7−105 これからの方針
死神の軍勢による侵攻はエストの活躍によって退けられた。しかしこれは第一次侵攻に過ぎなく、またもう一度行われるだろう。
よって、二度目の会議──今度は一度目よりもより多く、そして貴族だけではないメンバーだった──が『ホルース』にて開かれた。
そこに参加しているメンバーは一度目の会議のメンバーに加えて、『カプラス』で生存していた貴族、『ホルース』や『ウィンズ』の住民の中でも貴族ではないが有力な知識人や軍人、公国最強の戦士のヴェルム、そして、白の魔女エストの計三十八名だ。
今回もまとめ役はルークに任ぜられた。
前回からの短期間で、既にいくつもの都市が落とされていることが判明した。死者数もとんでもなく、物的被害も合わせて仮に今回の事件を乗り切れたとしても、復興までは何十年規模の時間を必要とするだろう。
更には落とされた都市では残虐な所業が行われている報告が上がった。人間を食事とするための加工を始めとした数々の業。聞くのさえ吐き気を催すことに、報告者は勿論、出席者──人外を除く──も気分を悪くした。
占領された都市には数多くの生存者が居る。この狙いは不明であるが、憶測として出されたのは人質だ。後は前述した通りの食料であろう。
数多の人が死に、少なくない貴族も死に、大公も既に死亡が確認されている。
国は混乱。他国へ逃げる者も多いが、その後連絡が取れた試しはなかった。国境がどうなっているのかは現在調査中だ。
「──被害状況の報告は以上です。ここまでで何か質問はありませんか?」
質問したいことと言えば、ここからどのようにして立ち直せるか、だ。しかしながらその答えはもう分かっている。一つにして選択し難い。が、選ばなければ滅亡の一途を辿ることだろう。自殺みたいなものだ。死ぬしかない。
「⋯⋯ないようですね。では、次に参ります」
ルークは呼吸を整える。荒れていた、恐怖がなくなれば良いなと、鼓動音が収まれば良いなと思ってのことだ。だが、残念ながら無理難題だったようだ。それでも続けた。
「この絶望的な国を救う方法⋯⋯です。そして我らが国の救世主こそこの方、白の魔女、エスト様でございます」
白髪の少女は一歩前に出て、その美貌、気品高さに相応しいだけの振る舞いを行う。公国式のそれを披露すれば、魔女が行うとは思わなかったのか、貴族たちは僅かながら目を開いた。驚いたということに間違いはなくとも、どこでそれを知って、なぜできるのか、というものだ。
「初めまして、エルティア公国を導く貴族様方。ご紹介に預かりました、私、エストと申します。どうぞよろしく⋯⋯ってね」
口調は作り物だ。声も『っぽいもの』をわざとやっているようだった。
「私はキミたちと違って、単刀直入に言を交わすのが好きなんだ。下らない権力争いとか、自尊心とか、どうでも良い。だから率直に言おう。キミたちは死ぬか、それとも生きるか。どっちが良い? 選択肢は二つに一つさ。内容はもう分かっているでしょ?」
「貴様っ! 誰にものを言っていると思っているっ!」
老け始めて久しく、頭髪の境が随分と後退した男が声を荒らげて席を立つ。腕に自信のある彼の怒号は、魔女という恐怖を一瞬だけ上塗りした。
しかし、直後、言いようのない威圧感が発せられる。問題は、この場の殆どの人間にはその威圧感がまるで覚えられなかったことだ。あることは分かっても、自分に向けられていないことがハッキリと分かるものであったのだ。
「人間だよ。貴族だろうが王族だろうが、私の態度は変わらない。ただ⋯⋯人間の価値は一律じゃない。その点でキミは、低い位置にあると知りなよ」
「⋯⋯っ」
唯一魔女の威圧感が向けられた男の顔はどんどんと青ざめていった。
「⋯⋯さて、人間であるキミたちに問いたい。私と契約しないかな? 契約した暁には、キミたちの命とエルティア公国の存続を約束しよう。大丈夫、安心して。私は公平かつ平等なんだ。裏切ることはないし、つまり被害を加えるつもりもない。私は全力でキミたちを救うことを宣言しよう。この、エストという名に賭けて、ね」
魔女。それは恐れられて当然の存在。では彼女らが「救う」などと言えばどういった印象を受けるのか。
信じられない。全員、そう思ったことだろう。当たり前だ。詐欺師の前科がある者を無条件に信じるはずがない。それと同じなのだ。
「⋯⋯信じられない」
一人の貴族が言った。皆、同意するところだ。
「でも信じる他ない」
続いて、同じ男は言った。皆⋯⋯やはり、同意するところだ。
「ふふ⋯⋯ああ、そうだ」
敵は一国を簡単に滅ぼす存在だ。しかも死体を化物に変え、駒とする。下手な兵は相手の戦力を増強することになる。無論、例え他の国が救援に来たとしても意味はないと言って過言にはならない。
ならばどうするか?
