7−112 予測可能、回避不可能、対処可能?
アゼンベルダン丘陵の亜人の拠点を占領してから二時間が経過した。
人間側の死者は百名程度。これだけで済んだのはエストの力が大きい。しかしながらもっと早くから協力していれば、より少ない死者数だっただろう。
食べられそうな食料を確保し、運送の準備は整った。食料を優先したため武具などに関してはまだ選別が行われていない。これから使えるものを決める必要があった。
そんな中、ヴェルムが担当しているのは亜人の尋問──いや、拷問だった。
「知らねぇよ! 誰だそいつ!」
拷問対象は鳥人。人間の両腕がそのまま翼になったような姿を取っている亜人だ。数少ない飛べる種族である。
ハーピーは人間に近い構造をしているため、拷問も人間用とあまり変わりない。だからスムーズに事は進んでいた。
今はその空色の体毛は赤く染まっていた。足の爪と羽を毟り取り、眼球を両方潰しても大公の所在を吐くことはなかった。それどころか知らないと主張するだけだ。他のこと──仲間の拠点は話したため、口が固いというわけではないらしい。本当に知らないようだ。
「ふむ。そうか」
ヴェルムはハーピーの頭を斬り落とした。頭は冷たな石の床を転がる。
彼らが人間と同じように家族を持ち、愛情があって、生活していることは知っている。だがこれとはまた別の話だ。
別種族とはそういうものだ。同じ言葉が喋れても、顔の違いも分からない相手には同情心は、同種と比べ芽生えづらい。更には自分たちを殺すような相手となれば冷酷になるのは当然だ。
「大公陛下と『死神』たちは無関係のようですね」
拷問を手伝ってくれた一兵士が言う。
「決めつけることはできないが、そう考えて良いかもしれないな。⋯⋯となると」
この国には三つの勢力が存在する。人間、『死神』、黒の教団だ。おそらく全て敵対関係である。そうなると狙うのは敵の潰し合いと漁夫の利だろう。
だが現時点で黒の教団の存在は確認されない。情報源はエストであり、信用して良いか分からないということもある。もしや居ないのではないか、とさえヴェルムは思っていた。
「⋯⋯違う。奴が嘘をつく必要はない」
命の価値、という言葉がヴェルムの頭から離れない。
命に価値はある。だが、エストの基準とヴェルムのそれはまるで違っていた。よって納得できない。しかし、だからこそエストの言葉の信憑性は高まる。
「⋯⋯やるべきことを整理しよう」
最優先にしたいのは大公の捜索だ。しかし情報が一切ない現状況だと水を掴もうとするようなもの。つまり、黒の教団を捕まえないといけない。
黒の教団は『死神』の襲撃が理由で息を潜めている可能性が高い。これを見つけることは困難を極めるだろう。
仮に大公を見つけたとして、次はどうするか。『死神』を滅ぼすとして、どうやってやるのか。エストがやると言っていたが、相手は八人。加えて数え切れないほどの軍勢。いくら魔女でもその物量には敵わないのではないか。
何をするにしても分からないことが多かった。
「情報がない⋯⋯な」
そうだ。あまりにも情報がない。そもそもなぜ『死神』は公国を襲ったのか。黒の教団はこの国で何をするつもりなのか。今、何が起こっているのか。
何もかもが分からない。なら、調べるしかないのだが宛が──
「──ある」
ハーピーが言っていた彼らの拠点。その一つに『エゼゾレ』という都市が挙げられた。
河辺にある都市であり、外国に向かうための船がいくつもある所だ。海路、陸路に次ぐ利用者が多い道である。これを封鎖する価値は高いだろう。
ハーピー曰く、そこの戦力は殆どがアンデッドであるらしい。
グールは亜人より強く、数も多い。食料もいらない。唯一の欠点は知能が低いことで、指揮者がいなくてはならない。
そう、指揮者が必要であるのだ。大量のグールという戦力を動かす、指揮者が。
その指揮者はきっと『死神』たちの中でも上位の力を持つだろう。あるいは⋯⋯『死神』本人であるかもしれない。
本人であった場合、ヴェルムでは対処できない。が、攻め込む価値は十分にある。そうなるとエストの力を借りる必要が出るかもしれないが、
「背に腹は替えられない」
