行為は杞憂だったと表したが、それは主がエストのみであるとした場合だ。もしも、ユナもそれに含まれるのであれば、彼の行動は⋯⋯杞憂ではなくなる。
そういえばこの話の途中で舌を噛み切り自殺する、の下りがありましたよね? あれ「本当に舌噛み切ったくらいで自殺できるのか」と思いネットで調べると「血が気管を詰まらせ、窒息する」以外だと死ぬことはまずないそうですよ。皆さんも誤って舌を噛み千切ってしまったときは、血を吐き出せば死ぬことは免れますので覚えておきましょうね〜。