「キミたちの目の前にいるのは、死神に死を贈れる魔女だ」
ある人は理解を示して、またある人は渋々、納得した。エストという得体の知れない魔女に頼るしかないと。この、今のエルティア公国の実質的なトップは判断し、決意した。
「では貴殿に聞きたい。貴殿は何を望む?」
契約と言うからには対価を要する。それは一体何か。
「もうサザン候から聞いているはずだけど、まあ、私の口から聞きたいということだね? ──キミたちの軍事力だよ。私の目的は黒の魔女を殺すことだ。そのためには力がいくらあっても足りない。だから、戦力が欲しい」
つまり、エルティア公国は死神を撥ね退けても、また同じ危機──否、それより遥かに怖ろしい黒の魔女と敵対することになる。
「黒の魔女は世界を滅ぼす。キミたちは無論、例外になれないよ。死神の騒動だって、もしかすれば⋯⋯。そういうわけだ。ここで円滑に事を進めるために、私はキミたちを助けるのさ」
ここで恩を売り、エルティア公国の協力を得る。突然現れた魔女よりも、一度救ってくれた魔女という肩書の方が信用され易いのは自明の理だ。
「さて、話は纏まった。これからは具体的な内容について話そう」
エストは事前に考えていた計画を話す。
まず、やるべきことは占領された都市の奪還だ。インフラストラクチャーが崩壊した今、水道や光源などに使われる魔力の供給は止まっている。食料も同じであり、都市にはそれぞれ備蓄として一週間ほどならば耐えられる量がある。が、一週間以内に食料問題を解決できるとは思えない。
そうなると、落とされた都市に備蓄されている食料を奪還する他ない。その時に生存者を救助することになるが、人数は格段には増えないだろう。
つまり、これから都市の奪還をしなければならないということだ。
続いて、肝心の死神についてどのようにして対処していくかだ。
「私は先日、『カプラス』で死神たち全員と戦った。だから、確実に言える。私なら勝てるってね」
その答えを待っていたとばかりに貴族たちは感嘆の声をあげる。しかし、エストは「でも」と続けた。
「あくまで私が万全だったならね」
エストは『カプラス』の戦いで消耗している。彼女は自分の魔力を回復させないといけなくて、その間、できるだけ魔法は使わないようにしないといけないと言った。
勿論、貴族たちは魔法に全くの無知なわけではない。寧ろ魔法とは知識があるかないかで天と地ほどの差がある。魔法が使えずとも知っているだけで命拾いをすることも珍しくない。
だからこそ、貴族たちは疑問に思った。
「なぜだ? 魔力は一日もあれば完全回復するはずだ」
「人間の常識を当てはめないでよ。私は魔女なんだよ? コップを満たすのと海を満たすのが同じ時間で済むとでも? そりゃ確かに常人よりかは回復量は多いけどね」
魔女が他にいない状況下でそれを確かめる方法はない。魔女だから、という理由は根拠に足りていて、何も言うことができなかった。
「で、私はキミたちに協力するけども何でもかんでも任せてね、と言うつもりはないんだよ。基本的にはキミたちだけで対処すべきなんだ」
「⋯⋯了解しました」
代表者たるルークが答えた。これは仕方のないことだろう。
「発言、よろしいですか」
そう言ったのはヴェルムだ。彼は戦士長という立場であり、その功績からあらゆる会議においての発言権を自由に認められている。尚もこうして許可を得ようとするのは彼の謙虚さが理由だろう。
ルークはヴェルムの発言を許可した。
「エスト様が対処できない代わりに、我々近衛兵団が対処しましょう。あの死神でなく、グールや吸血鬼であれば十分対応できます」
最早、守るべき相手である大公は居ない。ならば今守るべきはこの国そのもの、ということだ。
「そしてその際に、大公陛下を捜索したいと考えております」
ヴェルムの発言にその場に居たメンバーは、大小はともかくとして驚きを隠せていなかった。
大公はこの戦いが始まる前に死亡したはずだ。子供に恵まれず、そして病死してしまうという悲劇の君主だったのだ。
「⋯⋯なぜだ?」
今まで黙っていたロザリックの当然の質問にヴェルムは答えた。
「大公陛下の病死は不自然でした。前日までの定期検診では異常は発見されなかった」
勿論、検診に見落としがあったかもしれない。なくても、突然病気が発症したかもしれない。だが診ていたのはこの国随一の治癒魔法使いにして、数少ない医学者だ。
