7−110 水面下
確かにエストは自分の信者を作ろうとしていた。その信者の一人目をノーワにしようとも考えていた。
「でもあれは予想外だよ!?」
エストの考えていた信者というのは、もっと理性的なものだ。想像していたのはレネの信者である。
レネの信者は一般的な宗教に属する者と同じだ。レネのことを様付で呼び、敬い、信じる。勿論レネの行いを悪だと言うことはなく、彼女を正義と言うはずだ。
それでも、ノーワほど肯定はしない。少なくともレネを信奉する者は、他者にもレネを信じることを強要することはない。
しかし、はっきり言ってノーワのそれは狂信だ。言葉の節々に『エスト以外は認めない。エストを信じない人間は愚かだ』という感情が見えた。というか隠す気もなかった。
あれでは狂信者になるのが関の山だ。エストが望む真っ当な信者にはならない。断言できる。
「記憶操作して真っ当な忠誠心を⋯⋯いやどうやるの? 私がこうして英雄やってるのは、信仰にはそれだけの実績が必要だから。記憶操作するにしても同じこと。真っ当な信仰心を生む記憶なんて分からない。英雄やればいいんじゃないの? え? 違うの?」
レネのやったことは、大飢饉の原因であった魔物の殲滅。国を脅かす魔物の討伐。未曾有の大災害の阻止。加えて魔女というネームによる他国への威圧。エルフの国との交流の架け橋。神殿の人間への治癒魔法講座などなど⋯⋯他にも多くあるが、所謂英雄行為というものが、レネが女神として信仰されるようになった理由だ。
エストもレネを参考にしてこのマッチポンプを策略した。結果、一人の狂信者が出来上がった。
「どうしてこうなった。不味い。このままでは仮に宗教ができたとしても狂信者の集いとして見られるかもしれない。他人への強要なんてしてしまえば悪評にしかならない⋯⋯」
悲観かもしれない。国全体に狂信させれば最早それは狂っていないことになるがそう簡単にはいかないと考えるべきだ。
しかしながら、この狂信具合をうまく利用してもよいかもしれない。多くの狂信が嫌厭されるのはテロ行為を平然とするからだ。ならば『善行をする狂信者』を作れば良いのだ。
「そうだよ。そうすれば⋯⋯。ふふ、私ってば流石ね。この私にできないことはない!」
参考材料にはアレオスがいる。
「アレは狂ってる側の人間。人なのに、人によく似た魔女や魔族を躊躇いなく殺しに来るからね。でも、じゃあ人間からの評価が低いかって言われればそうじゃない」
結局のところ、大多数に認められればそれは善であり、正しいのだ。本質的な悪は、この世には存在しないのである。
為すべきことは大義を見つける、もしくは作ることだ。それさえあればどうとでもなる。
「となると⋯⋯まずは制御からだね。ノーワと会って、私の言うことに忠実になってもらわないと。そうなると私の偉大さを知らしめなければならないよね。失望なんてされたらどうなるか分からない」
ないとは思うがそうだ。
と、このようなことを考えながら片手間に亜人、アンデッドの掃討は完了した。勿論、エストの魔法に巻き込まれて死亡した人間は居ない。助ける前に死んだ人間はコラテラルダメージで納得させる。
「さてさてさて。やあ、ノーワ君。どうかな? 落ち着いたかな?」
エストは再びノーワの前に現れた。彼女はエストの姿が見えた瞬間から跪き、一向に面を上げようとしていない。
「⋯⋯顔、上げよっか?」
「はっ」
「⋯⋯で、調子はどう?」
「万全でございます」
「そう。それでさ、えっと⋯⋯キミ、話の続きをしようか」
ノーワは嬉しそうな子犬のような目を浮かべる。それはエストにとって悪魔の顔に思えた。
「はい! つきましては、忠誠を誓わせてください、ということです」
エストの予想通り、期待通りの答えが返ってくる。
「なるほど。良いよ」ノーワの顔があからさまに嬉しそうになる。「⋯⋯でもふたつ、条件がある」彼女はゴクリ、と唾を飲み、まるで合格発表を待つかのような表情を作り出す。
