7−120 もう一つの使命
負傷、消耗したノーワとアリサを近くの部屋に運び、モーリッツは二人に治癒魔法を施した。その間、ウーテマとアベラドは殺した大耳兎人の死体を物置部屋の適当な箱の中に詰め込み、廊下の血を拭き取った。最後に〈無臭化〉の魔法で臭いを消せば痕跡は、少なくとも目に見えている分は無くなった。
「で、だ。お主らはこの我を助けただけで終わりだと思っているようだが、実は違うのだ」
やることが一段落付いたところで、アベラドが今すぐに脱出しない理由を話し始めた。
「というと?」
「我が殺されずに監禁されていた理由でもあるのだがな、我は『殃戮魔剣』の適合者なのだ」
ノーワたちにはよく分からない単語がアベラドの口から飛び出してきて、頭の上にクエスチョンマークが浮かび上がった。
「⋯⋯⋯⋯?」
「なんだ、知らぬのか? 『殃戮魔剣』のことを。公国の秘宝だぞ」
「いやそっちではなくてですね、陛下。適合者とは?」
モーリッツが勘違いしているアベラドに訂正する。
『殃戮魔剣』は名前だけならば公国民全員知っているものだ。触れれば全てを崩壊させる最凶の剣。公国の至宝。
しかし適合者とは聞いたことがない。そもそも、何に適合しているのかさえ分からない。
「適合者というのはな⋯⋯言い換えれば認められたと言うことだ」
「認められた?」
「ああ。そも、『殃戮魔剣』は『生きている武器』だ」
衝撃の一言に、ノーワは絶句した。『生きている武器』なんて存在が怪しいとまで言われている武器だ。自我を持つ無機物など、あまりに非現実的であるが故に夢物語として認識していた。
「我は『殃戮魔剣』に認められた人間。即ち、『殃戮魔剣』を真の意味で使いこなせる存在、ということだ」
それからアベラドは自分が監禁されていた理由を話し始めた。
説明した通り、彼は『殃戮魔剣』に認められていて、それを使いこなすことができる。逆に言えば彼以外が魔剣の真髄を発揮することはできない。
『殃戮魔剣』はその物騒な名前に恥じない殲滅能力を有しており、使いこなせれば例え無力な子供でも国滅ぼしが可能となる。
その適合者たるアベラドにどれだけの価値があるか。テロ行為をしている黒の教団にとっては喉から手が出るほど欲しいだろう。
「しかし、『殃戮魔剣』は自我がある。自分が認めた相手を、第三者に支配されて、何も不快に思わないはずがない」
だから黒の教団は『殃戮魔剣』をコントロールする術を見つける他無かった。アベラドはその点において貴重な参考材料だ。
それに何らかの方法によって『殃戮魔剣』の機嫌を損なわずに彼を支配する方法を見つけられれば、この上ない戦力となる。
また、単純に公国の大公、至宝というネーミングだけで人質としての利用価値があった。
「何であれ、『殃戮魔剣』が今の我らにとって救いの魔剣になることは否定できないであろう。監禁されているがために外の状況はちと分からないが、第三の勢力が攻めて来たことぐらいは知っている」
アベラドがその剣を一度振るえば、百人力、いや千人力にもなるだろう。それに彼の類稀なる頭脳があれば、今のルーク一人にほとんど任せられた戦略もより良いものとなる。知恵者は多ければ多い程良いものだ。
「つまり、これから『殃戮魔剣』を見つける、ってことですね」
ノーワがアベラドの言いたいことを纏めると、彼は頷いた。
「で、どこにあるんだ?」
「知らん」
その場に困惑の空気が流れた。いや、知らないのかよ、という言葉が幻聴で聞こえた。
「当たり前であろう。我が知るはずがない。しかし、ここにある事は確実だ」
アベラドは『殃戮魔剣』を持って逃げている時に黒の教団に捕まった。だから押収されて、彼の知らない所に隠されているだろう。
だが、アベラドは『殃戮魔剣』が、少なくともこの都市の中にあると確信している。
「どうしてそれが言えるのですか?」
アリサは、やけに確信して言うアベラドを疑問に思った。
「お主、魔法使いであれば聞いたことがないか? 主と使い魔の繋がりのことを」
「はい。使い魔⋯⋯魔法によって召喚された生物などと、その召喚主は魔法的な繋がりを持っている。だから互いに現在位置を把握することができる、そう習いました」
「ふむ。そうだ。『殃戮魔剣』は使い魔でも何でもないが、その魔法的な繋がりによく似たものを持っている。それほどハッキリしたものではないが、近くにあるか遠くにあるかくらいは分かるのだ」