「なので我々の方で調査したところ、陛下の食事に魔法的な毒が混入された跡がありました」
「何? ⋯⋯いや、しかし、それでは亡くなられたことには変わらないのではないか?」
「はい。我々もその時点ではそう思っておりました。実は誰かに殺されたのではないかと。なので犯人を探そうとしたのですが⋯⋯しかし、これを見てください」
ヴェルムは隣りに居た彼の部下である兵士に命令する。すると、兵士はある写真を見せた。
「これは陛下の棺の中です。魔法的な毒をわざわざ使ったことに違和感を覚えたのです。あの魔法の毒を作るのは第四階級魔法です。ならば他にもっと良い方法があった、と。殺すことが目的ならなぜもっと違う方法を取らなかったのか」
普通に考えて、土葬された遺体を掘り起こすなんてするべきではない。ましてや大公の墓を暴くなんて言語道断だ。にも関わらず行い、そして告げたのには理由があった。
「⋯⋯本当に、陛下の棺の中か?」
「はい。この棺にはアベラド・マテュー・ハイゼンベルク・ヴァレンタイン大公陛下の御遺体が納められているはずでした」
「──ここにいる皆様で、陛下の御葬儀に全くの赤の他人が埋葬されているのを見たことがある人物は居ますか?」
ルークが声を少し大きくして問うた。だが、しかし、全員無言の回答をした。
「⋯⋯なるほど。つまり大公の死亡は偽装だったわけだね」
エストはこれまでの話を一言で纏めた。
「まさか、死神たちの仕業か?」「だとすればどうして」「陛下はどこに」などと各々が口にするが、エストの次の一言が場を静寂に包んだ。
「大公の策略だろうね」
あまりに予想外の発言だった。勿論、そんなことを言うからには根拠があるのだろう。貴族たちはエストを、その後に続く言葉を期待する目で見た。
「⋯⋯おそらく、黒の教団が公国には居る。ウェレール王国やガールム帝国にも居たんだよ。国を牛耳るためにいたっておかしくない。で、大公はそれに気づいたけど時すでに遅し。監視でもされてたんだろうね。だから死体を偽装し、なんとかしようと奔放した」
そしてタイミング悪く死神が侵攻してきたということだ。
ただの推測に過ぎなく、根拠は殆ど無い。だが暗殺にしては死体を偽装する意味がないし、人質なら殺す必要はない。考え得るのは第三者による策謀ではなく、大公本人の策略である、ということだ。
あるいはこう考えさせ、捜索隊を結成させることによる戦力の分散が目的という線も考えられなくもないが、まずないだろう。
「だとすれば大公陛下はどうなった?」
「捕まったか逃げてるか。どちらにせよ、最初の計画はまともにできなくなったろうね」
「⋯⋯ならば、どうすれば」
もしもエストの言っていることが正しければ、ヴェルムたちは大公を助けるべきではないかもしれない。
「⋯⋯⋯⋯そう、だね⋯⋯」
エストは考える。
(記憶を操ることはできないからなぁ。視ることはできても⋯⋯ここは⋯⋯)
一秒も経たずに考えが纏まった。
「⋯⋯それでも助けに行くべきじゃないかな。今の大公は死神に殺される可能性があるからね」
ああ、それは間違いだ。エストには分かる。だが、そうしてもらわなければならないのだ。
ヴェルムはそこまで馬鹿ではない。可能性──ここでは真実であるそれ──を考えないわけがない。
「ね? そうでしょ?」
「⋯⋯そうですね。死んでしまっては意味がない」
だからエストはヴェルムの記憶に干渉した。そうして彼の思考を都合が良い方に誘導した。
その後、どこの都市を奪還するかや大公の捜索について話し合った。結論が出たのはエストの協力もあってそれから一時間と少し後である。
最後に、ルークの「エスト様、あなたをお一人にするわけにはいきません。契約者であらせられるあなた様の世話をさせる従者をつけます」という提案でヴェルム配下の一人の少女がエストの従者となることになった。その少女は命令に反抗する気はなく──かと言って嬉しく思ってもいないが──了承した。
少女の名はノーワ・スレイン。近衛兵団で最も若い兵の一人である。
エストはこれが自分の監視のためだと分かっていたが、ボロを出すつもりはないから受け入れた。
「よろしくね、ノーワ・スレイン」
「⋯⋯こちらこそよろしくお願い致します」