「それはね、キミに私という存在を人々に伝えて欲しくて、そしてそれを強要をしないことだ」
「伝えて、強要をしないこと、ですか?」
前半は納得できても、後半は理解が追いついていない様子だった。強要も何も、伝えさえすればその必要はない、と確信している様子だった。
「そう。⋯⋯私に忠誠心を持つ者はキミだけなのかい?」
「え? ⋯⋯少なくとも、現状では」
「だろうね。だって私は魔女。人々から怖がられて然るべき魔族の頂点だ」
「ですが、あなた様は──」「──いいかい?」
エストは人差し指をらノーワの口に近づける。それは静かにして、という意味を持つ合図。彼女はその合図に従い、口を閉じる。
「どれだけ私が人を救おうとも、それを疑い、魔女であるからと言って差別する人間は必ずいる。なぜか? それはね、人ってのは怖がりだからだよ。怖がっているから、差別するんだ」
差別とは自分や自分たちとは違うから行うものであるが、弱者に行うものではない。真に弱者であれば差別せずに従わせるはずだ。
例えば人種差別。肌の色が違うから奴隷にし、使い潰す、好き勝手に暴力すると言った国はある。しかし肌の色が違うからと言って肉体能力に差はあるのだろうか。そんなことはない。ただ単純に、彼らを奴隷としてこき使いたいが、反乱を起こされては自分たちが滅びると怖がっているのだ。
だから肌の色が違うという理屈を捏ねて、自分たちが圧倒的だと心理的優位性を掴もうとしているだけに過ぎない。精神的に屈服させれることもできるし、自分たちの味方意識を高めることもできる。
魔女は人間たちに差別されているのだ。恐怖され、排斥され、無条件に疑われる。それが間違いではなく、正当防衛にも等しいとエストは知りながらも、被害者ぶって話を続ける。
「でも、これから私の偉業の数々を知らしめれば、人間たちは嫌でも私の素晴らしさ、偉大さに気が付くはずさ。そこで、人間のキミが声高らかに伝えるのさ、私という者を。私はキミを伝導者に任命したいんだよ」
「伝導者、ですか?」
「そうさ。伝導者。キミが思う私の素晴らしさを、皆に説くんだ。そしてキミは彼らをまとめ上げる。それが私の力となり、糧となり、やがて私は公国を導けるようになるだろうね」
いくら一人が強くても、協力者が居なくては国一つを動かすことはできない。特にエストは、滅ぼすことはできてもたった一人で国を盗ることなんてできないのだ。だからセレディナたちに手伝ってもらっている。
もしここに、内部からの協力があればどうだろうか。それもエストの素晴らしさを称える人間が居れば。
窮地に追いやられた人とは、救ってくれた相手に対して大きな恩を抱く。その相手のためなら何だってするようになる。
そしてその相手が恐れていた相手ならどうか。悪党が少し善行をすれば、善人が善行をした時より褒められるように、魔女が人を救うことがあればどんなに感動させられるだろうか。
「素晴らしいお考えかと思います」
「なら、頼まれてくれるかな?」
「勿論でございます。エスト様」
満面の笑みで彼女は、ノーワは言った。エストは上手くいったと喜びながら頷く。
「さて、そうとなれば早速、人助けと行こうか」
◆◆◆
『死神』に襲撃された『ホルース』。被害はおそらくどの都市よりも小さく済んだだろう。
だがあくまでも比較的、軽傷で済んだという話。絶対的な値でみれば少なくない死者数、重傷者数だった。物的被害も大きく、被害者数という括りでは多くの人々が衣食住に困難が生じるようになっただろう。
最悪なことに吹き飛んだ区画や敵が焼き討ちなどした所は食料の大半が貯蔵されていた場所だった。
これが狙いだったか、そうでなかったかは分からない。ただ、どちらにせよ痛い被害であることには変わりない。
「クソ!」
『ホルース』の兵舎は現在、兵士だけでなく一般人にも空き部屋が与えられていた。それでも兵士が殆どを占めていることには変わりない。