貴重な情報源を確保できるかもしれない。あの悪逆非道の魔女は合理的かつ彼女にとって都合が良いのなら説得できるだけの余地はある。彼女は仮にも『死神』を殺す点では必ず協力すると言っているのだ。断ることは矛盾を孕む。
「アリサ、ジェンディ⋯⋯」
ヴェルムは娘と妻の名前を呼んだ。二人は今どこにいるのだろうか。長期出張でもう何ヶ月も会っていない。この戦争がなければ今頃、家に帰っていたはずなのに。
「何でこんなことに⋯⋯」
◆◆◆
「⋯⋯来る」
制圧した河辺の都市、『エゼゾレ』で最も大きい建物は都市長の屋敷だった。カルテナはそこの寝室で眠っていたのだが、つい先程、自分の支配した魔獣の数匹が死亡した。
彼、もしくは彼女の能力、『色欲の罪』は任意の対象の自分への好意を跳ね上げることができる、と言ったものだ。
カルテナ──この公国ではラックスリアと名乗っている者の声を聞いて、周囲の魔獣たちはピクリと動いた。
「大丈夫、大体、強く、ない」
今殺された魔獣は狼型のもので、中でも最も弱いものだ。ラックスリアはこれを索敵要員として、都市の周りに配置していた。殺されることが前提だった。
「⋯⋯でも」
ラックスリアが魅了した魔獣は、彼もしくは彼女との視覚などを共有することができる。その中にはエストの姿があった。彼女はそれに気がついていたのか、笑いながら片目を瞑り、魔獣を殺害した。誰にも見られていないようだったから構わないが、一歩間違えれば計画破綻のきっかけになっていたかもしれないからひやひやする。
「エスト、いる」
ラックスリアはエルティア公国で何体もの魔獣を懐柔した。公国は強い魔獣が多い。理由としては諸説あるが、大陸最南端で、人間に滅ぼされることを免れるべく逃げてきた魔獣が多いことが有力視されている。他にも、そもそも魔獣の生息に適した地域であったとか、南の別大陸から度々来ているとかだ。魔獣は海を超えることが確認されている。
なんであれ、ここはラックスリアにとって都合の良い場所であったということである。
彼もしくは彼女が使役する中で、特に強い魔獣は四体居る。
三頭狼。その名の通り三つの頭を持つ狼。体格は通常の狼より二回りほど大きく、牙も鋭くて長い。単純な身体能力の他に炎系の魔法を扱うことができ、このケルベロスだと第七階級まで行使可能だ。ラックスリアの身辺警護を主に担当している。
死喰大蛇。全長約十五メートルにもなる大蛇。白色の体で、目は三対ある。アンデッドに近い性質を持ち、基本的には負のエネルギーで活動するがアンデッドではない。死体や不死者が主な捕食対象。
月馬。白に近い黄色、紫がかった黒のコントラストが美しい馬。普通の馬より一回り程度大きい。魔獣の中では知能が高く、教えれば簡単な言葉なら喋ることが可能。また、空を走ることもできる。
蒼翼竜。ラックスリアが持つ中で最も強い魔獣。その戦闘力は種族としての竜に匹敵し、飛行能力に限れば成熟した竜にも勝る。知能もそれなりに高く、言葉こそ介さないがラックスリアからの命令を自分で考え、より良い方法があればそれを伝えようとすることがある。
また、これらには及ばないがそれなりに強い魔獣も沢山いる。水系の魔法や種族的特徴を持つ濁流蛙などがこれに該当する。
「⋯⋯これ、実戦、ような、もの」
これは完全なマッチポンプではない。情報の共有は一部を除き殆どされておらず、殺す気でいくことが許可されている。だから、
「⋯⋯仕掛ける」
例の作戦があるから、ラックスリア自身は万が一を考えて戦線には出られない。四魔獣もあまり出したくない。強いし、お気に入りだからだ。しかし、出さずに勝てる相手ではないからこれらを確保した。切り札を使わずに終えるのは愚かなことだ。こういうものは使うからこそ価値がある。
「まず、エスト、どうにか、しないと」
はっきり言って自らが使役する魔獣全てを動員させても、エストに勝てる未来が見えない。だが、ここで勝つ必要はない。勝利条件はエスト以外の人間を滅ぼすこと。
ラックスリアが確認した情報では敵戦力は五千ほど。一つの都市の全戦力に匹敵する。分かりきっていたことだが、相手は既に複数の都市と協力しているようだ。
対してラックスリアの兵力は以下の通り。