『生きている武器』はイレギュラーな存在だ。既存の常識など当て嵌めて考えられるものではない。
ノーワたちは一先ず納得して、話を進めた。
「じゃあどうする?」
虱潰しに捜索していくことも考えられた。まだ侵入開始から二時間程度しか経過していない。夜明けまではかなりの余裕がある。だが時間を掛ければかけるほど発見のリスクも跳ね上がる。できる限り短時間で済ませたい。
「さっきも言ったが、『殃戮魔剣』との距離が近くなれば、そうなったと分かる。ここは全員固まって動き、近づく方向に進めば良い」
「分かりました。ではそうしましょう」
アベラドが探知機のような役割を担い、魔剣捜索が始まった。
円状に歩けば近づいたか遠のいたかが分かる。それで方角を割り出し、しばらく進んで、を繰り返す。
道中、ウーテマの力もあって危険な場面に遭遇することは殆ど無かった。
しかし、一行はある場所で立ち止まった。そこは地下への通路の入り口。つまり、ここから先は一方通行である。万が一入り口を固められれば逃げることができなくなる。
「チームを分断する必要があるな」
ウーテマがそう言った。
「⋯⋯私が見張る。皆は行ってて」
話し合いも終わり、ノーワだけが地下通路入り口の見張りをすることになった。何かあれば〈通話〉で報せる手筈になっている。
アベラド、ウーテマ、モーリッツ、アリサの四人が地下通路に入っていくのを横目に、ノーワは神経を集中させて周りを警戒し始めた。
一人になれば、この都市が嫌なくらい静かなのを理解した。風の音、虫の音、そして微かに聞こえる足音。それ以外の音──例えば談笑などの音が全くしない。
あまりにも不自然。ノーワの感想はこれだ。
「あの生気がまるでない目⋯⋯」
城に侵入する時、ノーワが見た黒の教団員には生き物らしさがまるで感じられなかった。人形のようなもの。しかしあの亜人は言葉を話し、生物らしさがあった。この違いは何なのだろうか。
そこに何か、見落としてはいけない特性がある気がした。
「⋯⋯!」
辺りを警備し始めて十分が経過した。仲間が戻ってくるまで何事もないということはなかった。
足音がする。意図的に消されているが、ノーワには聞こえる。そしてその様子から、どうやらこちら側には気が付いていないようだ。
数は二人。足音の消し方から察するに素人だ。が、油断はできない。
地下へと続く階段がある行き止まりの道。ここにこれらを作ったのはおそらく意図的であり、ノーワの行動も想定されているらしく周辺に隠れられそうな場所はない。
できるならば不意打ちで一人殺しておきたいが、隠れられそうな場所はない。
「ここが使うタイミング、ね」
ノーワのチョーカーが白色の小さな光を発する。次の瞬間、彼女の右手にはスクロールが出現していた。
スクロールに込められた魔法は〈不可視化〉。ノーワの魔力では一人だけしか不可視化できないし、一度限りのスクロールであるためタイミングは見極めないといけない。しかしそのタイミングが今だと判断した。
「おお⋯⋯魔力が削れる感覚ってこんな感じなのね」
何となく、どれだけ魔力がなくなったのかが分かる。本当に曖昧ではあるが、半分削れたわけではなさそうだ。同じ消費量ならあと一回は確実。二、三回できてもおかしくなさそうだ。
本業の魔法使いならば、この感覚が鋭いのだろう。どことなく、この感覚は鍛えられる気がした。
「⋯⋯⋯⋯」
またしばらくすると目標が視認できた。数は予想した通り二人。身長の高い方はおそらく男で、筋肉がある。もう片方は女らしく、小柄だ。
(どっちも戦闘慣れしてそうね。歩き方から違う。でも⋯⋯女の方は魔法使い)
分かりやすく魔法杖を所持している。小柄ということもあり、大柄な方より殺しやすいはずだ。
首を切り裂けば血が恐ろしいほど吹き出る。が、確殺はできる。
次点で腹などだ。しかし、確かに致命傷にはなるが反撃してくるかもしれない。
ならば首折りや締め落とすか? 否、ノーワの腕力だと少しだけ厳しい。
(⋯⋯いや)
ノーワは女の方を殺す段取りを決めた。後は男の方だが、こちらは単純明快。正面から殴れば良い。
不可視化したノーワに気付くことができず、女は近寄られた。そしてノーワは女の脇の下辺りを黒いナイフで突き刺した。
狙いは横隔膜だ。衝撃と斬撃を与えて機能を停止させる。ついでに肺にも刺突。これを一秒足らずで終わらせるが、ナイフは刺しっぱなしだ。