現在、そのいくつもあるうちの一室──他よりやや高級な家具や物品がある、位の高い者専用の部屋──の机を、思いっきり拳で叩きつけたのも兵士の一人。近衛兵団副団長、クルーゾ・ハルハンプラである。彼の他にはあと三人居て、うち二人は近衛兵団所属の一兵卒に過ぎないが、一人は団長でもあるヴェルム・エインシスだ。
「なぜ貴族共はあの魔女を受け入れられる!? 我々を助けるのには必ず裏があるはずだ! 相手は魔女だぞ! 信じられん!」
クルーゾは元神官である。魔族を嫌悪し、滅することを志にしている。あのアレオス・サンデリスを尊敬していると公言するくらいの『人間至上主義者』でもあった。
そんな彼が、魔女であるエストを忌避することは分かりきっていた。
「落ち着け、ハルハンプラ副団長。貴族様はお考えがあって、魔女との『契約』を結んだのだろう。きっと、そこには自分たちを害さないという条件を含み、魔女に飲み込ませたはずだ」
ヴェルムはクルーゾを宥めるようにそう言った。彼はその言葉にいくらか理性を取り戻す。尚も普段の彼からは程遠い怒りや焦燥は感じるが、思考は大分落ち着いたようだ。
「⋯⋯っ。確かに、『契約』には強制力が生じます。しかし、奴はあの白の魔女。我々の常識が通じる相手とは思えません」
「⋯⋯そんなに魔女とは怖いものなのか?」
ヴェルムの知見では、魔女とは恐れるべき魔族である、という事以外は何も知らない。厳密には知らなかった、と言うことになるが、今でもそれ以上ではない気がしていた。
圧倒的強者であることは確信できているが、その他は凡そ人間だ。少なくとも残酷な化物とは思えなかった。
「分からないのですか!? あの禍々しさが! そして知らないのですか!? 白の魔女という存在を!」
また彼は興奮してきている。ヴェルムは再度、彼に落ち着くように言う。それから、彼の声は続いた。
「白の魔女、エスト。六色の魔女のうち、その名の通り白を司る魔族が奴の正体です」
「それは知っているが⋯⋯」
「はい。ここまでは有名な話ですからね。しかし、奴の怖いところはここから。⋯⋯それ以外の情報が存在しない」
「⋯⋯情報がない?」
名前。そして司る魔法の色。エストに関する情報はそこで完結している。
「他の魔女は少なからず情報があります。あの黒の魔女でさえ、外見やその嗜好、強さ、過去にやったことなどが判明している。にも関わらず、白の魔女にはそういったものがないのです」
なぜか。可能性はこれまで二つ考察されていた。
一つ、そもそも存在しない説。白の魔女は空席であり、誰かが流したデマでしかなかった。
一つ、出会った人間を全て殺し、徹底的に情報を統制していた。
そして今回、前者の可能性は潰された。つまり、
「奴にはそれだけの力がある。そしてそれだけ、自らが顕になるのを恐ていた。なのに、どうして今になってこんなにも目立つ行動を取るようになったのか」
「⋯⋯どうしてだ? 確かに疑問だな」
「はい。その認識で合っています。⋯⋯情報とは武器です。奴が自らの情報を規制するのはそれが理由で間違いありません。しかし、そのデメリットがあったとしてもわざわざ目立った⋯⋯。何もない、と考えるほうが難しいというものです」
「なるほどな。じゃあお前は白の魔女の目的はなんだと思う?」
「断言はしかねますが⋯⋯有り得るのは我々を捨て駒とすること、でしょう。白の魔女は、この国を救う理由を『黒の魔女から世界を救うため』と言っていた、そうでしたね?」
「ああ」
「黒の魔女は伝え聞く話では、白の魔女と同列に語られる最強です。仮に同じ実力、もしくは黒の方が強いのだとすれば、消耗させるために我々を使うという発想には理解ができます。納得はできませんが」
「⋯⋯ふむ」
分かっていた話だ。だが、クルーゾが言いたいのは、そんな誰でも分かることではない。
「問題は、だとすればこの騒動は偶然であったのか、という事です。勿論、我々が使い捨ての駒として利用されるのも問題ですが、そこは奴の言う通りに動くべきでしょう」