魔獣──三百。アンデッド──三万。内、二十が吸血鬼、上位グールが五百。
エストを殺すことは不可能。足止めは困難。ただし、人間を殺しきることは可能。
ラックスリアに知らされた情報では人間側で注意すべき者は片手の指で足りる程度。その中のヴェルム・エインシスとノーワ・スレインを確認した。他の三人は視認できないため、居ないだろう。
「見落とした可能性、ある。けど、ほぼ、ない」
ラックスリアが接続している視覚の数は三百で、彼あるいは彼女の情報処理能力では、その数の情報を捌き切るのは絶対ではないが無理だ。が、『色欲の罪』にはそれを補助する権能が備わっており、単純な処理速度の上昇に加えて、条件を指定することである程度の絞り込みができる。
これらの力によってラックスリアはエストやフィルでなければできないことを部分的にだが可能とした。
「⋯⋯まず、奇襲」
今からどうやって敵を滅ぼすか。その際に何を注意すべきなのか。ラックスリアは考える。
第一にエストと他を分断することだ。そうしなければ戦いにならない。
その方法は、一つ、エストでないと対処できない相手を用意する。二つ、転移魔法などを駆使して物理的に分断する。
前者は読んで字のごとく、エスト以外では瞬殺されるような相手を用意するのだ。四魔獣や、そこまでいかずとも吸血鬼、上位グールなどが該当する。問題はそれらだとエストを足止めもできないことだ。
後者はエスト本人というよりはその他を転移させ、分断する。彼女を転移させたところで、魔法により戻ってくるのがオチだ。が、その他を転移させれば居場所は不確かとなるため、こちらはかなり時間が稼げるだろう。問題は五千もの人間をどのようにして転移させるかだ。転移魔法のスクロール自体は、フィルが何徹かで作成したため在庫には大丈夫である。しかしそれは〈転移〉であり、他者、多人数向きの〈転移陣〉とは異なり個人向きである。勿論、〈転移陣〉のスクロールもあるにはあるが、数は少ない。
ならば魔法以外の方法による物理的分断を考える必要がある。しかし、ない。考えつかないのである。
「⋯⋯エスト、足止め⋯⋯無理。考え直す⋯⋯」
足止め、時間稼ぎ──そう考えているのが駄目だ。なぜそう考えてしまうのか、エストが強いからだ。が、強者こそ勝者なわけではない。時として、弱者が勝つこともある。
確率はゼロではない。ラックスリアは、エストとは足止めではなく殺す気で対立しなければいけない。
「そうか!」
殺意を前提に組み立てるからこそ出来上がるものがある。
ここは河辺の都市だ。大河から都市にいくつもの河が流れており、その河を船が通ることで外国に向かう構造になっている。
無論、雨などで河の水量が増すこともあるし、そもそも平時から水量は普通と比べて大きく、水門を設置しなくてはならなかった。
であれば、この水門を全開にすればどうなるか。答えは水量こそ増えるがそれだけ。
そう、水量は増える。それも氾濫寸前まで。そして水門はこのようにセーフティがかけられている。
次の問題。このセーフティを壊せばどうなるか。答えは、
「都市、大量、水、流す。窒息死、させる」
これならエスト相手に時間稼ぎができる。あわよくば殺せるかもしれない。そして人間たちはまず間違いなく死ぬ。大質量の水に飲み込まれれば、大抵の生き物は窒息して死ぬはずだ。
水門の破壊は容易い。魔獣に命じるだけで済む話だ。あとはエストたちがこの都市と言う名のトラップに入るのを待つだけ。あと一時間もあれば迫ってくるだろう。その時で一巻の終わりだ。
このためには魔獣たちを水門にそれぞれ配置する必要がある。水門は全部で八つ。八方位にある。そして二つの水門を一つの塔で制御しているが、破壊するだけなら塔は無視で構わないだろう。
「次は⋯⋯」
ラックスリアは計画を立てる。まずは水攻め。その次は第二の──と。
やがて考えが纏まり、味方陣営の避難が終われば時間は丁度だった。
開戦の合図に門の破壊音が響く。ラックスリアが使役している魔獣の三分の一は門外で殺されている。既に戦闘は始まっていて、今、都市に侵入された。ここまでは前哨戦のようなものだ。ここからが本当の戦いだ。
「──水門、壊せ」