この黒いナイフをしばらく使っていて気付いたことだが、刺す時間が長ければ長いほど吸い取る体力も魔力も多くなる。
特に魔法使いにとって魔力は生命線でもあり、大事な力の源だ。魔法使いが魔力を失えばそれだけ弱体化する。下手しなくても無力だ。
また、肺なども魔法使いにとっては特に致命的な臓器だ。呼吸ができなければ声を発することもできない。
ノーワの身近にはその例外が居るが、普通の魔法使いなら詠唱は必須である。
「⋯⋯っ!」
あの無口で非生物感漂う黒の教団員でも、仲間が急に倒れてしまえば動揺するようだ。慌てた様子が教団員に見えた。
ならば好都合。ノーワは男に接近する。
「〈動作加速〉」
戦技を詠唱。詠唱音で存在は確信されただろうが、動揺していたこと、不可視化していたこともあり反応は著しく鈍くなる。
その狙っていた隙を逃すほど腑抜けなノーワではない。男にとっての最大の弱点──金的。ノーワは確かにパワーがないが、戦技による加速がある。
股間を思いっ切り蹴り上げられ、いくら自我が薄弱でも痛覚まで鈍化しているわけではない。勿論、金的もそうだ。男は悶苦しむかのように倒れ込む。だがノーワに慈悲の心はない。
「〈剛脚攻撃〉」
先程見ただけの戦技を詠唱し、完璧に再現する。
男の顎に膝蹴りを叩き込んだ。顎が割れる感触。吹き飛ばされて、男は地面に仰向けに倒れた。
それでも尚、男は気絶していない。やはり根本的にノーワには腕力が足りないようだ。
だがもう虫の息。ここまでくればもうどうにでもなる。
「〈動作加速〉、〈剛腕攻撃〉」
今度は戦技を重ねがけし、ノーワは男の頭を踏み付けた。顎を叩き割るような戦技を加速させる──それで頭を踏みつける。結果は想像に難くない。
「⋯⋯ちょっと血が出ちゃった」
血管も潰れて血が出てしまったが、辺りに撒き散らすほどではない。布でも被せれば問題ない程度。
靴に付着した血液を拭い、それから死体二つを適当な部屋に隠しておいた。こういう時のためにウーテマから隠し方を教えて貰っていた。少なくともすぐにバレるような所ではない。
「⋯⋯帰ってきたかな」
地下から足音が聞こえた。いや、可笑しい。これは、
「走っている?」
数は四つ。おそらくウーテマたちだ。ならどうして走っている? 接敵したからだ。
でも、彼らなら大抵の敵は何とか対処できる。逃げるほどにもなると、その相手は強大だろう。
嫌な予感がした。ノーワの全身に鳥肌が立つ。この感覚は以前もあった。確かあの時は、
「陛下!?」
「目的は達成した! とりあえず逃げろ! 走れ!」
ノーワは言われるがままに、剣を持ち先頭を走ってきたアベラドと並走しつつ後ろを見る。アリサ、モーリッツ、そして殿を務めていたウーテマが現れた。
「何があったのですか!?」
「化物だ!」
あまりにも簡潔すぎる状況説明だ。そんなこと言われずとも分かっていた。問題はその化物について。
「どんなっ!?」
「蜘蛛だ! 蜘蛛の化物!」
その時、ノーワの思考は一瞬真っ白になった。
蜘蛛の化物。ウーテマたちが逃げるほどの怪物。そして重要箇所に配置されるような人材。
まさか、と彼女は白紙の頭に書き込んだ。
同時、警報が鳴り響く。この騒動が発覚したようだ。城中にそのことが伝えられた。だからどこからともなく大勢の足音が聞こえる。
しかし、ノーワの耳はそれを拾っても脳が処理しない。それより重要で、意識を奪われる存在がそこにいたからだ。
──蜘蛛の化物。六つの目、人間の型抜きをしただけのような怪物。器用に背中から生える四本の脚を使い、普通の人間では容易く追い付かれるくらいの速度で走る人外。
ノーワは覚えている、そいつの顔を。別種族の顔など識別できないのが普通だが、これに限っては例外だ。
忘れるはずがない。何せノーワの故郷を、友を、そして家族を奪った張本人なのだから。
「ノーワさん!?」
ノーワの体が蜘蛛の化物の方を向いて止まった。怪物もノーワを滅ぼすべき敵と認識したようで、そこで止まった。
「⋯⋯皆は先に行ってて」
有無を言わせない言葉。アベラドでさえそうなのだ。従うしか選択肢はなかった。そこには本気の殺意があった。
「⋯⋯⋯⋯」
考えるより先に体が動いた。
合理性より、感情が優先された。
仕方ない。
どうしようもできなかった。
だって、
この、
──胸に渦巻く憎しみに歯止めなんてかけられない。