「え? 前半の部分も気になるが、後半は⋯⋯お前、魔女嫌いだよな?」
「ええ、大嫌いですよ。しかし私は理性的です。ヤツの言うことは悔しいことに理論が通っている。もし黒が本当は無害で、白が黒を邪魔だと思っていて殺したいのなら、もっと手の込んだ作戦を立てるはずです。数ヶ月前の黒の魔女の復活⋯⋯世界が終わるという話は真実である可能性が高いでしょう」
クルーゾは副団長に任命されるだけあって頭が回る。そんな彼が正しいと言っているのだから、正しいのだろう。それでも世界が終わるなんてこと、信じられない。いや、信じたくない。
「で、話を戻しますね。そうなると、この襲撃はマッチポンプかもしれません」
「本当か?」
「まだ確証はありませんよ。ですが、それを示唆するものは既に出ています」
まず、タイミング。クルーゾがこの考えに至るきっかけでもある。あまりにもタイミングが良すぎるのだ。しかしこれだけでは大した理由にもならない。
主に疑う理由となったのは次のことだ。
「白の魔女が姿を現したこと、です」
「それが、この戦いがやらせである可能性、か?」
「ええ。さっきの話になりますが、奴は自分の情報の漏出をできるだけ避けてきた。ここまで目立つ行為を考え無しにするとは考えづらい。ただ単に公国を手にしたいのなら、大公を支配すれば良いだけ。魔女なら手段はいくらでもあったはず。それに奴は頭も回る。これが疑われる原因になることは分かっていたはずです。しかし、奴には目立つ必要があった」
「目立つ必要?」
「はい。正当性を確立するため。自らが指揮を取るため。⋯⋯仮に大公を支配し、公国を黒の魔女及び黒の教団との戦争に放り込めばどうなるか。必ず内乱が発生します。当たり前ですね。誰が好き好んで自殺をするというのですか」
しかし、と力強くクルーゾは言う。そこには悔しがるような、嫌いなものを認めざるを得ない、と言った感情がはっきり見えた。
「白の魔女がそれを命じたのなら、また話は違う。一種の脅迫と、ある狙いがあるのでしょうね」
魔女の命令なんてイエスとしか言えないものだ。そして黒の魔女と同格と言われる存在が共に戦うとなればそれだけ心強くもある。
大公と言えどただの人間でしかない。それとは違う説得力がエストにはあった。
「目立つのは更に説得力を増すため。白の魔女という存在が人類の味方であると認識させるために、英雄となる」
「英雄⋯⋯」
「そしてこれがマッチポンプである理由です。分かりやすく『死神』という脅威が唐突に現れた。それも、魔女でしか対応できない強さ。そこに魔女が偶然現れる? 魔女には死の危険性があるというのに人助けを行う? 出来すぎた話だとは思いませんか?」
それでも確証からは程遠い。これではエストを責めることはできない。だが、グレーゾーンではあった。
「我々は奴の狙いを明らかにし、交渉するのです。奴が我々を使うのではなく、対等な関係を結ぶ。そしてこの騒動について謝罪を求める。黒の魔女との決戦後、我々の国が魔女の国にならないようにしなければいけません」
クルーゾは宣言した。その部屋の中で。
魔女を崇拝する国などあってはならない。ましてや王国と違って、ほぼ確実に善とは言えない白の魔女を信仰するとなれば目も当てられない。クルーゾは白の魔女が、公国にとって有益ではないと確信していた。
だが、それは間違っていなくて、しかし合ってもいないことにまでは気付なかった。
その部屋の扉の外側で背を凭れ、話を聞いていたエストはニヤリと笑う。
「監視しておいてよかったよ」
エストはこの都市にいる人間のうち、重要とされる人物の全ての情報を頭に入れていた。中でも危険視するのは三人。
この三人には常時観察するために影の悪魔を影に潜ませている。その一人こそクルーゾ・ハルハンプラであった。
彼は公国きっての天才。エストの策略に勘づくことのできる数少ない人材だ。警戒すべき相手である。
「⋯⋯殺すか取り込むか、迷うね」